秋花火を君と・・・。
「それでさ。落ち着いたの?」
優しい声だった。体を、心配し、メールだけでなく、何度も、電話を、くれる。
「うん。大丈夫。いつも、ありがとう。」
彼は、優しい。限りなく。不安な時、いつも、癒してくれるのは、拓斗だった。美央の、体を心配し、いつからか、定期的。いや・・・。一日に、何度も、連絡を、くれるようになっていた。あの時、拓斗の、告白を、受け入れ、付き合っていたら、幸せになれただろうか・・・。いや、自分が、愛さなければ、意味は、ない。自分が、拓斗を、愛していたら。・・・と、いう事になる。彼と、一緒にいたら、幸せで、平凡な、生活が、出来たかもしれない。
「何か、あったら、いつでも、連絡しれくれよ」
拓斗は、そう言うと、電話を切った。
「そうね・・・。」
何も、無い方がいい。余りにも、いろいろありすぎた・・・。嶺と、静かに暮らし、お腹の子を、育てたい。普通に、優しく、微笑んでくれる嶺が、傍にいれくれれば、何も、いらない。再び、携帯が、なった。
「はい?」
嶺から、だった。
「美央?話したい事が、あるんだ」
「話?帰ってきてからでも、いいのよ。今日は、遅いの?」
「いや・・。帰ってからでは、遅いんだ。」
嫌な予感がした。
「やっぱり。俺達。きちんと話する事が、必要だと思う」
「俺達?」
それは、自分と、嶺だけでは、ない気がした。
「莉音を、みつけた」
「!」
美央は、めまいを、覚えた。携帯を持つ手が、震えた。
「一緒なの?」
「一緒にいる」
「そう・・・。」
美央は、携帯を、みつめた。沈黙だけが、続いた。
「美央。俺。自分の、気持ちに、正直になりたい。子供を、産んで、欲しいと思っている。だけど・・」
「だめ。そこから先は、言わないで!」
聞かなくても、わかっている。最初、自分は、子供を、産むときだけ、籍があれば、いいと思っていた。でも、それは、一緒に暮らすうちに、代わっていった。
「このまま、ずーっと、この幸せが、続きますように」
そう、毎日、思わずには、いられなかった。それなのに、今頃、突然、何を言うのか?
「美央。君と、何を話したら、いいかわからない日を、続けるのは、辛い。美央は、言ったよね?心が、ないのに、傍に居られても、辛いだけだって。美央。君を、愛し、幸せにできる男は、俺じゃないんだ。」
「違う」
美央は、叫んだ。嶺の隣。電話の、向こうでも、言い争う声が、聞こえた。
「そこに、いるんでしょう?莉音さんを、だして!」
「だめだよ。美央。莉音は、自分は、また、どこかへ、行くつもりなんだ」
「嶺」
あたしと、莉音さんと、どちらが大切なの?と、言いたかったが、答えは、判っていたので、言えなかった。嶺が、愛しているのは、莉音なのだ。自分を、愛してくれた嶺は、過去の、嶺なのだ。今、ここで、話している男は、自分が、恋焦がれた男では、ない。
「ひどいよ・・。どうして、こんな事を・・・。」
激しく、嗚咽がこみ上げてきた。
「あたしは、無理に、嶺と結婚した訳じゃない!どうして、今頃、何を言い出すの?」
「お互い、考えすぎたんだ。」
「もう、戻れないのに。」
携帯を、放り投げ、その場に、座り込んだ。どうして、こんな酷い目に、自分を、あわせるのだ。嶺に、対する怒り、悲しみが、こみ上げてくる。
「嶺のばか!わかってない。」
美央は、裸足のまま、家を、飛び出していた。
「どうして・・・。嶺。それは、ひどすぎる」
莉音までもが、涙目になって、携帯で、話終える嶺に、詰め寄った。人は、どうして、本当の、愛を追求しようとすると、周りを傷つける事になるんだろうか。嶺の、自分への、気持ちは、物凄く、嬉しい。だけど、今の、美央の体の事や、嶺から受けた言葉を、考えると、自分の事のように、辛かった。恋しくても、手に入らない辛さは、自分も、よく知っている。好きだからこそ、最後の心の力を、振り絞って、別れたのだ。美央を、傷つける気持ちなんて、毛頭もない。
「美央さんは、あたしの事を、考えてくれてたの。居なくなったのは、あたしの意思で、彼女は、関係ないの。」
美央が、可哀想すぎる。こんな結果を、のぞんではいない。
「もう、静かに、暮らしたかったの。嶺。あたしは、もう、いいの」
何度も、莉音は、言った。そして、車を、停めてほしい。自分を、帰してほしいと、嶺に告げたが、嶺は、莉音に、切ない顔をするだけで、車を、停めてくれる事は、なかった。
