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私のものをなんでも欲しがる妹が本当に欲しかったもの

作者: べべべ
掲載日:2026/06/24

貴族令嬢のマリーゴールドには、かわいくて仕方のない妹がいた。

妹シルヴィアはいつだって姉のものを欲しがる。ドレスも、小説も、お茶菓子も。


そしてある日、シルヴィアは姉の婚約者リチャードまで欲しがった。


「お姉さまの婚約者が欲しいの」


そう言われたマリーゴールドの取った行動は……。


「リチャードさまを物理的に半分こするのは難しいわね」


「僕を? ……やらない、よね?」


※シスコン姉妹のお話です。

※ざまあはありません。



「お姉さま、それ、ほしいな」

 

 妹の口癖。私が手に取ったものをなんでも欲しがる。

 そこだけ切り取ると、私の妹はとんでもない悪女だろう。私のお気に入りのドレス、お気に入りの小説、お気に入りのお茶菓子、なんだって彼女は欲しがるのだから。

 けれど私は、妹がかわいくて仕方がなかった。妹の望みはなんだって叶えてあげたかったから、ドレスはお揃いのものを用意させたし、小説だって同じものを取り寄せた。お茶菓子は料理長に最初から二人分焼いてもらった。

 これまで妹が欲しがってきたものは、私に用意可能なものだった。父や母が「いい加減甘やかすのはやめなさい」と苦言を呈したとしても、それを振り切れる程度のもの。だから、私が困ることはなかった。妹のわがままはいつだってかわいらしいものだった。


 

 いつものお茶会。妹と私の二人きりの時間、彼女が花開くように笑った。

 

「ねえ、お姉さま。わたし、欲しいものがあるの」


「フィナンシェのおかわり? 用意させるわ」


「ちが……フィナンシェは、食べるけど。あのね、お姉さま」


 妹は一呼吸置いて、これが真剣な話だと告げるような表情を浮かべる。


「お姉さまの婚約者、リチャードさま。わたし、彼のことが好きになってしまったの」


「……まあ」


 妹は私のものをなんだって欲しがった。だから、いつかそう言い出すのではないかと思っていた。

 ある程度は予想通り。それでも心が冷えるのを感じた。

 リチャードさま。十年ほど前から婚約している、私の婚約者だ。彼の実家の所領は私の家の領地と隣り合っていて、友好のために結ばれた婚約だった。我が家には私と妹しか子がないから、三男であるリチャードさまが婿入りしてくる予定になっている。


「なるほど……。リチャードさまを物理的に半分こするのは難しいわ」


「……お姉さま、あまり物騒な想像をさせないでほしいな」


「シルヴィア、このお願いの本気度はどれくらい?」

 

「わたしはいつだって本気よ、お姉さま」


 額に指を当てて考え込む。そう、予想していたことだとしても——。

 ——妹の興味が、私以外の人間に向くのはおもしろくない。

 シルヴィアに見せたことのない私の内側。かわいいかわいい妹が、私の一挙手一投足に視線を釘付けにし、一生懸命に真似てきて、……愛さないほど私は狭量ではない。

 性愛ではない、単なる姉妹愛の一種だ。きっと知らないのはシルヴィアだけ。私の婚約者も父母も、私が妹をかわいがっていることを理解している。だからこそ、姉の私には婚約者がいて、妹にはいないわけだ。妹はずっと私の手元にいてほしいから。


 


「……なるほど、それで不機嫌なんだね」


 定期的に設けられる、婚約者との面会の日。リチャードさまは彼の実家のガーデンテラスで紅茶を傾けながら、訳知り顔で頷いた。彼の亜麻色の髪が風に吹かれて揺れる。


「まあ、淡白ね。十年来の婚約者がすげ替わるかもしれないのに」


「僕はきみのお眼鏡にかなう人間じゃないでしょう、特に妹君のお相手には」


「正しい自己認識ができているようで良かったわ。シルヴィアでもいい、なんて言い出したら……」


「おお、怖い怖い。よくその本性を妹君に隠し通せるね」


 リチャードさまの軽口をわざと無視する。幼馴染とも言える間柄の彼には隠すものも少ない。


「……はあ。貴方が人間でなければ話は簡単だったのに」


「半分にして終わり、って? ……やらないよね?」


「ふふ、どうかしら」


 榛色の瞳を細めて睨んでくるリチャードさまの視線を受け流し、紅茶に手をつけた。


 婚約から十年。彼も私も、この貴族社会では十分に大人として扱われる年齢になった。そろそろ結婚してはどうか、という周りの空気も感じている。

 私としては、結婚に対して何の感慨もない。家を継ぐために必要な行動の一つである。

 ただシルヴィアが、私の婚約者を欲しがったこと。それだけが、この問題を複雑にしていた。


 

