突拍子もない質問
現在俺は、今日突然フラりとコート前に現れた、一人の一年のアップに付き合っていた。
第一印象は、一年のなかで中の上くらいの実力がある相良が勧誘して連れてきた、セレクションを受けに来ただけのごく平凡な、これまでサッカーをやって来た一年生に見えた。
だが、よく見てみると制服の上からでは余り良く判別は出来ないものの、それだとしても余程鍛えてきたのがわかる脹ら脛の筋肉の付き方と、背筋が空へピンと真っ直ぐに伸びているのか、それらを見て体幹も並みじゃなさそうなものを感じさせた。
それでふと思う。この一年は上手そうだと。
その一年の名前は綾崎 司というらしい。
名前を聞いた時は少し疑問、というよりは記憶の何処か一片を見つけたような感覚だったのだが、
まぁ、それは置いておくとしてだ。
「ほお……」
それより今は、目の前でドリブルをしながら一周をして来る綾崎を見て、思わず驚嘆しているのだ。
何故かと。簡潔に言うなら、そう──
「……一度もボールを見てない」
──ドリブルが半端ない。
これまで見てて短時間だが分かる、あれは一人二人なんて直ぐに抜かれてしまう。
先ず、特筆すべき点と言えばノールックだろう。
ノールックとは、そのままの意味でボールを見ないということだ。
勿論、俺達二年生もボールを見ないことなんて造作もないが、それは一定時間という制約があるからだ。
そうしなければ、いくらサッカーをやって来た身だとしても、ボールの置き場所を間違えたり、或いはボールに向かう相手の足の間合いを誤り、取られてしまうこと等、所謂ボールを見失うという失敗をしてしまう可能性が高くなってしまう。
だから、この強豪に来ている奴は絶対に何回かはドリブル中にボールを見るのだが、綾崎に至ってはそれが無いのだ。
それだけなら驚く必要もないだろう。だって見なきゃいいのだ。
そう思うかもしれないが、本題はここからだ。
ドリブルは殆どがトップスピードで行うため、当然パフォーマンスが落ちてしまうのが当たり前だ。
ドリブルでのパフォーマンス低下というのは、三つの事が挙げられる。
・トップスピードの時、歩幅が調整し辛いので、必然的に窮屈なタッチになってしまう。
・走っているという動作には、足を前に強く蹴り出すという動作が含まれているので、少しでも力んでしまうと、普段より蹴り出したボールが長くなってしまう。
・トップスピードを維持しながらのドリブルは、制御がし辛くなっているため細かなタッチは非常に難しい。
と、上記の通りに、トップスピードでのドリブルは非常に高等なテクニックを要するものなのだ。
それにも関わらずに、綾崎はトップスピードで非常に細かなタッチで軌道修正をしながらドリブルしている。
──しかも、ノールックで。
制御が難しくなっているのにも関わらず、まるで見なくてもそのボールの行方は分かっているかのように臆さずに柔らかく、かつ繊細なタッチでドリブルをするということがどれほど高等なテクニックなのか想像も難しい。
「……凄い。竜胆と張り合えるかもしれない」
ウチには、二年生の竜胆というスタメンのドリブラーが居るのだが、それに張り合えるほどのボールの吸い付き様である。
だが、あの竜胆でさえ時々ボールの場所を確認するために視線を落とすのだが、半周に突きかかったところでも綾崎は未だに視線を落としてなく、常に前を向いていた。
もしかしたら竜胆に、と思ったところで
「──!」
今、正に目撃したものは、圧倒されるほどのドリブルスキルの一つであるシザースを綾崎したところだった。
シザースとは、スピードを出来るだけ落とさずに転がっているボールの少し前を跨いで、相手を惑わすことが出来るフェイント、ドリブルスキルの一つである。
(スピードを一切落とさずに……しかもなんて速い足捌きだよ)
一瞬だが、少し前までオランダ代表のエースであったエルヘン・ラッベンを彷彿とさせた。
エルヘン選手はドイツリーグの強豪中の強豪であるバイエルンFCの10番を背負っていたが、これまでの数々のゴールを、その俊足を活かしたドリブルスキル、主に高速シザースを使用し、ディフェンス陣を翻弄させた後に奪っていたのだ。
