15ー蚤の市ー
「あれ、新見やん。珍しい」
ユキカがソウタの姿を確認して、目を丸くしながら、声をかけてきた。手にしていた鼈甲の櫛は店主と折り合いが合わずに、結局、買わなかったようだ。
「友人の付き添いでね。筧さんはやっぱり掘り出し物狙いか」
彼女が骨董に興味があるのは知っている。ユメミとともに喋っているのは幾度となく聞いている。
「そら蚤の市やからね。ヤバいもん出てこないかなって」
適当な会話をしている中で、ミノルはユキカの髪をじっと見ていた。
「髪に挿している簪は――漆のもの?」
挨拶も済ませないまま、ユキカの髪を指さして尋ねる。ユキカは束の間、大きな眼をぱちくりとまばたかせてから、さっと簪を抜いた。はらりと染め色混ざりの長い髪が流れ垂れた。
「よくわかったね。はい」と言いながら、抜いた赤銅色に落ち着いた簪をミノルに渡した。そしてお返しとばかりに、キュッと瞳を鋭くさせてから、「今日は、振袖やないのね」と返した。
「振袖は着たことないな。おキャンやあるまいし」と苦笑を浮かべながら、受け取った簪を鑑めながらミノルは応えた。
「知り合いなのか」
「いや。ただ――」「天神さんでも、弘法さんでも見かけたことがあるってヤツかな。まさか新見の知り合いとはね」
どうやら以前から、蚤の市の際には、目の端に映っていて、気にはなっていたそうだ。片や今風の軽いギャルの装いで、ヤバい可愛いと、そればかりを言いながら櫛や簪といった飾り物を中心に骨董品を手に取りまわる。ミノルの方は、女ものの着物に化粧を合わせて、装いを整えて。口元に手を当てるなり、ときにしなを作りながら、こういった蚤の市で古裂を見て歩いていた。
「そらまあ、目立つよね」と苦笑を浮かべるミノルであるが、「でも着たい物を着たいように着たいよね」と、ユキカはきっぱりと言った。
「青い花咲く小染、乳白の空が輝く柿右衛門。ゴツゴツで甘そうな釉が垂れた備前。銅鐸、七宝、竹細工なんかも良いわね。螺鈿細工に蒔絵塗。金色モザイク琳派の屏風絵。それが、私の好きなもの」
にやりと笑みを浮かべながら、ユキカは歌うようにして言い放った。隣でミノルが「違いない」と、彼女と似たような笑みをしていた。
「振袖とか、もう着ないの」
せっかくだからということで、ユキカもともに蚤の市を見て歩く運びとなった。特に仲がいいという意識はないが、彼女からの提案に断る理由もなかった。ミノルが快諾の返事をして、その流れとなった。
「化粧ののりが悪くてなあ。納得いかんのや」
「私がやろうか、メイク。自信あるよ」
「初対面で踏み込んでくるなあ。ありがたいけど、遠慮しとくよ」
笑みを絶やさず、穏やかな口調でミノルが答えた。「そう」とユキカも深入りはしない。そういう処に彼女の理知を感じさせる。
「でも着物を探しとったね。それも女ものの派手なヤツ」
「未練もみりんもなかりせば。柄に興味があるんや。どう組み合わせればオシャレかなって」
二人の会話を外からソウタは耳にしていた。半歩後ろに下がり、空を見上げる。高くに舞う鳥はサギかトビか。影だけを雲に移すようにして消えていく。その軌道を無意識的に追っていた。
「おい、どうしたん」
ぽんと肩を叩かれた。ミノルであった。ソウタは眼をしばたたかせて、首を傾げた。
「どうもしとらんよ」と頭を横にふった。「ただ空を見とっただけや」
「新見はそう言うとことあるよね。ユメさんと話していても、ぼうっと窓の外みとる時あるし。授業中もあれやないの。落書きの教科書と外ばかりみとるんやないの」
「自分は廊下側や。外は見れへん」
ソウタの応えに「ふぅん」とつまらなそうにユキカは返事とした。「でもさ、そうやって、ぼうっとしている暇はないんちゃうの。宝の山やで、ここは」
左右に広げられているテントの中に入っては、雑然と並べられている小物に手を伸ばし、くるくると回し、形や仕立て、疵の具合を丹念に見つめる。砕けた陶片にまでユキカは手に取っていた。
「そんなん、どうするんや」
「どうもこうするもないやん。良ければ買う。気にいらないなら買わない。ほんともう、ただそれだけよ」
鼠色だったり、ほうじ茶のような色であったりと、形も色もさまざまであるが、そのなかでユキカは何かを見ているのであろう。
――自分と彼女とでは、こうも眼が違うのか。
ソウタにはどうにもゴミか、あるいは加茂川河川敷を彫っていれば出てくるような石と何ら変わりないように思えない。ユキカは眼差しを鋭くさせて、吟味している。買うまでにいかなかったが、じぃと見つめたまま縛らなく動かない時があった。
「凄いな、彼女」とミノルは驚いていた。そう言いながらも、彼もまた古着店を見るなり、掛けてある着物や帯、紋付も一枚一枚確認していき、束売りしている古裂までもチェックしていく。
「ねえ、それで仕覆って仕立てられる? なんか、イイ感じのヤツ」
その様子を眺めながらユキカがミノルに声をかける。彼は眉間を寄せながら、「裂と納めるモン次第やな」と返事をした。
「やったね。言質とったったで。よろしくね」
初対面とは思えぬほど、二人の呼吸は噛み合っていた。
「箱も極め札もいいけれど、やっぱ次第は仕覆よね。ちゃんと物のために仕立てられたかを見れば、大事に使われていたのがわかるっているか。ヤバいっていうかね」
