画面越しの茜色
43歳、独身、職業は日雇い暮らし。
いわゆる、『負け組』という分類になるだろう。
──「もっとまともな職に就け。」
──「将来どうするんだ。」
散々、両親に責められがそんなこと好き勝手言わせておけばいい。
俺には生き甲斐がある。
俺には『茜ちゃん』がいる。
──朝霧茜。
動画配信サイトを中心に雑談配信の活動をしているインフルエンサーだ。
夕焼けを溶かしたような赤い髪に、吸い込まれそうな漆黒の瞳。
「大学の課題が終わらない」って笑いながら愚痴をこぼすこともあった。
長い髪を指先にくるくると巻き付ける癖があり、その顔立ち、仕草、話し方は画面越しでも十分伝わるほど可愛い子だ。
先の見えない暗い人生かと思っていたが、気付けばいつの間にか生活の中心にはいつも茜ちゃんがいてくれた。
俺は徹底して茜ちゃんを応援することにしている。新しいグッズが出れば迷わず予約した。アクリルスタンドも。缶バッジも。うちわも。欲しいから買うのではなく、買うことで茜ちゃんを応援することになるならと思い、迷わず全部手に入れた。
スペシャル企画で3分間の会話券が販売された時は、闇金にまで手を出した。それでも後悔はなかった。
気づけば配信のコメントでは、『太客』と言われるようになった。
要は、沢山金を貢ぐ客のことらしい。
「shadow-shige1983 さんから1万円のスパチャ! 『いつも笑顔をありがとう。』」
「こちらこそありがとう! シゲさんが毎回来てくれるから茜も楽しく配信頑張れるんだよー。」
茜ちゃんが喜ぶのなら、いくらでも金を使えた。
数日前の配信でも俺は高額スパチャを投げた。その日の俺はなんとなく気分が良く、
発泡酒を飲んでいたことから、ほろ酔いで少し責めたコメントをしてしまった。
『ファンと付き合ったりできる?』
茜ちゃんは手で顔を覆いながら答えた。
「えー? ふふっ、ひみつ♡ でも沢山スパチャしてくれるファンのみんなが大好きだよ。」
────────
──あの照れ方を見れば分かる。
俺以上に課金している人間はこの世にいない。
この日は興奮して、全く眠気を感じなかった。
10時00分
今日の現場はスーパーマーケットの駐車場で誘導だ。
誘導員は楽で良い。頭を空っぽにして適当に棒を振っていれば、1日が終わる。日雇い労働は責任もなく気楽だ。
シフトは21時まで。今日も茜ちゃんは普段通り22時から配信するとXで告知していた。22時には余裕で間に合うだろう。茜ちゃんとの約束に遅れるわけにはいかない。
21時30分
──ふざけやがって。
駐車場で子どもと車の交通事故が起きた。
原因は俺の誘導が分かりづらかったことらしい。
は?
そんなこと知ったこっちゃない。30分も足止めを食らった。
別に誰が誘導したって同じだろ。そもそも自分の運転が下手なだけだ。
俺は悪くない。
まあいいか。後は社員が対応すればいい。
「・・・お先に失礼します。」
俺は急いで帰路に着く。普段は節約のために歩いて帰るが、今日は時間がない。
最寄り駅で降車した時、丁度配信が始まった。
「やっほー。みんな今日もお疲れ様!今日はどんな1日だったかな?」
ああ。
やっぱり茜ちゃんは最高だ。さっきまでのいらつきが嘘のように治っていく。
配信を開始して間もないのに、画面にはコメントが雪崩のように押し寄せている。
——『あれっ!新衣装?』
——『今日もかわいい!』
——『今日は満月だよ。めっちゃ綺麗!』
——『窓開けて見てみて!』
確かに今日の月は綺麗だ。
俺も間髪を入れずにコメントをする。
『夜道歩いてますが、月とても綺麗ですよ。』
「ほんと〜?」
俺がコメントをすると茜ちゃんは返事をくれる。
これが太客の特権だ。
「じゃあちょっと、月見てみようかなー。」
茜ちゃんの笑顔が画面の中でぴたりと止まり、その直後ガラリと窓を開ける音が聞こえた。次の瞬間背景がふっと揺れ、夜の街並みが一瞬だけ映り込んだ。
——ちょっと待て。