「莉音。俺が悪いんだ。君への最初の、思いを貫けばよかった。迷いがあったんだ。迷っている間に、傷が、どんどん深くなる。莉音。運命って、あると思う。俺は、莉音と添いたいと、思っている。その気持ちを、貫くのも、今まで、傷つけた人に、報いるためだよ」
嶺は、タクシーの、後部席で、しっかり莉音に、向き合った。
「莉音。もう、二人だけの問題じゃないんだ。一緒に、生きて行きたい。しっかりと、三人で、話しあまなきゃ、ダメだ。」
嶺は、莉音を、抱きしめた。
「もう、だめなんだ。また、居なくなるんじゃないかと思って・・・。不安で。不安で。この気持ちのまま、生きて行く事は、出来ない。」
莉音の手が、嶺の腕に、触れた。
「約束どうり、秋花火の頃には、一緒にいよう。もう、少しだよ・・。莉音。俺は、一緒にいるだけで、いいんだ・・・。」
莉音は、答える代わりに、嶺の、肩に、そっと、頭を、のせた。
「だから・・・。莉音。美央を、幸せにする為にも、このままじゃ、ダメなんだ。判ってくれるね?」
「嶺。私・・・。美央さんは、大切にしたい。」
「俺も、同じだよ」
車は、橋を、渡り切ろうとしていた。水面に、街の、イルミネーションが、綺麗に、入り乱れて反射していた。
いつの間にか、美央は、拓斗の、マンションの前にいた。もう、夜遅く、近くの公園で、遊ぶ子供達の声もない。12階建ての、マンションは、闇夜に、つめたく、白く反射して見えた。
「体、冷えてるよ・・・。」
拓斗は、エントランスから、出てくると、奥さんの物らしき、カーディガンを、美央に、はおらせた。突然訪れ、インターホン越しに、聞いた拓斗の声は、どんなに、驚くかと、思ったが、意外に、冷静で、むしろ、美央が、訪れた事を、喜んでいるようにも、みえた。
「ごめんなさい。突然。奥様に、迷惑よね?」
「うちのやつ。今、実家なんだ。」
拓斗は、笑いかけた。
「何が、あったかは、聞かないけど・・・。あまり、いい話じゃ、なさそうだな」
拓斗は、美央が、裸足で、薄着しているのを、みながら言った。
「とにかく、妊婦さんには、早く、中に、入ってもらおうかな」
美央の、背中を、そっと、押しながら、言った。
「結局、嶺じゃ。だめなんだよ。美央」
美央は、俯いた。
「どんなに、好き合った時が、あったとしても、その時期が、過ぎてしまうと、もう、戻れないんだ。この、運命だけは、変えられない。嶺は、だめだよ」
声を、押し殺して、泣いているのが、判った。
「俺もさ・・・。嶺を、何度も、説得したの。だけど。こういう事なんだ。」
エレベーターの、スイッチを押し、美央の、肩を、抱いた。
「俺も、昔。見ていた事が、あったんだけどね」
深いため息が、拓斗から漏れた。
「俺なら、幸せに、する自身があったんだけど・・。」
小さく拓斗は、呟いた。美央に、聞かれないように。
「いない。」
嶺が、マンションに着いて、ドアを開けるなり、呟いた。玄関で、美央の、履物を、調べると、履いていったらしき靴の、見当は、つかず、どうやら、裸足で、飛び出していったらしい。
「これ・・・」
部屋の、奥から、美央の物らしき携帯を、莉音が、見つけてきた。
「美央さんの携帯よね。」
「そう。」
嶺は、手にとった。クリスタルのベアのついた紅い携帯が、開かれたまま、投げ捨てられてあった。
「だから、言ったのに。」
莉音は、深くため息をついた。
「美央さん。赤ちゃんが、いるのに。」
莉音は、もう、泣きそうになっていた。
「こんなの嫌。もう、辛い思いするのも、させるのも、嫌なの」
何よりも、辛いのは、二人の生活の、痕跡を、ここで、目にするのが、辛かった。色の無かった部屋は、明るい色で、統一されていた。グレーだった、タペストリーは、クリーム色のカーテンになり、グリーンのリボンで、縁取りされていた。観葉植物が、幾つも並び、よく手入れされていた。そして、オープンキッチンには、食器が、二つずつ並び、洗面所には、ハブラシが、2本ならんであった。そして、何より、ショックだったのは、ベッドに、枕が、二つ並んでいた事だった。見ないふりを、していたが、ここには、美央と嶺の、生活の、匂いがあった。
「何より、美央さんの体が、心配だわ。」
それでも、莉音は、美央の体を気遣った。
「嶺。美央さんの行き先に、心あたりは、ないの?」
嶺は、黙って、キッチンに立ち、コーヒーを、入れ始めていた。そんな嶺の態度に、イラっとしながら、莉音は、詰め寄った。
「嶺?」
