勘違いなさらないでっ! 【9】
最長11500文字投下。
第1話~8話までの誤字など指摘がありました部分を訂正しました。
勢いで書いてますので、誤字も多いです。またよろしくお願いいたします。
『悪いんだが、俺はエスコートできない。俺の相手はすでに決まってるんだ。悪いな』
『今日は直接謝りたくて来たんだ。すまない』
は・ら・た・つ・わっ!
なーにが、
『悪いんだが、俺はエスコートできない。俺の相手はすでに決まってるんだ。悪いな』
『今日は直接謝りたくて来たんだ。すまない』よ。
大事だから2度リピートしたわ。
どこの世界に求婚してる相手ほっぽり出して、他人エスコートするバカがいるのよっ!
いた!奴だ!!
直接来るなっ!よけい腹立つ。
わたくしがうぬぼれてただけじゃないのよっ!
語尾のほとんどに合わせ、届いたばかりのサンドバックに蹴りを入れる。
動きやすいようにズボンを履いているが、すでに汗で濡れている。上もしかりだ。
痣ができないように脛当ては付けているが、布団とは比べようがないほどの丈夫さ、硬さに大満足だ。アン、ありがとう。
1日経った今も怒りは治まらない。
ちょっとでもなびこうとしたわたくしが許せない。
所詮口で言っても裏切るんだわ。
もうがっかりとか、失望とか、希望とかいらないわ!!
こうなったらヤケだわ、ヤケ。
いい汗かいたわたくしは、普段兄が主に使っているトレーニングルームから出ると、すぐにアンを呼んだ。
「今日からわたくしの飲むものは全部薬茶にして。朝は代謝と血行促進、夜は安眠の効能のお茶を必ず出して。その他は任せるわ。美容に良いものなら多少不味くてもいいわ」
「かしこまりました」
理由を知っているアンは静かに頭を下げた。
わたくしが荒れている理由は家族みんなが知っている。
父はしっかりフォローしてきた。
「まさかシャーリーが参加するなんて考えなかったんだよ。お前は最近ずっと、こういう集まりを避けていたからね。それにエスコート役を打診されたのだって求婚前じゃないか。外交上の付き合いなんだよ」
そんなのどーでもいいんです、お父様。
わかってますもの。仕方ないってことは。
でも、わたくしがうぬぼれた事実がありますの。
いつの間にか弱くなってしまった、自分の心を鍛えてるだけです。
サイラスへの八つ当たりなんて、とっくに自覚済みですわ!!
でも、これで終れないのがわたくしなんです。
後悔させてやりますわっ!
「こうなったら気合入れて参加するわ。アン、急いで仕立て屋を手配して。うちのお抱えが無理なら他の店も問い合わせて、舞踏会に間に合うようドレスを新調するわ」
「あ、あのその件ですが……」
アンがおそるおそるわたくしの顔を伺った。
「何かあるの?」
「はい、実は正直に申し上げますと、サイラス様が手配するとのことで、明日仕立て屋が参るそうです」
つまりお詫びってことね。
いらないわっと言いたいところだったが、わたくしは少し考えた。
彼が手配した仕立て屋だから腕はいいだろう。時間もないし、何より自分が手配したドレスを着たわたくしに後悔させられるとは思いもよるまい。
「いいわ」
アンが驚いて顔を上げた。
わたくしはうっすら笑みを浮かべた。
なんてことはない。いつものように貢がせればいいだけだわ。
翌日仕立て屋一行がやってきた。
小物や靴も一切を用意してくれるらしい。
「デザインや要望は叶うのかしら?」
熟年の仕立て屋のマダムはお針子に指示する手を休め、わたくしに頭を下げた。
「申しわけございません。デザインなどすべて御依頼主様から申し付けられております。どうしてもと言われるのであれば、わたくしどもからお伺いをたて、その後のお返事とさせて頂きます」
「あらあら、御依頼主はよっぽど自信があるようね。わかったわ、何も言いません。そのかわり、期日に間に合わなかったり、わたくし自信が気に入らなかったらその場で切り裂くわ。もちろん御代は頂いてちょうだいね。生地や職人に罪はないんですから」
それでも仕立て屋にとっては、目の前で自分達の作品を切り裂かれるのは屈辱だろう。
だが、マダムはただ商人として微笑んで「かしこまりました」と言った。
体のすみずみまで寸法され、ドレスの形はおろか色、髪飾り、靴、すべて一切語らずに仕立て屋はイズーリに帰って行った。馬車で丸2日程かかるのに、たったこれだけの為に来たらしい。
意地悪するなら仮縫いや納品当日までに、体のサイズを変えてやれば良い。
だがわたくしはそんなことはしない。
太る痩せるではなく自分を磨くことが最優先だ。それによるサイズの若干の変更はすぐ直せるだろう。
