斎藤先輩
「「……」」
これは不味い。
二人して、呆然としている。
──今目の前にしているのは、ジャージ姿で、黒い髪を一つに結び、気弱そうで、童顔なのか中学二年くらいに見えてしまう、可憐な顔立ちをした女子だ。
そう、如何にも善良そうな女子が、コートの入口の前で口論していた俺達を気にかけて話しかけただけなのに、その拍子に強く聞き返してしまい、挙げ句驚いたのか尻餅を着かせてしまった。
明らかに、こちらが悪い。
三人の間にいたたまれない雰囲気が流れ始めるなか、俺はハッとして、尻餅を着いているジャージ姿の女子に、「あ、あの。ごめんなさい」と謝った後、直ぐに手を差し伸べる。
「ひ……」
しかし、差し伸べた手を、より怯えた様子で拒絶し、じりじりと少しずつ俺から離れ始める女子に(だよな……)と納得して手を引っ込ませた。
「……ごめん。怪我はしてないか?」
少し気を落ち着かせて、今度はこの子と目線を合わせるようにしゃがみこんでから話しかける。
「……!」
依然として怯えた様子で、女子はその言葉にコクコクと頷く。
「そうか。それは良かった」
そう言った後、ふとその女子の隣に数十個にもなる水筒が入っているかごが目に入った。
(この量……一人で持ってきたのか)
「…………あ、あの」
カゴの方を見ながら呆けているのが気になったのか、口を開いた女子に、「ああ。いや」と俺は苦笑して立ち上がった。
「さっきは本当にごめん。ちょっとこいつとのいざこざで熱くなってたから、つい」
「俺からもすまん」
「……え、えっと」
男二人に謝られて、少し困ってるようだ。
「……は、はい。その……私の方こそ、お取り込み中だったのにも関わらずに……」
十割こちらが悪いのに、女子が謝ってしまったがため、結局、三人して頭を下げ合う形になってしまった。
謝っているのにも関わらず、ちょっとこの状況が可笑しくて、口許が緩んできているのはさて置き。
(これ、上手くやればこのまま退散するように誘導させて、サッカーしないで済むのでは?)
悪い考えが、頭に浮かんだ。
しかし
「ん? 七瀬。もしかしてこれ一人で持ってきたの?」
と、相良が急に女子へ、慣れた様子で投げ掛ける。
失礼かも知れないが、毎度下ネタを吐きまくって顔面偏差値とかほざいてる相良が、まさか彼女以外の女子と関わりがあったとは思わなかったため、少々驚いた。
「うん……」
「重いだろ? 持つよ」
「だ、大丈夫だよ。これはマネージャーの仕事だし……」
「いいんだよ。重いもん持ってる女の子目の前に、替わらないなんて男じゃねえよ」
強引に持ち替わる相良に対し、七瀬といい苗字らしい女子は素直に「あ、ありがとう」と伝えた。
流石彼女持ちともあってか、男気がある。
「なあ相良」
「ん?」
「知り合いなの?」
「おう。同じ一年のサッカー部の新人マネージャーの七瀬さんだ」
「へえ、マネージャーか」
「そ。ここのサッカー部は強豪だから当然だけど、人数多いからマネージャーが居ないと結構大変らしいぞ」
「確かに……」
相良の話に同調しながら、七瀬さんが持ってきた数多の水筒が入れられた篭を一瞥する。
「大変そうだな。……てことは他の高校よりマネージャーの数も多いだろ?」
「他の高校とかは知らないけど、15人くらいは居た気がする」
「そりゃ多いな。普通は数人なんだぞ」
「へぇ……ってお前もしかして、中学の頃に結構他の高校と試合したことがあんのかよ」
「ああー……どうだっけな。ユースに入ってたから、確かに結構な数の高校と練習試合したことあるかも」
「ユースって……お前、何処のチームに居たんだ?」
「ええ? そりゃ……──っ」
(ってあぶな! これ以上サッカーの話すると面倒なことになりかねない!)