高速シザースはエルヘン・ラッベンを語る上で不可欠なドリブルスキルの一つであるが、プロ顔負けのシザースを目の前で披露する綾崎とが重なって見えてしまった。
好きな選手であるが上に、それで見えてしまったのかも知れないが、そうだとしても綾崎が見せたあのシザースは、遠くから見ているだけで圧倒されてしまうほどキレがあった。
他にもボールロールやダブルタッチ等のドリブルスキルを見せてもらったが、どれもこれまで見てきた高校生達と質が違って見える。
「俺も相対したら普通に抜かれるかもしれないな。足元もそうだが、何より上半身のボディフェイントのキレが良いからな」
綾崎は体の使い方が非常に上手い。
綾崎はドリブルが半端ないの評価を付けた後に、そのような項目も加えた。
にしてもだ。
「なんでこんな奴がユースのセレクション受けなかったんだ」
正直、綾崎は既にポテンシャルは今の一年生の中で一番と位置付けできる。
いや、一年生だけではなく、二年生の中でも上位、或いは越しているかもしれない。
そのような奴が、何故、ユースに行かない。
県の育成選手選抜(トレーニング選抜)もされていないのだろうか。
「……」
困惑していると「終わりました」と、息を切らしていない様子で話し掛けてくる綾崎に、俺は「お、おう。終わったか。じゃあ次は──」と、動揺しながらも次の指示を出すのであった。
= = = = = =
次のやることは、どうやらシュート練習らしい。
案外、強豪校のセレクション前のアップなのに普通なことをやるんだなと思ったりしたが、これ以上ボールに触りたくない気持ちがあるため
「あの、少し水分補給してきて良いですか」
斎藤先輩にそう言って、クールダウンの時間を取ることにした。
ということでやって来たのは、既に入部している一年生、二年生、三年生の知らない面々が犇めくベンチシートであった。
周りからは不信げな視線が集中していた。
それと、微かに混じる敵意。
「……」
全員ではないが、幾らかは俺のアップしている姿を見ていたためか、水分補給のことを思ってか、俺がマネージャーに向かう一本道を自然と作ってくれた。
女子に話し掛けるのは得意な方ではないが、この際はしょうがないため、初対面では幾らかマシな七瀬さんに話し掛けることにした。
「七瀬さん」
「は、はい」
何かをやっていたわけでもなく、俺が側に歩いて来るのを待ち受けるようにジッと緊張気味で見つめてきていたため、直ぐに返事を返してくれた。
「えっと……何か水分補給出来るものないか? 無かったら水道の場所を教えてくれるだけでもいいからさ」
「……え、ええと。はい。あります」
「じゃあ悪いんだけど貰えるか? 結構フットワークやったし、カラカラなんだ」
「……はい。ど、どうぞ」
「ん。ありがとな。七瀬さん」
両手で丁寧に保冷庫からスポーツドリンクを渡してくれた七瀬さんに、微笑んで礼を言った後に、口を付けずに三口ほど飲んだ。
そんな光景を、側で何だか微笑ましそうに、或いは羨ましそうに見ている女子マネージャー達なのだが、それで一層部員達からの視線が鋭くなった気がしたので、敢えて俺はそれらを無視して、即刻この女子が多いゾーンから抜け出したいがために、さっさと立ち去ろうとする。
(……やっぱ冷えたスポドリは美味いな)
だが、久々の味を思い出したかのように、少しの間スポーツドリンクを見つめてしまった。
そんな時、「あの……綾崎さん」と、遠慮がちに七瀬さんは聞いてきた。
「うん? あ、ごめん。口付かないようにしたんだけど、そっちから見ると口付いてたか? 何なら洗ってく「い、いや、違うんです……」え?」
スポーツドリンクを洗ってこようとした俺を引き留めるように、言葉を遮った七瀬さんは、一回、二回と顔を上げたり、視線を落としたりを繰り返した後、先程よりも覇気がある瞳で質問してきた。
「──ど、何処のユースチームに所属していたんですか!?」
「「「……え?」」」
周囲の部員、マネージャー、そして俺をも唖然とさせた質問内容に、主に部員達が原因で漂っていた、『張り詰めていた』雰囲気が、既にこの場からは消え去っていた。