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獣吠譚 覇界世紀(じゅうこうたん はかいせいき)小咄編 その四『罠と禍福の石』 

作者: 杏月飛鳥
掲載日:2026/01/30

 獣吠譚(じゅうこうたん) 覇界世紀(はかいせいき)シリーズ、小咄(こばなし)編 その四『罠と禍福の石』でございます。

 ご存じの方はご存じ、知らない人は全く知らない『覇界世紀』シリーズ本編とそのほかの小咄編は以下のURLからどうぞ。

https://ncode.syosetu.com/s6441g/


 小咄も四回目となりました。

 途中、ハロウィンで書いたものもありますが、あれはまぁ、特別編と言うことで小咄編には数えません。

 本編シリーズが四話目終了しましたので、今回もまた小咄編をUPしてみました。

 ただ、これまでは一本にせず小分けにしてきたのですが、今回は文字数が二万九千ほどとなっており、掌編と言うより短編といった態です。

 これからももしかしたら小分けにせず、一本でUPしていくかも知れません(ぶっちゃけ、小分けにするのが面倒臭い)。

 因みにシリーズものの小咄なので、本編を知らないと分かりにくいところもあるかも知れません。

 ですが、最低限の設定は書いておきました。

 シリーズ全く知らなくても、ほぼ問題ないのではないかと思います。

 シリーズが気になった方は、URLをコピペして飛んでみてください。

 長編と掌編の両方がありますので。

 長編が終わったら必ず小咄を書きますので、今回もこのような形でUPさせていただきました。

 西洋ファンタジーですが、名前は漢字。

 神様の名前だって漢字です。

 ルビは初回出てきた部分に振ってあります。

 魔法もカタカナでルビが振られていますが、漢字そのままで読んでも問題ありません。

 和洋折衷という世界観ですが、今回の話では短すぎてそこまで和洋折衷という感じを受けないかも知れません。

 本編ではバリバリ和洋折衷ですが(と、作者は思っています)。

 シリーズを知っている方も知らない方も、この短編に興味があったら是非ご覧ください。

 少しでも楽しんでいただければ幸いです。


 それではお話、始まり始まり~。


 ※誤字脱字がありましたらお許しください。

  よければ『誤字報告』してくださると嬉しいです。

 ※また、この作品はカクヨム様でも公開しています。

 真っ暗な中、意識の底に何かが流れ込んでくる。

 ざらざらとした気配だ。

 それが意識の底を舐めて、酷く不快だった。

 はっきりと不快だと感じるものの、気配の正体が何か分からない。とにかく次々と流れ込んできて、舐め尽くすように意識の底に溜まっていくのだ。

 不快な思いに突き動かされて、自然と呻きが上がる。

 自分の漏らす呻き声の向こうから、鐘の音が響いてきた。

 重々しく荘厳な鐘。

 はっとして目を開けると、そこは宿の部屋の中だった。

 夢現の中で聞いた鐘の音が響いている。

 さっきまで感じていた不快な感触が夢だと知ると、ほっとした。

 雷韋(らい)は二度三度と瞬きをし、窓の方へ目を向けた。外からは人の気配が濃く伝わってくる。

 自然と目が醒めるまでゆっくり眠っていたのは、暫くぶりな気がする。昨夜は陸王(りくおう)と一緒の部屋になったのだが、今朝は叩き起こされなかったのを不思議に思い、隣の寝台を見るが、そこに日ノ本から渡ってきた侍の姿はなかった。陸王がいなければ、当然、守り刀の『吉宗』もあるはずがない。

 寝台はもぬけの殻で、使ったあとさえなかった。

 そのことに驚いて起き上がるが、改めて見た寝台には先と変わらず誰の姿もない。

「陸王?」

 一四、五になっても変声前の少年特有の高い声が少し困惑して漏れたが、すぐにあることが頭を過った。

 昨夜、雷韋が眠ったあとに出掛けたのだと。街に着けば、時折あることだ。

 陸王が女を買いに行くことは。

 ただ、大抵の場合は娼館が閉まる一時課(いちじか)(午前六時)過ぎに戻ってくることが多いのだが、時折どこをほっつき歩いているのか知らないが、帰りが遅くなることがある。

 今朝もそれなのだろうと思って、雷韋は寝台から抜け出した。裸足で下着姿のまま、窓辺に向かう。

 太陽はほどよく上がって、もう三時課(さんじか)(午前九時)の頃だ。どうやら、雷韋を起こした鐘の音は、三時課の鐘だったようだ。宿の目の前の通りには、既に人の流れが出来つつある。三時課で店が開いたばかりだというのに。それとも、街から出て行く旅人や巡礼者達の姿なのかも知れない。

 雷韋は大きく伸びをして、もう一度通りに目を遣ってから寝台の方へ戻った。そして寝台に腰掛けると、寝台の足下に置いてある荷物袋の中から櫛を引っ張り出して、ぐちゃぐちゃになっている飴色の長い髪を梳かし始めた。髪を梳くと、すぐに絡まっている部分で櫛が引っかかった。毎朝のことだが、どうしてこうも髪が(もつ)れるのか雷韋にも不思議だった。

 陸王には「寝相が悪いからじゃねぇのか?」と言われる。

 確かに雷韋は寝相が悪い。それは自分でも自覚がある。だが、寝相が悪いだけで髪が縺れるのか? とは純粋に不思議には思う。その反面、寝相が悪いから縺れるのだと納得している自分もいた。

 そんな益体もないことを考えつつも、縺れを一つずつ(ほど)いてゆき、時間をかけて髪全体に櫛を使う。それから髪を高く纏めて結い紐で結って、これで髪の支度は出来上がりだ。

 髪を整えたのはいいが、雷韋は先に顔を洗うのを忘れて、今頃「あ」と小さく声を漏らした。

 先に髪を結ってしまったからには仕方がない。髪の毛が濡れ放題になるのを承知で、顔を洗うしか手はなかった。

 雷韋はのろのろと荷物袋の中から手拭いを引っ張り出して、顔を洗うことにする。

 洗面台に置いてある洗面器に水差しから水を注ぎ入れ、顔を洗った。その際、結い上げた髪の毛が大量に洗面器の中に浸かったが、致し方なく、そのまま顔を洗ってしまう。顔を洗い終わった頃には髪の毛の半分が水に濡れていて、肩や背中が冷たくなる。

 乱暴に顔を拭ったあと、髪の毛の水分も手拭いに吸い取らせるが、びしゃびしゃに濡れてしまったあとでは大した効果は見込めなかった。

 雷韋は髪の毛を拭うのを諦め、服を身に着けることにした。シャツの肩と背中が濡れているため少々気持ち悪いが、これも致し方ない。顔を先に洗うのを忘れた自分が間抜けなのだ。

 とは言え、濡れたシャツも髪も、火の精霊を全身に纏えば一瞬で乾いてしまうのだが。

 そのあと口の中も清めて、使った水は床に置かれている桶の中に移す。

 身仕度を一通り終え、雷韋は部屋を出ようとしたが、鍵がかかっていた。陸王が出て行った際にかけたものだろう。鍵がないから致し方なく、魔術で解錠する。部屋を出てからも、魔術で施錠した。

 本当なら、鍵を開けるときには鍵開け道具での方が早いのだが、どうせ施錠するには魔術を使うのだからと、両方とも印契(いんけい)と詠唱を必要とする魔術を行使した。

 部屋に施錠してからすぐに雷韋は、紫雲(しうん)の部屋に向かった。三時課にもなっていれば、もう食事を終わらせて部屋に戻っていると思ったからだ。

 部屋の前について、扉を軽く叩く。だが、なんの(いら)えもない。そのあとも数度叩いて、声もかけてみたが、やはり反応はなかった。と言う事は、まだ食堂にいるという事か。そう思い、食堂へ下りてみると、そこに紫雲の姿を見つけた。いつもと同じように、腰には修行(モンク)僧の証である鉤爪を提げている、二四、五の男だ。髪は栗茶色の長髪だが、背中の半ばほどで結っている。瞳は優しさを感じさせるような暗褐色。

 食堂には、ほかにもまだ食事中の者や朝から酒を呷っている者の姿がいくつもあった。

「紫雲」

 そんな中で声をかけながら、雷韋は紫雲のついている卓に向かっていった。

「雷韋君、お早うございます。今朝はゆっくりでしたね。どうかしたんですか? 陸王さんは?」

 紫雲がハーブティーを飲みながら、のんびりと声をかけてくる。

「それがさぁ、陸王いないんだよ」

「いない?」

 些か驚いて、目を丸くする。

「多分だけどさ、昨日俺が寝たあと、女買いに行ったと思うんだ。部屋の鍵もかかってたし」

 雷韋の言葉を聞いて、紫雲は納得したように「あぁ」と吐息交じりに声を零した。

「まぁ、彼も身体(しんたい)健康な男性ですしね」

 苦笑を交えて雷韋に言う。

「そんなの好きにすりゃいいけどさ、一言出掛けてくるって言えってんだよ。俺じゃなくても紫雲にでも、どっちかにさぁ。あとは早く帰っていってーの。一時課に娼館も酒場も閉まるんだろ? その代わり、宿が開くんだからさぁ」

 散々文句を垂れつつ、席に着く。席についてそのまますぐに、雷韋は給仕の女を呼んで食事を注文した。

 今朝もまた、三人前ほどの料理を注文している。とは言え、まだ朝なので、頼んだ中には昨日の余りの料理も多かったが。要するに、あり合わせでも、すぐに出てくるものを結構な数選んだのだ。また、前日の料理なので、その分の安さもあった。

 宿としても前日の料理は捌ききってしまいたいし、客も安さと出てくる素早さ目当てに注文する者が多かった。勿論、その日の朝から作る料理もあるが。

 雷韋はよほど面白くないのか、両肘を付いて「む~」と唸り声を上げている。

 それを見かねた紫雲が、

「そんなに怒らない。陸王さんだって、たまには一人の時間が欲しいでしょう」

 宥めるように言うが、雷韋は反論した。

「だったら、昨日俺と一緒の部屋にならなきゃよかったじゃん。一緒にって誘ってきたの、あの人だぜ?」

「そこは、ほら、色々あると思いますよ? 急遽出掛けることになったとか、帰りが遅いのも何か用事でもあったとか。少なくとも、誰かに襲われたなんて事はないと思いますから、その心配は無用ですよ」

