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勘違いなさらないでっ! 【33話】

お久しぶりです!

アリアンローズ様から七月に書籍発売予定です!

皆様、応援ありがとうございますっ!

 夜風が冷たく感じる、薄暗い庭の中。 


 さわさわと揺れる草を足元に感じ、そっとわたくしは閉じていた目を開ける。


 華奢な細い手が持つのは、華美ではないものの、使われている宝石は小粒ながら最高級なものばかりという銀の扇。


 優雅に一振りすれば、月の光を受け神秘的に輝く。


 わたくしは手元の赤い宝石に口づけを落とし、優しくひとなでする。


 そっと腰にまわされた手に抱き寄せられ、わたくしは隣にいる『彼』を見上げる。


顔は暗くて見えないものの、こんなにも近くにいて安心できるなんて……。


 ややあって、近づく顔を見上げると――そのまま、目を閉じた。


 …………。

 

 が、条件反射とは恐ろしいもの。

 無意識に振り上げ、下ろした銀の扇は強力な武器と化して『彼』を襲う。


 ハッと目を開けたわたくしが見たのは、扇に使われている宝石と同じ赤。


 ゆっくりのけ反る『彼』が噴出すのは――――鼻血。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


「と、いう夢を見たのだけど。サイラス相手に再現できるかしら?」

 寝台で上半身を起こしたまま、わたくしは起こしに来たアンに真剣に聞いていた。

 すぐそばに立つアンは、がっくりと下を向いて脱力している。

「……途中まではよいお話でしたのにぃ~」

「ねぇ、どう思う? サイラスに一泡吹かせられるかしら?」

 ワクワクと期待を込めて返事を待つわたくしに、アンは怒っているのに泣きそうな顔、という難しい顔でわたくしを睨む。

「泡どころか、血を噴かせてどうするんですかっ!」

「血と言っても鼻血でしょ。あの顔から鼻血が出るなんて……ふふっ、笑えるわ」

「シャーリーお嬢様っ!」

「じょ、冗談よ」

 最後はわりと真剣に怒られた。アンったら最近、頭が固いわ。

「そ、それよりアシャン様は?」

 アンの怒りの矛先から逃げるべく、わたくしは話題を変える。

 アシャン様の話題は、アンの怒りを分散させるのにテキメンだったみたい。思い出したかのように、アンが詰め寄る。

「そうなんですよ、シャーリーお嬢様! 姫様はご用意したお部屋で、全然お過ごしにならないんです」

「お母様が張り切って連れまわしているものねぇ」

「違います! お部屋でお休みにならず、ティナリアお嬢様のお部屋にご一緒されているんです!」

「まぁ、そうなの」

 ちょっと驚いた。

 だって初日、アレだけいがみ合うようにしてわたくしの部屋になだれ込み、お互いの価値観の違いをぶつけ合っていたのに。

「大丈夫なのかしら? ティナもアシャン様も、何も言ってこないけど」

「大丈夫かと言われますと、大丈夫ですよ。リリーも含め」

 あえてティナリア付きのメイドである、リリーの名を出すアン。

 そんなアンの顔は、ちょっと遠い目をしている。

「……何かあったの?」

 アンは少し肩の力を抜いて、小さくうなずく。

「ご趣味が三人ともピッタリだったそうです。昨夜も遅くまで起きて騒がれておりまして、リリーなんて目の下にクマを作って、ふらふらして仕事してるんです。それでも夜のトークはやめられないとか」

「で、二人はまだ寝てるの?」

 はい、とアンはうなずいた。

 ティナリアの趣味――といえば、ボーイズラブか。筋肉だと、リリーがそこまでして参加するとは思えない。

 ふーん、と聞き流しつつ、わたくしは寝台から足を下ろして――――固まった。

「シャーリーお嬢様?」

 今日の室内着を選ぼうとクローゼットを開いたアンが、固まるわたくしを見て手をとめる。

「……た、大変だわ……」

 サァッと顔から血の気が引く音がする。

 知らないうちに小刻みに震え出した両手で、ゆっくりと顔を覆う。

「シャーリーお嬢様! どうなさったのですか!? 頭が痛いのですか!?」

 心配して駆け寄ってきたアンが、目の前に跪いて声をかけてくれるが、わたくしはただ黙って左右に首を振る。

 心配するアンには悪いが、今はちょっと頭の中を整理させてちょうだい。


 問題点はただ一つ。


 アシャン様がボーイズラブに興味を持った! ということだ。


 前にサイラスは、恋愛小説を読む妹がいると言っていたわ。初日のティナリアとの言い合いからして、それはまっとうな恋愛小説だったはず。

 それなのに、リリーまで巻き込んで夜遅くまでトークって、それってマズイんじゃないかしら。

 恋愛小説はイズーリの王妃様も好きそう。いえ、たぶん大好き(大好物)なはず。

 だけどボーイズラブはどうかしら?