口調が弾んでいる。そうとうに楽しんでいるようであるのが、見たままで伝わっている。ミノルはふうと息を吐きながら、ユキカの様を見ている。満更でもないのかもしれない。ただどこか距離を測っているようにも、ソウタには見受けられた。
「冷やかしばかりだけど、ええもん見つけられんかったのか」
ソウタがミノルに声をかける。ここまで十軒ほどまわっているが、二人とも何も購入をしていない。
「そうやな。まあ、難しいんやな、これが」
すでに正午を回っていた。手持ちのお茶を口に含むぐらいで、二人は熱心に蚤の市を見て廻っていた。
「ただまあ、最終的にはピンとくるか、来ないか。勘よな、勘」
「またそう、難しいことをいう」
「しゃあないやろ。今まで学んできたことの観と、今まで触れてきたことの感。この二つが嚙み合わないと。なあ」と、ミノルはユキカに視線を送った。「そうやな。そら、そうなるかなあ」と彼女も呼応した。
そう言いながら、また一軒とテントの中に入っていった。赤い花の絵が描かれた壺や、青い波の絵が描かれた茶碗が一つ一つ丁寧に展示されていた。
「へえ、なるほどねえ」と身を屈めながら、ミノルは真っ黒の茶碗を手に取った。
「ええもんひとつっていうか」と視線をユキカに向ける。彼女は竹の花入れをじっと見つめていた。
太い竹の一節を切り取っただけのように、ソウタには見えた。ただ飴色のような溶けた感じの彩に目を見張るものがあった。
品名を記したタグはない。もちろん値札もない。ユキカはただただじっと、見つめている。ばっちりとメイクした目鼻立ちも、この時は厳しさをさらに濃くするのに効いている。
そして、スツールに腰かけている中年女性の店主に目くばせするや、ユキカはスマホを取り出した。見つめていた竹の花入れの写真を撮って、着ように指を動かして操作をする。しばらくすると、彼女のスマホに着信が入った。
「もしもし。――うん、そう。うん、イイ感じにヤバくってさ。五月のお茶会にどうかなって」
声を低めながらも、ユキカは相づちを挟みながら、電話越しの会話を交わしていく。ソウタとミノルは黙して、その様子を見守るしかできない。ちらちらと店主の方にも確認するが、彼女は気にすることなく、店に訪れた客とおしゃべりをしていた。
「うん、わかった。じゃあ、押さえておくね」といって、スマホの通話を切った。そして、竹の花入れを手に取って、店主の所に持っていく。「これをお幾らですか?」
店主の方の告げた値に、ユキカは何も言わずに、財布を取り出して、支払いを進めた。店主は束の間、驚いたようだったが、すぐに平静を取り戻して、慣れた手つきで竹の花入れをエアパッキンに包んでいった。
「お駄賃一万円。探しているっておばはん居たからね」
しっかりと包まれた竹の花入れを手提げ袋に入れながら、ユキカはそう言った。店のテントからは出て、さらによいものはないかと歩き続けるようだった。
「まるで、骨董商やな。お花をやっているのか?」
「お花やなくて、お茶かな。脚があまりよくないから、代わりに探してほしいって言われているんや」
「そんな広がりがあるんか」とミノルは驚いたようだった。「まだ高校生やろう、どこで知り合ったんか」と続けた。
「いや別に、蚤の市で歩き回っていて、適当に話しかけていたら?」とごく当然のように返事をしてきた。「そら凄い」とあきれる半分なミノルの反応であった。
「そろそろ昼メシにしないか」とソウタが切り出した。時刻は間もなく午後一時を越そうとしている。「そうやな」とミノルは返したが、ユキカは腕を組んで一つ首を捻った。
「ちょっとゴメンやけど。もう一つだけ」と切り返した。
「なあ新見。ユメさんにお土産を送りたいんやけど」
「はあ」とソウタは間抜けた返しをしていた。
「ついこの前も世話になったんや。ヤバいところを、ユメさんに救われてねえ」
どうやら二人で街遊びに出歩いていた際に、大学生か社会人かわからない、ただ面倒そうな男に絡まれたそうだ。その際にユメミの立ち回りで難を逃れたそうだ。
「私がこれだからって、軽いとでも思われてんやろうか。もしそうなら心外なんやけどなあ」
胸元を強調させるようにタイを結び、へそがぎりぎり見えないように調整された裾ぐあい。そして、膝がしらに細くすらりとした脚を見せつけるようなミニスカート。ユキカは首を傾げながら、ぶぅと文句を放つ。ソウタとミノルは何も返さなかった。
「で、どんなん考えているんや」話題を逸らすようにソウタは話を進めさせた。
ユキカはしばらく顎に手をあてて考えてから、「――髪留め、かな」と答えた。その言葉に、ぼさぼさと無造作に伸ばしたユメミの姿を思い浮かべた。
「簪とか、どうかな」とユキカの髪にある漆の簪を見ながら答えた。「ええね」と彼女はすぐに応えた。
「じゃあ、蝶の飾りのついた簪を探そう。ユメミと言えば、そんなイメージやないか」
そう笑むユキカに、ソウタは胸打った。半身引かせるような心地を覚えながら、「そうやな」と、彼女の提案に乗った。
昼メシの時間はまだまだ遅くなりそうだと感じながら、中春の空が色を濃くしながら、ゆっくりと広がっていく様を感じていた。