 リチャードさまとのお茶会から我が家に帰ると、父に呼び出された。父の執務室へ赴くと、父が難しい顔で椅子を勧めてくる。


「マリーゴールド。……彼と結婚する気はあるのか」


 世間話もそこそこに、父がそう切り出す。父の言いたいことは分かるが、敢えて父の口から聞くことにした。


「シルヴィアのことを甘やかすな、といつも言っているだろう。あいつを甘やかすから今回のようなふざけたわがままを言い出すんだ」


「かわいらしいではないですか」


「おまえにとってはな。我々から見れば……」


「お父さま。いくらお父さまでも、あの子への侮辱は許せません」


 私が毅然と言い放つと、父は頭を抱えてしまった。貴族当主としてあまり好ましくない姿だが、今は家族として会話しているということだろう。


「シルヴィアの結婚は、家を継いだあとのおまえが世話をする。……それで良いのだったな」


「はい。私の許しのない男に、シルヴィアは嫁がせません」


 本音を言えばそれも嫌なのだが、仕方がない。父は家門の利益を優先して——貴族としてはそれで正しいのだが——妹の幸せを度外視してしまう可能性がある。私ならそんなことはしない。

 それでも、父もなんだかんだで私に甘いのでこのわがままが通るわけだが。屋敷の廊下を自室へ戻りながら、シルヴィアが今頃どうしているか思いを馳せた。


 自室に戻り机に向かう。ふと昼間のリチャードさまとのやりとりが思い出された。


 昼間の一幕。

 ガーデンテーブルに肘をついて、お行儀悪くリチャードさまが笑う。


「マリーは妹君の関心がきみ以外に向いたことが気に入らないんだね」


「……貴方に言葉にされると、なんだか腹立たしいわ」


 そう言った私に、彼は声をあげて笑った。


「あはは、そういう顔、妹君にも見せてあげればいいのに」


「なぜ? 必要がないでしょう」


「どうかな。僕の見立てだと……おっと、これ以上は藪蛇か」


 リチャードさまは最後まで言い切らずに笑みを深めた。こういう態度の彼は、追求してものらりくらりとかわすだけだと知っているから、私も視線を逸らしたのだけれど……。

 

「思わせぶりな……」


 今になって気になってしまう。彼は何を言いかけたのだろう。


 思考の海に沈みかけた時、部屋の扉がノックされる。メイドかと思い入室を許可すると、現れたのは妹だった。


 シルヴィアはもうあとは眠るだけ、と言わんばかりにネグリジェ姿だった。無防備な姿もかわいらしいが、姉としてここは注意しなければならない。


「こら。淑女たるもの、そのような姿で歩き回らないの」


 シルヴィアは少しだけバツが悪そうな顔をした。


「……ごめんなさい、お姉さま」


 その言葉にピンとくる。これは、夜間の訪問、ましてやネグリジェ姿であることへの謝罪ではない。妹検定一級の実力者である私にはわかる。


 入り口から動かないシルヴィアをソファへと誘導する。私は対面のソファに座り直しても良かったのだが、シルヴィアが心細そうな目をしていたためさっと隣へ座った。


「怖い夢でもみたの?」


「……そのような、子どもではないわ。あのね、マリーお姉さま」


 シルヴィアが改まって私へと向き直る。


「わたし、……わたし、あのね……」


 それでも何か言いにくそうに視線を落としてしまう彼女の言葉を、じっと待った。

 しばらく待って、それでもシルヴィアは言い出す勇気が出なかったらしい。助け船を出してやる。


「なあに、シルヴィア。お姉さまに何でも言ってみなさい」


 私の言葉に背中を押されたのか、シルヴィアは膝の上でぎゅっと手を握りしめた。


「……ほんとうはリチャードさまのこと、好きではないの」


 ……ある程度予想はできていた。妹に分け与えられないものを欲しがられたら、私は困ってしまう。このかわいい妹はきっとその顔が見たかったのではないか、と思っていた。いつものわがままだって、私が一度困った顔をするとシルヴィアは満足げだったから。

 その予想は完全なる的外れではなかったが、続く言葉は私の予想をはるかに超えていた。


「ああ言えば、お姉さまはお怒りになって、それで……。わたしのこと、お家から追い出してくださるかしらって」


「…………は」


「お姉さま、ここだけの秘密にしてね。わたし……好きなひとがいるの」


 好きなひと。……好きなひと?