最初は、なかなか、答えようとしなかったが、莉音が、コーヒーを淹れる手を抑えると、複雑な顔をしながら、答えた。
「あるよ・・。」
カップに注いだコーヒーを、莉音に差し出した。
「それは、言っていい事かどうか、俺は、判らないんだけど」
コーヒーを、一口、すすった。
「どういう事なの?」
渡されたカップを、両手で、包みながら、莉音は聞いた。
「美央の、俺に対する思いは、今、進行している思いなんかじゃないんだ。きっと。あいつが、好きなのは、昔の、俺だと思う・・・。」
深くため息を、つき、遠く、思いを馳せた顔をした。
「ただ・・。俺に、対する執着だと思う。あいつは、そんなに、俺を、思っちゃない。」
莉音を、真っ直ぐに、みつめた。感情のない瞳だった。
「莉音の存在を知って、変わったんだ。それに・・・。」
嶺は、言うかどうか、迷っているようだ。
「なあに?嶺。」
莉音は、嶺の口元を、見つめた。
「うん・・・。まだ、はっきりは、言えない。あくまでも、推測だから。」
嶺は、カップを、置いた。
「莉音聞いてほしい。」
莉音の両肩に手を置いた。
「俺は、君を、裏切ってはいない。」
いつの間に、こんなに、莉音は、痩せてしまったんだろう・・・。嶺は、莉音の肩に触れて、そう、思った。こんなに、自分が、知らない間に、痩せてしまった。莉音を、苦しめている自分の、非力さをのろった。
「美央さ・・。きっと、考えたんだ。」
何を言い出すのかと、莉音は、聞いていた。嶺の発する言葉は、莉音の驚く内容だった。
「妊娠すれば、俺を繋ぎとめると、思ったんだろうか・・・。」
「それって?」
莉音は、聞き返した。
「とにかく、妊娠すればいいって、考えたって、事?」
嶺は、目を伏せた。
「馬鹿だよな・・。どうしても、子供が、欲しいからって。」
「嶺の子じゃないの?」
莉音は、体を硬くした。
「たぶん。」
自分は、嶺と美央の子供の将来を考えていた。子供にとって、実の両親と暮らした方が幸せだと、何回も言い聞かせていた。
「それは・・・。嶺」
「そこまで、させた。」
嶺の、何よりも、暗く沈んだ哀しい声だった。
「そこまでして?」
何とも言えない悲しみが、込み上げてくるのを、莉音は、感じた。
「そうなんだ。そこまでして・・・。あいつは。」
「嶺の子供じゃないの?じゃあ、今、美央さんがいるのは。」
「・・・そこ。かもしれない。」
探そうとも、せず、落ち着いているのは、美央の行く先を、知っているせいだった。
「まさか。そんな事・・・。お願い。それは、あくまでも、推測でしょ?」
莉音には、そう思えなかった。美央は、嶺を思っている事に間違いはなかった。
「他の人との子供なんて、考えられない。とにかく、探しましょう。」
莉音が、玄関に、向かおうとすると、嶺が、莉音の、腕を、後ろから、つかんだ。
「いいんだよ。」
嶺の携帯が、着信を、知らせていた。
「ほら・・・。来た。」
莉音を、見つめながら、嶺は、携帯を、耳にあてていた。
「はい?」
莉音には、みせた事のない。冷たい嶺の、横顔だった。
窓の外には、限りなく夜景が広がっていた。色とりどりの夜景。暖かく見える筈の夜景も、今の美央には、どうでも、よかった。
「三人で、話したいって。嶺が、言うの・・・。」
立って、いられなくなり、美央は、ソファーに、尻餅をつくように、座り込んだ。
「二人を、みるのが、辛いの。」
辛そうに、拓斗を見た。
「嶺や莉音さん。一人だけで、話をする事は、できるけど。二人並んで、話をするのは、嫌なの。あの、二人の間に、私は、入れないと思う。」
拓斗は、美央の隣に、当たり前のように、腰かけ、熱いお茶を、渡した。
「少し、落ち着いたら?」
「怖い。」
美央は、両手で、顔を覆った。
「やっと、落ち着いて、生活が、できる様に、なったのに・・。」
一旦、諦めていた。嶺との生活を、手にいれた今、今更、手放せなくなっていた。
「ここまで、きたら、別れるしかないって、判ってる。」
もう、この生活と別れる事は、出来なくなっていた。莉音の前で、一人でも、子供を育てると言った美央では、なくなっていた。
「でも、この秘密だけは、嶺に知られたくない」
「バカな事をするから・・・。」
拓斗は、美央の髪を撫でた。
「だから・・・。俺と一緒になれば、よかったのに・・・。美央。俺は、君が嶺を、好きだから、諦めたのに・・・。こんな辛い思いするんだったら・・・。」
美央は、顔をゆっくりと、あげた。
