神々の記録 ―アカシックレコード―
R15、バットエンドなお話です。
娼婦といった表現も出てくるのでお気を付け下さい。
「綺麗な月ね……」
街角に立つ、月を見上げた妙齢の美しい顔の娼婦――アフダルは艶気を含んだ低い声で呟いた。
切れ長の黒曜石のような瞳、その左の目尻には小さな黒子があった。波打つ漆黒の髪には艶がなく、血色の悪いアーモンド色の肌、痛々しいほどやせ細ったその体はぼんやりと月明かりに照らされている。人によっては見た目にそぐわない、美しい所作に目が行くかもしれない。
街を歩く人々の顔には生気が感じられず、アフダルと同じく頬はこけ、体もやせ細ってしまっている。よくよく周囲を見渡してみると、草木の一本も存在していないように見受けられる。
廃墟と化し崩れ果てた城を中心にして、静寂と冷気が少しずつ周囲を包み込んでいくような気さえする。アフダルにとっての〝世界〟は砂が現れると共に色を失っていったのだった。
アフダルは憂いを帯びた表情を浮かべながら、幼い頃の記憶を思い返していた。
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青い空と太陽の下、木々や花たちはそよそよと風に揺れ、噴水には綺麗な水がなみなみと溢れていた。そんな広々とした庭で元気いっぱいに走り回る幼い少年と少女。
二人の黒曜石のような瞳はキラキラと輝いており、顔立ちも良く似ているが、少女の方には左の目尻に小さな黒子があった。少年は絹糸のようなまっすぐな黒髪、少女は波打つ漆黒の長い髪を揺らす。アーモンド色のなめらかな肌、子どもらしいふくよかな体が太陽の光に照らされている。
「お兄ちゃん、たくさんお花が咲いてるよ。……そうだっ!」
少女の方は走るのを止め、座り込んだ。少年は仕方ないなぁ、といった顔で少女の手元を除く。少女は手なれた様子で赤いハイビスカスを詰み、編んで花冠にした。
「はい、これ、お兄ちゃんの分!」
少女は立ち上がり、少年の背後に回って花冠をかぶせる。
「アフダルは本当に花冠が好きだね。またわざわざ作ってくれてありがとう」
「えへへ」
これは幼い頃のアフダルとその兄・アサドであった。アフダルも自分の分の花冠を編み終わって頭に乗せた所で、人の気配に気づく。二人は葉が生い茂った近くの木に手を取り合ってのぼった。少ししてそこに若い女性がやってくる。
「王子様、姫様、お稽古の時間ですよ」
「やだやだやだやだ、遊ぶの!」
「もうそんな時間か~」
アサドはひょいっ、とあっさり木を降りたが、アフダルは木にのぼったまま降りてこない。二人は綺麗だった服を泥だらけにして、あちこち擦り傷を作ってしまっていた。稽古をさせたい家庭教師の女性はいつものように困り顔である。アサドはその辺を適当に見ていた。
「お父様とお母様にちゃんとお稽古をしない悪い子だと言いつけてもよろしいのですか?」
「! 分かったよ……。ちゃんとお稽古をするから言わないで」
「はいはい」
家庭教師は、ばつの悪そうな顔で木から降りてきたアフダル、それと物わかりのいいアサドの手をひいてそれぞれの部屋へと連れ帰った。
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次の日。いつものように粗末な服を着てお城の抜け道を利用して抜け出してきたアフダルは城下町にやってきていた。
「ここからだとお城がよく見えるなー」
アフダルは丘の上にそびえ立つお城を見てにっこりと笑った。
あちこちをきょろきょろしながらイタズラめいた顔で市場を冷やかしていくアフダル。人々は声を張りあって客引きをし、瑞々しい果物や野菜、色鮮やかな服などありとあらゆるものを並べた店が軒を連ねていた。
「お嬢ちゃん、迷子かい?」
洗濯物を抱えた恰幅のいい気のよさそうなおばさんがアフダルに声をかけてきた。
「ううん。一人で遊びに来たのー」
「一人なのかい? いい人ばかりではないから気をつけなさい」
「はーい」
アフダルは初めて城下町に降りてきたときに誘拐されかけたが自力で脱出した。それ以降は気をつけているし油断もしていないのでおそらく大丈夫だろうと考えていた。
「今日はあっちの方を見てみよう」
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「お父様、お母様!」
「アフダル、いらっしゃい」
「アフダル、よく来たな」
幼いアフダルが両手いっぱいに色とりどりの花束を抱えて、国王と王妃の下を訪ねてきた。
「お父様、お母様、自分で育てたの!」
アフダルは得意げに花束を両親にそれぞれ手渡す。
「綺麗だな」
「スイートピー、ガーベラ、それにストックね……」