 王妃様御用達のあの『フレイラ人形歌劇団』。テーマは選ばないとは言っていたけど、王妃様だって母だもの。一国の姫として、娘には普通の恋愛小説のみ、に興味はとどめさせたいと思うのだけど……。


 もしも……もしもよ。

 うちに来たことで、新しい興味の扉を開いてしまったのだとしたら……!!


 イズーリ王妃様。まさかの歓迎パターン。

『んまぁ! 趣味の合う妹さんね! ますますいいわぁ。シャーリーちゃん、早く(嫁に)いらっしゃーい』

『見て、お姉様! 秘密の公演チケットいただいたわ!!』

 チケットの束を嬉しそうに持つティナリアと、妹を買収して包囲網を一気に狭める王妃様の姿が浮かぶ。

 ああっ! 恐ろしい。

 で、お怒りパターンだと。

『責任とって、やめさせてちょうだい。そうだわ、長期戦になるなら、ついでに(嫁になって)住んじゃいなさい。家はあるわよ(サイラス私邸)』

黒い笑みを扇の下に隠し、目を細めて捕獲しようとする王妃様の姿が見える。

 こっちも想像しただけで身震いするわっ!


 マディウス皇太子殿下の場合。

 ……嫌だわ。お顔を想像するだけで寒気がする。


 最後にサイラス。

 ふーん、とニヤニヤ厭味ったらしく笑うわね、あの人! そしてずっとねちねち言う。

 それも弱みを握られたようで嫌だけど……王妃様やマディウス皇太子殿下よりは数倍マシだわね


 あ、イズーリの国王陛下はどうかしら。

 ……あまりお会いする機会がなく、もっぱら手紙による『ごめん』しか記憶にない。

 わたくしも『申し訳ありません』で返していいかしら?


「……お嬢様。シャーリーお嬢様!」

「あっ」

大きなアンの呼びかけに、ついにわたくしは顔を上げた。

「お顔が真っ青です。医師をお呼びしましょうか」

 心配するアンには悪いが、これは医師では治せない。

「大丈夫よ、アン。それより、アシャン様はティナリアの部屋で寝ているのね」

「は、はい。そうです」

 アンに支えられながら、わたくしはゆっくりと立ち上がる。

 そうよ。落ち着いてシャナリーゼ。

 ボーイズラブに興味は持ったと言っても、もしかしたら前々からお持ちだったのかもしれない。それだとわたくしには、なんの被害もない。

 まずは情報収集。

 正直、アシャン様のことはほとんど知らない。

 この家でアシャン様のことを、わたくし以上に知っていると言えば、立場的にはナリアネスくらいかしら。

 着替えを済ませ、三面鏡の前に座ると、アンが優しく髪をといてくれる。

「ナリアネスはどこかしら」

「先ほど旦那様の執務室へ入られたようですが」

「お父様の?」

 両側の髪だけを軽く結い上げてもらうと、わたくしはアンを部屋に残して執務室へと急いだ。

 途中、ティナリアの部屋の前を通ったのだが、そこにはなぜか疲れた顔のアンバーが、姿勢悪く立っていた。

「どうしたのよ、アンバー」

「あ、シャナリーゼ様」

 生気のない目で見上げないで。姿勢を正しなさい。

「ずいぶん疲れているわね。徹夜の護衛で疲労?」

「いえ、徹夜はいいんですけどね。ちょっと精神的に」

「なにがあったの?」

 訝しがるわたくしに、アンバーは疲れた口調で昨夜あった衝撃の出来事を語ってくれた。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 昨夜、アンバーの前にアシャン様を護衛していたのは、トキとお兄様だった。

