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退魔の英雄  作者: 明太子
零之魔陰
5/23

4 記憶破壊



 等級零の個体と言うのは、拾九番街のどうやら祐が住んでいる学区を根城にしているらしい。約二週間に及ぶ調査、そして時雨の元相方の奮闘もあり判明したことだった。

「───それで浩二が亡くなってから、精神的に参っていた時君を、鬼川祐を見つけたんです。」

「なる程。」

祐が気絶する前に話していた事の詳細を祐が求めると、時雨は快く全てを話してくれた。

「君はこの学区で学生をしていて、且つ四神力を扱え魔陰を殺せる。初めて見た時これ以上最適な相方はもう素数番街《この街》には居ないとそう判断したんです。」

「因みに何処が初見だったんだ?」

「拾九番街と拾七番街を繋ぐ大山の麓ですね。」

「あぁ天山ね。じゃあホント二週間前位か。」

博士からの依頼を受けて天山に赴いた事を天井を見上げながら思い出す。LEDもそろそろ寿命を迎えそうなのか、祐は光が以前よりもずっと弱く感じた。

 机に置いていあるコップを持ち上げ時雨は、冷蔵庫の野菜室に入れていたであろう麦茶を喉に流す。コップの結露が重力に負け、一点に集まってから時雨の太腿にポタリと滴り落ちていった。

「と言う訳で、明日から本格的に仕事を進めたいので連絡先を頂いてもよろしいですか?」

時雨はポケットからスマホを取り出し、LINEの交換をするべくアプリを開き始める。その間祐は時雨の行動を眺め続ける。

「ん?連絡先を。」

「...........(持ってないです。)」

そっぽを向いて、羽音の様な声でぼそりと呟く。部屋が静かであり、祐の傍に居たというのに時雨は聞き取れず「何と?」と顔を寄せてくる。

「スマホ、持ってないん....ですよねぇ。」

顔も視線も時雨には向けずに横髪を指にくるくると巻きつけながらそう答える。祐自身女子か!?とツッコみたくなる手癖だが、最早無意識のうちに行っている。

 この街の外で生活している学生でさえ中学になれば85%が所持し高校に上がれば95%にも至るこの世の中。電子情報で溢れかえっている素数番街で所持率が100%になることが無いのは確実にこの、超絶機械音痴鬼川祐の責任だろう。

「そうですか....あぁガラケーとかですか?」

確率は低いが、一世代前の携帯を所持している可能性を見出し時雨がそうアシストをする

 が。

「ガラケーって何です?」

その一縷の望みすら粉砕する祐の知識不足。時雨はどうしたものかと首を傾げ当惑する。

「そうですか....それは困りましたね連絡手段が無いのは想定外でした。まさかこの街にスマホを持たずに生活をしている人が居るとは...授業などはどうしているのですか?この街は特別なカリキュラムがあると聞いてますが。」

「あぁ情報応用ね。それは学校支給のパソコンでやってるからスマホは必要ないんだ。」

「なるほど.....それでは、明日買いに行きませんか?」目線を自身が飲んでいたガラスのコップに落としたまま祐を買い物に誘った。

一体何を買いに行くのかという、命題だいたる主語が抜け落ちていたがこの流れ的に現代の利器こと、スマホなのは祐であれどもおのずと明らかではあった。

「まぁ......良いだけど。俺には宝の持ち腐れ、猫に小判、馬の耳に念仏、豚に真珠くらいには無意味な代物になると。思、われ、る......」後半にかけての失速ぶりに時雨は疑念の眼を向ける。

 この街の住人である以上、機械の事への知識レベルは平均よりかは幾分も高いはず。だが、何故これほどまでに機会に対して無頓着なのか。という疑問が時雨の中で渦巻き瞬間それはほどけた。

「もしかして、鬼川さん機械音痴なんですか?」

「..........。うん。」

数秒の静寂の後祐は羞恥を含んだ声と共に頷いた。

「この街に居るのにですか?」悪意のない疑問が祐の心を穿つ。

「まぁけど、俺この街に来てまだ3年だし。」逃げるように顔を背け、祐は答える。

「三年?鬼川さんは十七なのでは?」

「あぁそっか。時雨さん調べてるって言っても、流石に俺がどういう経緯でこの街に来たのかって知らないもんな。」

「.....っ!」

時雨は、その言葉を聞き祐を調べていた約一週間前の記憶を思い出した。この男の出生やいつこの街に来たのかという事実を。

「まぁ俺の過去とか興味ないかもだけど、一応説明しておくよ。──────あれは、今からちょうど三年前の事なんだけど。





 拾七番街と拾九番街を橋渡しするかのように巨大な山地が存在し、それを平安の世から天山と呼んでいた。そのハイキングコースのから外れた山の奥地で一人の老婆が遭難していた。