 妹が、急に知らない人のように見える。

 シルヴィアは頬を赤らめて、まるで——ではなくまさしく、の方が正しいのか?——恋する乙女のようだった。


「彼と、一緒になるには……貴族ではきっとだめなの。だから」


「年齢は? 年収は? 顔は? 身長は? 貴方のことを幸せにできる甲斐性はあるの? まさか既婚者ではないでしょうね?」


「お姉さま?」


 おっと、危ない。つい本気の質問攻めにするところだった。

 こほん、と咳払いをして先ほどの発言を無かったことにする。


「……なるほど。お相手はなんと?」


「わたしを迎えにくるためにきっとふさわしい男になるから、待っていて、と……」


 それでも待つだけなのが苦しくて、自分にもできることを探した結果が、あの発言らしい。

 シルヴィアらしい不器用さだ。この子は自分の欲しいものを、姉の私が持っているから、という理由でしか欲しがれない。私が持っていないものを欲しがったのは、……これが初めてかもしれなかった。


「……そう。よく相談してくれたわ、シルヴィア」


「お姉さま、わたしは……」


「リチャードさまを半分こにするのは難しそうだと、少しだけ困ってしまっていたところだったの」


「お姉さま?」


「いえ、そうではないわね。……シルヴィア、私は貴方のお姉さまとして、この家の次期当主として。貴方の結婚相手の選定を任されているの」


 初耳だったのか、シルヴィアが大きな瞳をさらに見開く。


「貴方の彼が、真に貴方にふさわしいのであれば。私も協力を惜しまないわ」


 シルヴィアの『彼』が平民であろうと、シルヴィアに苦労なんてさせない。あくまでも、シルヴィアにふさわしい男であるなら、の話だけれど。

 そんな内心をシルヴィアには隠して、優しく微笑みかける。

 

「お姉さま……!」


 シルヴィアが感極まったようにぎゅっと抱きついてくる。

 かわいい妹の背を撫でながら、私の脳内では高速である計画が立ち上がっていた。




 

「……なんで僕まで」


「使える駒が少なかったの」


「駒……」

 

 不満げなリチャードさまを率いて、私はある建物を訪れていた。

 実はリチャードさまは次の春から王国騎士団へと入団が決まっている。騎士と言っても裏方の、書類仕事の多い部隊だそうだが。

 シルヴィアからの聞き取りの結果、想い人——恋人、と言ってもいいかもしれないが——は騎士団に入団しているということだった。シルヴィアと結ばれるために、騎士という身分を手に入れようとしているらしい。

 さらに、その人物は貴族ではないため、騎士団直下の従士として日々身体づくりに励んでいるそう。従士から騎士へと転身するのはそう簡単な話ではないが……閑話休題。それなら来春入団予定のリチャードさまに同伴し、未来の夫の仕事場の見学をしたいのですという顔をすれば簡単に観察できる。


「未来の奥さんが若い少年を漁りに行くのに付き合わされる僕の身にもなってよ……」


「まあ、人聞きの悪い。経緯は説明したでしょう」


「客観的に見て、ってことだよ」


 リチャードさまはそこまで言って私の手をそっと取った。エスコートしてくれるつもりらしい。


 訓練場へと向かいながら、脳内で情報を反芻する。

 年齢、シルヴィアと同じ。身長、シルヴィアより少し高い。顔、シルヴィアを見つめる目が優しい……。

 いけない、シルヴィア視点の情報しかない。これではどれが該当の人物かわからないのでは。


「今日のお目当ての名前は?」


「…………」


「え、まさか知らないとかじゃないよね?」


「……昨日の今日で強行した作戦だもの。抜けくらいあるわ」


「わあ……」


 私を責めるようなリチャードさまの視線を感じながらも気にしないことにする。私の姉力(あねぢから)を持ってすれば、妹をたぶらかした男など一目で見抜ける……はずだ。


 訓練場へ到着すると、まず目に入ったのはご令嬢の群れだった。噂には聞いていたが、騎士団の訓練場が婚活のための出会いの場として活用されているというのは本当だったのか。