「そんなの分かってらぃ!」

 紫雲は苦笑を見せ、雷韋に穏やかな声をかけた。

「だったら食事でもしながら、ここで陸王さんが戻るのを待っていましょう」

 雷韋は終始面白くない顔をしていたが、最終的には鼻息も荒く頷いた。

 そうこうしているうちに、あり合わせの食事から雷韋のもとに運ばれてきて、ほかに注文したものも合わせると、卓一杯になってしまった。紫雲のお茶が、卓の隅の方で申し訳なさそうに鎮座する形になる。

「あ、なんかごめん。紫雲が使ってたのに、目一杯、俺の飯が並んじゃった」

 紫雲はそれに対して何も問題ないという顔をしてみせ、食事を始めるように促した。雷韋も促されて、大人しく食事を始める。

 だが、その様子が常とは全く違うものだった。いつもなら、一つ一つの食べ物の味の話やほかの関係ない話まで、色々雷韋は口にする。その際、口にものを入れたまま喋るので、どうしても食べ物が口から飛び散ってしまい、陸王に頭を引っ叩かれるまでが一区切りになっている。

 なのに、今日に限って雷韋は黙々と食べ進めているのだ。食べる速度はいつもと変わりないが、お喋りがないだけで常の食事風景と違って違和感を覚える。

「雷韋君、やっぱり陸王さんが心配ですか?」

「え? そんな事、思ってないけど」

「お喋りをしないで食事をするなんて、初めてですよ。私の知っている限りでは、ですが」

 雷韋はその言葉に、目をぱちくりとさせる。その表情から、紫雲の言葉が心外な発言だったことが覗える。

「俺、いつもとなんにも変わったつもりないけど。飯は旨いと思って食ってるし。……でも、喋ってなかった?」

「全く。静かなものです」

 紫雲は嘆息と共に返した。全く雷韋らしくないと思いつつ。

 と、ふと考えがよぎった。

「ねぇ、雷韋君」

「ん?」

 切り分けた肉を口に入れながら紫雲に答えると、

「陸王さんのことが心配なんじゃなくて、陸王さんがいないことが寂しいんですか?」

 そんな事を言われて、雷韋は飲み込もうと思っていた肉が変なところに入っていって、盛大に噎せた。

 口に入っていた肉は全て吐き出してしまうし、喉の奥に違和感があって咳は止まらないしで、周りから大注目を受けてしまう。

「大丈夫ですか?」

 紫雲が慌てて背中をさするが、雷韋の咳き込みようはなかなか治らなかった。数分ほど苦しんだ末にやっと治まって、雷韋は紫雲を嫌そうな目で見た。

 何故そんな目を向けるのかを問うと、雷韋は口元を手で拭ってから答える。

「なんで陸王がいないと俺が寂しがるのさ」

「寂しくないんですか?」

「べっつに」

 吐き捨てるように言うが、唇を尖らせる雷韋の表情(かお)には陰りのようなものがあった。

「俺は、陸王が勝手してっから怒ってんの! 寂しかねぇよ」

 そう言って、目の前の惨状に「あ~あ」と声を落とす。どの皿も、吐き出された肉塗れになっているからだ。それでも所詮は自分が吐き出したものなので、肉片を()けて食べることは出来る。煮物やスープの中に混ざってしまったものはしょうがないとしても。

 紫雲は、黙って食事を再開した雷韋の様子を窺うに、やはり寂しい思いをしているのではないかと思った。その反面で、陸王に多少、腹を立ててもいた。

 雷韋が言っていたように、出掛けるなら一緒の部屋にならなければよかったし、一緒の部屋になったとしても、雷韋が目覚めるより早く帰ってくればよかったのだ。雷韋はおそらく、その辺りに寂しさを感じているのだと思う。

 とは言え、それを説教するのも野暮な気がした。たまの羽伸ばし程度のことでぐだぐだ言うのも言われるのも、どちらも野暮ったい。雷韋の気持ちには同情するが、説教をするまでもないだろう。同じ言うにしても、早く戻るくらいしろと言うのが精一杯だ。

 紫雲としてはもやもやが残る出来事だが、今は雷韋を一番に考えなければならないと思う。何しろ、対であるはずの陸王の勝手で、一人で残されてしまったのだから。

 相変わらず無言での食事が続いていたが、雷韋が何を言うでもないのならこのまま食事を続けさせようと思った。横からの下手なちょっかいはかけない方がいい。

 そう思ってお茶を飲もうとしたが、カップの中に細かくなった肉片がいくつか入っているのに気付いてげんなりした。カップを静かに皿に戻して、黙って雷韋が食べる姿を眺める。益体もないことなら話しかけてもいいかとも思ったが、やはりやめておいた。話し好きの雷韋がここまで無言なのだ。話しかけることも余計な事なのかも知れない。

 食事に夢中なら、それはそれでいいだろう。だから、雷韋が食べ終わるのを紫雲も無言で眺めながら待つことにした。

 流石に食事量が多いため、全てを食べきるには時間が要った。最後に残った酢漬けのキャベツを食べ終えるまで、半刻(はんとき)(約一時間)ほどかかったろうか。吐き出した肉片は食事が終わったあとの食器の上に疎らに残ったが、ほかは綺麗に食べ尽くしていた。

 キャベツを咀嚼して飲み込んだあと、雷韋は満足げな溜息をついた。充分食べて、満たされたからだ。

「ごっそさ~ん」

 へにゃっとした顔で言うと、背凭れに寄りかかる。

「満足しましたか?」

「うん、満足、満足。腹一杯~」

 少なくとも食欲が満たされたからか、今の雷韋はいつもの雷韋のように見えた。

「ヌガーはどうします?」

「もっちろん、食うよ。あれ食べないと飯食った気にならねぇし」

「野宿ではヌガーは出ませんよ?」

「野宿の時は別。あれはあれ、これはこれ」

 上機嫌に答えを返した。紫雲にそう返してから、給仕の女にヌガーを一皿頼み、それと同時に卓の上の皿を片付けてくれるように頼む。

 給仕の女はすぐにヌガーの皿を片手に持って、それを雷韋に直接渡すと卓の上の皿を片付けだした。

「これ、全部食べたの?」

 料理が綺麗になくなっている皿を片付けながら、女は雷韋に問うてくる。

「もっちろん。どれもスゲー旨かったよ~」

「こんなに食べる人、始めて見たわ。二人でじゃなく、一人で、なのよね?」

「うん、俺が全部食った。ヌガーもこれから俺が食うの」

 それを聞いて、女は「はぁ、凄いわぁ」と呟いて、皿の山を持っていった。

 その片付けられた卓の上に雷韋はヌガーの皿を置いて、一切れずつ食べ始める。

 長方形に切られたヌガーに齧り付き、半端に柔らかい水飴を噛み千切って口の中に入れた。最初のうちは口の中で水飴を溶かしている様子だったが、途中からナッツや胡桃を囓り出す。

 その様は、本当に至福といった顔だった。

 が、次の一口を噛み千切ったとき、雷韋が驚いた顔をして食堂の入り口を振り返る。驚いていた顔は、すぐに不機嫌そうな顔つきになった。

「どうしましたか?」

 怪訝そうに紫雲が声をかけると、

()()()()()()

 不機嫌そうに口の中を粘らせて言う。幸い、水飴で粘っているので、口の中にものが入っていても飛び散らせることはなかったが。

「雷韋君、陸王さんが戻ってきたんですか?」

 入り口をの方を見ても、陸王の姿は見えない。

 問われて、雷韋は口の中のものを飲み込んでから返した。

「気配がどんどん近くなってる。陸王の気配だよ、間違いない」

 雷韋には陸王の気配が分かるのだ。それは陸王の魂が魔族としての殻を被っているためだ。そのせいで、本来なら真円の太陽(たいよう)が僅かに歪んでいるのだ。精霊使い(エレメンタラー)として感覚が鋭い雷韋には、その歪みを感じ取ることが出来る。だから遠くにいるならいるで、なんとなくどちらの方向にいるのかも判別することが出来た。

 雷韋は小さく「ちぇっ」と舌を鳴らしてから再びヌガーを食べ始めたが、その様は酷く不愉快げだ。さっきまでの上機嫌が嘘のように消えてしまっている。

 紫雲はそんな雷韋に苦笑を見せつつも、宥める。

「戻ってきたなら、まぁいいじゃないですか」

「べっつに、俺はなんにも思ってないもん」

 口の中に残っているナッツを噛みながら言う。

「さっき、陸王さんが勝手をするから怒ってると言っていたじゃないですか」

「そんなの忘れた」

「全く、勝手はどっちですか。せっかく陸王さんが戻ってくると言うのに、少しは喜んでみては?」

 紫雲が言うも、雷韋はつんと明後日の方へ顔を向けてしまう。そんな様に、紫雲は嘆息をつくしかなかった。

 と、明後日の方を向きながらヌガーを囓っていた雷韋が、ふと食堂の入り口を振り向く。紫雲もつられて振り向くと、陸王の姿があった。紫雲と同じくらいの、二四、五の大陸ではそこそこ珍しい黒髪の男だった。

「あぁ、戻ってきましたね。雷韋君、寂しかったなら寂しかったと、素直に言った方がいいですよ」

 雷韋に顔を向けて言うが、何やら雷韋の様子がおかしいことに紫雲は気付いた。

 陸王を見る雷韋の両目は見開いていて、興奮のためか、昼間には縦に絞られている瞳孔が広がっている。いや、興奮と言うよりは、雷韋の深い琥珀の瞳にあるのは恐れのように見えた。

 険しく眉を寄せ、何かに対して恐れを抱いた表情。そのせいか、口元は少し開いて忙しない呼吸になっていく。

「雷韋君? どうしましたか?」

「何持ってんだ、あの人」

 囁くような早口が雷韋の口から零れ出る。

 そう言った雷韋の声が聞こえたわけではないだろうが、陸王が雷韋と紫雲に気付いて視線を寄越した。

 陸王は脇に小箱を抱えているが、特に気負う風でもなく二人の方へと向かってくる。

 陸王が近づいてくると、雷韋は席を立って陸王の歩みに合わせるよう、じりじりと後退(あとじさ)った。

 その態度に陸王がにわかに怪訝な様子になる。何を思ったか、一度足を止めると脇に抱えている木の小箱へ目を落とした。

 何かあるのかと、紫雲も小箱に視線を送る。その間も雷韋はじりじりと後退っていった。

「雷韋」

 怪訝そうな陸王の声が人々の間を抜けて、雷韋と紫雲の元まで届く。

「あんた、なんだよ、それ。凄く嫌だ……」

 雷韋は掠れた声で呟くと、一気に二階への階段目掛けて走って行ってしまった。階段は三段飛ばしで駆け上がっていくのが、陸王と紫雲の目に入る。その反応が異様なことも同時に。