国王はアフダルの頭を優しくなで、花をこよなく愛した王妃は花の匂いを嗅ぎ、顔を綻ばせる。
アフダルは笑顔で小さな体で国王と王妃に抱きついた。
「お父様、お母様、だいすき!!」
幼い頃のアフダルの世界には、水と緑と笑顔があふれていた。
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「……ついに我が国の領土の一部でも砂漠化が始まったというのか」
「はい。草木を植えようとしたのですが、うまく育たないのです」
「砂漠が広がらぬよう早急に何らかの手を打たなくてはならぬな……」
アフダルが十ニ歳を過ぎた頃、原因不明の砂漠化は始まったのだ。しかもアフダルの住む国だけではなく、他の国でも砂漠化が起こっており、それにより貧しくなってしまった国が出始めている始末だった。
アフダルは子どもながらそんな両親の不安を敏感に感じ取っていた。王族としての自覚を持ち始めつつあったアフダルは以前よりも勉強に力を入れ、時折城下町に降りては人々の不安や要望、物価などを自ら知るために赴くようになっていた。
「私もお父様とお母様の力になりたい。それに民たちの平和を守りたい。そのためには何をすべきかしら……」
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「砂か……いまいましいものだな」
若い男は女の肩を抱き寄せ、女は男にもたれかかる。女の膝の上には赤ん坊の入った籠がある。
「そうね。作物も育たなくなってきてしまったし、この先私達はどうすればいいのかしら」
二人は荒れ狂う砂嵐の音を聞くことしかできない。
「この先何があっても、この子の未来を、二人で守っていこう」
男はそう言うと女の指に指をからませる。二人の手にはスミレのモチーフが刻まれた銀の指輪が鈍く輝いていた。
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小国は砂に呑まれて滅び、残るはいくつかの大国のみとなっていた。
食糧と水を求めて人々は大国に流れ込み、平和は失われ争いと恐怖の渦に巻き込まれていったのだった。
「どうすればいいのだ……」
王家はひたすら切り詰め、国民たちに国庫を解放した。しかしそれはその場しのぎにしかならず、打倒王家を掲げる反政府組織まで樹立する始末であった。革命の足音は静かに、だが少しずつ聞こえてくるようであった。
「お父様」
「……アフダルか」
齢17歳を数えるアフダルは質素な服に身を包んではいたが、匂い立つ大輪の花のような賢く美しい乙女となっていた。どこに出しても恥ずかしくない、国王の自慢の娘である。
「王家への不満が溜まっているのでしょう? ならば私は国民たちへの見せしめとして娼婦となります」
「!? アフダル、自分が何を言っているのか分かっておるのか!?」
「もちろんです。その間に幼い弟妹たちくらいは市井に落ちのびる事もできましょう」
アフダルは王家の中でも、貧しい人々にほどこしを与え、人々の意を汲んでくれる〝慈悲深き姫〟として人々に知られていた。今では王太子よりも有名で、王家の看板のような人物なのである。
「……本心を言ってしまえばお父様やお母様、それにお兄様に生きていて欲しいと思います。けれど最後まで王家の者として生きることをお選びになることもわかっております。ならば少しでも長く生きれるようにと思ってしまうのです」
「ならぬ! そなたの犠牲の上になりたつくらいなら、死んでも構わぬ……!」
国王は歯を食いしばり、怒りをあらわにする。それに対しアフダルは感情を見せずに、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「お父様、冷静に考えて下さい。革命となれば女の身である私は慰み者となった後に殺されてしまうでしょう。それが遅いか早いかの違いしかありません。それにすぐに殺されることもないでしょう。ならば価値のあるうちに、少しでも家族の役に立ちたいのです」
国王はふがいない自分を嫌悪しながら拳を握りしめた。アフダルはいつものように柔らかく微笑み国王の頬に口づけを落とした。
「お父様、愛しております。どうかお元気で」
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「……っ」
アフダルは自室に戻り、その場で崩れ落ちた。あの場ではああ言ったものの、アフダルも慰み者となることをためらう心があったのだ。
男性に乱暴をされるかもしれないし、唾や罵詈雑言を吐かれることもあるだろう。人々に負の感情を向けられて、心が壊れてしまう可能性も少なくない。
「小さい頃は、幸せだったわ。あの頃にはもう、戻れないのね……」