 騎士——すなわち、すでに貴族かそれに準ずる身分の男は今回関係がない。関係があるのは、それらの下で働く従士見習い。


 さっと視線を走らせる。あそこか。

 リチャードさまを連れてずんずん歩いていく。あくまで貴族令嬢として許される速度で、だ。


 従士見習いたちを一望できる位置につく。懐から取り出した扇子で口元を隠しつつ、リチャードさまに囁きかけた。


「……どうかしら」


「どうって言われても。妹君より背の低い男の方が珍しいでしょう」


 そう言いつつも、リチャードさまは真剣に一人一人の顔を観察している。なんだかんだ言って協力してくれるから、私は彼のことを高く評価しているのだ。


 そんなことを考えていると、ふと目を引く少年がいた。銀色の髪に褐色の肌の彼は、確か……。


 脳内に過ぎる過去の一幕。

 我が家の庭で、シルヴィアと銀髪褐色の少年が親しげに話している。私は二階の廊下の窓からそれを見下ろしていて。


 少年の全身に視線を巡らせる。身長、シルヴィアより高い。年齢、思い出した通りならシルヴィアと同じはず。顔、なかなか美形。


「なに、マリー。好みの男の子でもいた?」


「銀髪の彼。我が家の庭師見習いをしていた子だわ、名前はレイン」


「……庭師見習いが、その家のお嬢様に? なかなか勇気あるね」


「あら、シルヴィアの恋人が彼だ、とは言っていないけれど?」


「きみの目でわかるよ。もう審査してるでしょ」


 リチャードさまの軽口を聞き流しつつも、確かに私はレインを見定めるつもりだった。思い出した光景が確かなら、彼こそが妹をたぶらかした……いや、妹の心を射止めた男なのだろう。


「……なるほど、僕以外を熱心に見つめられるのは、確かにおもしろくないな」


 リチャードさまは何ごとかぶつぶつ呟いていたけれど聞こえないので無視する。私にはそれ以上に大切なことがあるのだから。


 見習いたちが集合し、木剣を手に素振りを始める。レインの太刀筋は迷いのないもので、普段から真面目に取り組んでいるのであろうことがうかがえた。

 ちらりと側のリチャードさまを見やるが、特に感想はないようだ。訓練が始まってから気がついたのだが、私には騎士や従士見習いの訓練を見て人となりを判断するような審美眼がない。リチャードさまの解説がないと厳しいかもしれない。


「……彼、どう? 真面目そうだわ、とは思うのだけれど」


「入団からどれくらいなんだろうね。それにもよるけど、まあ悪くないんじゃない」

 

 なんとも言えない評価である。私たちはとりあえず、訓練の休憩時間まで待つことにした。


 騎士団の訓練というものは、案外退屈なものだった。ご令嬢たちは毎日のように群れをなして見学に訪れるらしいが、何をそんなに見るものがあるのだろう、と思ってしまうほど。