「ごめんなさい。拓斗。」
「今、君は、幸せじゃないんだ・・。」
「拓斗。」
拓斗が、たまらず、唇を重ねようとしたが、美央は、ゆっくり、顔を、はずした。
「ごめん。拓斗。」
美央は、ちいさく謝った。
「嶺を忘れられない。」
「いいよ・・・。俺には、十分な絆が、あるから。」
拓斗が、美央のお腹に、触ろうとするのを、美央は、片手で、押し戻した。
「拓斗。駄目。」
「美央。」
「二人の秘密にして」
拓斗は、ため息をついた。
「わかってるよ。とにかく、ここに、ずーと、居る訳にも、いかないだろう?俺も、話しに、加わるから。みんなで、話しようか?」
「いてくれるの?」
美央が、安堵を浮かべた。
「嶺。あいつが、許すなら。」
「そうね。」
美央は、決心していた。
「それに、いつかは、話さなきゃ。だよな?」
「話すって?」
「本当の事。」
「嫌よ。」
「いつか、ばれる。」
「美央。君が嶺を、いつまでも、思うように・・。俺だって。」
「拓斗!」
美央には、拓斗の思いが、わかっていた。拓斗の気持ちを利用し、嶺の心を繫ぎとめようとしていた。
「待ってるよ。美央。いつまでも。」
きっと、美央は、拓斗と、一緒になったほうが、幸せになれるのだ。どうして、思われる事より、思う方を選んでしまうんだろうか。美央の幸せは、本当は、目の前にあるというのに。
「何も、心配しないでいい。俺が、いるから。」
拓斗の美央への愛情は、誰よりも、深かった。そして、彼は、携帯を、棚から、とりだすと、美央に、軽く、うなずき、かけはじめた。
「嶺?俺だけど。話があるんだ」
窓の外には、とおい街並みが、広がっていた。
莉音は、ありあわせのもので、食事を作っていた。本当は、持ち帰る筈だった、フールーツの、シロップ煮とかで、サンドイッチを、作った。
「何か、食べないと・・。」
差し出したものを、美央は、首をふった。
「あまり・・。食べたくないの」
「でも・・。食べないと。」
莉音は、美央の身を案じていた。
「母親が、食欲なくてもお腹の子供は、必要な養分は、とっていくんだよ。」
拓斗が、言った。
「じゃあ・・。ハーブティにするわ。」
莉音は、買い物袋を、ひっくり返した。
「いろいろ、出てくるな・・。」
嶺は、笑った。
「何か、アニメの、ポッケトみたいだな。」
「なるべくね・・。」
莉音は、言った。
「自然なものを、食べようと、思ってたの。あまり・・。調子よくなかったし・・。」
最後は、ちいさな声になっていた。
「来夏の子供達にも・・。体にいいものを、食べさせたいと思っていて。」
ローズーティーに、ハチミツを、入れた。
「勝手に、キッチンを、いじって、ごめんなさい。」
拓斗に、謝った。今・・。嶺と莉音は、拓斗のマンションにいた。あの後、嶺の携帯に拓斗から、連絡があって、美央を、迎えにきたのである。正確に言うと、話をしにきたのである。
「話さなくちゃ・・。いけない事がたくさんある。」
嶺が、口火をきった。
「そうだな・・。」
拓斗は、じっと、嶺を見据えていた。
「これから・・。どうするかだ。」
そう、拓斗は、言った。
「嶺。俺は言ったよな。止めた筈だよな。」
「拓斗。本当の事を、話そうよ。」
「本当の事?」
「誰がどうしたいかだよ。拓・・。お前には、俺に言えない秘密がないか?」
美央が、顔を上げた。
「その答えは、美央。判っているよね?」
嶺が、優しく語りかけた。
「美央。もしかして・・。なんだけど。」
付け加える。本当の事を、匂わせながら。
「その子は・・・?」
「やめて!」
たまらず、莉音が、叫んだ。
「美央さんの気持ちを考えて。今、話さなくちゃ、いけないのは、そんな事でないでしょ?」
美央は、目を伏せていた。心配そうな表情を、向ける拓斗。その様子が、全てを、語っていた。
「美央さん。嶺と一緒にいたいんでしょう?いて、いいの。あたしは、もう、十分なの。」
莉音は、美央に語りかけた。
「きっと、あたしは、あなたには、勝てない。そこまで、嶺を、思うなんて。」
買い物してきた食材を、テーブルに並べると、持ってきた袋を、小さく畳み始めた。
「嶺。やっぱり、嶺は、今まで、どおり、美央さんと、暮らすのよ・・。」
脳裏には、嶺と美緒の生活の場が、浮かんでいた。
「何もかも、元に戻す。それで、いいと思う。」
バッグを手にとった。
「拓斗さん?本当に、美央さんの事が、好きなら、きちんとすべきだわ。まだ、間に合う。それから、話をして。どうすれば、いいか。」