——今の電車。
——この高架橋。
知っている。俺はこの景色を見たことがある。あれはたしか・・・。
そうだ! 去年、建築現場で工事車両の誘導をした時の景色に似ている。
真夏で日陰がない最悪な現場だと思っていたが・・・。あれは、無駄じゃなかったらしい。
会えるかもしれない——
いや、、茜ちゃんは俺に会いに来て欲しくて、わざとこんなヒントを出しているのでは? 俺には分かる。そうだ、間違いない。
今日は日払いだったから運良く手持ちもある。
俺はタクシーを捕まえるとGoogleマップとスクショした景色を頼りに大まかな場所を運転手に伝える。
運転手はいまいち到着地を理解していないのか、自信なさげに走り出した。
早くしろ。まったく使えない運転手だ。
俺はタクシーを降りると、線路の位置、ビルの形、窓から見えた角度など、1つずつ照らし合わせながら付近を散策する。
そして——全てが一致した場所に到着した時、目の前には一棟のマンションが建っていた。茜ちゃんはまだ配信を続けている。
奇跡だ・・・
配信で茜ちゃんが見ていた景色が、今、俺の目の前にある。同じ景色を見ている。
茜ちゃんが俺をここまで導いてくれた。
昔一度だけ数軒の探偵事務所へ行き、茜ちゃんの居場所を特定できないか依頼したことがあったが、全てに断られたことがあった。
当時は俺と茜ちゃんの仲を引き裂こうとしている奴らの仕業かもしれないと思ったが、最初から自分で探せば良かったんだ。
俺は興奮と焦りを抑えるのに必死だった。
どうすればこのマンションに住む茜ちゃんの部屋が分かる?
俺はスマホを取り出し、【マンション 部屋 特定】と入力し検索した。
ありきたりな方法だが、これを試すか。
——ピンポーン
配信に映った景色から1階と2階は違うと判断し、俺は3階から1部屋ずつチャイムを押していくことにした。
——ピンポーン
違う。
——ピンポーン
違う。
——ピンポーン
違う。
俺はスマホのスピーカーに耳を寄せ、配信画面から同じ音が返ってくる瞬間を待ちながら廊下の奥へ1部屋ずつ進んで行った。
3階は空振りだった。
4階へ移動し、また同じ作業を繰り返す。
——ピンポーン
違う。
——ピンポーン
違う。
——ピンポーン、『ピンポーン』
スピーカーからインターホンの音が聞こえた。
ここだ!
心臓が大きく跳ねる。ついに見つけた。
「あれ?誰だろ〜?今日何か頼んだっけ? まあいっか、ちょっと怖いから出ないでおこ〜っと。」
手を口元に添えて、いつものように上品に笑う茜ちゃん。
——『大丈夫?』
——『何か頼んで忘れてるんじゃない?』
──『吸うな笑』
——『あかねんの笑い声癒し〜』
間違いない。ここが茜ちゃんの部屋だ。
片っ端からインターホンを鳴らしたせいか、近隣住民の何人かが玄関先まで出てきていた。
俺はすぐにその場を離れ、茜ちゃんの部屋を後にした。
俺はマンションの周囲をゆっくり歩き回った。
必要なのは、玄関と窓の両方が見える場所。
あった。そこは小さな公園だった。
鉄棒と古びたベンチがあるだけの公園とも呼べなそうな場所だ。
ここならよく見える。
しばらくは、ここで茜ちゃんの様子を見守ることにしよう。
観察開始1日目
俺は仕事を終えた後、急いで例の公園に向かった。
1:00
配信終了
2:30
玄関横の小さな窓の電気が点灯した。あそこはおそらく脱衣所だ。
これからお風呂かな?
2:40
脱衣所の電気が消えた。もう出たのか。最近の子は早風呂だな。
3:10
部屋の電気が消えた。お休み茜ちゃん。また明日ね。
夜更かしは肌に悪いからコメントで教えてあげなきゃ。
観察開始2日目
今日は仕事を入れていないので、朝から観察できる。
14:47
マンションのエントランスに入ったウーバーイーツの配達員が茜ちゃんの部屋のインターホンを鳴らした。玄関の前にビニール袋を置き、配達員は去っていった。今日のお昼は宅配弁当か。
14:52
——!!