 私の退屈を察したリチャードさまが苦笑する。


「つまらないでしょ。顔に書いてある」


「……わざわざ来たのだから、きちんと見ないと失礼だとは思うのよ?」


「僕も入団したら最初の方はこういうことばかりやるんだよ。どう、応援してくれる気持ちになった?」


「そうね……。尊敬の念が湧く気もするわ……」


「気もする、程度なんだ」


 そんな軽口を交わしていると、待ちに待った休憩時間が始まる。

 騎士の訓練を見ていたご令嬢たちがこぞって差し入れを持って近づくのを遠目に眺めていると、リチャードさまが従士見習いたちに近づいていく。そして戻ってきた。


「レイン……だっけ、彼を呼んでもらったよ」


 持つべきは仕事の早い婚約者殿だなと思いつつ頷く。貴族令嬢らしく扇子で口元を隠すのを忘れず。


 少し待って、汗を拭ったレインがやってきた。私を認めると慌てて一礼する。


「お、お嬢さま……!? あ、おれ、いや私のことなどご存知でないかもしれませんが、」


「我が家で庭師見習いをしていたレイン、でしょう。覚えているわ」


「きょ、恐縮です……!」


 頭を下げたまま、レインが身を縮こまらせる。これ幸いとじろじろ全身を眺めた。


「あの、何かご用件があって私をお呼びになったのでは……」


 顔を上げてとも言わずにずっと眺めていたから、レインが気まずそうにそう言い出した。ふむ、礼儀作法はこれからね。


「ええ、そうね。楽にしていいわ」


 そう声をかけるとレインは直立の姿勢になった。……うん、シルヴィアとの身長差……合格。


「貴方、なぜ庭師を辞めてここに?」


 私の質問は答えづらいものだろう。わかっていて聞いた。

 レインは眉を寄せ、どう答えたものかとしばし思案したのちにこう言った。


「……迎えに行きたい人がいるのです。あの方にふさわしくなるため」


「従士から騎士になるのは簡単ではないでしょう。覚悟はあるの?」


「どのような茨の道でも、そこに可能性があるのなら。あの方をお守りする資格を得られるのであれば、なんだってします」


 隣で黙っていたリチャードさまが、それを聞いて眉を上げた。


「なんでも、ねえ……。ねえきみ、ほんとうになんでもする?」


 この男はこういうところがある。言葉のあやとか、言葉尻を捉えて揚げ足取りに勤しむのだ。私は「またやってるわ……」という気分になったのだが、努めて顔には出さなかった。


 レイン少年は純朴でまっすぐな性質らしい。意地の悪そうなリチャードさまの言葉にも、まっすぐ目を見て返した。


「はい」


「……ふうん、なるほどね。わかった、もう戻っていいよ」


 ひらひらと手を振って、リチャードさまはレインを帰してしまう。……まだ聞きたいことがあったのに。


「リチャードさま。まだ彼に聞きたいことが」


「例えば?」


「例えば……、五年後の想定年収だとか、シルヴィアの好きなところとか、シルヴィアの好きな色、好きなお茶菓子、好きな姉……」


「最後おかしくない?」


 とにかく、レイン少年は覚悟だけはあるようだった。それ以外の何も持っていないかもしれないが、私はある種好感が持てた。シルヴィアへの想いと覚悟、それがいちばん大切なことだからだ。


