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12ーカスはカスらしくー

 さざ波のようなざわめきが響く学校の食堂。高い春の日差しは柔らかさを含んでいて心地よさがあった。窓際の席はすでに埋まっていたが、ソウタとミスズは日なたとなる空席を見つけるや、手荷物を置いて場所を確保した。


 とりあえずと二人は分かれて昼食の注文列に並んでいった。そして、クロックムッシュと果物の入ったヨーグルトをトレイに載せたミスズが、ソウタの向かいに座った。丸く柔和な表情に、豊かな胸とそれを強調するかのように緩めた飾ったタイ。かすうどんを前にしたソウタはどうにも落ち着かなかった。


――カスはカスらしくカスでも食ってな。


 ユメミならそんな言葉を吐きそうだが、ミスズはそんなことは言わないだろう。ナイフとフォークを器用に使って、クロックムッシュを一口サイズになるように切り分けながら食している。溶けたチーズが口元からフォークの先へぬるりと伸びて、そのまま彼女の胸元に垂れ下がりそうになるなど、危なっかしさを覚える。ソウタは白い脂の浮いたうどんをゆっくりと啜っていった。


「いつもの友だちは?」


 黙ったまま食べているのも、居心地が悪かったため、つい話しかけてしまっていた。ミスズは、束の間、眼を大きく広げて驚くそぶりを見せた。


「今日は別々。たまにはね。さすがに友達だからってずっと一緒やないよ。新見君も韮山さんといつも一緒ではないでしょう」

「それはまあ。そら――そうよ」


 観念の溜息を吐きながら、ソウタが応える。ミスズは口に手をあてながらも、優しい眼差しで笑んでみせた。


「しかし、委員長に誘われるとは思わなかった」

「それはまあ、袖擦り合うも他生の縁というか。それにほら、体調悪そうだったし。今は、大丈夫?」

「ありがとうな。メシ食って、落ち着いてきた。代わりに眠気がするぐらいや」

「それならよかった。でも今は寝ないでね。私だけやったら、教室にも保健室にも連れていけんから」


 そう言って破顔するミスズに対して、ソウタは顔が熱くなっていく心地があった。


「あれ、新見。ユメさんは?」


 そこにするりとユキカが現れた。いつもの通りのサンドウィッチと紅茶のパックを手にしている。胸元を軽く緩め、スカートは膝がしらが見えるほど短く。ソウタの視線ではちょうど蘭のような白色の脚があった。


「担任に直談判しに行った。昼はそれからって」

「ふぅん」


 そう言いながら、視線はクロックムッシュをゆっくりと食べているミスズに向けていた。視線を動かし

て、上から下まで品定めをしているようだった。


「その組み合わせ。透けるよ。気ぃつけや」


 ぼそと囁くような忠告であった。途端にミスズは顔を赤くして、「うそ!」と声を漏らしながら、フォークナイフを皿の上に置いた。


「あと、スカートの丈。それだとヤバないか。油断すると見えるで、パンツ。そこも気ぃつけや」


 言いながら、ユキカはミスズの隣にどかりと腰を下ろして、紅茶のパックの封を開けた。染めの混ぜた髪を玉のついた簪でまとめているのが、ようやく見えた。――彼女はこうやって、ワンポイントに飾りを入れているのに、ソウタは気づいた。


 ミスズは頬を赤くしたまま、わたわたと自身の服装を確かめている。


「そんな恥ずかしいんなら、わざわざやらんでもいいのに」

「いや、でも、みんなしとるし。可愛く合わせたいやん」

「そうか?」とパックの紅茶を飲みながら、恬淡とユキカは返していた。

「筧さんもなかなかの恰好だと思うけど」


 制服を着崩し、胸を強調して、長く細い脚もしっかりと見せているユキカに向けて、ソウタは素直に尋ねる。しかし、ユキカは切れ長の瞳に余裕を宿らせて笑んできた。色の燈りにソウタは束の間、どきりと胸が鳴った。


「それはほら、計算しているのよ。見せたいところしか、見えへんように。あの、アレや。やっぱり、やるからには、見られたいように見せるのがイイやん」


 そう言いながら、挑発的に上着の胸元に指を入れて広げて見せる。ソウタは眼を逸らせて、それ以上見ないようにした。


「アレやな。ユメさんのいう処の、濡れたシャツやな、新見。そういう処やで。しどけなさは積極的に嗅いでいけって言っていたやないの。でもまあ、嫌いやない。もちろん、好きでもないけど」


 にやりとほくそ笑みながら、ユキカが挑発的に言い放つ。敵わないなと、ソウタはくしゃと顔を歪めて頭を掻いた。


「あの――そのやり方、教えてくれますか」と、おずおずと伺うようにミスズがユキカに声をかける。「別にええけど」とパックの紅茶を飲みながら、彼女は応えていた。


 その後も、あれこれとミスズがユキカに尋ねていた。主にファッションの仕方についてだった。ソウタは二人の会話を流し聴きながら、かすうどんの汁まで食べ終えた。


 そうしている内に、ユメミがトレイを持って近寄ってきた。丼にはネギ抜きかけそばで、唐辛子をいっぱいに振りかけていた。


 どすんとソウタの隣の席に座り、肺腑の底に溜っていたであろう重い息を吐いた。むっつりと閉じた口に、眼は針のような細さであった。


「学園主任のばあさん出てきた。この件、私が預からしてもらうってさ。シノギの匂いでも嗅ぎつけたんか。ヤクザやあるまいし。ならせめて仁義でも切ってからにせえや」


 頬をリスのように膨らませて、明らかにむくれている。南川に向かって言ったつもりが、かつて梅沢富美男に似ていると揶揄ってきた学年主任の教諭が割って入ってきたそうだ。それもかなり早い段階からで、ユメミが南川に仕掛ける前に、勝負を取り上げられたと、ぶー垂れた。喧嘩は始まる前に終わらせるもんやとも、ユメミは常々言っているのを、ソウタは何とはなしに思い出した。


