水曜日の放課後
おかしいかもしれませんが、どうぞ読んであげてください!
おねがいします!
水曜日は学校に行きたくなかった。
昇って間もない太陽のやわらかな日の光が降り注ぐ教室。まだ誰も登校していない中、橋本そらはその穏やかな教室の中で机に突っ伏したまま居眠りをしていた。5月のあたたかい日差しに包まれながら可愛らしい寝息を立てている。
静かな中学校も徐々に騒がしさが増してゆく。毎日8時10分になるとぞくぞくと登校してくるのだ。そして、この水曜日の授業が始まりを迎えようとしていた。
そらは目をつむったまま顔を上げてきて、ゆっくりと目を開ける。彼女の目に直接日の光が当たり、半開きのままで止まる。片手で日を遮り、半分まで開いていた目を開いた。教壇には担任の数学教師が立っていた。教室にもたくさんの生徒が座っている。だが、ところどころ空席も目立つ。
遅刻するくらいなら来ない方がいいのに……。
ホームルームが終わるころに走って教室に入ってくる数名の男子生徒。「僕は授業がある。1時間目が終わったあと学年職員室にきなさい」と言って出て行った。
とうとう水曜日の授業が始まるのだ。
教科書などが入ったカバンとは別に、手提げカバンを持って廊下に出る。手提げカバンにはスケッチブック・色鉛筆・ポスターカラー・濃さの違う鉛筆3本が入っている。
きれいな2列に並んで歩きはじめるがすぐに乱れていった。維持できるのは1分も無理だろう。
移動した教室の前扉からぞろぞろと入っていく。目線を少し上に持っていくと、ポップ体で描かれている『美術室』の文字がある。
そう、水曜日の午前中の2時間は美術の授業なのだ。
窓際の後ろから2番目のところに座る。教室と席の場所は一緒だ。
手提げカバンからスケッチブックと鉛筆を取り出し、他は入れたまま横に掛ける。
美術の先生が入ってきて授業が始まる。
「今日は自分の思い出に残っている風景や人物、経験を絵にしてください。きっと2時間では終わらないと思うので、終わらなかった人は放課後残って仕上げてください。それでは頑張ってください」
そらは誰にも聞こえない、自分でも気づかないくらいの小さな小さなため息をついた。
……どうして先生は授業中に終わらない課題を出すのかな。
考えていても課題は終わらない。そらは右手に鉛筆を軽く持ち、大まかな風景を描いてゆく。
そらは特別絵が上手な方ではない。世間一般に言う普通という感じだ。それでも絵の上手ではない人からすればうらやましい才能ともいえた。彼女には苦手な絵がない。人物画・風景画・イラスト。すべてにおいて普通なのだ。そのため、彼女にとってどんな課題も難しいとは感じていなかった。
授業が始まって20分ほど経ったころ。そらのスケッチブックには薄く細い線でラフ描きされた風景画ができていた。横に掛けているカバンの中から色鉛筆を取り出す。そのとき彼女の右横から一人の男子がスケッチブックを覗きこんでいた。
「橋本って絵じょうずな!」
彼は山田祐一。中学生になってからの友達で、校外で弓道部に所属している爽やかな男の子だ。クラスでも人気のある子。彼を好きな女子は他のクラスにもたくさんいることを彼女は知っていた。
「じょうずじゃないよ。てきとうだもん」
「いや、オレに比べればめっちゃいいよ! 絵は苦手なんだ……。橋本のその絵は学校の近くにある公園かな?」
「その公園だよ。小さいときよく遊んでたの。下手だからわかりにくいよね……」
「そんなことない! すっごく似てる。きれいだ――」
そらは頬を赤らめた。頑張ってもいないただの絵を素直に上手と言われて恥ずかしくなった。テレを隠すために彼女は彼に聞いた。
「山田君の見せてよ」
彼はばっと両手でスケッチブックを隠した。
「いやっ……それは、その……恥ずかしいっていうか……。それにまだ描けてないし。汚いし……」
「それじゃあ、できたら見せてね。ぜったいだよ?」
そらがそう言うと、彼は顔まで伏せてしまった。そしてそのまま「約束する」とこもった声で言った。