 その日は訓練場の見学時間いっぱいまで見学した。私たちが見ていると知っても、レインは気を散らせることなく訓練に集中していた。私の中で彼の評価が一つ上がった。


 現地解散でも良かったのだが、リチャードさまは律儀に我が家の屋敷まで送ってくれた。リチャードさまはこういうマメなところがある。礼を言って馬車を降りた。

 去り際、彼が何か言いたげな顔をしていた気がしたけれど、きっと気のせいだろう。


 その後、時間は少し遅くなったが日課である妹とのお茶会を開いた。シルヴィアは彼女の好きなお茶菓子ではなく、私の方をみてそわそわと落ち着かない様子だ。


「ね、ね、お姉さま。リチャードさまとのデート、どうだったの?」


「デート?」


「男女が二人きりで出かけたのだから、デートよね、お姉さま」


 デート……だったのだろうか。エスコートはしてくれたし、家まで送ってもくれたけれど。ただマメなだけでは。


「あのね、シルヴィア。リチャードさまとは貴方が期待するようなことは何も」


 そこまで言いかけてやめる。この手の話題に関して、シルヴィアはしつこいのだ。

 そんなことよりも本題がある。私は声を潜めた。


「シルヴィア。貴方の彼、名前は……レイン、ね?」


「……! お姉さま、どうして……」


 当たっていたらしい。結局レインが彼の「あの方」の名前を口にすることはなかったし、万一間違っていたら今日の行動が無意味になってしまうところだった。


「我が家の元庭師見習い。……でしょう?」


「……そう、そうよ。ねえ、レインは元気だった? 騎士になるまで、連絡もしないと……そう、言って」


 シルヴィアは泣きそうな顔をしていた。私の中でレインの評価が一段階下がる。シルヴィアを不安にさせる男はふさわしくない。


 私の雰囲気が変わったのがわかったのか、シルヴィアはさらに不安げだった。レインに何かあったのかと思ったのだろう。


 私は一度詰めていた息を吐き、雰囲気を和らげる。


「レインは元気にやっていたわ。リチャードさまも筋がいいと」


 ……とまでは言っていなかったけれど、大枠でそういうことを言っていた。妹の安心のためなら、リチャードさまの発言を盛ることも辞さないのが姉なのだ。


「ほんとう!? あのね、レインのお父さまは昔傭兵だったんですって。だから、剣は教わったことがあるって」


「まあ。傭兵の剣術と騎士団の剣術では、きっと種類が違って大変でしょうね」


「そう、そうなの。わたしもそこが心配なの。レインがいじめられてないかって……」


「そこでいじめるような人間は騎士としても従士としても大成しないわ。気にするだけ無駄よ」


 なんて言いながら、ある考えが私を支配していた。

 シルヴィアはずっと、レインへの想いを秘めていた。それが堰を切ったように流れ出してきたのを目の当たりにして、さすがの私も認めざるを得ない、と。

 レイン。シルヴィアの想い人、もしくは恋人。彼がシルヴィアを幸せにできるかわからないなら、私が、『幸せにさせる』のみ。



 

 私が計画を巡らせているうちに季節が過ぎた。いつの間にか春になり、リチャードさまは騎士団に入団した。これからは気軽に呼びつけたりお茶会したりできない、と思っていたが彼は何かと都合をつけて会いにくるので、なんだか拍子抜けだった。

 そも、なぜ会う頻度を保つ、もしくは以前より会うようになっているかというと、ついに結婚の日取りを決めたからだった。式は一年以上先の予定だが、決めることは山ほどある。私に関してはシルヴィアの彼の件もあって、忙しくしていた。


 その日もリチャードさまを交えて、式で着るドレスの打ち合わせ中だった。『私のドレスと参列者であるシルヴィアのドレスをお揃いにするのは流石にやめなさい』とお針子とリチャードさまの二人がかりで止められる中、どうしたらここを突破できるか考えていると。


「……だって、シルヴィアがこのドレスも欲しがるかもしれないもの」


「欲しがられてから考えようよ、とりあえず」


「先回りして用意するのが、私という姉よ」


「矜持はわかったからさ」


 リチャードさまとのやりとり。お針子は「仲睦まじいご夫婦になられますね」とにこやかだった。

 ドレスの件がうやむやになって、お針子が部屋を出ていく。一息入れるためにメイドにお茶を淹れてもらった。

 カップを手に取ってなんとなくリチャードさまを見つめていると、彼が今思い出した、と言わんばかりに切り出した。


「あ、そういえば。彼、レインだけど。僕の従士にしたから」


「……はい?」


「なんでもする覚悟があるって言うからさ、それなら見せてもらおうかなって」


「入団したばかりの貴方が、そんな権限を?」


「鋭いね。……まあ、いろいろうまくやったんだよ」


 リチャードさまははぐらかすように微笑む。多少の胡散臭さを感じながらも、私は彼の言うことを信じた。


「きみの計画——まあ、おおよそ見当はついてるからさ。少しくらい役に立つでしょ?」


 私の計画。それはごくシンプルで、我が家の遠縁にレインを養子に入れ、それをもって騎士見習いへ推薦、あとはレイン本人の才覚にもよるがいつか騎士へと昇進、というものだ。レイン本人に知らせはしないかもしれないが、養子に入れた段階でシルヴィアとの婚約も整えるつもりだった。


 それが、リチャードさまがレインを従士にした、ということは。脳内で計画が改善されていく。

 次期当主の夫——まだ婚約段階だが、実質的に——が重用する平民の従士。養子に入れさせる家の家格を一つ上げてもいいかもしれない。

 知らず知らずのうちに私は笑っていたらしい。


「……リチャードさま、さすがね」


「まあね、伊達にきみと婚約してないよ」


 リチャードさまも笑って、そっと手に持っていたカップを置く。その笑い方がなんだか少年のようで、私は——。

 ……私は? 私は、なんだろう。頭に浮かんだ疑問に首を傾げる。


「……マリー?」


「ああ、いえ。なんでもないわ」


 考えてもわからない疑問には気がつかないふりをして、そっとカップを傾けた。


 