 陸王と紫雲はそれを見送っていたが、ふと目を合わせる。互いの顔に疑問符が浮かんでるのを確認して、陸王はもう一度雷韋の消えた階段の方へと目を向けつつ、紫雲のついている卓までやって来た。

「どうしたんだ、あいつ」

 まだ階段の方を見たまま、紫雲に声をかける。

「さぁ。よく分かりませんが、貴方の持っているその木箱を嫌がっているようでしたが」

 それを聞いて陸王は「ふむ」と少しばかり考え込む。

 そんな陸王に呆れて、紫雲は声をかけた。

「それよりも、雷韋君が怒っていましたよ。出掛けてこんな時間に帰るなら、一緒の部屋を取った意味がないと」

「まぁ、そいつぁ色々とな。本当なら一時課で帰ってくるつもりでもいた」

「ならば、何故こんな時間に?」

「娼館の女から面白い話を聞いてな」

「面白い? どんなです?」

「誰にも開けられない宝箱だ」

 陸王は娼館の女と睦言を交わしあっているときに、女が不意に思い出したという『誰にも開けられない宝箱』がこの街にはあると聞いた。昔から噂程度ではあるが、そんな話があると。どこで扱っているのか女は知らなかったが、古物商が扱っていることだけは聞けた。その古物商も街には三軒あるが、どの店で扱っているか女は知らないという事だった。ただ女は、三軒ある古物商のいずれかで『誰にも開けられない宝箱』があると言ったのだという。

 陸王は『誰にも開けられない』という部分に興味を持って更に尋ねたところ、買われていった宝箱は必ず屍体と一緒に見つかるらしい。そして屍体と一緒にあることから不吉だと言われて、古物商に売られるようなのだ。街の者でこの話を知らない者はいないらしい。子供でも朧に知っているという事だ。その宝箱は既に数百年の間、誰にも開けられたことがないという曰く付きだった。

 紫雲はそこまで聞いて、陸王に尋ねた。嫌な予感を伴って。

「その『誰にも開けられない宝箱』というのが、まさかその木箱ですか?」

 と、陸王が小脇に抱えている木箱を指さす。

「どうだ、面白かろう」

 ふと笑って返答した。

「冗談じゃありませんよ」

 紫雲は思わず席を立った。

「必ず屍体と一緒に見つかると言う事は、それ相応の罠がかかっているという事ですよね? しかも未だに誰も開けたことがないと。つまり、罠の解除が不可能なほど巧妙な仕掛けだということじゃないですか」

 それを雷韋に解除させるのかと詰め寄ると、それはないと返答が返ってきた。必ず屍体と見つかるということは、毒が使われていると推察できるからだ。

 雷韋は鬼族という種族だ。原初に混沌の中から天地を開闢(かいびゃく)した神である光竜(こうりゅう)の創った最初の人族。鬼族は怪我には強いが、毒や病のような内側からのものに弱い。いくら盗賊組織(ギルド)で育った雷韋であっても、毒を使用した罠の解除はさせられないというのが陸王の言い分だった。一応は雷韋の身を案じているようで、紫雲はその部分ではほっとした。

「それでは、その罠の解除と鍵の解除はどうするんですか?」

「鍵は根源魔法(マナティア)で解錠する。罠の方は……そうだな、力技でいくか」

「力技って、それじゃあ罠が発動しますよ」

「毒ならなんてことはない。受けたら、身体が勝手に解毒し始める」

「その毒に身体が対応できなかったらどうするんです。貴方にもしものことがあったら、雷韋君まで巻き込まれるんですよ。分かっているんですか?」

 真剣な顔で言うも、陸王はあっさりした対応だった。

「俺は人族じゃねぇから毒は効かん。安心しろ」

「ですが……」

 陸王は紫雲の言葉を遮るように問いかけた。

ヌガー(こいつ)は雷韋のか?」

 言って、皿を持ち上げる。

「えぇ、そうですが」

「なら、こいつを持って専門家に話を聞かせて貰うとするか」

「ちょっと! 雷韋君に見せるんですか? どんな仕掛けかも分からないのに」

「だから雷韋に意見を聞こうってんだろうが」

 陸王は数度首を振り、ヌガーの皿を持って階段に向かっていった。そのあとを紫雲が慌てて追った。

 二階へ行き、部屋の前まで来ると、部屋の中から雷韋の怒鳴り声が聞こえてきた。

「そんなもん持って入ってくんな!」

 口調の感じからして、半ば恐慌状態に陥っているようだった。それを無視し、陸王は扉を開けてしまったが。

「お前は何を騒いでいるんだ」

 陸王が呆れて問うも、雷韋は寝台に潜り込んでいる。寝台脇に靴がないことから、靴を履いたまま入り込んでいることが知れた。

「何をそんなに怖がってる」

「だって……分かんないのか? 沢山の思念が纏わり付いてる」

「思念?」

 陸王がわけが分からぬと言う風に、鸚鵡返す。

「どこでそんなもん拾ってきたんだよ! なんでもかんでも落ちてるからって、拾ってくんな!」

「俺は犬か何かか」

 陸王は雷韋のあまりの言いように、嘆息をついた。

「陸王! とにかくこっち来んな! 部屋から出てけ! 気持ち悪い! 捨てっちまえよ、そんなもん!」

「この木箱がそんなに嫌か。何がどんな風に嫌なんだ」

 雷韋は陸王の言葉に、頭から上掛けを被って寝台の上に蹲ってしまったが、言葉だけは返してきた。

 雷韋が言うには、木箱から声が聞こえてくるようなのだ。『死にたくない』『死にたくない』と大勢の、無数の声が聞こえると。それも、叫びだったり、囁きだったり、涙声だったりと様々な声音らしい。

 雷韋は精霊使いだ。精霊の声が常に聞こえるように、木箱から残留思念でも聞こえているのかも知れなかった。これまで何百年という時間の中で、誰一人罠を解除して宝箱を開けた者はいない。この宝箱が見つかるときは、常に屍体と共にだ。魂は光竜のもとへ回帰するかも知れないが、死に際の残留思念は残っているのかも知れない。そして、この宝箱に使われている毒はよほど強烈なのだろう。こんな箱だ。罠にかかって死ぬとき、苦しめば苦しむほど思念は残りやすくなると考えるのが普通だ。

 陸王はもう一度嘆息をついて、木箱を卓に置くと寝台で蹲る雷韋のもとへ行った。

 頭の部分をぽんぽんと撫で叩いて、声をかける。

「箱は卓に置いてきた。そんなもんを被ってないで、顔くらい見せろ」

 言ってから、頭にヌガーの皿で二度三度と軽く叩いた。

 その感触を不思議に思ったのか、雷韋は上掛けを頭から退()けて顔を見せる。顔を出して、目の前に皿が突きつけられているのを驚いた顔で確認すると、「持ってきてくれたのか?」と不可思議そうな顔で陸王に問うた。「食ってたんだろ?」と言えば、雷韋は頷きを返す。

 雷韋は差し出されたヌガーの皿を手に取り、恐る恐るという風に卓の方へ顔を向けた。そこには陸王が置いたままの木箱があり、紫雲が難しそうな顔でそれを見つめている。

「陸王。なんであんなもん拾ってきたのさ」

 雷韋が嫌そうに言うと、陸王は大きく息を吐き出した。

「拾ってきたわけじゃねぇ。探して買ってきたんだ」

「買ってきた?」

 怪訝な顔で問う。

 だから陸王は曰く付きの宝箱の存在を知ったこと、それを面白そうだと判じたから古物商を探して買ってきたことを話した。それがなければ、雷韋が起きる前に帰ってきていたとも語った。帰りが遅くなったのは、街のどこに古物商があるか分からなかったからだ。店が開く前に探し当てたかったから、遅くなったと。街そのものも小さくはない。かなり大きな城塞都市だ。古物商は三軒あると言われていたが、話をしてくれた女は古物商がどこにあるか知らなかった。それだから自分で探すしかなかったのだ。

 一時課で人が起き出してきたところを捕まえて、なんとか二箇所の古物商を探し当てた。幸運にもその片方で宝箱が見つかって、出し渋る古物商を説得して購入してきたのだ。散々出し渋っていた古物商の主人には最後、何がどうなっても知らんからなと言われた。それでも陸王的には胸が躍るような気分だ。これまでの犠牲者の中に入るつもりはない。つまり雷韋には、罠が仕掛けられている宝箱の仕組みを教えて貰いたかったのだ。そのつもりで帰ってきた。

 それを雷韋に話して聞かせると、雷韋は渋くも呆れているようだった。

「なんでそんな変なもん買ってくんだよ」

「これまで罠を解除しようとして、全員が死んでるんだ。お前の話だと、残留思念もこびりついているようだしな。暇潰しにゃもってこいだ」

「暇潰しで死んだらどうすんのさ!? 俺のことも考えろ!」

「俺は毒じゃ死なねぇよ」

「そんなの、分かんないじゃんか! 人なんて、いつ、どんな形で死ぬのか分かんないんだぞ?」

 陸王は小さく頭を振った。口元は笑っている。

「そんなもん、普通に生きてても同じだろうが。人なんてな、いつ、どんな理由で死ぬか分からん」

「だからって、わざわざ危険に足を突っ込むことないじゃんか!」

「誰もお前に手伝えとは言っていないだろう。盗賊として、宝箱に仕掛けられている罠がどんなもんか助言が欲しい。お前にはそれだけだ」

「どっちにしたって、あんたが危険な目に遭うんだったら、俺も危険な目に遭うんだよ。俺達、お互いにお互いの生命の綱じゃん。魂の半身同士なんだぞ」

 陸王と雷韋は『対』だ。陰陽(いんよう)に分かれている魂の陰と陽。その魂は根底で繋がっている。

 人は誰でも陰と陽の魂に分かれていて、必ず対がいる。通常は近くに生まれ落ちるが、遠く離れて生まれ落ちても、必ず出会うのが魂の条理だ。だから陸王と雷韋も種族も生まれた場所も違いすぎるのに、魂の条理に従って出会った。人は対がいなければ生きていけない。出会えなければ静かに狂って死ぬ。出会っていても、対が寿命以外で死んでしまうと、狂って死ぬのは同じだ。寿命で死んでしまった場合は、遺された極は徐々に衰弱して死に至るが。