ドアの隙間から真っ白で綺麗な腕が伸びビニール袋を回収していった。
配信画面で見るよりも綺麗な腕だ。
16:00
あれから何も変化がない。
俺はXをチェックをし、茜ちゃんのアカウントを確認する。
今日の配信は21時30分らしい。そういえば今日は金曜日だが、大学は休みなのか? 大学のことは分からないが、茜ちゃんは賢いから問題ないだろう。
20:25
ウーバーイーツ
また配達弁当か。
21:30 配信開始
俺は急いでコメントを連投する。茜ちゃんに伝えたいことが沢山あるのだ。
『茜ちゃん待ってたよ。』
『日付けが変わる前にはしっかり寝ましょう。お肌のゴールデンタイムが終わっちゃうので。』
『ご飯は手作りの方が健康的だと思うよ。』
『いつでも茜ちゃんを守ってあげるからね。』
「シゲさん、心配してくれてありがと〜。シゲさんの方が女子力高そうだね!」
茜ちゃんは今日もかわいい。俺だけがこんな近くにいる。
この特別感に思わず興奮し、叫び出したくなった。
23:43
配信終了
「明日は早くから配信するから今日は短いけどおっしまーい!また明日ー!」
明日は珍しく昼から配信するのか。明日も仕事を入れなくて正解だった。
明日に備えて、今日は俺も帰ろう。
また明日ね、 茜 。
観察開始3日目
昨日の興奮がなかなか冷めず、あまり眠れなかった。
茜は今日、どんな生活を送るのだろうか。そう考えるだけで胸が高鳴る。
10:33
脱衣所がわずかに点灯したのが分かった。茜は綺麗好きだな。
12:15
ウーバーイーツ。
こんな生活を続けていたら健康に悪いし、生活リズムを変えてもらおう。
ここで同棲を始めたら俺がちゃんと朝起こして、健康的な朝ごはんを作ってもらわなければ。茜の料理が楽しみだ。
13:30
配信開始
「みんなおはよー。今日はいい天気だね!」
——『今日は早起きだね』
——『ご飯たべたのー?』
——「昼間のあかねんレアー。」
相変わらず、コメント欄は賑わっている。
お前らは画面の中の茜しか知らないだろうが、俺は違う。
こんなに近くで見守っているなんて、茜も喜ぶだろうな。
16:30 配信終了
「今日はこれからお友達と映画を見に行くから、また夜に配信するねー!」
——これから出かけるのか? 茜は誰と遊びに行くつもりなのか。浮気なんてことはないよな?
18:00
玄関のドアが開いた。
人影がゆっくりと外へ出てくる。
背が高く、少しボサボサの黒髪。首からヘッドホンをぶら下げ、黒色のパーカーにスウェットという無頓着な格好だ。片手にはゴミ袋を提げている。
──男?
俺は思わず物陰へ身を潜めた。
なぜ茜の部屋から・・・男が出てくるんだ・・・?
まさか、男と同棲?
いや、違う。
そんなはずがない。
俺以外の奴と茜が暮らしているなんて。
それとも──
この男が茜に近付いているのか?
俺が血汗流して投げたスパチャでこんな男を養ってたのか?