それから2度サイラスが訪問したようだが、どの面下げて会いに来てるんだと怒り心頭のわたくしは、部屋から一歩も出ないで立てこもった。サイラスの相手は母とティナリアがしたようだが、ウィコットの飼育書を渡すだけ、プレゼントを持ってきただけと短時間で帰って行った。
ティナリアから渡されたプレゼントは、中身を見ないでアンに処分させた。
使えそうなら使うようにとは言ったが、アンは首を振った。
そうして舞踏会2日前に、仮縫いにすら来なかった仕立て屋が納品にやって来た。
わたくしはかなりイライラしながら彼女らの前に立つと、ようやく謎であったドレスのお披露目となった。
「これから最終調整でございます。念のため明日も参ります」
ずいぶんと念の入り用だ。
3週間、毎日栄養、運動、睡眠、エステ、薬茶に加え母にマナーチェックもしてもらった。すでにわたくしは自分に満足していた。
「こちらです」
疲労されたドレスは……黒だった。
光沢のある生地で、上は闇のように黒いが、スカートの裾の部分に向かって濃い紫にグラデーションがかかっている。上半身は首にひとまきするような形で、前はデコルテと胸元が開いており、背中も同じように開いている。スカート部分も膝丈まではタイトだが、その先は左に流れるようにフレアの広がりがある。そのデコルテ周りや腰、スカートのあらゆる部分に金糸と銀糸で刺繍が施され、その所々に小さな輝く宝石が縫い付けてある。
黒、といえば地味な印象だが、これはどちらかというと赤いドレス並に派手だ。しかし上品で、わたくしの金髪が際立っている。
紫のアメジストで葉を、赤いガーネットで小さな花作り、それをいくつも繋げたような細い首飾り。そしておそろいの髪飾りに耳飾。それらの全てに、所々に黒い宝石が使われている。
ふと口元がほころんだ。
「いいわ、調整をお願い」
「かしこまりました」
マダムは本当に嬉しそうな笑顔で頭を下げた。
舞踏会に両親がそろって出席する。兄は警護の任務でおらず、わたくしは父の弟である叔父のディートイック卿と入城した。ちなみに叔父は30代半ばで、独身。目つきはお察しの通りだが、口調が柔らかなので実はモテる叔父様だ。
周りの視線はまるっと無視する。
良くない噂持ちのわたくしが、ほぼ何かの重大発表がなされるであろうという舞踏会に来ているのが気になるのか、とにかくいろんな視線が突き刺さる。叔父を狙う熟女からも容赦ない。
「あいかわらず強いね、シャーリー」
苦笑する叔父に、そういえばこの方はあまり派手なことは好きでなかったのだと思い出した。そんな叔父が父のお願いで付いてきてくれたのだ。心配はかけられない。
「こんな視線なんでもございませんわ。お気に召さないなら見なきゃ良いのです。それを見てるんですから救いようがありませんわ」
その言葉に叔父は苦笑していた。
壁の花、いえ、この際毒の花でも良いので静かに過ごそうと、叔父と壁に佇む。
やっぱり突き刺さる目線のうち、しつこいものや悪質なものは、とりあえず対処できる分睨みをきかせて撃退する。明日からの噂も楽しみだわ。
やがて貴賓客と王族も大広間に姿を現す。
とっさに目で追ったサイラスは、わたくしより少し年下の女性をエスコートしていた。可愛らしい雰囲気を持つそこそこの美少女。なんせティナリアが美少女の基準だからなかなか厳しい。フリルのたっぷりしたドレスに、やや恥ずかしげにはにかむ笑顔。なんともわたくしと、遠い位置にいる令嬢だ。確か公爵家の次女と聞いた。
サイラスは黒地のイズーリの外交王族衣装だった。いくつかの勲章を胸につけ、金の肩章に二連の飾緒を付けている。
「彼が例の?」
叔父が興味ありげに聞いてくるが、わたくしはこくっとうなずいただけで、目線をサイラスから全体へと広げた。
まずは陛下からのお言葉があった。その後、リシャーヌ様の体調を考慮してか、早々に懐妊発表となった。会場中から割れんばかりの拍手が、壇上の皇太子夫妻に贈られる。
つわりがほとんど終ったリシャーヌ様が1曲踊ろうとするのを、皇太子が必死で止めるハプニングもあったが、概ね問題なく王族と貴賓客、上位貴族のダンスが始まると、そこかしこで談笑と立食、酒に舌鼓をうつ和やかな雰囲気となった。
ノンアルコールのグラスを手に、わたくしは踊らず叔父と会場を見ていた。父は母と挨拶回りでいそがしい。叔父の下へ友人が訪ねてくることはあっても、わたくしが話しに加わることはなく、心配する叔父を残してふらりと歩き始めた。
公爵令嬢と2曲踊ったサイラスは、あっという間に令嬢達に囲まれていた。横には公爵令嬢がしっかりくっついているし、サイラスも外交スマイル、王子様スマイルを惜しげもなく展開してる。
……は・ら・た・つ・わぁ……。
お前もハゲろ!!