 もし陸王が宝箱の罠で死んでしまうとしたら、雷韋もそう遠くないうちに狂って死んでしまう。雷韋が嫌がる理由はそれだ。第一、対である陸王が死ぬかも知れないのが純粋に怖い。遺されるのは勿論嫌だが、陸王が死ぬことそのものが嫌なのだ。だから反発する。

 ただ、陸王は正確には人族ではない。魔神と堕天使の間に生まれた魔人だ。魔族と同じ魔に連なる者だが、魔族とは次元の違う存在だった。魔族は須く、血の滴ったような紅い瞳をしている。位が高く、人族と同じように生きられる高位の魔族だけが黒い瞳。しかしそれにしても、(あか)が濃くなり過ぎて黒に見えるだけだ。高位の魔族も実際は紅い瞳なのだ。下級魔族は理性も何もなく、殺戮の本能のみで動く。下位や中位と呼ばれるものだ。上位と高位は人族とあまり変わりなく理性がある。特に高位は人族として人の中で生きている者もあるという。人を殺戮する本能は下級魔族と同じく持っているが、理性で本能を抑え付けている。人の中で生きている高位魔族が人を襲うか襲わないかは、その個体によって違ってくる。そもそも高位魔族は数が少なすぎて、全体の数も知れないのが実態だ。

 陸王は高位よりも更に上の存在だ。魔人と呼ばれる魔族は陸王のほかにいるのかどうかも分からない。

 魔族というのは交配して子供を産むが、子供は親よりも必ず下位の存在になるのだ。例えば中位同士が交配した場合、下位魔族が生まれるというわけだ。下位魔族が交配すれば、有象無象の化け物が生まれてくる。魔族とも言えない、ほとんど魔物だ。強さも、人が殺せるくらいに弱くなる。それでも魔族として、瞳だけは紅く凶暴だ。ほぼ破壊衝動である本能だけで生きている。

 陸王は神と堕天使の子供故に魔人として生まれ落ちたが、それでも瞳は濃い血の色をして黒く見える。時折、なんらかの拍子に本能に引き摺られて瞳が紅くなることもある。それでも理性は強く、魔族としての本能に支配されにくい。そして魔人であるが故に、戦闘能力も高い。それでも対がいて、無敵ではないのだ。天慧(てんけい)という光の神の言語である『神聖語(リタ)』や神聖語で紡がれる『神聖魔法(リタナリア)』にも弱い。ただ、魔人故にかなりの抵抗力はあるが。それと同じように、毒にも耐性がある。酒精でさえ陸王の身体は毒と判断して、すぐに解毒してしまうほどだ。だから陸王は酒で酔うことはない。量を過ごしたとしても、ほろ酔い程度になるだけだ。普通の人族には毒になるものも、陸王の場合、身体は素早く解毒してしまう。それと同等に、薬もあまり効かない。薬効が毒として認識されるからだ。事実、通常でも薬は使いようによっては毒になる。

 宝箱に仕掛けられている罠が毒針なら、例え引っかかったとしても陸王の身体はすぐに解毒を始めてしまうだろう。それを分かっていても、雷韋は嫌なのだ。もし、不測の事態が起きたらどうするのかと。

 雷韋は懸命に陸王を止めた。無理にそんな宝箱を開けなくてもいいだろうと。何人殺してきたか分からない宝箱など、どこかに捨ててしまえとまで言った。

 雷韋としては、箱を壊してもいいくらいなのだ。それに、木箱から感じる感覚には覚えがある。

 確かそれは今朝の夢に見た感覚ではなかったか。ざらざらとした感触。それが意識の底に溜まっていき、舐められて、不快感を覚えるのだ。木箱からも同じ感覚を受ける。ざらざらとしたものが、意識下に溜まっていくのだ。とてつもなく不快で気持ちが悪い。今朝見たばかりの夢は正夢だったのか? おそらく、きっとそうなのだろう。陸王が持って帰ってくるから、それに備えろという夢だったに違いない。

「やめようって、陸王。なんであんなのに興味持ったのさ。今まで、誰も開けたことがないからか? それだけで、無茶しようってのかよ」

 陸王は真剣な顔になって雷韋を見ると、言った。

「誰にも開けられないよう罠が施された中に隠されているものがなんなのか、知りたくないか?」

「そんなの、きっとよくないもんだよ!」

「よくないものかどうかは、確かめてみねぇことには分からんだろう。何もお前に開けろと言ってるわけじゃねぇ。俺が開ける」

「だから嫌だって言ってんだろ!? あんたにもしもの事があったら、俺はどうすればいいのさ!」

 陸王は雷韋の手を取ってヌガーの皿を持たせると、紫雲に言った。

「お前と雷韋は部屋から出ていろ。雷韋から所感が聞けなかったのは残念だが、致し方あるまい。お前らが部屋から出たら、魔術で解錠して開いてみる。毒を喰らっても、死にゃしねぇだろうからな」

 言いながら、陸王は卓へと近づいた。卓の前で足を止めると、ちらと紫雲を見る。紫雲も陸王を見ていたが、陸王はすぐに木箱に視線を落として、席に着いた。

「雷韋を連れて、部屋から出ていろ」

 言われて、紫雲は雷韋を見遣った。その雷韋は、完全に血の気が引いていた。真っ青な顔をしている。

 紫雲も陸王に言われたからばかりではなく、陸王がすることに興味が少しばかりあって雷韋を迎えに行った。

「雷韋君」

 声をかけると、雷韋は陸王の背中から紫雲の方へと視線を移した。雷韋の深い琥珀色の瞳は、半ば絶望に沈んでいる。陸王がどうあっても、宝箱を開くつもりなのを確信したからだ。

 紫雲が雷韋に手を差し出すと、雷韋はのろのろとヌガーの載った皿を置き、その手を取って寝台を下りた。そのまま紫雲に肩を抱かれて部屋を出る際、雷韋は陸王に一言だけ声をかけた。

「何があるか分かんない。気を付けろよ」

「あぁ」

 陸王も短く返答を返して、真剣以上の真剣さを見せて宝箱に向き直る。

 雷韋は紫雲に連れられて部屋から出され扉も閉じられてしまったため、それ以上、中で何が行われているか分からなくなった。

 不安だけが雷韋の胸の内で大きく膨れ上がる。心配で心配で、張り裂けそうなほどに。今更動揺したのか、雷韋は冷や汗をかき始めた。心音も煩い。どくん、どくんと身体中に冷たくなった血を送りつけられている気がした。それくらい、怖恐で身体が冷たくなっていくような気がしたのだ。

 紫雲は細かく震える雷韋の肩を抱き支えている。

「大丈夫。大丈夫ですよ、陸王さんなら」

「でも……」

 紫雲は腕の中の雷韋を見下ろして、笑いかけた。

精霊魔法(エレメントア)には解毒の魔術はないんですか?」

 そう問いかけられて、雷韋は一瞬ぽかんとして紫雲を見たが、すぐに返した。

「え? あ、あるよ。大地の精霊魔法なら出来る」

「もし陸王さんが毒を受けたら、治療してあげましょう。それで大丈夫でしょう」

「う、うん。……そうだよな。治す方法はあるんだ」

「少しは安心しましたか?」

「ん。紫雲のお陰だ」

 寒く感じるほど身体が冷えていたのに、解決方法を一つ見つけると、急に身体が温かくなってきたように感じた。震えも治まる。

 扉の前でじっとしていると、部屋の中から陸王の声が微かに聞こえてきた。おそらく、解錠の術を詠唱しているのだろう。その声もすぐに終わり、一拍置いたとき、タタタタタッと軽い音が部屋の中からした。何かが叩き付けられたような音とでも言えばいいか。

 雷韋はすぐに扉に張り付いて、陸王に声をかける。

「陸王! 今のなんだ? 今の音! 入るぞ!」

 (いら)えも返らぬうちに扉を開く。開いたとき、部屋の壁に何かきらりと光るものが目に入って目を遣ると、細く短い針が突き刺さっていた。丁度、雷韋の腰よりほんの少し上くらいの位置だった。反射的に扉にも目を遣るが、そこにも綺麗に横一列に針が刺さっている。

「陸王!」

 雷韋が陸王の元に走って行く。

 陸王はみぞおち辺りに手を翳していたが、顔は蓋を開いた木箱に向けられていた。

「陸王、大丈夫か? やっぱ毒か? だったら、ちょっと外行こうぜ。大地の精霊魔法で解毒するからさ」

 陸王の元に行って片腕を引っ張るも、陸王は席についたまま動こうとしなかった。

「毒は大丈夫だ。それよりも見て見ろ、この箱の中を」

「え?」

 陸王に促されて、雷韋と紫雲は箱の中身を見てその構造に驚いた。

 蓋の部分にも、箱の部分にも、無数の針が装填されていたのだ。蓋も箱も、びっしりと針だらけだったのだ。扉や壁に針が刺さっていたことから考えて、蓋を開けると針が一斉に前方と左右から射出されるようになっていたらしい。

 いや、それだけではない。

 雷韋が仕掛けを確認すると、罠を外す際、罠の解除をしたと見せかけて、実は罠は解除されることなく、蓋を開けると同時に針が射出される仕組みになっていたのだ。当然、罠を解除もしない陸王は仕掛けを発動させている。

「陸王、この宝箱自体が罠だ! あんたも針刺さったんだろ?」

「まぁな。毒が塗ってあるからか、ちと痛ぇが、なんて事ぁねぇ」

 言いつつ、腹より少し上の辺りから顔を覗かせている針を纏めて引き抜き始めた。

「あああ! 駄目だって! そんなに乱暴にしたら! 俺が抜き取ってやるから、じっとしてろ」

 言いつつ、伸ばしてきた左手を陸王は掴んで止めた。

「毒が塗ってある場所が必ずしも先端だけとは限らん。自分で引き抜くから、お前は触るな。紫雲、扉や壁の針を頼む。手に怪我をしていなけりゃ、針全体に毒が塗られていても平気だろう。あとで手を洗っておけ」

「分かりました」

 言って、紫雲は部屋中に刺さっている針を抜き取り始めた。

 その間にも陸王は、自分の腹に刺さっていた分の針を抜き終えてしまう。針が細いせいで傷口は小さく血はほとんど出なかったが、逆に毒はしっかり身体に残ってしまったようだった。

 陸王は抜き取った細く短い毒針に目を遣って、呟くように言った。

「下手をしたら身体の中に潜り込んだかも知れねぇな」

 それは聞くだにぞっとする言葉だった。

 細く短い針のため、身体の中に潜り込んでしまったら取り出せないかも知れなかったのだ。陸王の腹に刺さっていたのも、上着は完全に貫通して、うちに来ているシャツからほんの少し頭を出していた程度だった。