莉音は、もう、帰るつもりだった。
「嶺。あたし、帰る。」
「ダメだよ。莉音。俺は・・。」
「嶺。もう、答えは、出てる。とにかく、美央さんと、家に帰って、話をするの。一番は、生まれてくる子供の事を、考えてあげて・・。」
莉音は、3人の顔を見た。
「どうすれば、一番、いい環境を与えてあげられるか・・。それを、考えましょう。」
もう、自分は、帰るつもりだった。バッグの中の、お財布には、帰りのタクシー代が、入っているのだろうか?それが、気になった。
「莉音。待って。」
嶺が、引き止めた。
「もう、終ろうよ。嶺。」
寂しい微笑を浮かべた。
「十分だったよ。ここまで、来れたのも。嶺の気持ちは、判ったし。すごく、嬉しかった。でもね・・。」
美央との、生活を、見てしまった。胸の奥が、チクリと痛んだ。自分の知らない美央との生活。
「もう、現実見ないと。」
嶺との事は、しばらく、ひきずる事になるだろう。どんな事があっても、一緒にいたいと思ったが、現実が、それを、許してくれそうに、なかった。
「連絡をとらないなんて、事はしないから。気が向いたら、メールの返信くらいは、するから。」
玄関で、靴を、履きながら言った。
「ここで、さよならさせて。」
「莉音。行くな!」
嶺は、追った。
「別れの話をするのに、連れ戻しに行ったんじゃない!」
追う嶺の姿を、美央は、見ていた。
「時間を、取り戻したかった。事故にあった時、後悔したんだ。やっぱり、離れるなんて、できないって。」
莉音の手をとった。
「ずーと、後悔してきた。あの日から・・。君が、いなくなって、思わなかった日は、ない」
たぶん。嶺には、今、莉音の姿しか、見えてなかった。
「美央。許して欲しい。」
嶺は、振り返り、美央に謝ろうとした。その時、美央と拓斗が、驚きの表情を浮かべたのを、嶺は、見た。掴んだ嶺の手が、莉音に、引っ張られた感じが、した。
「莉音?」
莉音は、判っていたんだと思う。自分が、ここで、嶺を、引き止める理由がないという事を。自分の体に、何が起きようとしているのかを・・。
「莉音!」
片手だけでは、支えられなかった。莉音は、膝から、後ろへと、崩れ落ちていったのである。
「どうして?」
呆然と、嶺は、倒れる莉音を、抱えているだけであった。
「今まで、何度も、こんな症状が、あった筈です。」
硬い表情で、嶺は、告げられた。急遽、よびだされた莉音の、妹も、説明に付き添って、いたが、あまりにも、子供達がぐずるので、廊下で待つ事になった。以前の事故の事。妹宅に、身をよせてる時も、あまり病院に、行こうとしなかった事や、時々、具合の悪い事が、あった事を、妹から、聞かされ、ようやく、嶺は、事の、重大さに、気づいた。もう、莉音の、時間が、そこに、せまっていた。
「もう、心臓が、持たないかもしれない。」
医師の、説明を聞き終え、面談室から、出てきた嶺は、悲痛な、面持ちで、妹の来夏の、隣に、体を、投げるように、腰かけた。
「移植できれば、希望は、持てるが、秋まで、ドナーが、みつからなければ・・・。」
こんな事、ある筈が無い。ようやく、莉音と、一緒に生きていこうとしていたのに。これから、二人で、生活していけるとばかり、信じていたのに。今、自分達に、おきている、事実を、受け入れる事が、できないで、いた。莉音の、心臓は、もう限界が来ていた。
「また、莉音が、いなくなるなんて・・・。信じられない。」
「嶺さん。姉は、あの事故で、助かったのだって、奇跡なんです。今、こうして、いきていられたのだって・・・。」
「希望が、持てたんだ・・。もっと、生きていなきゃ。」
生きなきゃ・・・。後は、言葉にならなかった。湧き上がる言葉は、反省と、悔しさ。恨めしさ。いろんな感情が、湧き上るが、嶺は、言葉にする事もできず、黙って、唇を、噛み締めていた。来夏と、肩を並べて、すわる暗い廊下に、子供達の、寝息だけが、聞こえていた。
嶺が、莉音と面会を、許されたのは、それから、1週間ほどしてからで、あった。その間の嶺は、莉音の病室を、窓の外から、見上げるだけの日々が、続いた。美央は、莉音が倒れた日から、実家に戻り、嶺とは、近況報告の電話をするだけで、お互いに、今後について、話す事は、なかった。そのうち、美央から、電話があった。
「嶺。聞いたわ。莉音さんの事。」
