秋の夜の満月
※ジャンル ・その他 ・女主人公 ・満月 ・夜歩き
短針が十二を過ぎた。
窓の外に目を向けると本来ならとても暗くなっているはずの空がいつもより少しだけ明るい気がする。
ああ、そういえば今日は満月じゃないか。
一つの理由を思い浮かべて私は薄く笑みを浮かべた。
昔から満月は好きだ。黒の画用紙の一部を丸く切り取ったような空を見ていると、なんだか心が締め付けられて切なくなってぐっとくる。
もしかしたら、あの穴の向こうには私の想像を遥かに超える何かが存在していて、満月の夜はこちらを眺めているんじゃないかしらなんて、途方も無い夢想に想いが馳せる。
もう夢見る少女でいられる年齢でもないけど。
季節が夏から秋を経て冬へと向かう。
グラスに入れた氷が溶けるように少しずつ、だけど確実に。
外気温が下がっていくにつれて空気は澄みわたり夜は深みを増していく。そして溢れた月の光がこの世界に鮮やかなコントラストを生み出すのだ。
今日の満月は先月のそれよりも美しく、来月の満月はもしかしたら今日のものより美しいかもしれない。秋の月がもつ恋を知った女学生のような可能性が私には眩しく見える。
月が秋の季語とされているのは単純な美しさだけでなくそういった想いも込められているからかもしれない。
「さて、と」
部屋の中からだと月が見えない。部屋着の上から簡単にカーディガンを羽織る。これだと少し寒いかもしれないけど長時間出るわけではないのだ。
こんな時間に外に出るなんていつぶりだろうか。
街灯のおかげもあって外は思っていたよりも明るく、空気が冷たい。まだ秋だというのに風に吹かれると少しだけ辛かった。
「やっぱり、長時間は厳しそうね」
近くの自動販売機で温かい缶コーヒーを購入する。持った手にじんわりとぬくもりが伝わってきて気持ちがいい。飲むのはもう少したってからにしようと思った。
街灯に案内されるように足を進めていく。このままあてもなく歩くのもいいけど今日はせっかくの満月なのだ。ぶらつくのはまた今度にして落ち着ける場所にいこう。
文明の発達によって夜の世界が内包する不安感や恐怖は取り除かれ、この街は機械的な灯りで照らされている。
月明かりだけで暮らせるほど現代は優しくないので仕方ないけど、数々の名歌を残した名も知らぬ詠み人たちはどう思うだろうか。
彼らが楽しんだ夜は街灯によって色を失い、彼らが感じた美しい月はただの舞台装置に成り下がってしまった。
かつて、満月の完全さを自身の栄華に例えた彼はどういった気持ちでかの歌を詠んだのだろう。満月は一時的なものでいずれは欠けてしまうことも、現代のように人々の心から離れていってしまうこともわかっていたのだろうか。
十世紀以上も昔の彼らに想いを馳せて歩くこと数分、目的の場所についた。
街灯が少なくベンチのある公園。背の高い木はあるが数が少なく視界も十分開けている。ここなら月がよく見える。
木でできたベンチに座り、すっかり冷めてしまった缶コーヒーを開けて一口。ほんのり感じる温かさがなんだか気持ち悪くて笑ってしまった。
「うん、やっぱり綺麗」
大きくて丸い月。
今日は天気がいいから星も健気に光っている。
君たちも綺麗だよ、なんて届きもしない言葉を送ってみた。
私にはこの感情を三十一文字で表す才能はないけれど、名も知らぬ彼らならなんと詠んだだろうか。
ただの舞台装置にすぎない月も彼らなら意味あるものにしてくれるだろうか。
やっばり、黒画用紙に穴を開けたみたいだとか向こうから見られてるかもなんてチープな発想はしないのかな。
私は私。彼らは彼ら。
同じ満月を見ても感じ方は違って当然。
それでいいんだ。
冷めきった缶コーヒーを飲む。今度はぬくもりのかけらもなかった。
いつもなら気にならないはずの飲み口の鉄臭さが、なぜかほんの少しだけ気になった。