「陸王、全部引き抜けたのか?」

 内心でぞっとしながら尋ねると、陸王は首肯した。

「大丈夫だ。全部、引き抜けた」

「じゃあさ、ちょっと外に行って解毒してこよう?」

 心細げに言うも、陸王は首を振った。

「そんなのはどうでもいい。身体はもう解毒作用に移ってる」

「なんでそんな事が分かるのさ?」

「解毒するとき、鼓動が大きくなるから分かる」

「それって、身体に負担がかかってるんじゃないのか!?」

「酒を飲んでも同じように鼓動が大きくなる。何も問題はねぇ。それに、すぐに治まる」

 それより、と陸王は蓋の開いた宝箱を引き寄せた。

「お宝はこの針山の下か? 蓋についているとは思えんからな」

 陸王が言って少し苦しげな息をついたとき、開かれたままの蓋が急に持ち上がった。驚いて雷韋と共に見ていると、蓋は自動的に閉まって、カチャリと小さな音を立てた。施錠の音だ。

「!?」

 陸王も雷韋も驚きに目を見開いた。勝手に蓋が閉まって、鍵までかかってしまったからだ。

「なんだと?」

 陸王が驚きのまま言葉を発した。丁度その時、紫雲が部屋中に刺さっていた針を抜いて戻ってきた。

「さて、お宝はなんだったんです?」

 手に刺さらないように丁寧に運んできた針を卓の上に置くと、紫雲は怪訝な顔をした。

「蓋、閉めたんですか?」

 当然の質問だった。開けたばかりだったのだから。

 だが、陸王も雷韋も言葉をなくして互いの顔を見ている。

「陸王さん? 雷韋君? どうかしましたか?」

 雷韋はまだ呆然としていたが、陸王が先に我に返り紫雲に説明した。勝手に蓋が閉まったことを。鍵までご丁寧にと。

 紫雲は初め、ふっと笑い声を出して何かの見間違いでは? と問うたが、陸王の真剣な表情(かお)も、雷韋の呆然とした顔も作り物ではない。それを見止めて、やっとそこで本当のことだと納得した。

 それどころか、今度は紫雲が驚愕に目を見開いた。

 卓の上に置いた針の小山が、蒸発するように消えていったからだ。

「え?」

 紫雲から驚きの声まで上がる。

 針の小山が消え去るところを、陸王と雷韋も目にしていた。

 三人が三人とも、その事に驚き目を見交わす。

「魔術か何か、でしょうか?」

 紫雲が言うも、雷韋は首を振った。

「違う。きっと、残留思念が関係してるんだ」

「残留思念、ですか?」

「うん」

 硬い表情で言って見せ、雷韋は陸王に目を遣った。

「そいつがないとは言えんな。雷韋、今も聞こえてるんだろうが」

 雷韋は困惑げにした顔のままで頷いて示した。

「相変わらず怖いくらいに聞こえているのか?」

「いや……」

 陸王は訝しげな顔を向けた。それに気付いて、ようやく雷韋も一呼吸ついて答える。

「精霊障壁を厚くしたから、最初みたいには聞こえてこないよ」

『精霊障壁』とは、人族に従う守護精霊が人の周りに張る障壁――膜で出来た結界のようなものだ。これが薄いとほかの精霊の声が聞こえやすくなり、厚いと聞こえにくくなる。雷韋の守護精霊は火の精霊だ。火の精霊を集めて精霊障壁を厚くしたために、宝箱から聞こえてきていた残留思念も今は聞こえにくくなっていた。そうでもしなければ、最初のように、残っている人の声がもろに聞こえてしまう。

 精霊障壁を厚くしたのは、紫雲に連れられて部屋を出て行くときだった。陸王の――木箱の傍を通るときに怖くて精霊障壁を厚く張ったのだ。

「でも、やっぱりこの木箱は変だ。勝手に蓋が閉じたし、残留思念だって数え切れないくらい聞こえてきた。これって、もしかして……呪いってやつ? 残留思念が強すぎて、呪いって形になってるのか? 針まで消えちまったし」

「さぁ、それはどうだか知れんが、自己意識に近い何かがあるとは考えられるな」

 雷韋の代わりに続けたのは陸王だった。

「ですが、閉じてしまったと言う事はもう一度開けなければなりませんよね? それは陸王さんがもう一度?」

「それしかあるまい。雷韋に毒は厳禁だし、お前も毒に冒されたらどうなるか分からん。消去法でも俺しかいまい」

「それはまぁ、確かに。ですが、立て続けに毒を受けても平気なんですか?」

「あぁ。さっきのはほとんど解毒が終わっている。今喰らっても問題なかろう」

 それを聞いて紫雲は心底から言葉を吐き出した。

「その点、確かに魔族というのは凄いですね。そこだけ尊敬しますよ」

「好きで魔族に生まれるか」

 修行僧の紫雲の言葉を、魔人である陸王は嫌味にとって吐き捨てた。所詮、魔に連なる者と修行僧は敵対関係にあるのだ。実際のところは仲間ではあっても、簡単に嫌悪感は消えない。

「何も嫌味を言ったわけじゃありませんよ。魔族としての能力は色々凄いところがありますから」

「それを嫌味に取らないほど、俺は鷹揚じゃねぇ。残念ながらな」

「へそ曲がりというか、性根が曲がっているというか」

「悪かったな、色々曲がっていて」

 陸王と紫雲の遣り取りに水を差したのは雷韋だった。

「ちょっと! 煩いよ、二人とも!! 人が一所懸命考えてんのにさぁ」

「あ? 何を考えていただって?」

 陸王が面倒そうに問い返す。

 それに対して、雷韋は些か真面目な顔で閉じた蓋の上に手を置いた。

「これ以上、陸王に負担かけらんない。俺が中の毒針全部を蒸発させるよ」

「雷韋君、それは……」

 驚いて声を上げたのは紫雲だった。

 だが雷韋は、大きく頭を振った。まだ雷韋は中がどうなっているか覚えていたのだ。針の並びなどを。構成が分かっていれば、針だけに熱を通して蒸発させることが出来る。塗ってある毒の部分は熱さずに、そのまま残るようにするというのだ。毒の部分まで火を通すと、毒ガス状になって、逆に危険かも知れないからだ。だから、針を全て蒸発させたあとに残るのは、粉状になった毒とお宝になる。守護精霊が火の精霊だからこそ、出来る技だった。

「これまではきっと、この木箱は人間族にだけ伝わってきたんだと思う。精霊使いの獣の眷属なら、俺と同じ事が出来ると思う。特に守護精霊が火の精霊じゃなくても。俺はまだ未熟だから、守護精霊がほかの精霊なら出来なかったろうけどさ」

「本当にそんな事が?」

 紫雲が問うと、雷韋は大きく頷いた。

「出来なきゃこんな事言わないよ。陸王に無理して欲しくないし、中見たから出来るし、大丈夫だ」

「君に危険はないんですか?」

「うん。蓋を開けない限り、罠は作動しない作りになってたから大丈夫」

 そこまで言って、でも、と呟く。

「どうかしましたか?」

「ん~。危険ではないと思うんだけど、精霊障壁を薄くしないとならないのがなぁ」

「何故、精霊障壁を薄くする必要が?」

「精霊に中身を探らせて、その情報を聞かなきゃならないから。状態を聞くためには精霊障壁が厚いままだと、精霊一つ一つの声が拾えないんだ。厚いと、全体的に精霊がざわついてるから。だから今は精霊の声が沢山で、残留思念がほとんど聞こえてこない状態なんだよ」

 じゃなきゃ、触れもしないと雷韋は付け加えて、木箱の蓋をとんとんと指先で叩いた。

「雷韋、お前が無理する必要はないんだぞ。俺は毒を喰らっても、すぐに回復する」

 雷韋はそれに大反発した。自分よりも陸王の方が負担が大きいと。

「俺はちょっと声が聞こえるけど、あんたも紫雲も一緒にいてくれる。二人が一緒にいてくれるんなら、残留思念くらいなんともないよ」

 言う雷韋を、陸王はじっと見つめた。雷韋の深い琥珀の瞳のどこにも嘘はないか、無理はないかと確認するように。

 けれど、雷韋の瞳のどこにも嘘も無理も見出せなかった。陸王と紫雲の二人が傍にいてくれることに、素直に安堵しているようだった。

 それを確認して、陸王は雷韋に頷いてみせた。

 雷韋も頷きを返してくる。その雷韋が紫雲を見れば、紫雲も頷いてくれた。

「じゃあ、始めるから」

 言って、目を閉じると雷韋は集中した。

 端から見ていると、少しずつ障壁が薄くなっているのか、雷韋の身体が強張っていくのが分かった。それまで精霊達に阻害されていた残留思念が、頭の中に響くのだろう。

 残留思念は、言ってみれば死者の遺した言葉だ。思いであり、想いだ。それを聞くことは、精神的に負担になるだろう。それを押して、雷韋は毒針を消滅させようとしているのだ。なまなかなことではないと陸王は思う。自分が毒針を受けてもう一度蓋を開けばそれはそれで楽な気がしたが、雷韋はきっとこう考えている。

 陸王が一度やったなら、次は自分の番だと。

 また、罠を解除する自信もあるのだろう。毒針の針部分だけを『蒸発』させるなどと考えているところに、雷韋の自信が垣間見える。火の精霊力を使えば、どこを熱してどこを熱さないか雷韋の自由に出来るからだ。守護精霊故に、意識するだけで使役できるのも大きい。雷韋の意思次第でどうにでもなる。ほかの精霊では、雷韋はそこまで自由に使えない。大地の精霊などは力が大きすぎて、まだ印契と詠唱が必要なのだ。

 と、雷韋の様子が変わった。同時に宝箱からも熱が発せられてきた。雷韋は箱から熱が発されれば発されるほど、眉間に皺を寄せて何かに耐えているようだ。残留思念に耐えているのか、それとも別の問題で苦痛を耐えているのかはっきり分からない。

 ただ、苦しげであることは確かだ。

 それを目にして、つい名を呼びたくなったが、敢えて陸王は堪えた。雷韋は雷韋で、精霊と共に戦っているのだ。陸王がそれを邪魔してはいけない。紫雲の方をちらと見たが、紫雲も難しい顔をしながら雷韋をじっと見つめている。紫雲も陸王と同じ思いなのだろう。だが、今集中力を途切れさせるわけにはいかない。