「はぁぁ....一体ここは何処なのかしら?皆さんと一緒に居たはずなのに。」

トレッキングポールで身体を支えながら一歩ずつ着実に歩みを続けていた。ここが一体天山の何処なのかもわからぬままろの老婆は進み続けていた。しかしそれが不運にも足を踏み外してしまう原因となった。

「きゃぁっぁあ!!!」

少しかすれた金切り声を上げながら、その老婆は数メートル下に転落した。「痛たたたたた。つっぅぅうう!!!!」

ドスンと尻もちを着いたことで、普段からの腰痛にかなり響いてしまうと思い腰を何度か摩る。だが何故だか痛みが襲ってこない。

 老婆は視線を下へと下げると、そこに一人の男がいた。

「.............。」

最早叫び声すらも上げることが出来ない、その異様過ぎる光景に老婆は幾度となく瞼を閉じては開けを繰り返す。下に居るとはいっても厳密には、踏みつけにしているわけではなかった。体育座りのあの、山の部分に丁度収まるように横になっていた。

 落下した衝撃で遂には冥界に連れていかれたのかと老婆は、考え始める。いや、遭難した所で実はもう.....

「あの、お兄さん?大丈夫ですか。」えぇい落ち着けと自身に言い聞かせながら老婆は寝そべっている男に声を掛ける。

「...............。」しかし反応は無い。

老婆は立ち上がり、その男の羨望を見るとさらに驚かされた。


 何せ男は身に何一つ纏っていなかったかだ。言うなれば全裸という訳だった。

老婆は、それを見て再び絶句した。年甲斐に性的何かが目覚めたわけではない。単純にその異質すぎる光景に若干の吐き気を催したからだ。しかし幸いに、腰回りには大量の落ち葉と何か布のような何かが置かれていて大事な部分は隠れ身になっていた。

 ふぅぅ....と安堵の吐息を洩らし老婆はその男の肩を叩いた。

「あの......お兄さん?風邪ひいちゃいますよ。」

「..............。」如何せんその男は反応を示さない。夢の果てに還っているのかそれとも、死んでいるのかは老婆には分からなかった。だが自身よりも遥かに年下である一人の男を見逃すことは出来なかった。再び肩を叩こうと、身体を寄せるとその男は体を瞬間震わせそれに反応して老婆もまた肩をビクつかせる。

(びっくりしたわ......それにしてもこの子随分真っ白な髪の毛してるのねぇ。外人さん、にしては随分日本人らしい顔してるし。)

「何者なのかしら。」

老婆は山中全裸で寝ている男に普通の疑問を浮かべていると、再び男は体を揺すった。いやそれだけではなかった。

「あぁぁぁああぁぁぁあああ.......」

呻きのような、雑音を口から発しながらその男はゆっくりと。まるで1000年の眠りから目覚めた物語の姫の様にゆっくりと瞼を開けた。

 翡翠の様な色合いをした瞳、そしてその中にある瞳孔は新月の夜を詰め込んだかのような深淵色。観ているだけで身体や魂が全て飲み込まれてしまうかのようなある種魔性のような何かを持っていた。

 しかしどこどなく目は虚ろで、何処を見ているのか分からない程に瞳は掠れるように動いている。

 刹那

「がぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

人のそれではない、叫びを超えた咆哮。老体の鼓膜には余りにキツイ絶叫。喉からは口からは血のような体に溜まった膿のような不純物が溢れ出る。老婆は当然の如く耳を抑えその白髪の男から一目散に離れる。そうでもしなければ自身の耳がどうにかなってしまいそうに感じたからだ。

 その男が叫んだのは、威嚇ではない。


 痛みがそうさせたのだ。


別に老婆に踏みつけにされたのが痛かったのではない。頭蓋骨をこじ開けそこに五寸釘でも打ち込まれるかのような鋭く体を痺れさせる刺痛、大岩で何度も何度も後頭部を殴られるかのような鈍痛。二つの相対する痛みがその男の脳の中で走り続けていた。上半身を起こし男は両手で頭を押さえ、さながらメタラーのように震わせる。

