閉ざされた世界
恋愛・王道・若干シリアスな話ですね。
――俺にとっての世界とは”ミリア”だった。
透明な天井から見える月は、あたたかな明かりをこぼす。神殿のような、白一色の建物の中に、二人はいた。
「シャオ」
聞きなれた美しい声が、俺の名前を呼ぶ。
淡く光る艶やかな銀髪。優しさを称えた青い瞳。陶磁器のような白い肌。
俺を包み込むような、やわらかな微笑み。
その人はいつの間にか、そこに立っていた。
「ミリア・・・・・・」
この世のものとは思えない美しい女、ミリアが俺を手招きする。
俺は引き寄せられるように、ミリアに寄り添った。
それだけで幸せだと、そう思っていた。
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俺は幼い頃、ミリアにさらわれてきたのだ。両親から突然引き離され、泣く俺をミリアは抱きしめた。
「シャオ、私と一緒に暮らしましょう?」
「いっしょに?」
「ええ」
そうして今住んでいるこの場所に連れてこられたのであった。
輝く緑溢れる木々、透き通った湖、穏やかな気性の動物たち。
唯一ある建物は、神殿のような白い建物だけ。
世界から切り離されたまま、ミリアの愛情に包まれ、俺は成長した。
大切だった両親や友人のことを、いつしか気にしなくなっていった。小さい頃の記憶で、うっすらとしか思い出せないようになったから、かもしれない。
よく晴れたある日のこと。
湖畔でくつろいでいると、ミリアの指先に、青色の蝶が止まった。
それにつられて、様々な色の蝶が、ミリアの周りを飛び交う。
ミリアはそれを見て、微笑んだ。
「シャオ、もうすぐ雨が降るわ」
俺は思わず空を見上げる。雲一つない、青空が広がっていた。
「え!? 晴れてるぞ!?」
「いいから、木の下へ」
髪に蝶をつけたまま、俺の手を取る。俺達は、雨宿りができそうな木の下に、たどり着いた。
すると晴れているのに、急に雨が降ってきた。しかしすぐに晴れて、湖の端から少しずつ、虹の橋が姿をあらわしたのだった。
「見て、虹だわ」
「ああ・・・・・・綺麗だな」
俺はそう言いながらも、横にいるミリアの、美しい横顔を見つめていた。
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また、ある朝のこと。
俺は珍しく、ミリアに起こされた。
まだ太陽も上がっていない時間だ。一体どうしたというのだろう。
「・・・・・・周囲が騒がしくて。一緒に見回ってもらえないかしら」
ミリアの顔には、珍しく不安そうな表情が浮かんでいる。
「分かった」
俺は以前、ミリアに用意してもらった剣を帯剣する。
俺たちがいるここは、普段はそれほど危険がない場所であるものの、時折盗賊やら魔物、冒険者がやってくることがある。
そんな時は、ミリアに教えて貰った剣術が活躍する。俺はそれらを倒したり、その場から手を引かせたりする。
ミリアは一体何者なのか。
何百年も前の出来事を、まるで自分で見てきた事のように語るのだ。それに、ミリアは出会った頃と、全く姿が変わっていない。
人間ではないのかもしれない、とは何度も考えたことがある。
「誰か・・・・・・助けて・・・・・・!」
「ぐへへへ、大人しく捕まるんだ」
か弱い乙女のフリをしたミリアを、何も考えずに追う盗賊たち。
俺はいつも通り、盗賊たちを一人ずつ悲鳴もあげさせずに無力化していく。
顎に掌底をぶち込んだり、頭を揺らして脳震盪を起こりしたりする。 なれた手つきで縄で縛り上げ、すぐにミリアの下に駆けつける。
「ミリア! 大丈夫か!」
「大丈夫よ。何かあってもどうとできるもの」
「・・・・・・それもそうだな」
ミリアは俺よりも、よっぽど強いのだった。男としては情けない限りだが、相手はミリアであるし、仕方のないことだろう。
「・・・・・・でも心配してくれて、とても嬉しかったわ」
そう言って笑うミリアはいつもと違い、普通の女性のようで、とても可愛かった。
俺はそんな日々をすごすうちに、いつの間にか、ミリアを女性として愛するようになった。
しかし俺は、ミリアを喜ばせられるようなものを、何一つ持っていない。
平凡な、ただの男にすぎない。
けれど、ミリアがそばにいることを望んでくれるのなら、そばにいたい。
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またある日、俺はふと思った。両親はどうしているのかと。ミリアに尋ねると、様々なことを教えてくれた。
「あなたのご両親は、あなたがいなくなってすぐに、亡くなってしまったわ・・・・・・」
ミリアは悔やむような口ぶりで、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「えっ・・・・・・?」
俺は自分の耳を疑った。
死んでいる? 俺の両親が?
「冗談、だよな?」
俺は乾いた笑いを浮かべる。
「・・・・・・ごめんなさい」
ミリアは拳を握り締めて、小さく呟いた。
反応を見る限り、本当のことなのだろう。
「なんで黙っていたんだ? ・・・・・・俺をずっと騙していた、ってことなのか」
「騙してなんかいないわ! あなたの綺麗な心を、傷つけたくなかった。苦しませたくなんて、なかったのよ」
ミリアはぽろぽろと涙をこぼした。俺はそれを拭おうと手を伸ばそうとして、首を振って手をおろした。
「あなたを救ったのだって、ほんの気まぐれだった。でも、いつしか大切になっていった。大切になればなるほど、ご両親の死を、あかせなくなっていった」
ミリアは苦悩したのだろう。それがどの程度のものなのか、俺には分からない。
「あなたのご両親が死ぬことは、定まっていたこと。私はそれを知っていても、変えることはできなかったの。私はただの精霊で、運命を変える権限も過去を変える権限も持たなかったから」
「・・・・・・」
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
助けに行きたかった。助けられなかったとしても、死を看取ることくらいはしたかった。
けれどもはや、その死を覆すこともできない。過去に戻ることなんてできない。ならば俺にできることは。
「俺はミリアを守る。守って、みせる」
涙をこぼすミリアを、腕の中に閉じ込めた。
ミリアが驚きと悲しみの入り交じった表情で、俺を見つめる。
「憎くない、の? 黙っていた、のに」
「俺がショックを受けないように、ミリアが守ってくれたんだろう? それにミリアが助けてくれなかったら、俺は今も生きていたのかどうかも分からない」
俺を育ててくれたのは、ミリアだったから。
俺はミリアに口付ける。
「だから俺は、もっと強くなりたい」
そんな俺の意思に応え、世界は震えた。
木々に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたき、俺たちの周囲を飛び回る。
いつもはあまり姿を見せない、鹿や兎といった様々な動物たちが、俺の周りに集まる。
「シャオ」
聞きなれた美しい声が、俺の名前を呼ぶ。
ミリアは目尻に涙を浮かばせたまま、微笑んだ。
俺はより強く、ミリアを抱き締めた。
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二人きりの歪んだ楽園だと、人々は言うかもしれない。
それでもそれが、俺にとっての世界だった。
今までも、そしてこれからも。