 意外と都合をつけて会いに来る、とは言っても会えない時期もある。騎士団が長期の演習で王都をあけても、リチャードさまはまめに手紙を出してくれた。

 そんなに手紙をもらっても、返事が追いつきませんけど……とはさすがに言えず、粛々と返事を返す日々。


 何度目かの手紙のやりとり。婚約したばかりの頃を思い出すようだった。

 新しくきた手紙の封を切ってみると、見慣れたリチャードさまの文字と、あまり見たことのない筆跡。


「……あら?」


 リチャードさまの文字を読んでみる。


「ああ……。そういうこと」


 メイドを呼んで、シルヴィアを連れてきてもらう。妹はなぜ呼ばれたのかわからない、という顔をしていた。


「お姉さま? お茶にはまだ早いわ」


「シルヴィア、これは貴方宛よ」


「わたしに? どなたから?」


「読めばわかるわ」


 シルヴィアが便箋を広げる。彼女の瞳がみるみる見開かれ、大きな瞳に涙が溜まっていったのがよくわかった。


「お姉さま……。これ……」


「お礼ならリチャードさまに、ね」


「リチャードさまが、レインを従士に取り立ててくださったの……? それで、こんな、お手紙まで」


「ああ、泣かないで、シルヴィア。かわいい顔が……台無し、ではないわね。泣いていてもかわいいけれど、お姉さまは笑顔のシルヴィアが好きよ」


 ふふっとシルヴィアが微笑む。


「なあにそれ、変なお姉さま」


 リチャードさまからの手紙にはこう書いてあった。

 一丁前に騎士になるまで連絡しないなどと抜かすレインを模擬戦で負かし、無理やり筆を取らせることに成功した。妹君の不安をこれで少しでも解消してあげてくれ、と。

 私の中で、リチャードさまの評価が一段階上がった。ここのところ上がるばかりなので、結婚する頃にはどうなってしまうのだろうか、と少し楽しみな自分がいる。


 視線を向けると、嬉しそうなシルヴィアがいる。この子の笑顔のためなら、私はなんだってする。欲しがるものはなんでも用意したいし、この子の邪魔になるなら道の小石だって粉砕したい。


「……精進、あるのみね」


 決意を新たに。

 私とリチャードさまの結婚の日が、近づいていた。




 


 季節は流れて、次の春。

 この一年はいろいろなことがあった。レインがまめにシルヴィアへと手紙を書くようになったり。王都へ帰還してからも手紙を書き続けるリチャードさまのお相手が面倒臭くなって一度だけ返事を遅らせたら、即座にリチャードさまが我が家へと訪ねてきたり。

 結局結婚式のドレスは、シルヴィアとお揃いにはできなかった。共通のモチーフを散りばめるという妥協案に屈してしまったのだ。


 結婚式。リチャードさまと私の結婚式が、もう明日にまで迫っている。

 そんな日でも、私は日課である妹とのお茶会に精を出していた。


「ねえお姉さま、明日が楽しみね」


「そう?」


「ええ、だってリチャードさまがお義兄さまになるんだもの。……実は、子どもの頃からお義兄さまみたいだなって思っていたの」


 シルヴィアの言葉に、私の中のリチャードさまの評価が久々に一段階下がった。シルヴィアの姉、もしくは兄の位置にいるのは私だけでいい。本人に非がなくとも、シルヴィアにそう思われているだけで罪である。


「ねえお姉さま、リチャードさまのどこが好き?」


「……あのねシルヴィア、私とリチャードさまはそういうのではないわ。家同士の結婚なんだもの」


「ええ? でも、リチャードさまがお姉さまを見る目って……」


 そこまで言って、シルヴィアははっと気がついたように息を呑む。


「……これが、わたしとレインを応援するお姉さまの気持ち……!? 後方腕組み妹面というもの……!?」


「シルヴィア?」


「はっ、いえ、なんでもないわ」


 こほんと咳払いをしたシルヴィアが、気を取り直しながらうれしそうに笑う。


「明日がほんとうに楽しみ。だって、お姉さまの花嫁姿も見られて……それに」


 シルヴィアの言わんとするところを察して、私は頷く。


「ええ、レインも来るわ」


 来なかったら、どうしてくれようかしら。わざわざ堂々とシルヴィアと会えるように取り計らっているのに。……という本音を隠し、シルヴィアを安心させるため、彼女の手を握る。


「もう少しよ。レインもがんばっているから、貴方も」


「お姉さま……。ありがとう、わたし、……お姉さまに相談して良かった」


「ああ、もう、泣かないの。私はね」


「……わたしの笑顔の方が好き、でしょ? 知っているわ」


 そうして見せてくれたシルヴィアの笑顔は、とても眩しかった。




 