「わ、忘れた。あはは」
「嘘こけ。数年在籍してたチームの名前を忘れるわけがねえだろ」
「……」
これ以上話すと、散々テレビで俺のことをニュースで特集されてたから、相良は同世代だし、大騒ぎになりかねない。
……それに何だか今、さりげなく相良の言葉に七瀬さんも同調して頷いた気がするんだが、うん。気のせいだろうな。
恐らく、何処かのユースチームから来たのが気になるんだろう。
七瀬さんもサッカーが好きなんだな。
きっと今、頭のなかで俺が何処のユースチームに所属してたのか、Jリーグのチーム名を片っ端に検索しているのだろう。
まあ、七瀬さんに至ってそれはないと思う。そんなことするのは生粋のサッカーファンぐらいなものだろうけど、七瀬さんはそれには見えない。
「と、とにかく。七瀬さん。こんなバカ話に付き合わせてごめんな。準備があるんでしょ? ほら、相良。お前部員なんだろ? コート内に入れるのは現時点で部員であるお前と七瀬さんだけだ。俺なんかほっておいて七瀬さんが運ぶのを手伝え」
(よし。これで相良は俺の元を離れていくから……逃げられる!)
「い、いや……バカ話なんて……そんな。で、ではもう行かないといけないので」
そう言って、七瀬さんは重そうに両手で持ちながら、コートの脇に建てられているベンチシートへ向かう。
「あ、そうだな。じゃあお前はここで待っててくれ。準備が終わり次第、今度は先輩とここに戻るから」
「にしし。了解であります」
「あ……なんか企んでるようだけど、時すでに遅し、だぞ。」
「え?」
相良がそういって、俺の方を後ろの方を視線で促すと、そこには
「──お。よう、相良。いつもより早いな。準備か?」
赤いサッカー部ジャージ着た先輩らしき人が居た。
「こんにちは、斎藤先輩。まあ準備もあるんですけど、こいつにセレクションを受けさせたかったので早めに来たんです」
「……っ」
(え、ええええええ! 誰か知らないけど、先輩。来るの早すぎじゃないですか!? マジか……これ逃げられないかもな)
相良に斎藤先輩と呼ばれたこの人は、如何にもこれまでサッカーに打ち込んできたことがわかる引き締まった筋肉質の体をしている。
程よく切り揃えられた清潔な黒髪をしており、何処と無く真面目な人感を醸し出しているキリっとした顔立ちだ。
身長は高く、俺は174㎝で、通常平均よりもやや高いのだが、斎藤先輩は顔半分大きく、おおよそ170後半、180前半ぐらいだ。
体格から見て、センターフォワードか、或いはセンターバッグか。
それは知らないが、雰囲気から既に、上手いというよりは強い印象を受ける人だ。
「へぇ……」
そんな斎藤先輩が、何やら何かを見極めようとしてるのか、顎に指を当てて、値踏みするような目付きで、俺の方を見つめてきた。
「え、えと。こんにちは……」
「こんにちは。名前は?」
「一年の、綾崎 司です」
「……? 綾崎……?」
「あ、はい。綾崎 司です……」
「…………綾崎 司」
そこで斎藤先輩は考え込むように、一瞬俺から視線を外したが、直ぐに視線を戻して、「ああ、すまん。ちょっとな」と苦笑する。
「それで、セレクション受けに来たんだよな?」
「あ……えっと」
そこで、相良が側に居ないか確認すると、どうやらベンチシートの方へ七瀬さんの手伝いに行ってるらしい。
チャンスだと思い、口火を切った。
「実は相良に無理矢理連れてこられまして、気付いたここに。本当に俺、下手なんですよ」
そう言って、少し落ちこんでいる演技をする。
「成程……」
そんな言葉に対し、黙考する斎藤先輩。
俺の嘘にそこまで考えてくれることに、本当に申し訳ない気持ちになるのだが、致し方ない。
罪悪感に苛まれる中で、更に言葉を畳み掛けることにした。
