婚約
パーティーの数日後。家庭教師のマリア夫人と歴史の勉強をしていたところで、お父様の側仕えがやって来た。
「ユーグレット様がベルフィール様をお呼びです」
「今すぐに、でしょうか?」
「はい」
めったに呼ばれることがないお父様の執務室に向かう間、緊張で心臓がはち切れそうになっていた。
「お父様、ベルフィールです」
「入れ」
机には、お父様の姿が見えなくなるほどの書類の山ができていた。
ソファに座ると、お父様の側仕えがマカロンがのったお皿を運んでくる。
「ふわぁぁあ!美味しそう……」
「今大人気のパティスリーのマカロンだ。ベルは甘いものが好きだろう?」
「大好きです!」
桃色のマカロンを一口齧ると、口の中にクリームがとろけてふわっとベリーの香りが広がった。
「美味しい……ありがとうございます、お父様!」
「それは良かった。……お前を呼んだのは、縁談についての話をするためだ」
「縁談?私に縁談が来ているのですか?」
お父様は険しい顔をして書類の山を指差した。
「この山一つは全てベルの縁談だぞ。困ったものだ。まだ縁談なんて必要な年頃ではないというのに……」
「……この中から、私が選んでもよいのですか?」
「もちろんだ。だが一つ、無視できないものが入っていてな」
そう言ってお父様は書類の山から一枚つまみ上げ、風魔法に乗せて私の手元に運んできた。くるくると回って手に収まったのは、綺麗な濃紺の封筒。そこには、丁寧な言葉で婚約の申し込みが記されていた。送り手の名前は、ルクベルシア・ユスタリカ・アレクサンドロス。
「これって……王子様からの!?」
「ああそうだ。よりにもよって……」
「……お父様。私、ルクベルシア様と婚約したいです」
お父様は固まり、そのまま動かなくなった。
「お父様……?」
「……いや……どうしてルクベルシア様を選ぶ?」
お父様の少し真剣な眼差しに、私は言葉を選びながら答える。
「王家との婚約は、ノラサグリ家にとって重要なはずです。エルフィアナお姉様とウィルレスト王子の婚約が成立するとなれば、なおさら、私達はユスタリカへの忠誠の姿勢を見せる必要があります。そこで私が婚約すれば、ノラサグリ公爵家とユスタリカ王家の繋がりを示せるだけでなく、我が家はユスタリカとパルリティスの架け橋となることができる。……素敵なお話でしょう?」
私の話を聞いたお父様は満足気に微笑んだ。
「他には?」
「他の理由は……今すぐに挙げるのは難しいけれど……きっとたくさん……」
「ベルフィール。お前が選ぶ理由は?」
お父様の言葉に、今度は私が固まる番だった。大人ぶって理屈を並べても、お父様には昔から見破られてしまう。私は自分の気持ちに正直になることにした。
「……王子様と婚約することが夢だったの。お父様とお母様みたいに、私も物語のように素敵な恋をしてみたいのよ」
……きっと私、今真っ赤だわ。
お父様は、書類に顔を戻す。
「王家には返事を返しておく。勉強に戻りなさい」
「……ということは、私はルクベルシア様と婚約を?」
「まだルージュに相談していないから確定ではないが、もともと私にとってもルクベルシア様は有力候補だったんだ。……だが決定する前にベルの素直な気持ちを聞けて良かった」
「……ありがとうございます、お父様!!」
お父様の頬にキスをして、飛び跳ねたいのをこらえながら執務室を出た。
「ナティ、私婚約するのよ、王子様と!とっても楽しみだわ……」
「ええ。お転婆なお嬢様の姿を見て王子様が驚かないか心配ですね」
「ナティったら!!」
頬を膨らませた私に、ナティはくすくすと笑った。
ルクベルシア王子とベルフィールは、もうすぐユスタリカ王立学園に入学する。そのため、婚約の準備は早急に進められ、両家の顔合わせはその一週間後に王宮で行われることになった。
私はお父様とお母様と馬車に乗って王宮に向かうものだと思っていたが、そうではなかった。
「ベルフィールは初めてだからな。これを飲んでおくといい」
お父様から渡された瓶は、魔力酔い止め薬だった。
「今日は転移陣を使うのですか?」
「そうだ」
転移陣を!?とうとう私も使えるのね!!……嬉しすぎて思わず頬が緩んでしまう。
転移陣を使うと魔力の乱れが生じるため、まだ幼く魔力が安定しない子供が使うのは危険だ。だから、デビュタントを終えた14歳から利用できると決まっている。私は転移陣を使ってお仕事に向かうお父様の姿を見て、ずっと憧れていたのだ。
「ベルもようやく転移陣を使えるようになったのね。……緊張してる?」
「いいえ。ルクベルシア様と会うのは緊張してしまうけど、転移陣ではしないわ。だって、ずっと楽しみにしていたんですもの!」
薬をきちんと飲んで転移陣の上に乗ると、やっぱり少し緊張してきた。身を固くしていると、お母様がそっと手を繋いで微笑んだ。
「こうしておけばベルがすり抜けて行ってしまうこともないもの」
「お母様……ありがとうございます」