「直接、会って、話そうと思っていたんだ。やっぱり、結論を出さなければ、いけないと思ってる。」
「あんな事があると、そうよね。」
「お願いだから・・。美央。俺、みっともないかもしれない・・・。」
「何度も、繰り返すのよね。その話・・。」
「時間がないんだ。」
「嶺。・・・・」
美央は、黙った。
「もう、後悔ばかりだ。もっと、早く、言えばよかった。莉音といる時が、一番、安心するんだ。」
美央は、笑った。
「何を言っても、ダメみたいね?」
「ごめん。美央には、こう、応えられない。」
「あたしは、昔のあなたが好きだったみたい。今は、もう、違う人なのね。」
独り言のように、呟いた。
「あなたと、もっと、暮らしたかったな・・・。」
「それは・・・。」
「いいの。」
美央は、深いため息をついた。そして、
「嶺。もう、自由にしてあげる。」
自分にも、プライドがある。
「離婚届は、サインして、送るわ。」
嶺が、言い出すかわりに、自分から、言い出した。
「あたしにも、プライドがあるの。親には、適当に言っておく。この子は、あたしが、育てるから・・・。」
嶺が、返事をしようと、する間もなく、携帯は、切れていた。
「美央・・。」
美央が、好きだった。いつも、一生懸命で。長い年月は、愛情の形を変えてしまっていた。間もなく、一通の、封筒が、届いた頃、面会の許可がおり、莉音と、久しぶりの逢瀬という事になった。
「待ってた」
病室の戸を開けると、そう、あの日と、同じように、莉音は、窓際の、ベッドに、上半身をおこし、こちらを、みつめながら、笑みを、浮かべていた。
「足音で、すぐ、嶺だとわかったの」
あの夜の事なんて、忘れたかのように、莉音は、話かけた。
「嶺に、言わなきゃならない事、たくさんあって・・。」
莉音自身隠していた、病気の事。もう、医師から聴いて、知っていると嶺は、笑って見せた。
「ばれちゃった?」
「うん。全部。」
嶺は、莉音の、隣に、腰かけた。
「もう、嘘は、ない?」
嶺は、莉音に聞いた。
「あるかもしれない。」
じっと、嶺の瞳をみつめていた。
「何?」
嶺は、莉音に尋ねた。
「ずーっと、一緒に居るって、嘘」
莉音は、答えた。目が、潤んでいた。
「一緒に、いようよ。」
「いたいけど。・・でも。」
莉音の答えを遮るように、嶺は、莉音の、手を、とると、ポケットから、小さい箱を取り出した。
「まださ・・・。高いのとか、買えないんだけど・・・。」
照れながら、莉音の、薬指に、はめた。小さいダイヤの入った指輪だった。
「俺。決めたんだ。ずーっと、一緒にいるのは、莉音しかいないって。」
「だけど。あたしは・・・。」
生きられないよ・・・。そう言いたかった。
「いいんだ。やっと、なんだ。やっと、一緒になれるんだ。ほんの、すこしでも、時間を、共有したい」
嶺は、莉音を、そっと、抱きしめた。壊れ物を、抱くように・・・。いつの間にか、細くなった莉音の体だった。こんなに、彼女は、細かっただろうか・・・?
「結婚できるよ。莉音。俺達、堂々と、街を歩けるんだ。二人。祝福してもらえるんだ。」
誰からも、認めてもらえる。もう、隣の街まで、行ってデートする事も、隠れて、車に、乗る事もない。
「そうなのね。」
穏やかな笑顔だった。
「やっとだよ・・・。莉音。」
莉音の、薬指に、小さな指輪が、気高い光を放っていた。
季節が、変ろうとしていた。莉音の体調は、嶺と入籍できた嬉しさもあって、すこぶるよかった。何度か、病室を、内緒で、抜け出し、看護士に、叱られる程、元気になっていたが、やはり、時々不調を、訴える事もあった。最大の心配事でもあったが、幸せだった。周りに、祝福される事。何より幸せなのは、どこでも、嶺と、一緒に居れる事だった。
「ねぇ!」
莉音は、イタズラしたい気持ちでいっぱいだった。
「また、ぬけだしちゃいましょう?」
「また?」
「そう。今晩。」
「どこに?」
「お向かいの、教会で、今晩。お式があるの。」
莉音は、嶺を、みつめた。キラキラした綺麗な目だった。
「それでね」
莉音は、照れてた。
「見にいかない?」
病院の、反対側にある教会で、今晩結婚式があるという。莉音は、それを、見たいというのだ。
「あぁ・・・。」
嶺は、思った。入籍を、済ませたものの。まだ、式らしい。式は、済ませていなかった。心移植が、落ち着いてからか・・・。体調が、落ち着いてからとは、考えていたのだ。
・・・本当は、ドレスが、着たいのか・・・
「最近。体調いいみたいだし。」