 宝箱からは陽炎のように熱気が立ち上っていく。雷韋の腕にその揺らぎが直接触れているが、雷韋は懸命に術を行使しているだけだ。当然だ。雷韋には熱が伝わらないようになっているからだ。火の精霊が雷韋の身体を護って、熱気を寄せ付けない。雷韋がやろうと思えば、火の中に手を入れても火傷一つしないのだから。火が守護精霊だけに、熱でどうにかなることはない。

 溶岩や熱湯なら話はまた別だが。溶岩は岩が溶けているものだ。熱湯は水が沸騰している。両方とも火に関係性があれど、主体は大地と水だ。直接的に火に結びつかなければ、熱湯では火傷はするし、溶岩なら耐えられないほど熱気を感じる。けれど今は火が主体だ。蒸発しているのは鉱物だが、火の力の方が強い。だから熱気は雷韋に利かない。守護精霊が護っていられるのだ。

 陸王が雷韋の様子を黙って見守っているうちに、宝箱の蓋の隙間から熱気が吐き出されてきた。しゅうと音を立てて、吹き出した熱気が上着の袖を捲っていた陸王の腕にかかり、慌てて腕を引いた。小さく呻き声も上がり、雷韋が突然目を開いて陸王に顔を向ける。

「大丈夫だ。なんでもねぇ。それより集中しろ」

 そう言って聞かせると、瞬間、悲しげな目をしたが、雷韋は大人しく目を瞑った。

 熱気に当たった腕を見てみると、肘から先の半分が赤くなっていた。じくじくとした火傷独特の痛みが走り始めたが、雷韋の集中を途切れさせたくなくて、陸王は火傷した腕を冷やすことはしなかった。全て終わってから、雷韋の精霊魔法で回復して貰えばいいと考えたのだ。あるいは自分で回復の術をかけてもいい。

 その間にも、箱からは熱気が上がって室温が上がってきた。細く短いとは言え、流石に大量の針を蒸発させているとあっては熱気が溜まっていく。陸王は雷韋の様子をじっと見つめていたが、紫雲は籠もった熱を逃がそうと窓を開けに行った。窓を開けると一気に風が流れ込んできて、部屋中の空気を掻き混ぜる。陸王は正直、涼しくてほっとする。特別、暑さを我慢していたわけではなかったが、知らぬうちに室温が随分と高くなっていたようだ。

 雷韋が再び集中し始めて半刻ほど経ち、箱から熱も発されなくなった頃、大きく息をついて少年が目を開けた。

「終わったよ」

 雷韋がぽつりと言う。それはどこか疲れたといった態だ。いや、実際に疲れていたのだろう。守護精霊を操っていたとは言え、長時間に亘ったのだから。毒と金属の見分けも雷韋が精霊の視界を通して区別していたのだろうし、そんな細かい作業が疲れないはずがない。

「なら、もう開けてもいいのか?」

「解錠しなきゃ」

 雷韋が寝台の方へ行こうとするのを腕を引いて、一旦引き留めた。

「解錠は俺が魔術でやる。お前は少し休んどけ」

「そんなら椅子に座るよ。紫雲も立ちっぱなしだっただろ? 座ったら?」

「えぇ、そうですね」

 言って、雷韋と紫雲が席につく。

 陸王は宝箱を少しの間眺めて考え込んだが、結局素直に魔術を使って解錠した。カチャリと音がして、施錠が外れる。それを確認してから、陸王はゆっくりと蓋を開けていった。蓋を開け、ぱらぱらと粉が落ちるのが見えた瞬間、陸王は蓋を閉じた。

「紫雲、窓を閉めてくれ。風が入ると粉になった毒が舞い上がる」

「分かりました」

 紫雲は慌てて窓を閉めた。それを確認し、陸王はさっきよりも殊更ゆっくり蓋を開けていく。蓋から少し粉が落ちるが、窓を閉めたため、舞い散ることはなかった。

「雷韋、気を付けろ。吸い込んだら事だぞ」

「うん」

 雷韋は陸王を見てしっかりと首肯した。

 紫雲も戻ってきたが、卓に両手をついて、立ったまま覗き込んでくる。

 陸王が蓋をゆっくり開けて完全に開いたところ、灰色の粉が箱の中一面に広がっていた。おそらく針の燃えかすだろう。それを覆うように、黒っぽい粉が底に溜まっている。多分、これが毒の部分だ。時間をかけて燃えたためか、灰の部分はほとんど底に溜まっている。蓋に付いていた毒針が燃えて落ちたからだろう。反対に、毒と思われる黒い粉は灰に混じったり、上に覆い被さっていたりと一定しない。箱の中は灰が少し溜まっていたが、中央部分が小さく盛り上がっていた。そこは灰だけが溜まっていたので、陸王が灰を指先で退かせてみる。

 灰を退かせると、丸い蓋のようなものが現れた。蓋もそうだが、箱の中は元々緑の天鵞絨(ビロード)に包まれていたのだろう。蓋の内側も天鵞絨で覆われている。丁度その盛り上がりは、頂点が真っ平らな山のような形をしていた。色が緑とあって、本当に山のように見える。四センチ四方の円状だった。

 それを見て雷韋が呟く。

「その中にお宝が入ってるのかな? 箱に比べてお宝は小さいのな」

「何をしまったのかは知らんが、よほど人に渡したくなかったようだな。外せない罠で護りやがって」

「陸王、蓋取ってみろよ。何が入ってるのか知りたい」

 雷韋の言葉に陸王は小さく嘆息し、蓋を外した。

 途端、雷韋の瞳が大きく開かれる。昼間だから普段は光を遮るように縦に絞られている雷韋の瞳孔が、一気に開いた。

「これ!」

「あ?」

 雷韋が叫ぶも陸王には特別驚くようなことはなかった。天鵞絨で覆われた蓋を外すと、中からは指輪が出て来た。大きな青い石が付いている。真っ青な石で、石の線が一本入っていた。

「雷韋、こんな指輪がどうかしたのか?」

 取り出してみると、雷韋の開ききった瞳孔も指輪を追う。それを無視して陸王は指輪を吟味し始めた。指輪の表面には何も彫られていないが、裏側、丁度石の裏側に何か紋様のようなものが彫られている。だが、陸王にはそれが何かなど全く分からない。

「陸王さん、私にも見せてください」

 紫雲が言ってきたので、素直に紫雲に渡した。紫雲も石と裏側の紋様を確認していたが、まるで分からないという顔をしている。

「紫雲、紫雲! 俺に見せて!」

 一人だけ興奮しているのは雷韋だった。両手を差し出して、そわそわしている。

「どうぞ」

 雷韋が紫雲から受け取ると、少年はまず真っ青な石に見入り、そのあと裏側の紋様に見入っていた。

「……すっげーよ、これ」

 呟きにもかかわらず、異様な熱がこもった一言だった。

「何がそんなにすげぇんだ」

 指輪の何が凄いのかさっぱり分からない陸王が言うと、紫雲も続けるように不可思議そうに頷く。

 だと言うのに雷韋は二人に答えず、ただ真っ青な石を眺めているだけだった。けれど、眺めるその目は瞳孔がまん丸に開いて、まるで雷韋の周りだけ夜になってしまったかのようだ。陽の光に猫目が時折キラッと光る。

 あまりにも興奮しすぎの雷韋に呆れて、陸王は指輪を持つ雷韋の手を上から覆って指輪を隠してしまう。

「何をそんなに興奮してやがる。少しは説明しろ」

「これの価値が分かんねぇの!?」

 逆に雷韋に非難される。何を非難されても構わないが、せめて理由が知りたかった。それがなければ、何を非難されているのかすら分からないのだから。雷韋は全てが頭に入っているから問題はないのだろうが、陸王と紫雲はそうではない。それどころか雷韋は、陸王達が指輪の価値すら分からないことが大問題という風だ。

「ちょっとは落ち着け。俺にも紫雲にも、そいつがなんなのかすら分からんのだ。俺達にとっちゃ、ただの指輪ってだけだ」

 それを聞いて、雷韋は陸王を見、紫雲を見、それから指輪を隠している陸王の手に目を落とした。

「え~? この石すら何か分かんないわけ? うっそだろ?」

「嘘じゃねぇよ。なんなのか分からん。だから説明しろ」

 雷韋は陸王の言葉に眉が八の字になった。もう一度、陸王を見、紫雲を見る。

「石は瑠璃(るり)だよ。ラピスラズリとも呼ばれてる。守護石によく使われるんだ。邪気を祓うって言われてる。邪気を跳ね返して幸運を呼ぶってさ」

「瑠璃か。見た事はないが、聞いたことはあるな。そんなに特別な石なのか?」

 陸王は雷韋の手から指輪を奪う。

 雷韋が言うには、ラピスラズリは宝石としてはそれほど珍しいものではないが、この石には特別に、とてつもなく強い大地の力が込められているという。住みついている精霊の数が尋常ではないらしい。元の持ち主が、こんな仕掛けの箱を作ってしまい込んだのも頷けるというのだ。強力な力を有していて、邪気を祓い、大きな幸運を引き寄せる石なのだと。雷韋自身も、ここまで強い力を持ったラピスラズリは見た事がないらしい。しかも石そのものも、普通のものより大きいのだと言うのだ。

「きっと、手放したくなかったんだと思うぜ。だからこんな箱を作って入れたんだ」

「だがこうして、今は俺達の手にある」

 陸王が言うと、紫雲が言った。

「なんでもそうですが、よい力も大きすぎるとよくないと言いますよ。このまま持っていても大丈夫なのでしょうか」

「何言ってんだよ、紫雲! これは凄い幸運の石なんだ。悪いことは寄せ付けずに、祓っちゃうんだぜ? んで、幸運を運んでくるんだ。俺は手放したくない。反対!」

 両腕を上げて、反対と連呼する。

 それを見て陸王は雷韋の頭を軽く叩いた。

「いった!」

「お前、この石に魅入られたな」

「え? どういう意味?」

「俺にはこいつがいいもんだとは思えん。石としては幸運を運んでくるのかも知れんが、お前の反応は異常だ」

「な……。そんな事……」

「指輪を見た途端、お前の反応はおかしくなっている。光もんが好きなのも、精霊が大切なのも分かる。だが、この指輪を一目見ただけで、お前は目の色が変わった。完全に石に魅入られている状態だ」

 紫雲も続けて雷韋に言った。

「私も雷韋君の様子はおかしいと思います。確かに強い力を持つ石ということで夢中になるのは分かりますが、反応が常態じゃありません。何かに惹かれている人特有の反応になっていますよ。しかも、それはよい惹かれ方ではない」