 ティナリアの部屋につくとリリーが出迎え、まずお兄様が部屋の中を確認。

 何事もないのを確認してティナリアとアシャン様は、仲良く部屋に入っていく。この時、メイドのリリーも部屋の中に残った。

 しばらくして、お兄様が外見回りをするために離れ、アンバーはやっと一息ついた気持ちで立っていた。

 そこへ執事が、余分な明かりを消しにやってきた。

 いつもなら夜になると廊下も明かりを消すのだけど、アシャン様の滞在ということもあって、念のために明かりは最小限ながらつけられているのだ。

 ティナリアの部屋の前で、執事はふと笑みをこぼす。

 アンバーにも会話は聞き取れないが、はしゃぐ声がわずかに漏れている。

おそらく奥の寝室に行かず、扉をくぐってすぐの部屋でトークが始まったらしい。聞こえてくるのがキーの高い声なので、ティナリアかリリーなのだろう。アシャン様も話しているかもしれないが、二人の声にかき消されている。

 微笑む執事は、アンバーに明かりがともった燭台を渡すと、会釈をして離れて行った。


 で、問題はこの後起きた。


 薄暗く静かな廊下の中、ふいにティナリアの部屋の扉が少しだけ開く。

 メイドのリリーが出てきたのだろう、とアンバーは思った。

「どうかしましたか?」

 姿勢を正してアンバーが尋ねると、中からリリーではなくティナリアが顔を覗かせる。

「あなた、一人?」

「はい」

 そう、と呟いたティナリアが、もう少しだけ扉を開け半身を見せた。

 薄い桃色のレースの付いた夜着に、真っ白なガウンを肩にかけただけの姿。髪は緩く束ねて、左肩に垂れている。

 薄暗い廊下と明るい部屋の光に照らされ、ティナリアは文字通り儚い天使のように見えた。


 (「ちょっと、あなたなに見てるのよっ!」)

 (「ぎゃー、すみません! でも、ここから大変だったんですよ!」)


 見とれていたアンバーに、ティナリアは優しく微笑む。

「お願いがあるの。トキさん、を呼んでいただけないかしら」

 正直ちょっとだけガッカリしたが、疑問がすぐに湧き上がる。

「トキ、ですか?」

 トキなら、そろそろ夜食の差し入れに来てくれるはず。その後部屋に戻り、トキは休むようになっている。

 答えようとしていると、ふいに人の気配がしたので右を振り向く。そこには夜食の差し入れを持ったトキが歩いてくる姿があった。

「あら」

 ティナリアも気が付き、より一層笑みを深める。

 

 (「何? ティナリアったらトキ狙いなの!?」)

 (「俺も一瞬そう思ったんですけどね。でもまだ続きがあるんですよ!」)


「おい、トキ。ティナリアお嬢様がお呼びだぞ」

「え?」

 会釈をしたトキが、なぜ? ときょとんとしている。

 アンバーは夜食を受け取ると、そのままトキをティナリアの方へ軽く押し出す。

「ちょうど良かった。さぁ、いらして」

「へ!?」

 扉をもう少しだけ開き、ティナリアは驚くトキの手を掴んで引っ張る。

「い、いやダメです!」

 あたふたしながらも、トキは仲間の前で女性の部屋に引っ張られまいと必死に抵抗する。

 ティナリアも負けじと、両手でトキの手を引く。

「心配なさらないで。すぐ終わりますわ」

「何がですか!?」

 アンバーはにやにやしながら、仲間の行く末を見守ることにした。

 だからトキが目線で必死に「助けて」と訴えるが、シーゼットは玉砕だなぁとしか考えておらず、助ける気はまったくなかった。


(「あなた、もしティナリアに何かしたら、どうなるかわかっているんでしょうね!?」)

(「何もありませんでしたって! しかも、昨夜何かしようとしてるのってティナリア様ですよ!?」)

(「それでもダメよ!」)

(「そんな無茶苦茶なぁ」)