怨念を飛ばすと、近くでくしゃみが聞こえた。
良く見ると、再びラブラブ夫婦に戻ったハートミル侯爵家の若夫婦がいた。
悪いが今夜は関わりたくない。
ここ最近ずっと、関わるとろくでもないことばかり起きているから。
だが、セイド様はめざとくわたくしを見つけた。
そして絶対近づかないだろうと思っていたのに、厳しい顔をしたままレインをせかすように早歩きで目の前にやってきた。
「まぁ、ごきげんようセイドリック様、レイン様」
わざとらしく淑女の礼をとると、ふんわり桃色のドレスを着たレインが「もう」と可愛らしく頬を膨らませた。いつもならそんなレインにメロメロなセイド様が、なぜかわたくしを睨みつけている。
あら、まだ根に持ってるのね。
しょうがない、とわたくしは顔を上げた。
「この間は失礼しましたわ」
「その話はもういい。蒸し返さないでくれ」
何よ、あなたの顔がその話のせいで不機嫌だと言わんばかりだったんだけど。
「では何でしょう?」
セイド様はチラッと会場のとある一点を見た。
「あれ、を見てどう思う」
「黒い蜘蛛の巣に引っかかった愚かな蝶、でしょうか。それとも女の修羅場予備場でしょうか。どちらにせよ、あまりいいものではないでしょうね」
ふふっと笑うと、セイド様は少し剣呑な目つきでわたくしを見下ろした。
「……嫉妬の1つもおきないか」
「嫉妬、ですか。焼いたところで醜態を晒すだけです。嫉妬するくらいならさせますわ」
赤い唇でほんの少し微笑むと、セイド様はむっとしたようだ。
「大事な友人の縁談相手がお前とは今だ信じられないな。あいつにはもっと心が穏やかになれる女性がいいと思うのだ。例えばレインのような……」
「でしたらレイン様をオススメしてはいかがですか」
ぎょっとしたレインには悪いが、わたくしは最近すこぶる機嫌が悪いのだ。
「貴様何をっ!」
「あら、ご自分でオススメしてたじゃないですか。大事な友人に、レイン様に良く似た方を早くご紹介してくださいね」
それでは、と頭を下げわたくしは立腹するセイド様を尻目に、その場を離れた。
その時だ。
「シャーリー!」
思わず床を目を見開いて凝視してしまった。
少し離れたところから引き止めるようにかけられた声は大きく、今はわたくしとこの声の持ち主に視線が集まっていることはいうまでもない。しかも近づく気配がないので、彼はその場から動いていないようだ。
わたくしは意を決して、くるりと振り返った。
このまま無視すると、もっと大きく呼ばれてしまいそうだったからだ。
余裕の笑みを見せなくては、とわたくしは微笑んだ。心から嬉しそうに、そして怒りを込めて。
「まぁ、サイラス様」
軽く一礼すると、周りに令嬢達が集まっているサイラスに数歩だけ近寄る。
「先程からダンスも食事もなさっていないようだが、どこかお加減でも?」
観察?監視?もうどっちでもいいが、そんなこと言わないで欲しい。
……あ、ほら、数人の令嬢がわたくしとサイラスを交互に見て顔をしかめている。もったいないよ、お嬢さん達。
「お気遣いありがとうございます。でも、どうぞお気になさらないでくださいませ。それよりも、サイラス様もすばらしいご令嬢達に囲まれておいでですわね。これからダンスですか?どうかごゆっくり、お楽しみくださいませ。では」
にっこり微笑んだまま、自分の言いたいことだけ言って、わたくしはその場を何事もなかったように離れた。背中にいくつかの視線を感じたままだったけど、睨み返すことはしなかった。
