男爵閣下の本音
「――ではよろしいですか?」
「うむ、彼に書状を送ってくれ」
国王は大臣に向かって頷いた。
ブルムクヴィスト共和国首都ブルムダールより馬を走らせ二日、馬車なら三日。潮風の吹き込む書斎で公文書に調印をしている青年こそがレナート・ダレッシオ男爵、このクレメンテ地方の領主である。
窓の外から聞こえてくる波の音に混じって廊下を走る足音を聞き、彼は手を止めた。
「カストル、あいつか?」
「はい。おそらくフェリシテ様でしょう」
傍らに控える黒髪黒眼の少年がにっこりと笑った。
「そうか」
レナートは木で出来た立派な扉を見やる。と同時にその扉が勢いよく開かれ、一人の少女が入ってきた。
「レナート、聞いたわよ! 首都に栄転するんですってね。おめでとう」
彼女の名前はフェリシテ・バディオーリ。バディオーリ伯爵の一人娘だ。
「あぁ、その話なら断った」
「なんで!?」
あっさり言い放つレナートに、フェリシテは詰め寄った。首都への栄転は地方貴族にとって大変名誉なことであり、通常断る者などいない。
「俺はこの土地が好きだからな。まだここに居たいのだ」
一際強い風が吹き込み部屋中に潮の香りが広がった。
「……嘘臭いわ」
事実八割方は嘘だ。確かにこの土地が好きだというのは本当だが、それはただの言い訳に過ぎない。若いうちの出世には暗殺という危険がつきまとう。現在二十代前半、まだ命が惜しい。
「失敬な。本当だよ」
怪訝な顔をするフェリシテにレナートはそう言った。二割はね、と心の中で付け足しながら。
彼の他に唯一事の真相を知るカストルはただ黙って微笑んでいた。