 そのうちリリーも姿を現し、ティナリアと一緒になって引っ張る。

 必死に抵抗していたトキだったが、最後にはアシャン様が現れて命令を下した。

「来い」

「!」

 こうして抵抗むなしく、いまだ混乱状態のトキは部屋の中に消えた。

 さすがにここまで来ると、色恋沙汰ではないということがわかったアンバー。やっぱり助ければよかったかもと少しだけ後悔しつつ、閉ざされた部屋の扉を見守った。


 そして、静寂は突然破られる。


 バターン! と乱暴に開いた扉に、アンバーはすぐさま剣に手を添えて構えた。

 だが、それも一瞬のことで力を抜く。

 飛び出してきたのはトキだった。

「と、トキ!?」

 アンバーは驚いた。

 飛び出す、というか逃げ出してきたという格好に近いトキは、肌蹴たシャツを必死に手で死守しており、なぜかトレードマークの三つ編みにはリボンがついている。しかも本人は涙目だ。

「待って!」

 ティナリアの声に、トキはビクッと体を震わせると、そのまま一目散に逃げ出した。

 寝室に連れ込まれたのだろう。大きく開けられた扉から部屋の中を見ると、奥の扉も開いている。

 追ってきたティナリアの手には、白いレースのケープ。リリーはどこで手に入れたのかひざ丈のズボンとブラシを持っている。

「あーあ、逃げられちゃった」

「おしゅうございました」

 ガッカリと肩を落とす二人。

「せっかく、あの絵の再現をしてみようと思ったのに」

「トキさん、イメージ通りでしたのに、残念です」

「あ、あの、お二人ともトキに何を?」

 おそるおそる問いかけると、二人はじろじろとアンバーを見た。

「ちょっと今回のイメージではないわね」

「さようですね」

 天使のような美少女と、かわいらしいメイドに見られて悪寒がはしったなんて、きっと俺はどうかしているとアンバーは思った。

 だが、それは正しい。

「逃げたか」

 奥の寝室からゆっくり現れたアシャン様は、一冊の本を持ってそのまま歩いてくる。

 リリーが下がり場所を譲ると、アシャン様は手にしていた本をアンバーへ突き出した。

 その本を見て、ティナリアが微笑む。

「まぁ、それでしたら、アンバーさんのイメージにピッタリですわ」

「うむ」

 尊大にうなずいたアシャン様が、さらに本を突きだすので、アンバーは恐る恐る両手で受け取る。

「勉強」

 それだけ言い、アシャン様とティナリアは部屋に戻り、リリーが扉を閉めた。

 茫然としていたアンバーは、ただただ閉まった扉を見る

「な、なんなんだ? 勉強?」

 嫌だなぁと思いながら本の表紙を見て――硬直した。

 石鹸の香りか、はたまた花の香りしかしなさそうなキレイな青年の絵が描かれていた。まぁ、周りはどこかの神殿かなにかのようで、どうしてか薄い布のような服しか纏っていない。どこかの神官のデフォルメだろうか?

 とりあえず、とアンバーは適当に本を開く。

「はぁあ!?」

 運悪く、後半部分の挿絵のページを開いたアンバー

 頭が真っ白になったアンバーの前で、再び部屋の扉が開く。

「間違えましたわぁ。それって最近手に入れた中級編でしたのぉ」

 ニコニコ笑顔のティナリアは、硬直したアンバーからひょいっと本を取り上げ、代わりにと別の本を置く。

「うふふ。そちらをお読みになって。おやすみなさいませ」

 再び閉じられた扉の前で、アンバーはしばらく考えてみたが、やがて好奇心から本を開いてみた。

 

 読んでみて、これが女ならどんなにいいかと思った。

 いくら頭の中で女だと思ってみても、時々突然でてくる挿絵はどうみてもかわいらしい男と、少し軽そうな年上の青年。

 あれ? もしかしてこの青年って――――俺?


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


「と、いうわけなんです」

 話してまた思い出したのか、アンバーはよけいにげっそりになった。

 わたくしも口元がひきつるのを抑えきれない。

「つ、つまり、三人はトキ相手に挿絵を再現しようとしたのね?」

「おそらく」

 力なくうなだれるアンバー。

 わたくしは、今日何度目かの震えを感じていた。


 いやぁああああああああああ!!

 間違いなく王妃様パターン、強制結婚まっしぐらの展開だわ!

 貞操の危機よ! 人生二度目の、本気で貞操の危機だわぁああああ!! 