サイラスは終始他の令嬢達に向ける、あの君の悪い笑顔をわたくしにも向けていた。
突然去ったわたくしにも、とくに気を悪くした様子はなかった。むしろ気を悪くしたのは、周囲を固めていた令嬢達だった。
で、お約束。
叔父の元にすぐ戻らず、この際ティナリアの目に叶いそうな良い男性がいないかと見回っていたら、全然知らない令嬢3人に囲まれた。しかもここは庭先に設けられた芝生のテラス席。まだ舞踏会も中盤を迎えておらず、庭先は人がいなかった。
「少しよろしいですか」
少しならね、とうんざりとした顔を真顔に戻し、わたくしは背後に立つ3人に向き直った。
「何か?」
さっきサイラスの周りにいた令嬢達かな。っていうか、サイラス放り出していいんですか?もしやダンス中かな。
3人とも気が強そうな顔立ちで、正直わたくしと変わらないか、年下だ。
きっと家柄は伯爵家より上。
「あなた、出戻りのクセにサイラス様に近づこうなんて、我が国の恥知らずですわ」
「挨拶も簡単にすませて、お許しもないのに離れるなんて、なんて失礼なのかしら」
「それにどれだけ卑猥な格好で来ているのか、まったく自覚がないなんて、お噂どおりの方ですわね」
上から派手令嬢、タレ目令嬢、寸胴令嬢の順だった。
わたくしはとりあえず黙って聞いておいたが、とりあえず少し訂正しよう。
「わたくし1度も結婚しておりませんわ」
「あら、あれだけ浮名を流されたのに、去年はお目にかからなかったようなのでご結婚されたのかと思っていましたわ」
「まぁ、わたくしを気に掛けていただいたのですね。ありがとうございます。わたくしったら、お顔もお名前も浮かびませんのよ」
ごめんなさい、と笑顔で返すと、派手令嬢は顔を真っ赤にした。
「あら、チーク塗りすぎ?いえ、お化粧に灯りが当たって反射でもしているようですわね。闇夜の庭先ではひどい赤ら顔に見えますわ。今夜は外においでにならないほうがいいですわよ」
「なんですって!?」
「あら、ようやくお目がはっきりしましてよ。アイライン塗りすぎても目は大きくなりませんわ。でもお鼻が大きくなるのはいけませんわね」
派手令嬢は顔を赤くしたまま黙った。
次はタレ目令嬢だ。
「えーっと、サイラス様のお許しだそうですが、別にそのようなものわたくしには求められておりませんわ。それにわたくしがいてはお邪魔でしたでしょう?」
あんた達無視されてたよね、と言いたいところだが、これで伝わるかな。
「他国とはいえ王族の方にあの態度は失礼です、と言っているんですわ」
「お叱りならわたくしが直接受けるでしょう。わざわざお気遣いありがとうございます。でも、失礼というならあなたさっき、別の令嬢の足踏んでましたわよね?サイラス様が見てないからと、視界に入ろうと隣の御令嬢を押してましたわよね?そんな方に失礼も何も言われたくありませんわ」
タレ目令嬢はきゅっと唇をかんだ。
「直接お叱りを受けたいだなんて、それがあなたの手口ですのね。なんて図々しいんでしょう!」
自分のしたことは丸っと無視して、わたくしがマゾのようなことを言ってくる。
サイラスに叱られる?とんでもないっ!
口頭注意だけでも嫌味満載で疲弊しそうなのに、それだけじゃ済まないのがサイラスだ。
わたくしは思いっきり嫌そうに眉を寄せた。
「わたくし他人に怒られる趣味はありませんわ。それでお近づきになれるという幼稚な発想では、大した男性は射止められませんわよ」
「サイラス様を侮辱なさるの!?」
おい、いつサイラスがあなたを射止めたことになったの?