 そして翌日。

 領地の屋敷でもお披露目はするが、まず結婚式としては王都の教会で行うことになっている。控え室で飾り立てられながら、ぼんやりと考えを巡らせる。


 ぼんやりしているうちに支度が終わったようだ。深く息を吸って集中する。次期当主として、この結婚式は大切なものだ。ぼんやりしている場合ではなかった。


「きみのドレス姿は僕が一番に見たかったな」


 ……聞こえるはずのない声がした気がする。恐る恐る声のした方向に顔を向けると、そこには笑顔のリチャードさまがいた。


「……なぜ。新郎が式の前に新婦に会ってもよろしいのかしら」


「さあ。止められてないし、いいんじゃない」


 気がつくと控え室には私とリチャードさましかいない。ふう、とため息をついて現実を受け入れる。


「ついに結婚だね。きれいだよ、マリー」


「ありがとうございます」


 ツンと澄まして返事をする。リチャードさまが噴き出した。


「っぷ、あはは。なあに、今さら緊張してるの?」


「……違います。シルヴィアのことを考えていて——」


 最後まで言い切る前に、リチャードさまに顎を持ち上げられた。自然と彼を見上げる形になる。


「今日くらいは僕のこと考えてよ、マリー」


 見つめ合う。気恥ずかしくなって視線を逸らした。


「これからいくらでも考える時間はあるでしょう。結婚するのですから」


「……はあ。まあゆっくりでもいいか、と言いたいところなんだけど」


 これだけ確認させて、とリチャードさま。


「……僕のこと、少しくらい愛してる?」


「……」


「ね、マリー」


「……答えないと、いけませんか」


 リチャードさまが微笑んだ。私の言うことなんて予想できていた、みたいに。


「聞きたいな、きみの口から」


「……気持ちがなければ、このような接触許しません。それに、貴方が……」


「僕が?」


「私の言うこと、すること、何もかも否定せず協力してくれたこと……感謝しています」


「……うーん、欲しかった言葉とは少し違うけど、まあいいや」


 ぱっと手を離して、リチャードさまが踵を返す。


「愛の誓いはすぐ聞けるしね。じゃああとで、マリー」


 控え室を出ていく背中を見送って、少しだけ呆然とした。

 ……私は彼を、リチャードさまをどう思っているの?

 いえ、これ以上考えるのはよしましょう。

 そうね、一旦数字でも数えましょう。

 いち、に、さん、よん……。


「お姉さま! 素敵です!」


 一心不乱に数字を数えていると、シルヴィアが控え室に入ってきていた。


「シルヴィア。もう式が始まる時間でしょう」


「少しだけ。どうしてもお姉さまに言いたいことがあって」


 いたずらの成功した子どものように笑って、シルヴィアが私に駆け寄ってくる。……お揃いのモチーフを散りばめる程度に甘んじたけれど、これはこれでアリね。


「あのねお姉さま、わたし、お姉さまのことが大好きよ」


「……ありがとう、私もよ、シルヴィア」


「お姉さまが思うより、もっともっと、すっごく大好き。お姉さまになってしまいたいくらい、好きだったの」


 お互い華美なドレスだから、抱きしめることはできない。シルヴィアが私の手をぎゅっと握る。


「レインに出会ってから、やっとわかったのだけど。……きっとわたしは、お姉さまにわたしだけを見てほしかった。リチャードさまに盗られたくなくて」


「……シルヴィア」


「お姉さま、ご結婚おめでとう」




 

 式はつつがなく進行した。神の前で愛を誓い、誓いの口付けを交わす。

 参列席にはレインの姿もあった。シルヴィアは控え室で会った時よりもうれしそうで、私は笑みを深める。

 参列者たちに祝福されながら、私とリチャードさまは夫婦になった。


 とは言っても、生活が大きく変わるわけではない。私が家を継ぐのはまだ先で、私たちは次期当主夫妻のままだ。私は王都の屋敷に変わらず住み続け、リチャードさまはまだしばらく騎士団の寮住まい。


 やることはまだまだたくさんある。シルヴィアの幸せを見届けなければ。

 そしてその時、私の隣にはリチャードさまがいるのだろう。そんな未来を描いた。

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