「どうしましょう! 俺、貞操の危機かもっ!」

 両手を振り下ろして訴えるアンバー。

「あなたは一度か二度耐えればいいでしょ! わたくしなんて一生監禁コースよ!」

「は?」

「ナリアネスはどこっ!?」

 こうなったら、染まってまだ日が浅いうちにお帰りいただくしかないっ!

 アンバーの肩につかみかかり、激しく揺さぶる。

「た、隊長なら、今日は王城に行くはずです! イズーリの高官と会うって」

「王城!?」

 つまり、ライアン様がいる。


 ――チャンスだわ!


 電話は王都の一部の富裕層しか持っていないが、王城ならイズーリと手紙より早く連絡をとる手段があるはず。 

 前に、ライアン様が話していたもの。王城には手紙よりハトより早い通信手段があるが、ちょっと面倒であまり使わないとか。

 わたくしはアンバーをその場に見捨て、階段を駆け下りて玄関へ向かう。

  

 玄関を飛び出すと、テラス先につけられた馬車に、今まさに乗り込もうとしているナリアネスの姿があった。

「ナリアネス!」

 呼ぶが早いか、わたくしは走り出す。

 スカートの裾を両手で軽くたくし上げて、淑女にあるまじき姿で全力疾走。そしてそのまま、唖然としているナリアネスの左腕に両手を絡めて抱きついた。

「わたくしも連れてってちょうだいっ!」

「うぁああああああ!?」

 返事の代わりにのけ反って叫ぶ、ナリアネス。

 ちょっと、あなたかなり失礼よ。

「うるっさいわね! とにかく乗りなさい」

 絡めていた腕をほどくと、わたくしはあたふた落ち着きのないナリアネスの体を、力一杯両手で馬車の中へと突き飛ばす。

 ガツンッと両腕に硬いものを叩いた時のような、痛みを伴う衝撃がくるが、ナリアネスは簡単には倒れてくれない。

 が、天はわたくしに味方したようだ。

 体勢を整えるためにナリアネスが一歩後退したところに、ちょうど馬車の階段の段差があるのが見えた。

「えいっ!」

「ぐはっ!?」

 突き飛ばすのが無理なら、と、わたくしは右肩を前に体当たりした。

 さすがのナリアネスも、段差に足を取られ、馬車の中に尻餅をつく。

「出しなさいっ!」

「は、はいっ!」

 茫然としていた御者を怒鳴りつけ、わたくしもすぐ馬車に乗り込む。

 馬車の中では、尻餅をつきつつも、どうにか起き上がろうとしているナリアネスがいた。

「お、お待ちを!」

「どいて! (すね)を挟むわよっ!」

 サッと馬車の中に無事に足は引込められ、わたくしは荒々しく扉を閉めた。

 と、同時にガラガラと馬車が走り出す。


「ふぅ」

 椅子にすわったわたくしの足元で、窮屈そうに尻餅をついて足をたたんだままのナリアネスが唖然(あぜん)としている。

「すわったら? お尻が痛くなるわよ」

「あ、はい。と、いうかシャナリーゼ様!」

「ちゃんと説明するから、まずはすわってよ」

 ナリアネスは散らばった書類を集め、渋々向かいの椅子にすわる。

 わたくしも姿勢を正すと、ちょっと目線を下げる。

「実はアシャン様のことなんだけど。ティナリアと意気投合したみたいなの」

「……ああ、まぁ、そのようですね」

 少し間があったので、おやっと思って顔を上げると、ナリアネスはサッと目線を外した。

「知ってるの?」

「なにをですか?」

 目を晒したまま、無駄に多量の汗を額に浮かべている。

「知ってるんでしょ」

 目を細めて腕を組めば、ナリアネスは目を閉じ考えたすえにうなずいた。

「それはトキの件でしょうか」

「それも含めて全部よ。アシャン様はもともとボーイズラブに、多少なりと興味があったのかしら?」

 一番知りたいことだけど、一番怖い質問。直球で勝負にでたわたくしは、動揺を隠すために腕を組む。


 お願い。うなずいて、ナリアネス!


 目を閉じたままのナリアネスの返事を、わたくしはじっと待った。

 緊張で組んだ腕に力を入れ、ギュッと自分を抱きしめる。

 やがてナリアネスが目を開けた。

「いえ。そういったお話は聞いたことがありません」

 ガラガラと、わたくしの中で希望が崩れていく。

 でも、まだよ。まだ半分可能性が残っているわ。

 サイラスに確認をとるまで、わたくしの希望は潰えない!

