狩人
※ジャンル ・ハンター ・おっさん ・グルメ系
息を潜めて獲物を待つ。
見晴らしのいい高台に身を伏せてから、もうかれこれ1時間は経っただろうか。
この場所はいい。四方が拓けているおかげで余程のことがない限り奇襲を受ける心配はないし、高所のため地上の獲物から視認されることもなく安全に狩りが行える。
愛用の長銃の重さは感じない。
使った日も使わなかった日も関係なく毎日きちんと手入れをしている相棒はもはや身体の一部といっても過言ではないのだ。
銃身からグリップまで全てを自分の手に馴染むようにカスタムした相棒とはもうすぐ7年になる。
この稼業についたばかりの頃使っていたものは、無駄撃ちが多く手入れも甘かったせいですぐにダメになってしまった。
命を預ける大切な仕事道具だというのに、あの頃はまだまだ若かったと言うほかない。
さて、今回の依頼は人食い獣の討伐。
俺が所属するギルドにきた依頼の中では比較的楽な方だ。危険度でいえばせいぜいC〜Dクラスであるし、この時季の人食い獣は傾向でいえばおとなしい。
出された依頼も緊急性のあるものではなく余裕があればで構わない程度のものだった。
今の時季は彼らの繁殖期ではなく、食料も豊富なためめったなことで人に危害を与える心配がないという判断からだろう。
そもそも人食い獣と呼ばれるものが年がら年中人間だけを襲って食うのかと言われれば、当然答えはノーである。そんな生物はいない。というかそんな生物はまず生き残れるはずがない。
とはいえ人を食う習性があり、時季によっては気が立っていたり人里に降りてくる個体も少なくないのでこうして早いうちに始末しておきたいというのが今回の依頼となる。
依頼主がギルドということからもそういう事情がうかがえる。
さて、この場所に拠点を構えてから2時間が経とうとしていた。
獲物の行動パターンから推察してこの場所を選んだ――気に入りの場所ということもあるが――のだがどうも勘が外れたようだ。
仕方ない、移動するか。
と身を起こそうとした瞬間視界の隅で動く影が見えた。
あわてず呼吸を一つし気配を消す。
のそりとした重い動きをスコープ越しに捉えた。全身を覆う茶色い体毛に太く短い四肢。彼の武器となる鋭い爪や牙を生身で食らえばひとたまりもないだろう。
……間違いない、今回の獲物だ。
距離にして数十メートルはあるが、相棒に距離はあまり関係ない。この程度の距離なら一瞬で決まる。
気配を消しながらスコープ越しに観察する。
動きが遅いとはいえ野生の獣相手にすぐさま引き金を引くような愚行は犯さない。仮に一発で当てられる自信があってもだ。
照準を合わせ続けること数分。ついにその時がやってきた。
のそりとした足を完全に止めたのだ。
位置も悪くないしたった数分とは運がいい。
引き金を引く。
1発が脳天を貫き、続けざまに3発が胴体を貫いたところでズシンと崩れ落ちピクリとも動かなくなった。
死体を確認する。
スコープ越しに見た通り、体長は3メートル程度の大きくも小さくもない個体だ。
1発で仕留めたこともあり非常に質がいい。
胴体を貫いていたおかげで到着した段階である程度血抜きが出来ていたが、完全ではない。ホルダーからナイフを取り出し、毛皮を裂く。
肉が悪くなる前にさっさと捌いてしまおう。
ギルドが買い取ってくれそうなものや討伐証明となるもの、そして肉を持てるだけ持って拠点に戻ってきた。
最初こそ勘が外れ2時間ほど無為な時間を過ごしたが終わってみれば呆気ない。
そもそも今回の獲物はわざわざ俺が受けるレベルの依頼ではないのだから当然である。
受注したのは単純に他にめぼしい依頼もなかったからだが、もう一つ。
こいつの肉は結構美味いのだ。
きちんと血抜きをした新鮮なものであれば焼くだけでかなりイケる。
最近はご無沙汰だったが若い頃はそれはもうよく食べたものだ。
人食い獣ならぬ獣食い人といったところか。
仮に獣ギルドがあれば俺を討伐する依頼があってもおかしくない。
ふっと口元が緩む。
まだ狩場だというのにこれはいかんな。
拾っておいた薪に火をつけ肉焼き機を用意する。
俺がこの場所を気に入っている理由の一つは前述の通りであるが、もう一つはこの高台に生えている香草だ。
それほど強い香りではないのだがスッとした香気が獣肉とよく合う。いかんせん日持ちしないため持ち歩けないのが残念だ。
そのままでも十分美味いのだが、野生の獣である以上新鮮であってもやはり少し獣臭い。
獣臭さがいいという人もいるのだが、俺は断然こちらのほうが好みなのだ。
薪の燃焼具合を見ながら香草を刻む。
……そろそろ焼き始めるか。
今朝受注し昼飯が確定してから簡素な携帯食料しか口にしていない。予定より少し遅くなってしまったせいで腹の虫がもうカンカンだ。
厚めにカットしたものを肉焼き機にセットする。
パチパチと脂が焼ける音が空腹を刺激し匂いが鼻腔をくすぐった。この時間が至福だ。
一面だけ焼けすぎないように肉を回しながら火を通していく。
ある程度火が通っできたところで刻んでおいた香草を肉にまぶす。肉から落ちた香草が焼ける匂いもまた愛おしい。
熱を通しすぎると固くなってしまうためここからは一瞬の判断が命取りとなる。
したたった肉汁が火に触れ音を立てて蒸発する。ごくりと喉がなった。
もう限界だ。食おう。
肉焼き機から簡素な皿に移す。
表面はこんがりといい具合に焼けているが中身はどうか。ぐっとナイフを押し当てると適度な弾力のあと肉汁を迸らせながら切れた。
焼け目と比べてはるかに明るみのあるピンクに思わず感嘆の息が漏れる。悪くない出来だ。頬が緩むのがわかる。
一口サイズにしては少しばかり大きい肉片を迷わずほおばる。
ふわりと香草の香りが鼻から抜け、ついで肉の甘みが口に広がる。
やや弾力のある身にたまらず歯を立てると肉汁で溺れそうになった。
鼻で呼吸をしながら咀嚼をくりかえし、全て飲み込んで大きく息を吐く。
――美味い。
噛むたびに旨味が広がる野性味溢れる肉、くどくなりがちな脂をさわやかな香りで支える香草。
最高の組み合わせだ。ここに冷えたエールでもあればなおよかったが狩場にそんなものはない。アルコールはお預けだ。
余韻に浸りたい気持ちと早く次の肉を口に入れたい欲が争い、 欲が勝った。次の肉片を口に運ぶ。口に運ぶ。口に運ぶ。
手が止まらない。いや、止まる必要もない。
本能の赴くままに肉と向き合い、気付けばあれほどあった肉を全て食い尽くしてしまっていた。
年甲斐もなく肉だけで膨らませてしまった腹をさする。
いい、食事だった。
ギルドは討伐完了の報告を待っているだろうか。
だが、すまん。今は動けそうにない。