状況が何もかも変ってしまった。けれど大好きな家族の命を守りたい。少しでも長く生きて欲しい。そのためなら自分はいくらでも犠牲になろう、そう決めた、はずなのに……アフダルは涙を止めることができなかった。
「姫様……」
振り返るといつの間にか拭きぬけの扉の向こうに若い兵士が立っていた。
「ファリス……」
そこにいたのは自分の護衛にしてかつての初恋の相手・ファリスだった。けれど今考えると、それは憧れのような気持ちだったのだと、アフダルは感じていた。
アフダルはさっと涙を拭い、表情を引き締め、ファリスに背を向けた。
「本当に、よろしいのですか?」
「……」
泣きごとを言わないと決めたのだ。言ったとして何になるのだ。
「アフダル樣」
背後からファリスに抱きしめられるアフダル。
「決意は固いのですね。こうと決めたら曲げない、それがアフダル様でしたね」
ファリスは昔を懐かしむように言った。
アフダルは国民たちの前ではお手本のような姫君を演じながらも、ファリスの前ではわがままで頑固だったアフダルは、何度もファリスを困らせたものだった。彼の困った顔を見るのが好きだったのだ。
「ならばせめてアフダル様の〝初めて〟をこのわたくしめに下さいませんか」
「!?」
アフダルは思わず振り返る。
「国王様からも許可をいただいております」
ファリスの瞳は恋い慕う者の目だった。身分の違いから思いを伝え合うことはなかったが、相思相愛だったこともある。けれどアフダルにとってファリスへの思いは、もはや思い出になってしまったほんの一時の淡い感情だったのである。
「いけませんか……?」
「……あなたはそれでいいの?」
「構いません」
「そう……」
どうせなら……最初は彼がいい。
アフダルはそう思い、体の力を抜いた。
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「やっぱり姫だけあってすげぇ良かったよ。顔もプロポーションもそこら辺の女と全然違うな! さすがは〝慈悲深き姫〟だぜ」
「ほんとか! 羨ましいぜ」
酒場で下ひた笑いを上げる男たち。
アフダルが娼婦になったという噂は急速に広まり街を二分した。王家に対して鬱屈した感情を持っていた者たちは大いに喜び、王家に対して尊敬の感情を抱く者たちは愕然とした。
「お前たち、いい加減にしろ! あれほど恩を受けた王家の、しかもアフダル姫様を侮辱するのはやめろ」
ガタイのいい酒場の主人が声を荒げた。
「ああ? 娼婦の話をして何が悪いんだ? 誰にでも足を開く王家の姫なんざ、恥さらしにもほどがあるじゃねぇか」
「それは……お前たちのような輩の流飲を下げるためだろ!」
若い男も拳を握りしめながら声を張りあげた。
「有能なら緑と水が失われるのを止められたはずだろ?それを止められなかった責任を、心優し~い姫様が取っただけの話じゃねぇか」
別の酔っぱらった男が投げやりに言った。
「他の国々も上が無能だったから緑と水が失われたと言いたい訳だな? お前たちにそれらがどうにかできるって言うのか!? ああっ!?」
最初の飲んだくれていた男がテーブルを思い切り叩いた。
「……ならどこに怒りを、悲しみをぶつければいいんだよ!? ……死にたくねぇよ。お前らだって死にたくねぇだろ!?」
「……」
酒場はやるせない気持ちに包まれていた。
「食糧と水が足りなくて……弟が亡くなった! お前らだって身内の誰かが亡くなってるんじゃねぇのか!?」
「……それを姫様のせいにするのは、筋違いだ。恨むのなら、それは神様にじゃねぇのか」
「そんなもん、どこにいるってんだよ! なぁ、返してくれよ、頼むから……」
酔っぱらった男はその場で泣き崩れた。酒場にいた他の人々もまた希望の見えない未来に、絶望し涙をこぼした。
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日が経つにつれ、飢えや乾き、そして伝染病によって人々は倒れて行った。王族は最後まで全力を尽くしたものの次々と飢えと渇きによって亡くなり、アフダルが実を挺して逃がした弟妹たちもまた流行病によってアフダルより先に亡くなったらしい。
結局、最後に生き残ったのはアフダルだったのだ。
国土の大部分は砂に飲まれ、残るはここ城下町だけである。
「私は……家族を守れたのかな……」
アフダルはその場に倒れ、そして静かに目を閉じた。
「もうすぐ会えるよね、みんな」
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以上が常夏の国と呼ばれた、最後の王国の記録の一部である。
王族は尽力を尽くしたものの、水が干からびたことにより緑は消え、それから少しずつ国の全ては砂にのまれた、と神々の記録には残っている。