まずあれでお近づきになったのか?ただ群れてただけにしか見えなかったけど。
わたくしはおかしくて、ちょっと笑ってしまった。
ここまであの外面に惑わされているなんて、ちょっと不憫だ。
「地味な色を着てらっしゃるんですもの。お立場をわきまえたのかと思ってましたのに」
寸胴令嬢は2人が言い負かされて怒ったようだ。
「あ、そうそう。わたくしの今日の装いそんなに卑猥ですか?わたくしとしては良いと思っておりましたのに」
残念そうに言えば、寸胴令嬢が勢いづいた。
「まぁ、わからないの!?その無駄に体の線を出した破廉恥なドレス。あなたわたくし達とあまり変わらない年でいらっしゃるのに、そんな装いをされたら同年代のわたくし達全てが卑しく見られますわ。わたくし達やフィニア公爵令嬢のような、正しい令嬢の装いすらできないなんて、本当に我が国の恥ですわね」
「そうですね。残念ながらわたくしはコルセットで絞めきれなかった腰も、それを隠すためのフリルもパニエもいりませんの。まぁ、そのドレスの下の体が真っ赤なひも状の絞め跡だらけだと思えば、その涙ぐましい努力はすばらしいものですわ。ただ、いざ初夜、となった時にもその絞め跡だらけの体で夫が喜ぶかどうかは疑問ですがね」
「まぁ、装い同様破廉恥な方ね!」
「破廉恥だと言われましても、そもそもこのドレスはわたくしの趣味ではありませんわ」
「ではどちらの愛人のご趣味で!?」
「まぁ、愛人だなんて。単なるお友達ですわ」
そう言えば寸胴令嬢は大げさに驚いて見せた。
「まぁまぁ、さすがジロンド令嬢。愛人も恋人もお友達ですものねぇ」
いいえ、カモです。とは言えない。
寸胴令嬢をじっと見ていると、なぜか勝ったという顔をされた。ついでに負けてた2人も元気付く。
余裕顔の3人を見て、わたくしはうんざりとため息をついた。
「いつまでそこで見てますの?お隣の方にはまだ早過ぎますわよ」
目線は3人に、声は左後方の暗がりへ向けた。
まだ良く分かっていない3人の前に、暗がりから1組のペアが現れた。
えっと3人が息を飲んだ。
わたくしもちらっとそのペアを見た。
サイラスと、フィニア公爵令嬢だ。
可愛そうに、16才になるフィニア公爵令嬢は女の修羅場を初めて見たのだろう。やや青ざめている。
一方、そんなところにフィニア公爵令嬢を連れて来たサイラスは、あいかわらずの王子様スマイルに、困ったような柔らかい笑みを浮かべている。
「サイラス様」と3人の令嬢の誰かが呟いたようだが、とりあえず無視する。
「こちらの方がわたくしの装いを評価してくださったの。卑猥、破廉恥、恥知らずですって」
ふふんっと腰に手をあて、少し状態を捻ってサイラスを見た。
どんな顔するかなっと思っていたら、サイラスは3人を笑顔のままじっと見ていた。
「では、そこの御令嬢達はそのドレスを君より着こなせると?」
「ご覧の通り、我が国の自慢の令嬢ですもの。今はメイクでせっかくの素顔を隠しておりますが、きっとその美しい顔を晒してくださいますわ。それにわざと機能しないコルセットをはめて、その体に絞め跡を施しておられますが、そういったことを好まれる男性の想像を掻き立てて楽しませようと、体を張ってらっしゃいますのよ。他人相手にそんなことができる、お心の広い3人様ですから、きっとサイラス様のご要望にもお応えできると思いますわ」
「わざわざ目を黒く塗り潰したり、耳が千切れそうになるくらいの飾りをつけ、ドレスの下で攻防戦を繰り広げ、無駄に場所をとるドレスを膨らませている者達がか?それはすごいな」
「お望みなら、絞め跡のリクエストにも応えていただけるかもしれませんよ?」
おほほほほっ、ははははっと軽く笑い合って3人を振り返ると、そこには飲物を持ったメイドが居ただけで、令嬢達は姿を消していた。
……逃がすもんですか。
軽く目を細めて会場を見て、メイドから飲物をもらった。
同じようにサイラスもグラスを2つ手に取り、果物水と思われるほうをフィニア公爵令嬢へ渡した。
彼女は恥ずかしそうに微笑みながら、そのグラスを大事そうに受け取った。
……ふんっ!