「……そう。そうよね。仮に興味があったとしても、公になんてしてないわよね」

「そうですね。王族のプライベートは、なかなか公にはできませんので」

 そうよね。その通り! いいこと言うわね、ナリアネス!


 こうしてわたくしは、ナリアネスについて強引に王城へと向かった。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 無事に王城に入ることができたが、ナリアネスはイズーリ高官との話がある、と部屋を出て行ってしまった。

 さすがにわたくしがついて行くわけにもいかず、かといって王城内を歩くには貧相な恰好で来てしまっている。

 あのシャナリーゼ・ミラ・ジロンドが、着飾りもせず王城へ来た、などと噂になるのはあまりよろしくない。

 とりあえず、ナリアネスが通された部屋で待機しているが、このままでは時間ばかりが過ぎてしまう。

 わたくしは覚悟を決め、廊下の様子を窺うべく少しだけ扉を開いた。

 素早く周りを確認すると、手にした書類に目を通しながら歩いてくる男性がいた。

 その男性が誰かわかると、わたくしはニンマリと笑う。

 少しだけ閉じた扉の隙間から聞こえる足音と、気配に気を配り、わたくしはその場で静かに身を潜める。

 いまだわっ!

 バッと扉を開き、驚く男性を抱き込んで部屋の中に引きずり込む。

「なっ! わっ!」

 腕の中で暴れる男性に、わたくしはそっとささやく。

「お静かに、セイド様」

「はっ!? あっ!」

 わたくしに気が付き、セイド様は抵抗するのを止めておとなしくなった。

 ただ目だけは驚いたままだけど。

「しゃ、シャナリーゼ」

「ですわ、セイド様。 大声出されると、わたくし襲われたと泣きますわよ」

「誰が襲うかっ!」

 言ってるそばから大声出すなんて……。首筋に口紅でもつけてやろうかしら。

 でもツイているわ。

「ねぇ、セイド様。わたくし貞操の危機ですの」

「は?」

「ライアン様にお会いさせてくださいな」

「な、なんでお前の貞操と殿下が関係あるんだ?」

「会わせてくださるなら、理由をお話ししますわ」

「いやいや、まて」

 ぶんぶんと首を振るセイド様。

「簡単に言うな。ただでさえ陛下の生誕祭の式典のまえだというのに」

「だったら、このまま誰か呼びますわ。密着した姿とわたくしの悲鳴。おもしろい噂がたつかもしれませんわ」

 ぎゅうっとさらに抱きしめると、胸に抱いたセイド様の顔が真っ赤になって、青くなった。

「やめてくれ! そもそもお前、レインの友人だろうがっ」

「すっとぼけるのは得意ですわ。それに、今はわたくし貞操の危機が迫っておりますの。なりふり構っていられませんわっ!」

 噛みつく勢いで言えば、セイド様は改めてわたくしを見る。

「……その恰好。よほど急いだのだな」

「ですわ」

 言われると恥ずかしくなるが、この恰好で来てしまったものはしかたない。

「殿下にお会いしてどうするんだ」

「サイラスと連絡が取りたいのです。できたらすぐに」

 おや? とセイド様が目を瞬かせる。

「お前でも人恋しくなるんだな。まさか別の縁談が来たのか? それでサイラスに相談しようとでも?」

「勘違いなさらないでくださいな。縁談が来たところで、どうしてサイラスに相談する必要がありますのよ。自分で潰しますわ」

「……だろうな」

 はぁっとセイド様はため息をつく。

「よっぽどのことか?」

「わたくしの貞操の危機だと申し上げましてよ? あとは、そうですね。アシャン様の件、ですわ」

 急にセイド様の目が険しくなる。

「下手するとマディウス皇太子殿下が、お怒りになるかと」

「なんだと!?」

 血相を変えて、セイド様は飛び上がると、わたくしと向かい合う体勢で片膝をつく。

「何をした!」

「わたくしがしたのではなくて、見聞を広げ過ぎてしまわれたのですわ」

「意味が分からん」

「ライアン様の前でお話しします」

 セイド様はなにやら考えていたが、眉間に皺をよせ目を閉じる。

「……しかたない」

「ありがとうございます」