「確かに運動は得意ですが、サッカーセンスなんて無いですし、何より俺自身、サッカーに興味があるわけでもないんですよ」
「……うん」
「こんな中途半端な気持ちで、この高校の誇りでもある強豪のサッカー部の練習に付いていける訳がないです。それに、自信もないんです」
この状況は、俺にとっても斎藤先輩にとっても、どちらにもメリットが無い。
斎藤先輩は時間を取られるだけだし、俺は騙してる側が言うのもなんだが、罪悪感沸々と沸き上がってくるのだ。
だから、ここは強引に俺が帰った方が、先輩は唯の自信の無い後輩が来て、結局セレクションを受ける前に帰った、としか思わないため、ダメージも少ないだろう。
「なので、俺はもう帰ります。相良には宜しく言っておいて下さい」
言い残し、そのまま帰ろうと踵を返した時だった。
「あ、あの! 斎藤先輩」
と、七瀬さんの声が響き、そして次には
「こ、この人、さっき少し話した時に……ユースチームに入ってたと聞いたんですが……本当に下手なんですか?」
「……へえ」
「……!?」
俺にとっての、爆弾発言を放った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「──セレクション。受けるよな?」
「え、えっと」
「先輩に嘘ついた罪だ。受けろ」
「……はい」
あの後、なぜ嘘ついたのか先輩からの軽い尋問を受け、俺は強制的にコート内に連れられている。
相良以外に七瀬さんという思わぬ伏兵からの攻撃は、実に強力なものだった。
だが七瀬さんを恨みはしない。ただ俺から聞いた話の真偽を、ユースチームとは下手な人がいく場所なんですかと、純粋な気持ちで斎藤先輩に問いただけだ。
でも、少し疑問に思うことがある。
(どうしてこんなにも、斎藤先輩は俺をセレクションに受けさせたがってるんだろう)
初対面な筈だ。
決して仲の良い間柄でもないし、けれども仲が悪い間柄でもない。
好きでも嫌いでもなく、唯の無関心で成り立ってる関係だと思う。
しかし、斎藤先輩は無関心ではなく、どちらかというと好きの方、つまり俺に興味を示してくれているように感じる。
得たいの知れない一年生の何処に彼の興味を引く要素があったのだろうか。
「──じゃあ先ずは準備運動から」
そういわれ、軽く斎藤先輩の動きを真似して準備運動し始める。
相良と七瀬さんはベンチシートからこちらを見守っていて、ぼちぼちと部活開始時間が迫ってきてるのか、一年生、二年生らしき赤のサッカー部ジャージを着た面々がコート内に入ってきた。
それに、五人くらいのマネージャー達も様々な箱や器具、水筒篭を持って、その一団の中に混ざっている。
(公開処刑ですか。そうですか)
コートを使っているのは俺と斎藤先輩のたった二人。
勿論、誰も使ってないため、自然と注目を浴びるため、多くの人に俺のセレクションを受ける姿が見られるのだ。
といっても、多くの人の注目を浴びることはこれが初めてではなく、寧ろ飽きるほど多かったため、慣れてはいるが、久々なので新鮮だ。
「──斎藤! 何やってんの?」
何処からか、聞こえたその声に、斎藤先輩は「セレクションを受ける一年生の色々な準備だ!」と、叫び返す。
斎藤先輩の同級生達なのか、その言葉に「「「今日も苦労人だな!」」」と、茶化すように叫んできた。
(それな。苦労人だ)
俺も心のなかで同調する。
「すいません。俺のせいで」
同調したことは心に仕舞っておき、謝る。
「いいや、気にするな。好きでやっているのだから」
「そうでしたか……」
そんな会話を尻目に、黙々と準備運動を進めるなかで
「──それに、今回は少し、気になることもあるからな」
「……?」
と、小さな声で独り言のようにぼやいた先輩の言葉に、少し不思議に思ったが、それ以上は何も思えず、聞き返すことはしなかった。