わたくしは勝ったはずなのに、なぜか負けた気がしてグラスの中身を一気に飲み干した。
「シャーリー、知ってるかもしれないが、こちらはフィニア・アニール・ネルテット公爵令嬢だ」
「お初にお目にかかります。シャナリーゼ・ミラ・ジロンドでございます」
なんでこのタイミングで紹介するんだと内心怒鳴りつつ、わたくしは笑顔で対応した。
フィニア様はほっとしたように微笑んだ。
「初めまして、シャナリーゼ様。本日はサイラス様をお借りして、申し訳ありません。言い訳になりますが、父がどうしてもとサイラス様に無理を言いまして、本日はお相手していただいております。サイラス様にとっても本意ではないのです。どうか誤解しないでいただければと」
「まぁ、フィニア様もどうぞ誤解なさらないでください。わたくしとサイラス様はただのお友達ですわ」
「では、シャナリーゼ様には特定のお相手はいませんの?」
「はい、おりません。存在しません、ありえません」
しっかり否定しておいた。
すると、フィニア様はふんわりと幸せそうに微笑んだ。
すっごくかわいい。
見とれたわたくしに、サイラスがにやにやと嫌な視線を送っていた。
ちょっと、ここでその目をすると猫かぶりがバレるわよ。
わざわざ心配してやったわたくしだったが、その隙をとられてしまうとは思いもよらなかった。
「お慕いしておりますっ!シャナリーゼ様ぁあああ!」
がばっとフィニア様が抱きついてきた。
……はぃいいいいいいい!?
これが男なら右ストレートか、肘鉄をお見舞いするところだが、抱きついてきたのが華奢な公爵令嬢なら手も足もでない。
腕ごとわたくしを抱きしめたフィニア様は、そのまますごい力で抱きしめたまま離れない。
「フィニア嬢、約束が違いますよ」
予想はしていたのだろう。言い方が随分優しい。
ついでに言えば笑顔だ。サイラス、あんた何がしたい!?
体は硬直し、頭が混乱したわたくしは黙って2人の会話を聞くことになる。
「だって憧れのシャナリーゼ様が目の前にいらっしゃるのですよ。とても無理です」
「我慢するとおっしゃるから会わせたのですよ。シャーリーの胸はどうですか?」
「気持ち良いですっ!でもサイラス様ばかりずるいです。わたくしもシャーリー様とお呼びしたいです!」
「それはどうぞ本人の許可を」
「細い腰もサイコーですわっ!」
「鍛えた体に吸いつくような肌、いいでしょう」
「いいですわぁあああ!」
以上、わたくしの胸に顔を擦り付けたフィニア様と、それを楽しそうに傍観するサイラスの会話でした。
……何が起こっているのでしょう?
「おい、大丈夫か?」
「……説明してちょうだい」
やっと搾り出せた言葉だった。
だが、その説明は意外なところからされることになった。
「フィニア!」
少し年配の男性の声がして、ようやくフィニア様が顔を上げた。
「げっ、お父様」
……今の始めの言葉は聞かなかったことにしよう。
少し体格の良い白髪交じりのネルテット公爵が、慌てたようすでやってくると、すがるような目をサイラスに向けた。
「お時間ですよ、フィニア嬢」
「嫌よっ!」
彼女が更に腕に力を込めたが、サイラスはフィニア様の手首を掴むと、そのままわたくしから引き剥がした。そして暴れるフィニア様を、ネルテット公爵の側に控えていた貴婦人が2人がかりで連れ去った。
その後姿を呆然と見送っていると、いつの間にか目の前にネルテット公爵が立っていた。
「サイラス様、ありがとうございました。これで娘の縁談を進めることができます」
「それは良かった。進めるといえば、あの案件もお願いしますね」
「もちろんです」
そこで両者は黒い笑みを一瞬だけ浮かべたが、そこは政治だ。見なかったことにした。
そしてネルテット公爵はわたくしをじっと見た。
聞きたいことはあったが、下位の者から初対面の方に話しかけるのは非常識だ。
仕方なく黙っていると、ネルテット公爵がガシリとわたくしの肩を両手で握り締めた。
「すまない、このことは内密に……ったたたっ!」
見るとサイラスがつねっている。ぱっと手を離すネルテット公爵。
ものすごく自然にサイラスの腕が肩に回った。
「フィニア嬢が彼女に憧れている熱狂的なファンだということは漏らしませんよ」
「そうしてくれるとありがたい!」
ほっとしたネルテット公爵が、真剣なまなざしでわたくしを射抜いた。
「と、いうことだ。国同士の親密さアップ、フィニアのような君に憧れる子を持つ親の為、ひいては我が家の安泰の為にどうかとっとと嫁いで欲しい!」
軽ーく国外追放言い渡された気分だ。
「何か不安なら、君に憧れる子どもを持つ『ジロンド令嬢に憧れる子息子女の親の会』のメンバー全員でカバーしよう。君が嫁げば、子ども達も君を尊敬してますます勉学に励み、国の発展に繋がるだろう!」
何ですか、その嫌な会!とっとと解散しろっ!