お母様はなんでもお見通しなのだ。
「用意ができた。頼む」
「かしこまりました。気をつけて行ってらっしゃいませ」
視界が明るくなったかと思うと、大きく揺らいだ。宙に浮いているような感覚に包まれ、思わず目を瞑る。足の感覚が戻ってきた頃に目を開くと、見慣れない部屋についていた。……すごく気持ち悪い……身体の中をかき混ぜられているような気分だわ。
「ユーグレット・ノラサグリ様、ルージュ・ノラサグリ様、ベルフィール・ノラサグリ様。本日はお越しくださり、誠にありがとう存じます」
「丁寧な出迎えに感謝する。陛下はどちらに?」
「すぐにご案内させていただきます。その前に少々、こちらの部屋でお待ちくださいませ」
出迎えてくれた執事が、私の方をちらりと見る。隣の部屋に通されると、すぐに紅茶と小さくて綺麗な砂糖菓子が運ばれてきた。紅茶を一口飲むと爽やかな香りが広がり、気持ち悪さが少しずつ収まってきた。
「こちらのお紅茶は香りが素晴らしいですね、お母様」
「ええ、本当に。サーク草が使われているようね」
「サーク草の紅茶は落ち着くだろう?」
「とっても」
つまり、先程の執事は初めて転移陣を利用した私の体調を気遣ってくれたというわけだ。……王宮の執事達はこんなにも素晴らしいのね。
しばらくすると再び執事が戻ってきた。
「では、準備が整いましたのでご案内させて頂きます」
部屋から出て、しばらく廊下を進み続けた。王宮の内装は我が家より温かみがある。私にはそれが少し落ち着かなかった。
他より一際大きな扉の前で、執事が立ち止まった。
「中で陛下がお待ちです」
お父様は一瞬、安心させるように私の方を見てから扉を叩いた。
「陛下、ユーグレットでございます」
「入れ」
部屋に入ると中は広く、陛下と王妃様、それにルクベルシア様が座っていた。
「よく来たな。挨拶はいい。ベルフィール、初めての転移陣はどうだった?」
「少し魔力に酔いましたが、とても楽しかったですわ」
「そうかそうか」
陛下は満面の笑みを浮かべながら私達に座るよう勧めた。
「ベルフィール様はとても礼儀正しくて素敵なお嬢様ですね。マリア夫人が家庭教師をなさっているとか」
「ええ。私が学園にいた時からマリア様とは交流があり、そのご縁でお願いをしたのです。とても良い先生ですよ。ねえ、ベルフィール?」
「はい、マリア夫人は沢山褒めてくださいますし、私のお話にも耳を傾けてくださるのです」
「まあ、それは羨ましいこと。ルクベルシアの家庭教師はなかなか良い人が見つからなかったのよ。この数年で何人を雇ったのかわからないわ」
しばらく世間話をした後、陛下がわざとらしく咳払いをして、本題に入った。
「ではそろそろ、婚約の話に入ろうと思う。……先に言っておきたいのだが、この婚約はルクベルシアの希望なのだ」
陛下の言葉に驚いてルクベルシア様を見ると、彼は耳を赤くして笑った。
「デビュタントのパーティーでベルフィール様と出会って思ったのです。こんなに素敵なお嬢様と一緒に生きていけたらいいなって」
「……ルクベルシア様にそう言っていただけて、すごく嬉しいです」
「ベルフィールともルージュとも話し合って、婚約のお話は謹んでお受けさせていただきます」
私は少し恥ずかしくなってルクベルシア様から視線を外した。……ルクベルシア様にこんなことを言っていただけるなんて、本当に、想像もしていなかったわ。
「ルクベルシア、ベルフィールに庭を案内してあげなさい。大人達はしばらく難しい話をするからな」
「わかりました。……ベルフィール様、いきましょうか」
「ええ」
ルクベルシア様に腕を差し出され、私は一瞬固まった。家族以外の人のエスコートなんて、初めてだ。庭に着くと、ルクベルシア様はここが一番綺麗に見渡せる場所だから、とベンチを勧めてくれた。
「ベルフィール様は普段、どのようなことをして過ごされていますか?」
「そうですね……勉強の時間以外は、本を読んだり、魔術の練習をしたり、お洋服のデザインを考えたり……それと、これは内緒なのですが、私はお料理やお菓子を作ることも大好きなのです」
「ご自身で作られるのですか!?すごいですね」
「もちろん側仕え達に手伝ってもらう部分もありますが、最近は1人で作ることが多いかもしれません」
「どうして内緒にしているのですか?」
「……あまり令嬢の趣味として良いものではないでしょう?」
「そのようなことを気にする必要はありません!!ベルフィール様がやりたいことを、胸を張ってやるべきです」
私は、ルクベルシア様と思っていたより会話ができることに驚いていた。また、ルクベルシア様の考え方にも惹かれていた。
彼なら私のどんなことでも否定せず、受け入れてくれる、そんな気がし始めていた。
幸せな年末年始もあっという間に終わってしまい、餅のような体型になったまま日常に戻りつつあります。
遅くなりましたが、2026年もどうぞよろしくお願いいたします。