「なんだよ、紫雲までさぁ! この指輪って宝もんじゃん! せっかく苦労して取り出したんだぜ? そりゃ執着もするよ」

 紫雲はその段になって、再び椅子に座った。

「陸王さん、その指輪は始末した方がいいと思います」

「あぁ、同感だ」

 陸王は頷きながら返した。そのついでとでも言うかのように、手の中に指輪を握り込んでしまう。

「ちょ、始末って! それ、俺が取り出せるようにしたんだぞ! なんで二人で勝手に始末って決めちゃうのさ!?」

「危険だからだ」

 陸王が端的に言う。だが、雷韋は引かない。

「何が危険なのさ。それがあれば、悪いことは起こらないんだぞ! それくらい強い力が込められてるんだ」

「強い力があるからこそ、危険なんだろう。お前も普通じゃねぇし、幸運を呼び込むって話だが、絶対に反動がある。その力をもろに被るのは多分お前だ、雷韋。だから始末する。この木箱と一緒に古物商に返してくる」

「そんな! 指輪の裏にだって神代語(ダリ)が彫られた凄い指輪なのに!」

「神代語? この紋様みたいなのは神代語なのか」

 陸王は指輪を持っている手を開き、神代語だという文字を見た。

「因みに、なんて書いてあるんだ」

「『(さち)』だよ。絶対的な幸運のお守りさ」

 神代語は神聖語と同じで、言葉そのものに魔力が込められている。神聖語は光の神・天慧と闇の神・羅睺(らごう)の言葉だが、神代語は原初神である光竜の言葉であり、獣の眷属のみが使える。人間族や天使族、または堕天使のなれの果てである魔族には使うことは出来ない。天慧と羅睺の系譜には真名(まな)がある。存在そのものを表す隠された真の名だ。真名もまた魔力を秘めている。光と闇の神の系譜が神聖語を使えるのは、真名に魔力があるためだ。それは神聖語を使う上では必要だが、神代語は神聖語より強大な力を有しており、より純粋な言葉だ。真名を持つ者には、真名の特別な魔力が邪魔をして神代語を言葉として形成できないのだ。

「だったら余計だな。何を持っていようが持っていまいが、人の生には幸運ばかりが寄ってくるわけじゃない。悪いことも起こる。『禍福は(あざな)える縄の如し』と日ノ本では言う。幸も不幸も、より合わせた縄の表裏のように交互にやってくるって意味だ。初めは幸運がやってくるかも知れん。だが、あとで禍が襲ってくるだろう。こういうもんは危険なんだ。だから、特にお前みたいなのには絶対に渡さん。何が起こるとも知れんのだからな」

 雷韋はそれを聞いて、酷く悲しそうな顔になった。とてつもなく大きな力をなくしてしまうのが悲しいのだ。苦労して取り出したせいもある。色々ありながらも、やっとの事で取り出した。それなのに、手放さなければならないのが酷く悲しかった。正直に言えば、無念だ。

 指輪に神代語が彫られていたことから、指輪を作ったのは光竜の眷属である、獣の眷属だろうと思われる。元は獣の眷属が所持していたのだ。それがどんな経緯でか、人間族に渡った。その結果、絶対に外せない罠を仕掛けて指輪が封じられた。それは持ち主に死が近づいてきたときなのかも知れない。いや、それとてはっきりしない。何百年も前から罠のかかった宝箱にしまい込まれていたからだ。今日、ここで開けるまで様々な人の手に渡ってきただろう。人の手を渡って、それぞれの持ち主を殺してきたのだ。

 それを思うと、せっかく箱を開けられたのに、封じられていた宝を手に出来ないのは無念以外の何物でもない。

「陸王」

 雷韋は情けない声で陸王を呼んだが、陸王は宝箱の蓋を閉めて席を立った。宝箱を小脇に抱えて出ていこうとする。

 それに雷韋は飛びついた。陸王の腕を取って、指輪を奪おうとする。

 その時、陸王が小さく呻いた。ほとんど同時に、雷韋の手が濡れる。思わずと言った風に陸王の腕を放したが、袖が濡れている。

 雷韋は自分の両手を見て驚いていた。

「み、水? な、なんで……?」

 その様に紫雲が慌てて席を立って、陸王の腕を取った。袖を捲りあげると、腕に出来た大きな水ぶくれが破けて、中に溜まった水が溢れていたのだ。それは火傷の跡だった。

「え? なんで? 陸王、何があったんだよ?」

 あまりの驚きに、雷韋の声が掠れる。紫雲も驚きに目を見開いていた。

「陸王さん、こんな事になっていたんですか?」

 二人の反応に、陸王は面倒臭げに返した。

「たかが火傷だ。あとで回復の術をかければ、綺麗に治る」

 本当は雷韋に手当てして貰うつもりだったが、それよりも重要なことが目の前で起きてしまい、それどころではなくなったため、放置することになったのだ。だから袖で隠していた。

「陸王、なんでこんなになったんだ?」

 雷韋はかなり動転している様子だった。陸王の腕に完全に気を取られて、指輪のことなど頭からすっかり消えてしまったようだ。

「陸王、これどうしたのさ?」

 しつこく聞いてくる雷韋に陸王は一つ吐息を零して、正直に毒針を蒸発させている最中に火傷を負ったことを話した。とは言っても、袖で隠してしまっていたから、陸王自身も腕に大きな水ぶくれが出来ていることに気付いていなかったのだ。水ぶくれが破けて、袖がびしょ濡れになって初めてどうなっているのか知ったくらいだ。

「俺、治すよ。植物の精霊魔法でなら、すぐよくなるからさ」

 雷韋は紫雲が手にしている陸王の腕を取って、火傷の傷に触れないように袖を捲し上げた。完全に火傷の部分を袖から出し切って、左手を翳した。雷韋の手に淡い緑の光が灯って、それが火傷をした陸王の腕にも移る。薄い緑色の光は陸王の腕全体を包んで、水ぶくれの破けた皮膚を元に戻し、肌を綺麗に整えていく。真っ赤になっていた陸王の腕もあっという間に赤みが消え、傷もなくなり、暫しもすると火傷などなかったような綺麗な腕に再生された。

「うん、治った。もう痛みもないだろ?」

 雷韋が陸王に問いかけると、陸王は「あぁ」と頷く。

「ごめんな。あんときだろ? 陸王、呻いた瞬間あったよな。熱風でもかかったか?」

「まぁ、少しな」

「少しじゃないだろ。腕の半分が水ぶくれになるなんて」

 陸王は苦笑を漏らして、雷韋の頭に手を置いた。

「なんてこたねぇさ。治して貰えたしな。お前の術で綺麗な腕に戻った」

「でも俺、あんたに痛い思いばっかさせた。火傷させて、水ぶくれ破いて」

「そのあと火傷を治したのはお前だろう」

「そうだけど、怪我させたの俺だもん。治して当然じゃんか」

 言う雷韋の頭を撫でて、

「もうそろそろ行ってきてもいいか?」

 半ば真剣に問いかけた。まだ魅入られているかも知れないと思ったからだ。

 けれど雷韋は、素直に頷いて返した。

「そんなののせいで陸王が痛い思いしたんだ。もう、欲しいと思わないよ」

 それを聞いて、陸王は雷韋の頭をぽんぽんと撫で叩くと、苦笑してから部屋を出て行った。

 この時、陸王はほっとしていた。腕のことがあっても、まだ指輪に執着する様子を見せたらどうしようかと思っていたのだ。しかし、その様子は綺麗さっぱりなくなっていた。陸王の怪我に衝撃を受けて、些か頭が冷静になったせいだろう。

 陸王はさっさと用を済ませて、すぐに戻ってこようと思った。興味本位で手に入れた宝箱は、危険なものをうちに宿していたのだ。ほんの遊び心だったはずが、色々と大変なことになった。もし次に何か面白そうなことを聞いても、手は出さずにおこうと一人反省した。



 古物商から戻ってくると、部屋には紫雲の姿はなく、雷韋だけがぽつねんと寝台に腰掛けていた。

「紫雲は自分の部屋に戻ったのか?」

 戻るなり声をかけてみたが、雷韋は宙の一点をぼんやりと眺めているだけでまともな反応は返ってこなかった。

「どうした。あの指輪が今更惜しくなったか? だが、もうねぇぞ。諦めろ」

 陸王の言葉を聞いて、雷韋は臍を曲げたような顔を向けてきた。

「ちがわい。そんなんじゃないよ」

 口を尖らせて返してくる。

「じゃあ、なんだ。何をむくれている」

「ん~……」

「唸っていても分からんぞ」

 言いつつ、陸王も寝台の方へと行った。自分の寝台に腰掛けて、雷韋の顔を真正面から見る。

「何を考えているんだ?」

「うん……」

 雷韋がそこで言葉に詰まってしまったようなので、陸王は急かさず、雷韋の調子に合わせることにした。

 真正面から見られた雷韋は陸王の顔を見ていたが、やがてほんの少しだけ足下に視線を落としたあと再び陸王の黒い瞳と目を合わせると、言った。

「俺、おかしかったなぁって、思ってた。あんたにも言われたけど、紫雲にも言われたし、今は自分でもそう思う」

「そうか」

 陸王は相槌だけ打ってやる。その方が雷韋の言葉が聞けそうだと思ったからだ。

 実際、それはその通りで、雷韋はあの指輪を見た瞬間感じたことを語ってくれた。

 あの指輪を見て、初めに大地の精霊の力強さに惹かれたらしい。宝石を含め、石には必ず精霊が付いている。通常、それらの精霊はそれほど力は持っていないという。岩石を岩石たらしめるために、精霊は石に住み着いているのだ。精霊が抜けてしまった石はもろもろと崩れてしまう。精霊が付いていてこそ、石は石として固形物として存在する。どんな小さな宝石でも、必ず精霊が住み着いているのだ。雷韋が着けている耳飾りの紅玉(ルビー)にも勿論、大地の精霊が住み着いている。聞こうと思えば、大地の精霊の会話する声が聞こえてくる。ただ、大地の精霊の力は大きすぎるため、雷韋はあまり上手く声を拾うことが出来ない。耳飾りのせいで耳元で言葉を発しているが、精霊の声は直接頭に響くため、実際は距離は関係ない。大地の精霊の声を聞き分けるのだったら、植物の精霊の声や火の精霊の声を聞き分ける方が簡単に出来る。それだけ使役する機会が多いからだ。慣れている精霊の声ならすぐに聞き分けられる。大地の精霊は、雷韋にとってはまだ扱いが難しいのだ。