脳みそが沸騰しそうだった。許せない。
茜を騙して洗脳して、俺たちの純粋な愛の関係を壊そうとしている害虫め。
男はゴミを捨てると、そのまま近くのコンビニへ向かって歩き出した。
俺は足音を殺し、男の後を追った。
コンビニに入った男は、慣れた手つきでエナジードリンクとタバコをカゴに入れる。そしてレジに並んでいた。
男が店員に対して、ぽつりと呟いた。
「あー、レジ袋はいらないですー。」
俺の心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
なんだ・・・今の声。
男にしては妙に高い。語尾の伸ばし方も、妙に柔らかい。
仕草もそうだ。小銭を出す手つき、歩き方、どこか女々しい。
・・・気持ち悪い。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
聞き覚えがある。
いや、そんなはずはない。
『シゲさんが毎回来てくれるから茜も楽しく配信頑張れるんだよー。』
何度も聞いた声が、頭の中で蘇る。
・・・そうだ。
きっと兄だ。兄妹なら声が似ることだってある。
──そうに決まっている。
俺の口から、掠れた声が漏れた。
男はレジで会計を済ませると、店を出てスマホを見ながら歩き出した。
少しすると、Xから茜がポストしたとの通知が届いた。
俺は半ばパニックになりながら、自分のスマホを取り出し、茜のXを開いた。
【予定変更! これからゲリラ雑談配信やるよ〜! みんな待ってるね♡】
男はそのままマンションへ戻り、エントランスへ消えていった。
俺は吸い寄せられるように、男の後に続いてマンション内に侵入した。
エレベーターに乗り込み、男が降りた「4階」へ向かう。
息が上手く吸えない。
手垢で汚れた作業着の袖で、吹き出す冷や汗を拭った。
いつも遠くから見守っていた扉の前に着く。
俺はドアをそっと開けた。鍵はかかっていない。
奥の部屋に続く廊下兼キッチンに忍び込み、壁に手をつきながら震える足で部屋を覗き込んだ。
静まり返った廊下に、室内からの音がかすかに漏れてくる。
パソコンの起動音。キーボードを叩く音。そして——
「あーあ、テストテスト、マイクOKね。ボイチェン・・・よし、ピッチ変換入った。配信開始っと。」
スピーカーを通さない、生のアナログな男の声。
続いて、かすかに響いてきたのは、あの聞き慣れた、愛おしくて、憎たらしい「声」だった。
──俺はスマホで配信画面を確認し、膝から崩れ落ちた。
そこにいたのは、画面の中で笑う赤い髪の少女。
夕焼けを溶かしたような赤い髪。
吸い込まれそうな漆黒の瞳。
指先に髪を巻き付ける、あの可愛らしい仕草。
全部、画面の中の「作り物」だったのか?
3分間の会話券のために手を出した闇金。
毎晩送った高額スパチャ。
「太客」と呼ばれて誇らしかったあの優越感。
俺が人生のすべてを賭けて愛し、守ろうとしていた『朝霧茜』は——
部屋の中でボイスチェンジャーに向かってキャピキャピと声を張り上げている、このしがない男だったのか?
男が、機械を通した女の声で、嘲笑うかのように雑談している。
「うあ・・・あ・・・」
喉の奥から、獣のような声が出た。
怒りなのか、悲しみなのか、絶望なのか自分でも分からない。
頭の中のネジが、音を立てて弾け飛んだ。
「違う・・・違う・・・」
頭の中で何かが崩れる音がした。
「違う・・・」
気付けば俺はキッチンに立っていた。
何をしているのか分からない。
ただ、目の前の現実を認めることだけができなかった。
俺の茜を壊した男がいる。
俺は狂ったようにドアを開けた。
「ああ、あああ"あ"ああぁあ"あ"!!」
自分でも何を叫んでいるのか分からなかった。
男がこちらを振り返る。
「え・・・?な、なに・・・?」
その怯えた顔をみてももう何も感じなかった。
「茜を返せ・・・」
「通報します! 警察呼びますから離れてください!!ちょっと配信中止!!!」
部屋の中から聞こえるのは、もうボイスチェンジャーの可愛い声ではない。
怯えきった、ただの男の悲鳴だった。
もうどうでもよかった。
俺は血で汚れた手でスマホを取り出し、配信画面を開いた。
コメント欄は見たこともない速度で流れていた。
——『え、何この音?』
——『リアル凸? やばすぎwww』
——『あかねん男だったの!? マジ!?』
——『神回きたwwwww』
画面の中の「茜」の3Dモデルは、配信者を反映して、奇妙に首をかしげ口を開けたままフリーズしていた。
やがて、遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
俺はフラフラと玄関をあけ、ドアに背をもたれかけ、へたり込んだ。
発泡酒の安っぽい味が、口の中に蘇ってくる。
俺には茜がいた。
そう信じていた。
けれど、生き甲斐だった「茜」は、どこにも存在しなかった。
パトカーの赤色灯が、夜のマンションの階段を茜色に染め上げながら登ってきた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
至らない部分も多々あるかと思いますが、最後までお付き合いいただき本当に感謝しております。
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これからも少しずつ成長していけたらと思いますので、よろしくお願いいたします。




