その感情の、名前は
悲恋、抽象的。
「……もう、期待なんてしない」
開け放たれた窓から欠けた月が見えた。レースのカーテンは夜風に揺れる。
フローリングの床に散乱する白い紙。小さくなってうずくまる私。
諦めきれなくて、涙がこぼれ落ちそうになる。
本当は、告白を断って欲しかったのだと思う。
彼は恋愛感情なんて持ってなくて、好きになってはいけない人だって思っていたから。
告白をしないで、終わらせようと思った恋だった。
最初は、直接的には面識がなく、名前だけ知っている人だった。
けれど、たまたま話す機会ができた。お互いに話すことがなくて、とにかく気まずい。
最初の印象は、爽やかで優しそうな人、といったもの。彼の声はすごく好みだった。
それ以降も、共通の話題がほとんどなく、一切話すことはなかった。けれど見かける度に、私と似ている部分がある人だと感じたのだ。
偽物の笑顔を浮かべ、自分の本心をほとんどさらけ出さない。
けれど人に対して優しくて、物腰が低く、素直な人だった。年の割にはしっかりしているな、と感じていた。
私も、人に対して本心は一切話すことはなかった。
そのくせ誰かに理解して欲しかった。愛されたかった。誰か一人でいい、誰かに必要として欲しかった。
似ている人が、欲しかった。家族ではない、他人で。
落ち込んでいるとき、彼に連絡を取った。もの静かに話を聞いてくれた。
聞いてくれるのが、うれしかった。
そうしていつしか、恋に落ちた。
落ちる気もなかったのに、落とされてしまったのだろう。いや、私が勝手に落ちただけなのか。
私の脆い心は、幸福や不安に揺れる。恋は私を不安定にさせた。
だから感情を殺した。楽になりたかったから。
感情を殺すと、恋心もまたどこかに消えてしまった。
空虚なお人形に、彼という存在は必要なかったのだ。
私は別れてから少しずつ感情を取り戻していった。そうして私は、自身の選択に後悔をするのだ。
「感情を殺してでも、そばにいたかった。それだけ私は彼を好きだったのに」
私はそっとしておこうと思った。期待をしてはいけないのだから。
フローリングに散らばった白い紙たちをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に捨てた。
一枚一枚丁寧に。
「さようなら」
その感情の、名前は。