授業は2時間目に突入し、残り時間も少なくなってきた。彼女は順調に絵を仕上げてゆく。色鉛筆で公園にある遊具を着色していた。ラフ描きされていた絵もはっきりと描かれている。滑り台の色を塗り終えると同時にチャイムが鳴った。まだ空と木々の色が塗り終わっていなかった。
道具をカバンに詰めて廊下に出る。
山田君はどこまで進んだのかな。意外ともう書き終わってたりして。
水曜日の嫌いな2時間が終わり、そらは安堵のため息をついた。手提げカバンを横に掛け、次の授業の準備をする。美術を除けば普通の授業が待っていた。国語、体育、昼食をはさんで英語、数学の授業を終えて放課後。そらは教室掃除をして美術室に向かった。
美術室に入るとほとんどの生徒が居残っていた。
やっぱりみんな終わってないんだ。
その中には彼もいた。
……終わってなかったんだ。
そらは自分の席に座り、スケッチブックと色鉛筆を取り出して描きはじめる。横をちらっとみて、彼の進行具合を確かめた。
「もしかしてもう終わった?」
彼はまたも両手で絵を隠し、頬を赤くして言った。
「えっ! まだだけど! なんで!」
「なんでって。絵ができたら見せてくれるって約束でしょ?」
彼は「そっか」と小さな声でつぶやいた。
彼女は「まだできていないみたいね」と、自分の絵の続きに取り掛かった。
30分が経過した。
大半いた生徒の数がかなり減っていた。男子は部活や用事を言い訳に完成させないまま出ていき、女子はきっちりと仕上げて提出して帰っていった。残っているのはそらと祐一、数えられる程度の生徒しか残っていなかった。
そして。さらに15分が経過した。
とうとうそらと祐一の2人しか残っていなかった。
「山田君は終わった? わたしは終わったんだけど」
彼は小さな声で「終わってるよ」と言った。
「じゃあみせてね。スケッチブック貸して」
下を向いたまま彼はスケッチブックを彼女に差し出した。彼女は彼の絵に目を傾ける。そこに描かれていた物は意外なものだった。
「これって――」
彼女が描いた公園の絵。色も配置もほとんどが同じ絵。ただ、彼女の絵と彼の絵にはひとつだけ違うものが描かれていた。
「この女の子って……わたし?」
彼は下を向いたままだった。しかし、彼の耳が真っ赤になっているのに彼女は気が付いた。
「……その女の子は橋本を描いたつもりなんだ。いっつもあの公園にいただろ」
「どうして知ってるの? もしかして同じ小学校だった? それとも幼稚園から?」
「ちがう。オレは隣の小学校。帰り道でさ、毎日あの公園で女の子が遊んでるのに気が付いたんだ。オレさ、勇気がなくて話しかけることもできなかったんだ……。オレ……ずっと橋本のこと見てきたんだ。悪い……。気持ち悪いよな――」
「そんなことない!」
彼女のその大きな声に彼は驚いていた。
「わたしも……本当は気が付いてたの! でも、わたしも一緒に遊ぼうとは言えなかった……」
「なんだ……知ってたのか……。オレさ、あのころからずっと好きだったんだ。なんか、それこそ絵に描いたような感じがしてたんだよ。中学に入ったら橋本がいてさ、同じクラスで、マジ嬉しかったんだ」
そらは黙ったままだった。
「なあ、いまさらだけどさ、オレと付き合ってくれないか?」
その瞬間。彼女の胸の鼓動は急速に速度を上げた。どくどくと鼓動が大きくなる。静かな美術室に響いているようだ。あわてて胸に両手を押し当てる。
とまれとまれとまれとまれ……。
「いや……か……?」
「ちがうの! まって……。おねがい――」
彼女は大きく深呼吸をした。そして――
「―――――――――!」
「へ? いまなんていったの?」
彼女の声はチャイムの音にかき消されてしまったのだ。
彼女は顔を真っ赤にして素早く帰る用意をし、出来た作品を教卓に置いて走って廊下に出た。
「来週の水曜日は絵の描き方教えてあげる!」
彼女はそれだけを言い残して行ってしまった。
残された祐一はふふっと笑い、スケッチブックを教卓に置いて鍵を掛けた。
「はぁ~。今日はまともな射を打てそうにないな……」