 それでもあの指輪に住み着いていた大地の精霊の声は、はっきり聞き取れた。いつも感じる精霊の力より、力強くも感じた。それを知った瞬間、精霊に魅了されたという。離れがたい感覚に陥ったというのだ。陸王の怪我を知らなければ、未だにごねていたかも知れないとも。

 しかし今はもう違う。自分でもあの時の自分はおかしいと感じるのだと言う。本当に魅入られ、取り憑かれてしまったようだったと。とにかく、あのラピスラズリには一瞬で引き摺り込まれた。手にするべきだと思ったのだというのだ。だが、魅入られたからこそ思うのは、あの木箱と関係があるのではないかと思ったと。決して解除できない仕掛けが施され、罠を解除したと思って蓋を開けた途端、毒針が飛んでくる仕組みには誰にも渡さないという意思が働いていたのではないかと思うという。誰にも渡さない罠を仕掛けたのは、あの指輪が危険だからだ。作ったのは、おそらく獣の眷属。それがどうして人間族の手元に渡ったのかは知らないが、これまで誰にも開けることが出来なかった。いや、開けることは出来たのかも知れない。その代わり、解除できない罠が発動して、毒針で生命を落としたのだ。誰の意思なのかは知らないが、宝箱は開けたあと、勝手に蓋が閉じるようになっている。もしかしたら、あの仕掛けを作った者の残留思念が残っているのかも知れない。指輪は誰にも渡さぬと言う意思があるのではないかと。

 陸王が言っていたように、大き過ぎる力は危険と隣り合わせだ。まさに、禍福は糾える縄の如し。よいことがあれば、悪いことも引き寄せる。力が大きければ大きいほど福は素晴らしく、禍は凶運をもたらすのだ。

 だからあの仕掛けを作って封印した。

 そもそも、なんの意図があってあの指輪は作られたのか? 神代語で『幸』の一言が彫り込まれていた。指輪を作った者は凶運を呼び込むことを想定していなかったのだろうか? だからあの宝箱に封印したのかも知れない。あとになって、反動の禍が大きすぎることを知ったから。

 雷韋はそう思ったという。

「それはどうか知らんが、指輪を作ったのは失敗だったな」

 陸王が吐き出す息に乗せて言った。

「壊そうと思わなかったのかな? あれ、壊せるよな?」

「壊せるだろうが、いつか誰かの役に立つかも知れないと考えたのかもな」

「陸王はさ、なんで古物商に戻してこようと思ったんだ? 壊せばよかったのに。そうしたら、誰の手にも渡んないし、手にした人に悪いことが起こらないのに」

「必要なとき、必要な奴に渡るかも知れんと思ったからだ」

「じゃあ、俺には毒で、ほかの奴には薬になると思った?」

「まぁ、そんなところだな。存在しているってことは、誰かの役には立つだろうってな」

「そっか」

 雷韋は腕を組んで、うんうんと数度頷いた。

 陸王は逆に溜息をつく。

「まぁ、暫くあれは表に出ないだろうがな。古物商にいいだけ言い含めてきた」

「それがいっかもな。俺ももう二度と見たくないし」

「ほう。そこまで吹っ切ったか」

「だって、あの時の自分を思い返してみたら、なんだか怖いんだもんさ。自分なのに、自分じゃないみたいで」

「確かにな」

 言って、首肯する。

「もう、あんな怖い思いしたくない。残留思念は消えたけど」

「消えたのか?」

「うん、毒針全部蒸発させて、蓋を開けたら突然消えた」

 雷韋の言葉を聞いて、陸王は、存外、あの仕掛けに思念が残っていたのかも知れないと思った。皆、あの仕掛けに殺されたからだ。罠を完全に消滅させてしまったために、残す意思がなくなったのかと。

「そうか、なくなったか」

 心のどこかで、ほっとしている自分がいることに陸王は気付いた。それに気付いて、思わず溜息が漏れる。少なくともあの指輪は、自分達に必要なものではなかった。その上、残留思念まで消えたのなら、もう何も心配はいらないだろう。いつか、古物商があの指輪を必要とする者に渡すときが来るのだ。それがいつかは分からない。もしかしたら遠い未来になるかも知れない。あるいは近いうちにその時が来るかも。それは今はまだ分からないが、なるようになると思った。なんにでも時流というものがある。自分達にもいつか、何かが手に入る時が来るかも知れない。はっきり分かっているわけではないが、そんな気がするのだ。ただ、今回のことを思い返してみても、あまり大きな力が働くようなものではなければいいがと思う。

「りーくお? 何考えてんだ?」

 考え事に耽っていて、ぼうっとしていたかも知れない。

「いや、別になんでもねぇさ」

「ほんとかよ。かなりボケ~としてたけど」

「お前じゃあるまいし、そこまで酷くねぇ」

「うわ、しっつれい!」

「お互い様だ」

 苦笑に混ぜて言い遣った。

 雷韋もそれを受けて、どこかにやにやしている。それを見て、陸王は一区切りつけるように言った。

「雷韋、手を出せ」

「は? 何?」

 問いはしたが、素直に手を出す。

 陸王はその手に、懐から出した革袋から金貨を落としていく。

「な、なんだよ、これ」

「古物商があの指輪を買い取った金だ」

 雷韋の手に乗ったのは金貨が一〇枚だった。

「これがお前の取り分だ」

「こんなに? 紫雲も同じか?」

「いや」

 陸王はそこで底意地悪そうに笑んだ。

「あいつにはない。自分の部屋に帰っちまったからな。それに、金貨も二〇枚しかない。三人で割ると面倒だろう」

「いや、それはねぇよ!」

 雷韋は慌てて金貨を五枚ずつに分ける。片方をズボンのポケットに突っ込み、もう片方は手に握って部屋を出て行こうとする。

「紫雲に分け前をくれてやるのか?」

「そうだよ。三人で割るのが面倒ってんなら、俺と紫雲が五枚ずつにする。あんたは一人で金貨一〇枚貰ってろよ」

 雷韋は舌を出して抗議してから、部屋を出て行った。

 陸王はそれを見て、溜息をつく。全く律儀だと思ったのだ。別に三人で分けることは出来るが、銀貨や銅貨がどうしても必要になる。それを考えると面倒だったのだ。だから雷韋と山分けにしようと思っただけなのだが、雷韋の行動を見ると自分が酷く浅ましく思えてくる。

 頭を掻きながら、ぼそりと独り言ちた。

「……ったく、しゃあねぇな。あとで三等分にするか」

 誰に言い訳をするでもないが、そんな言葉が口をつく。

 それから陸王は部屋を出て食堂に下りていった。部屋を出る際には鍵をかけた。雷韋が戻ってくるかも知れないが、陸王が部屋にいないとなれば食堂に下りてくるだろう。まだ陸王は朝食を摂っていないのだから、雷韋がいないまま部屋を空けるのは致し方ない。

 階下に降りて、一つの席につく。

 あと少しすると、雷韋がカンカンに怒ってやってくる様が思い浮かんだ。なんとなくそんな事が思い浮かぶのだ。まだそれほど長く一緒にいるわけではないと思うが、反面で、一緒になってからかなり時間が経っているようにも感じた。

 そのことを不思議に思う。出会ってからまだまだ短い気もするのに、雷韋の行動が読めるくらいにはそこそこ長い気もするのだ。

「陸王!」

 雷韋の怒鳴り声が聞こえた瞬間、何故か陸王はおかしくて小さく吹き出した。声がカンカンだったからだ。やはり怒っている。

 付き合いが長いのかまだ短い部類に入るかは置くとして、雷韋を揶揄(からか)いながら食事をするのもいいかと思った。

 部屋の鍵を渡せば、雷韋もおそらく部屋に戻って、ヌガーの皿を取ってくるはずだ。

 一人で静かにゆっくりと食べるのもいいとは思うが、おサルを弄りながら食べるのもまた一興だ。雷韋には悪いが、いい暇潰しになる。弄ればまた雷韋は機嫌を損ねると思うが、それもまたよいと思うのだ。

 今日は朝から色々とめまぐるしいが、陸王はこのままめまぐるしく一日を過ごすのもいいかと思った。

                                  了

 と言うわけで、後書きです。

 どうでしょう?

 お話の意味、分かりましたかね?

 福を招いて凶事も招く石のお話でした。

 読んでいただいた方々には、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。


 次回本編のUPは半年後を予定しております。

 タイトルもまだ仮のタイトルで、物語後半の後半部分がまだ書けていません。

 自分は全部書き終わってから小分けにして連載をするので、次作まで少々お時間をいただくことになります。

 今現在も執筆中ですが、DVD見たり、ネトフリ行ったり、ゲームしたり、本を読んだりとあっちこっちに手を出しているので、多分、次作の連載は早くて半年後となるかと。

 勿論、半年後が『予定』なのですが。

 書いていて、特に推敲に時間をかける性分なので、お目にかけられる作品に仕上がらない限りはUP出来ません。

 連載を開始しても、その間に何度も推敲します。

 特にUPする日は目を皿のようにして、最終推敲をかけます。

 なもんで、推敲に時間の大半が取られると思いますが、次作は約半年後を予定しています。

 7月か8月ですね。

 その際、「巻の五『○○』」と言う風にして、『獣吠譚(じゅうこうたん) 覇界世紀(はかいせいき)』とは明記しません。

 連載が終わったら、『獣吠譚 覇界世紀 巻の五『○○』』とタイトルを整えます。

 『巻の四』が終わったので、そちらも『巻の四「死の葬列」』から『獣吠譚 覇界世紀 巻の四「死の葬列」』と変更しています。

 この小咄も後に『獣吠譚 覇界世紀』と頭に名前が付け足されます。

 シリーズものなので最初から付けたいのですが、多分、ほぼ初見では頭のタイトルが読めないと思います。

 だからあとから付け足します。


 まぁ、そんなこんなで、今回の『罠と禍福の石』は以上のようなものになりました。

 楽しんでいただければ本当に幸いです。

 あ、小咄(こばなし)編ではほぼ感じませんが、本編はダークファンタジーです。

 回を増すごとにダークになっております。

 巻の三はそうでもないかな?

 あれは長いだけですね。

 巻の二と巻の四がダークです。

 次作は『なろう』様では無理な描写があるので、ミッドナイトノベルにて連載予定。

 でも小咄編は、シリアスはあってもダークに書くことはありませんからご安心ください。


 ではでは、ここまでお付き合いくださった皆様方、有り難うござしました!

 お疲れ様でした!

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