「マークされていたんや。あいつらグルになって、陥れようとしているや。陰謀や。学校は生徒を食い物にしとる。生徒の未来ではなく、自分の出世のためにしかみとらんのや」

「端から自分で言っておったやないの、それは」

「そもそも南川を言い負かしに行ったんやないんやろ」


 ソウタとユキカが案の定と息を吐きながら尋ね返した。ずぞぞぞとすごい音をたて、そばつゆを飛び散らかしながら、ユメミはそばを啜っていた。


「そらまあ、そらそうよ」

「で、進路希望調査書は引き受けてもらえたのか」

「放課後に三者面談やってさ。南川と主任が相手や」


 天井を仰ぎ見ながら、ボソと返してきた。「ご愁傷様」とだけ、ソウタは返しておいた。


「でもそれ、厄介なことになっとらへんか。大丈夫か」


 ユキカが尋ねると、ユメミは小さく横に首を振ってから、ばさばさな髪を掻いた。ぐしゃぐしゃと顔を歪めさせた。


「大丈夫か、大丈夫やないか聞かれたら、そらあ、大丈夫やないですよ。南川はどうせ甘ちゃんや、ゴリ押せば土俵から勝手に降りる。でも主任はちゃう。あらメンドクサイ。どうしてくれような」

「そら、ユメさんが自身で引き込んだことでもあるでしょうよ」

「そらまあ、そらそうなんだけど」


 不服を表情に出しながらも、空欄のまま進路希望調査書を提出したことに関して、官所は後悔していないだろう。ささっとかけそばを食べ終えたユメミは頬杖をかいて、中空を睨んでいるように見えた。


「まあなるようにしかならん。右肩上がりの理想線と波打つ現実の線と。落としどころを上手に探す。それが大人ってことなんやろう。知らんけど」

「知らんけどって」


 頬を引きつらせるようないびつな笑みを見せながら、ミスズが言葉を漏らした。


「しゃあないやん。知らんもんは知らんのやから」

「なら、自身はどうしたいんや」

「――どうもこうもない。言うたやん。こうやってしょうもないことをだらだらと喋っていたいって」

「でも、いつまでもそうしているわけにもいかへんから」


 言いながら、ソウタはぎりと噛みしめる心地がした。


「そらそうよ。まあそれは、お互いにな。――ユキカは大学だっけか」

「まあね。それが親の絶対条件だから。適当にね。遊んでいる時間でデザインを学べればって感じかな」


 食べ終えたサンドウィッチの包装紙で指先でいじりながら、ユキカは応えた。淡白に処理しているような感をソウタは覚えた。


「稲富さんもやっぱり、大学」

「うん、そのつもりだけど――。新見君は違うの」


 ミスズのまっすぐな瞳を向けられて、ソウタは、両の眼を閉じて俯いた。


「考え中」


 風が吹き抜けた。四月の中旬に入ったというのに、寒さの芯がしっかりと残った風であった。広く設けられた窓から日差しが射しこんでくるのだが、流れいく雲によって、今はちょうど真っ暗の日陰となっていく。食堂のざわめきも、沈むようなトーンにソウタには少しばかり身を窄めさせた。


「おカネのこともあるから。遊びにいく感覚では誘えないしね」

「――それも、そうやね」


 言葉をつなげてきたミスズに対して、表情を渋く固めるしかできない。


「弓はどうするの?」

「――弓は道場があれば、続け――」


 そう言いながら、言葉が詰まった。ミスズはキョトンと首を傾げている。


――弓を続けてどうするつもりなのだろうか。


 ミスズは言葉の続きを待っているのだろうか。しかしソウタには喉元より、言葉が霧散している。


――何しているんやろう。


 自身の眉間にしわが寄っていくのがわかった。ざわざわと蠢く食堂の雑音ばかりが耳に障ってくる。


「自由がいいな。自由になろうぜ」


 ぼそぼそと抑揚なく、天井を見上げながらユメミが呟いていた。


「韮山さんはけっこう自由に見えるけど」とは口元に手を添えながら、ミスズが返した。ユメミは細い眼で彼女を一瞥してから、「そうだといいのだけれど」とだけ囁くように返した。


 言葉数の少なさに珍しさを覚えながらも、ソウタの表情も色を失くして閉じていった。


「ホントに自由なら、自分はきっとここにはいないんやろうな。上から下を見ず、高から低を見ず、貴から卑を見ず、冨から貧を見ず。あらゆる相対から脱した向こう側。でも、果たしてそんな処はありえるやろうかね」

「ありもしないことをアレコレ考えるのは――」「阿呆のすることやって。全くもってブーメランは返ってくるもんやな」ソウタの返しに、ユメミは鉛のような溜息を吐き出していた。


「どこか曲がり角一つ間違えたんかな。迷い道くねくねや」

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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