死神にも都合がありまして。
こちらはカクヨムにて1番最初に投稿した話です。初期のものなのでアラが目立ちますが、ご拝読いただけると嬉しいです。
薄暗い部屋に差し込む一筋の光。カーテンの隙間から漏れ出したそれは、この部屋を照らす唯一の光源となっていた。
壁に貼っていた好きなアーティストのポスターも、本棚に詰め込んでいたギター教本も、今となっては全てただの紙切れにしか見えない。いっそ死ぬ前に全て燃やしてしまおうか、とも思ったが、火事になっても困るのでやめておくことにした。それにうちはオンボロ木造アパートだから、一度火がついてしまえば全壊する恐れがあるのだ、軽々しく「燃やす」なんて言えない。
今の俺に必要なのは頑丈な縄と少しの高さがある台、それだけだ。
やりたくないことを無理やりさせられて自由に夢も追いかけられないような人生がこの先ずっと続くのなら、もうここらで断ち切っておいたほうがいいだろう。
用意した台に乗って、呼吸を整えて、丸く結んだ縄に首をかける。
そうだ、俺は飛ぶんだ。何も怖いことないんて無い——
朦朧とする意識の中で最後に視界に移ったのは、
何よりも大好きなギターだった。
それからどれほど経っただろうか。
俺は知らない部屋で1人、パイプ椅子に座っていた。というかまず「部屋」と言っていいのかすらもわからない。上も下も右も左も、全方位が灰色に包まれている空間なのだ。
俺が椅子に座れているのだから、一応床、というか地面はあるらしい。
なんなんだ、この場所——とりあえず状況を確認するため、椅子から立ち上がろうとしたそのとき。
「あっお兄さん、その椅子から立ち上がったらおちちゃいますよ」
虚空から、若い少年ような——聞きようによっては少女のものとも言えそうな——声が聞こえてきた。
そして俺はその言葉に思わず上げかけた腰を下ろす。誰の声かもわからないのに従ってしまったのは、やはり「落ちる」という言葉に過剰に反応してしまったからだろうか。
「えーっと、ちょっと待ってくださいね」
その少年の声と同時にもやあと歪む灰色。歪むと言うより空間に切れ目ができる、と言ったところだろうか。それはタバコの煙のようでもあったし、溶けかけた蝋燭のろうのようにも見えた。
しかし次の瞬間、視界に映る黒と白。黒はひらりと波打つように揺れ、彼と俺の間にささやかな風を起こした。そしてその風圧でなびく白。
「あ、どうもー。僕、死神のノエルって言います」
にこりと俺に微笑んだ彼は、彼と言うにはあまりに可愛らしく、死神と言うには妙に優しげに見えた。
「......死神って、あの死神?」
そして呆気にとられた俺がやっと発した言葉は、典型的かつ知能指数の低そうなセリフだった。
人間、本当に驚くとバカになるんだな、と思った瞬間だった。
「ふふ、そうですよ。人の魂をあの世に送る、嫌われ者の『死神』です」
彼はあくまで笑顔も口調も崩さずに言う。が、「嫌われ者」という言葉が妙に引っかかった。確かに死神にあまり良いイメージは無いが、しかし「嫌われ者」と言うほど悪者扱いされているともあまり思えない。
俺の偏見なのだろうか。
「でも、君......ノエルさんは、お面とかしてないし......本当に死神?」
「ははっ、僕に敬称をつけるなんて珍しい人ですね。『ノエル』でいいですよ、僕もそんなに高い身分のものでも無いので。えーっと、それで......あっ、そうだ。
死神なのにお面して無い......という話でしたっけ?」
笑われた。そりゃあ死神なんて言われたら怖くて敬称でもなんでもつけるだろう、と言いたくなったが、歳下(外見年齢)に対して「ノエルさん」なんて言うのも確かに滑稽な話だ。
そして(まだ一応怖いので)ノエルからの質問に俺なりに答えてみる。
「うん......死神ってほら、お面して鎌持って、っていうイメージが強いから」
またもや馬鹿が露呈した。小学生か俺は。
「イメージ、ねぇ......ははは、そんな古いしきたりは死神界ではもうとっくになくなってますよ。
だってまずアレ、前見にくいんですもん」
「......そんな理由で?」
「ちなみに死神のお面のルーツは、『返り血が口に入るとまずいから』らしいですよ」
「そんな理由で!?」
声を荒らげて言ってみたはいいものの、「返り血」という単語に少しだけ背筋に寒気が走った。
美しい白髪も、大きくその身を覆うマントもやけに人間じみているのに、
心の底はやっぱり死神なんだな、と思ってしまう。