莉音は、言った。元気な特別な笑顔だ。
「花嫁さん。見たーい。見たいでーす!」
莉音は、ふざけて、両手を挙げた。
「はいはい。」
嶺は、苦笑いした。ベッドの上で、莉音は、ピョンピョン跳ねそうになり、嶺は、あわてて、制した。
「まったく。連れて行くから・・。」
「あのね。たくさん。したい事があるの。ドレスも着たいし。」
早口で、まくしたてる。
「それと、そう・・・。8月の、花火も、行きたいの。それが、無理なら、嶺の言ってた秋花火!秋花火を、見てみたい!」
まだ、とまらない。
「それと・・・。えっと・・。子供も、たくさん。ほしい!」
「えーっ」
話は、急にとんだ。
「照れないの」
考えれば、考える程、嶺と一緒に、経験したい事が、たくさんあった。
「はいはい。お姫様」
両手で、莉音を、抱きしめながら、嶺は、ある考えが、閃いていた。
「それで、これなの?」
莉音は、うれしそうな声をあげた。しばらく、買い物に行って、戻ってきた嶺は、莉音に、お土産と言いながら、紙袋を手渡した。おそるおそる開けてみると、そこには、シンプルな白いワンピースが、入っていた。
「サイズも好みも、良くわからないから。妹さんに、聞いたんだ。シンプルなワンピースなら、いいかと思って。それで」
嶺は、思いっきり照れていた。こんな顔は、始めて、莉音に見せた。
「一応、これも、用意したんだ」
そーっと、出したのは、ベールと白いバラのブーケだった。
「結構、恥ずかしかったんだよ」
照れながら、莉音に、渡した。
「これを、探してくれたの?」
「うん。」
「ありがとう・・。」
莉音は、そっと、ブーケに顔を埋めた。
「今夜。行こうよ。遠くから、みながら、二人だけで、こっそり、式を挙げよう」
「うん」
莉音は、頷いた。じんわりと、目が、潤んでいた。そして、嶺は、莉音の、額にかるくキスをした。夜までの時間が、楽しみになった一瞬だった。
夕方から、ショボショボと、冷たい雨が、降り出した。窓を、濡らし始め、事もあろうか、莉音の体調が、崩れ始めた。昼間、ハシャギすぎたのか、ベッドに伏せて、起き上がれないくらい体調が、悪くなっていた。
「無理しすぎたかな・・・。」
息が、苦しい。胸も・・・。苦しい息の中、莉音は、反省の言葉を、口にし、恨めしそうに、空を見上げていた。
「今日の、お式の人達は、大変ね。」
見知らないカップルに、同情し、そう呟くと、うとうとと、眠りについた。この日から、莉音の体調は、日増しに悪くなっていた。白いドレスも、頭上に、飾られたままになっていく。夏は、そこまで、迫っているのに、このままでは、楽しみにしていた花火大会も、病室の、窓から、見る羽目になりそうだった。
「もう、少ししたら、夏も、終わるのね」
哀しそうに、莉音は、言った。再び、少しずつ、痩せていき、長い髪と色の白さが、莉音の、美しさを、はかなく映し出していた。
「もう・・。」
嶺は、莉音の、いない病院の、屋上で、何度、悲しみを、こらえたか・・・。
「もう。時間が、ないのか・・。」
時間が、そこまで、せまっていた、体が、良くなる兆しは、何処にも、なく、ついこの間まで、響いていた莉音の笑い声も、全く聞えなく、なっていた。あるのは、苦しい息の、莉音の息だけだった。
「莉音・・。」
嶺が、眠りにつくときに、頬に触れると
「ねぇ。嶺」
莉音は、うっすらと、目を開けた。そして、嶺を見上げた。最近は、起きる事が、めっきり、減っていた。
「お願いがあるの」
「何?」
「一緒に、花火を見たいの」
「この夏のは、無理だよ」
「だめ?」
「だめ。ごめん。この体調じゃ。無理させたくない」
「遠くからも?」
「無理させたくないんだ」
莉音の、瞳が、残念がった。
「じゃあ!秋花火。頭上で、見たい。」
・・・無理だよ・・・。と、嶺は、言いたかったが、言葉を、飲み込んだ。
「うーん。体調が、戻ったらね。」
嶺は、嘘をついた。
「約束」
「うん。約束」
莉音は、少しだけ、元気な、ふりをした。
「お願いがあるの。花火の時。ね?」
嶺の、腕を、握り締めた。
「お願い。その、服着て、行きたい」
莉音は、頭上のドレスを、指差した。
「だな。ブーケは、無理。恥ずかしい。」
「わかってるよ。」
「本当に、わかってるのかな?」
嶺は、笑った。秋花火まで、莉音は、持たないかもしれない。そう。不安な気持ちは、心の奥に隠したまま、莉音に、微笑みかけるのだった。