「ですからサイラス様、ジロンド嬢は大切になさらないと、我々もですが未来を担う子ども達が怒りますぞ」
「大丈夫ですよ、その点はご心配なく」
サイラスの胡散臭い笑みを見たネルテット公爵は、なぜか安心したように去っていった。
笑顔の裏を読めないのか!大丈夫か、おいっ!
「サイラス!どういうことよ!!」
肩の腕を払いのけ、サイラスを睨む。
「何って、フィニア嬢がお前に会いたいというからお膳立てしたんだ。まぁ、あの修羅場はいずれいい勉強になるだろう。お前に惚れ惚れしていたぞ。まさか遠めで見るだけで良いと言っていたのに、間近に立てたんだ。少し緊張して青くなっていたが、結果はご覧の通りだ」
「ネルテット公爵まで騙しこんだわねっ」
ぎりっと奥歯をかみ締めると、サイラスはふふんと鼻で笑った。
「別に何もしてないさ。娘の願いを聞いてやったというだけだ。諦めるかどうかは本人次第だと言っておいたし、お前に会えたら縁談も進めて良いと言ったのは彼女だ。で、親は考えた。お前が嫁げば娘も従順に嫁ぐだろうと」
「んなわけないでしょ!」
「いやいや、そうでもないぞ。お前が嫁ぎ先で活躍すれば、それに憧れる令嬢達も奮闘するはずだ。そしてライルラドの未来は明るい、と『ジロンド令嬢に憧れる子息子女の親の会』が言っていたらしいぞ」
「なんなのよ、その会……」
初めて聞いたわ。
そしてサイラスも変なことを口走った。
「わたくしを単なる嫁扱いしないことは分かりましたわ。で、一体何をさせるおつもりなのかしら、サイラスオウジサマ」
「何も。ただ君が君のままいてくれるだけでいいよ」
ふっと笑った顔は、それまで見たこともないくらい穏やかな顔だった。
でもその微笑みも一瞬で消える。
「さぁ、これでいくつかの貴族達の後押しもできた。そろそろ諦めて嫁に来るか?ついでにこの場を借りて申し込もうか。あ、丁度俺の相手役も退場したし、叔父殿にもご挨拶しよう」
「ふっざけないで!誰が(嫁に)いきますかっ!このボケナスアンポンタン!!ハゲろっ!」
「……は、ハゲ?」
さすがに顔が引きつった。
身分的にハゲと言われたことはなかったのだろう。
失礼ながらびしっと指を差した。
「あんたのおかげでずっとイライラしてますわっ!美容と睡眠の大敵だわ!!散々嫁に来いと言っておいて他の令嬢をエスコートします、なんてふざけてんじゃないわよ。どの面下げて訪問したのよ、そしてまぁまぁ派手にハーレム形成して良いご身分だこと!他の女の香水と体に触った手で触れないでちょうだい!!」
一気に怒鳴りつけると、わたくしも少々すっきりした。
あと少しさっきの令嬢達を見つけて憂さ晴らしすれば、今夜はぐっすり眠れそうだ。
言いたいことを言ったので、とりあえずどう憂さ晴らしするか考えようとしていたのがいけなかった。ちょっと目線をサイラスからずらしてしまい、次の彼の行動に反応するのが遅れた。
そっと両手が頬に添えられた。
自然とサイラスを見上げると、そこには黒い笑み全開のサイラスがいた。
あれ?ここってさっきの穏やかな笑みを見せられて、わたくしが胸キュンするところじゃないかしら……。
……なんで?
嫉妬して「さみしかったんだから、ばかっ!」「ごめんよ」なんて言って抱き合う二人……なーんてこれっぽっちも出てこなかった。名誉のために言えば、サイラスべつに生え際危機に瀕してませんよ~(笑)