——いや、彼に少しでも人間性を見出そうとしてしまった俺の方が愚か、か。
「ところでお兄さん、随分と若いですね?」
勝手に失望していた俺の顔を、ノエルは遠慮なく覗き込んだ。
その紅い眼に映る俺の顔はやはり酷く滑稽で、それに比べてノエルの顔は整っているがどこか無理やり貼り付けたような表情に見えた。
というか顔が近い。
「事故にあったようにも見えませんし。たまにいるんですよ、頭とか腕とかどっか行っちゃった人が」
ナイフを模した右手で自身の首と腕を切るジェスチャーをしながら、飄々と恐ろしい情報を投げつけてくるノエル。やっぱりこいつ死神だ、人間普通こんなこと淡々と言えないだろ。
「お兄さんはどうして死んだんです?病死?薬死?溺死?笑い死に?餓死?窒息死?それとも......」
先ほどと変わらぬ笑顔で、しかし狂ったように死因を問い続けるノエルに、俺はただただ純粋な恐怖を覚えた。
あと一歩で、鼻先が触れるその距離で、
ノエルは完全に『死神』の顔をしていた。
「......嫌だなぁ、黙らないでくださいよ」
その笑顔の妙な威圧感に、俺は閉じた口をこじ開けられた。
「自殺、した」
「......へぇ、自殺、ねぇ......」
俺の言葉に、今日初めて表情を崩すノエル。つまらなさそうな、それでいて酷く呆れたようなその表情には、少しの嫌悪感さえも感じられる。
「あ、確かによく見ると、貴方の首元に赤い痣がくっきり残ってますね」
しかし同時に、先程までの笑顔とは違った『人間らしさ』も感じられた。
「実は自殺って、僕ら的にはものすごく処理が面倒なんですよ。自殺する人ってまだ寿命来てませんし。手続きとか色々もうホント大変で......わかります?書類の空欄を全部埋めなくちゃいけないんですよ、僕が。事故死とか寿命とかなら機械に通せば勝手にやってくれるんですけど、自殺だけはどうも対応して無いらしいんですよね......とんだブラック企業ですよ......社畜ですか僕は。おかげで毎日肩こりが酷いんですよ。あ、もしかしてお兄さんも社畜だったりします?」
......こうして長々と企業に対しての愚痴をこぼすあたり、やはりノエルのことを「死神」と割りきるのは難しい。
どうしても、何か近いものを感じてしまう。
「......社畜だよ、俺も」
「お、やっぱりそうでしたか?いやー最初からお兄さんは社畜っぽい匂いがするなーって思ってたんですよ」
そして今度は嬉々として俺の社畜宣言を馬鹿にしてくるノエル。というか社畜っぽい匂いってなんなんだ。
「じゃあ、社畜のお兄さんならわかってもらえると思うんですけど、ハッキリ言って仕事増えるの嫌なんですよね、僕」
飄々と告げる彼のその顔には、何故か「にたり」といった感じの表情が浮かんでいた。
「わかるよ、すごくわかる」
「そうですか、それは良かったです。いやー納得してもらえてよかったよかった」
そう言うとノエルは何故か俺の座る椅子の後ろに来て、
「ってことで、お兄さん。
——もうちょっとだけ、生きてきてくれません?」
と、俺の背中をとんっと押した。
そしてパイプ椅子から投げ出される俺の体。周りの景色はわからないが、かすかに向かい風を感じる。
最初にノエルが言っていた「おちる」というのは、こう言う意味だったのか——
「じゃあ、頑張って生きてください」
最後に耳元で聞こえた小さな声は、酷く優しく、やはり人間らしい声だった。
薬品の匂いが俺の鼻を弱く刺激する。薄っすらと視界に広がる無機質な白色と、差し込む夕日の光。次第に鮮明になっていく視界の中で、俺は今自分のいる場所をようやく理解した。
「......生きてるじゃん」
どうやら俺は死に損ねたらしく、家から徒歩15分の病院の一室で白いベッドに寝かされていた。
もしかして夢でもみていたのか?と一瞬考えたが、首に残った紅い痣が何よりも雄弁に現実を語っていた。
「......死神、か」
夢でないとしたら、あれは一体なんだったのだろうか......そんな思考を巡らせようとした途端、ふいに携帯電話がブーブーと鳴った。
指紋認証でロックを解除すると、液晶画面に映る『通知231件』の文字。
最新のメッセージには、
「有給休暇を与えます」と書かれていた。
......社員が病院に運ばれたから、焦って良い企業のフリでもし始めたのだろうか。
「......ははっ、笑えるな」
さて、入院生活もそう長くは続かないだろうし。
有給使って、またギターでも弾いてみるか。