・・・本当に、莉音。君が、一緒に、見たいというのなら。叶えてあげよう・・・
嶺は、莉音の、願いを、叶えたいと思い始めていた。
・・・それまで、莉音。生きていてほしい・・・。
思えば、僕は、君との時間を、少しでも大切にすれば良かったのかもしれない。一緒に居る時間を大切に、大切に。逢っている間は、楽しくて、そんな事、感じる事さえ、なかった。何よりも、一番は、君を傷つけてしまった事。周りを、傷つけてしまうのを恐れ、僕は、一番大切にしなければ、ならない君を、傷つけてしまった。僕らの、恋の始まりは、世間でいう不倫から、始まった。不倫と言っても、君は、花嫁になりたてだったから・・・。いや、やはり、そうなのかな。人の物だからね。(笑)
君と出逢わなければ、君は、普通にあの人と、生活を続ける事が、出来たのだろうか?僕は、美央と結婚し、子供をもうけ、新たに恋する事もなく、平和に生活したのだろうか・・・。結婚してしまえば、恋をする事なんて、ないのだろうか・・・。僕らは、あの瞬間に、恋をしてしまった。出逢わなければ、良かったのか?それは、わからない。でも、僕は、莉音に逢えて、良かったと思う。それが、君も、同じく思うかは、わからないが。君への思いは、僕に力をくれた。今までに無い、エネルギーとなって、僕を支えてくれた。人を、傷つけない恋なんて、あるのだろうか・・・。
莉音。僕は、君に逢えてよかったと思うよ。後悔するとしたら、もっと、全力で、君を愛し抜けなかった事。もっと、自分の気持ちに、正直に、君への思いを貫けばよかったと後悔している。周りを、傷つけずに、愛しぬくなんて、出来る訳が無いよね。あの時、もっと、はやく、君を、奪えばよかった。君だけへの、気持ちで、行動するには、若さが、ほしかったよね。
やっぱり、夏の終わりの、花火は、みれなかったね。どうしても、秋花火を莉音は、見たいといって聞かなかった。時間が、せまっていた。ドナーが、現れていたとしても、心臓は、手術に耐えられないところまで来ていた。それでも、秋花火を、見たいと言ったんだ。秋の終わりに見る花火なんだ。当然。山から、来る風は、冷たく、弱っていた君の体を痛めつける。莉音は、あの白いワンピースを着ると言って、きかなかった。寒いかもしれないと言って、来夏さんの用意したカーディガンを、羽織って、病院を、抜け出した。このまま、居ても、もう、二度と、花火を見れないと思ったんだ。莉音は、嬉しそうだった。また、前の元気な頃の、莉音に、戻っていた。
秋花火を見るんだ。君と。いつか、約束した秋空に散る哀しい花火を。
「来年は、何してると思う?」
莉音は、僕の腕の中で、空を、見上げていた。音とともに、縦に横に花火が、散っていた。遠く山々からの、風は、冷たく晩秋を、知らせていた。
「来年も、一緒に居ると思う」
ふっと。莉音は、笑った。
「そうだよね」
「やっと。一緒になれたんだ。ずーっと、いっしょにいると思う」
莉音の、白い顔が、花火の明りで、はっきりと見えた。あぁ・・。僕の好きになった人の顔だ。よく、見ておこう。この瞳が、僕をよく、見つめていた。忘れる事は、ないだろう。この人と、出会って、僕は、本当に、人を、愛する事を知ったんだと思う。莉音。今、君は、何を、思っているんだい?僕と出逢って、君は、幸せだったんだろうか。
「嶺と、逢えて、良かった。」
僕の気持ちが、届いたのか、莉音は、そう答えた。
「哀しい事も。嬉しいことも、全て、嶺からだった。でも。嶺が、あたしに、生きていく楽しさを、教えてくれたの。」
莉音の、瞳が、僕の姿を映していた。
「嶺。」
かすかに、睫が、震えていた。
「ねぇ・・・。」
莉音が、甘えた声を出した。
「なんか・・・。疲れたみたい。寝てもいい?」
「いいよ。」
莉音の、目尻から、涙が、あふれていた。
「起きるまで、傍にいてね」
「わかっているよ。莉音。傍にいるよ。ずーっと」
莉音は、目を閉じていた。目尻から、細く涙が、伝い落ちる。莉音の、僕に、触れている手が、少しずつ、冷たくなっていった。
「莉音」
白いワンピースが、まるで、花嫁衣裳のように見えた。
「綺麗だよ。莉音」
冷たくなっていく莉音の頬に、僕は、頬寄せた。花火の時期は、もう終るだろう。
莉音。僕は、君を、忘れる事は、できないだろう。花嫁姿の君に恋し、はじまった恋。君を愛する事は、とめられなかった・・・・。
莉音。
君を永遠に愛し続ける・・・。永遠に。