 ホッとしたわたくしの顔を見て、セイド様は今更ながら、わたくしとの距離に気が付いたらしい。

「近いっ! 寄るな!」

「ふふふ。でもセイド様。あまりよそ見して歩かれてはいけませんわ。わたくしだったから良かったものの、本気になった女性に引きずり込まれたら大変ですわよ」

「誰もかれも、お前のように引きずり込むことに長けているものかっ!」

 顔を赤くして立ち上がると、キッと睨まれる。

「まぁ。わたくしが見ている限り、意外と長けている女性は多いですわよ? レインを泣かせたくありませんわ。お気をつけてくださいまし」

「お前に言われたくないっ!」

 そうですね。わたくしも後腐れなく遊んでいた過去を持つセイド様には、言われたくありませんわ。

 でもこれを言ってしまうと、きっとへそを曲げてしまうから、今日は言いませんわ。

「ではセイド様、連れてってくださいな」

「……わかった。ついて来い」


 こうしてセイド様は、わたくしを連れているため人気のない廊下を探しさがし、ずいぶん回り道をして案内してくれた。

 それにしても、さすがわたくしの中で『魔王』の位置にいるマディウス皇太子殿下。影響力は絶大ですわ。

 東のシャポン国の言葉に『知らぬが神』という言葉がありますの。


 ……わたくしも、マディウス皇太子殿下については知りたくありませんわ。


読んでいただいて、本当にありがとうございます。

書籍化について、活動報告でぼちぼちつぶやいていきます。


【プッチィの日記2】


 散歩から戻ったら、クロヨンはまだ寝てた。

『起きろー! すごいことがあったんだ!』

『んー……』

 クロヨンは眠そうに目を開ける。

 でもボクは興奮してて、しっぽもボンッ! て大きくなったまま。

『シャナがね! 細い棒を振り下ろしたら、木の実がバァーン! てはじけたんだよ。すごかった! 粉々だよ』

『ふーん』

 眠そうなクロヨンは、どうでもいいみたい。

『ねね! ぼく達のしっぽバシバシとどっちが強いかな!?』

 わくわくして聞いてみる。

 だってさ、ボク達のしっぽもなかなか強いよ? こんどお庭の散歩に出たら、あの木の実割ってみよう。

 わくわくしているボクに、クロヨンは眠そうな顔のまま、今いる寝床から何かを口にくわえてボクに見せる。

 あ! それさっきシャナが割った木の実!

『どうしたのさ、これ!』

『前に遊んであちこちとんだじゃん。その残り』

 この木の実、食べられるってわかったから食べようしたんだ。

 でもそれに白黒の服を着た『ニンゲン』が気が付いて、全部片付けられたって思ってたのに。

 ボクは木の実を両手に持って、後ろ足で立つ。

『すごいよ、クロヨン!』

『うん……ボク眠い』

『さっそく割ってみよう! そして食べよう!!』

 ボクは急いで木の実を床に置き、興奮して膨らんだしっぽで、力一杯叩いてみた。


 バシィン!!


「み゛ぃ゛い゛いいいい!! 『ぎゃああああ!』」


 ボクは悲鳴を上げた。

 だってさ、もんのすごく硬いんだよ!

 大事なしっぽをお腹側に丸め、ふーふーと息を吹きかけて抱きしめる。

 それを見ていたクロヨンが、やっぱり眠そうに言う。

『いい子にしないと、シャナから叩かれるよ』

 え? それってあの木の実を粉々にした棒で叩かれるってこと!?


 そんなの嫌だぁあああああああああああ!!


 その夜。

 シャナがニンジンを持ってやってきた。

 ボクはクロヨンが選ぶのを待ってから、おとなしくお行儀よく食べる。

「まぁ、どうしたのプッチィ。お散歩で疲れたのかしら? おとなしいわねぇ」

 ニコニコしてボクをなでてくれる。

 でもクロヨンが『ボクも』というから、ボクは譲ってあげた。

 クロヨンが先に抱っこをせがんでも、ボクは順番を守る。


 ね? ボクっていい子だよね、シャナ!



 ~ しかし、ウィコットは忘れっぽい動物。翌日には棒のことなんてすっかり忘れ、いつも通りのヤンチャなプッチィに戻りましたとさ。 ~

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