 溢れ出ていた血が収まると、次は大量の唾液が垂れ始めたところでその男の咆哮はピタリと止んだ。泣き疲れた赤ん坊がそのまますっと眠りにつくようにその男は上半身を起こしたまま眠ってしまった。

「........や、止んだの。かしら?」

老婆は耳から手を放し再び静まり返ったその男に近づく。あれだけの咆哮故に肉が枯れた手一枚では完全な保護は仕切れず、彼女の鼓膜は未だ痺れた感覚に陥っている。

 土を踏みしめる音と共に老婆の後ろの方から誰かを呼ぶ声が遠くから聞こえて来た。

「(おおぉ~~い!!!登代子さぁぁぁ~~~!!!!)」

老婆にとって随分と聞き馴染みのある声だった。自身と同じくらいにはしわがれている声、一つそして一つと少しずつ増えていくその声は束になりさらには彼女に近づくことでその大きさを増していく。

 草木をかき分け五人の老人集団は、彼女とそして正体不明の白髪の男がいるそこに辿り着いた。

「おぉ!!登代子さん無事でしたか!いやぁぁ心配しましたよ。」

高身長少し細身の人が、駆け足で登代子と呼ばれる彼女に駆け寄る。他の四人もそれに続くように登代子に駆け寄り声を掛ける。

「逸れた時はどうなることやらと思いましたが、ご無事ですか?」

「えぇ。あそこから落ちはしたけど幸い土が軟若かったから。」そう言って登代子は自身が足を滑らせたところを指さす。

「とよちゃん。どうして連絡出てくれなかったの!?心配したんだから。」涙ぐみながら一人の老婆は登代子に声を掛ける。

「逸れた時におとしちゃってねぇ。ごめんね真子ちゃん。」

「まぁ何はともあれ登代子さんが無事だったわけだし、そろそろ下山でもしましょうか。」

数時間ぶりの再会に分け合い合いとしていると、長身の男が眠っている男に視線を向ける。

「あの子は?」

「あぁ。私がここに落っこちた時に下に居た子なんだけど......さっきまでずっと頭を押さえて叫んでたんだけど。今は....」振り返りざまにそういう。

「頭を押さえてたんですか?」

しわがれたその中に唯一の張りのある声がその空気を引き裂く。

 ハイキングにしてはかなりの軽装ではあるがそれはその若さ故なのだろう。意識を失っている男に近づき、閉じている瞼を開き眼球の状態を診たりといった具合に様々な彼女の脳内項目にチェックを入れていく。

「あの、宇都宮先生。その子は大丈夫なんでしょうか?」その男がどれほど苦しんでいたかを目の前で見ていた登代子は、他人でありながら心配そうにそう聞く。

「医療機器を使えない以上確実な診断は、医師として適しませんので控えさせていただきますが.....。それでも良い状態でないことは確かですね。」

そういうと彼女はリュックから白の手拭を取り出し露出している男の股間部分にそれを巻き付ける。

「すみません大貫さん。私一人では運べませんので肩を貸していただけませんか。」彼女自身男に肩を掛けながらそう呼びかける。

長身の男の後ろに居た少し筋肉質の男は低い声で「おう任せな!」とそれに応え袖をまくり上げる。空いている片方の腕を自身の肩に掛けると二人はせーのの掛け声で立ち上がった。

「それでは、先ほどの道を戻りましょうか。」






 男が目を開けた先に見えたのは、天井だった。白くそして格子状の切り込みが入った天井だった。鼻から酸素を取り込むと純度の高い酒のような臭いが鼻腔に広がる。働いていない脳ミソでも今ここが、先ほどの場所ではないことを理解する。

「....................。」

叫び過ぎたのか男は声を出そうにも声がうまく出なかった。

 遅れて体の上に暖かく柔らかな布団が乗せられている事に男は気づいた。

(ここは何処だ?何故眠っていた?)

「いや.....そもそも俺は誰だ?」

この状況は愚か、ありとあらゆる物事に対して疑問が湧き上がる。だがその問いに男は自身の名前すら一つとして答えられなかった。体を起こそうとベッドに手を突くが上手く力が入らなかった。右腕に視線を向けると管のようなものが肘の辺りから自身の頭上まで伸びている。

(何だこれは?)

震える左腕を何とか制御し、管が刺さっている右肘からそれを力の限り引き抜いた。血が肘からぽたぽたと逆流し始めるが、全くと言って痛みは感じなかった。腕を脱力させ再び切り込みが入っている天井を見続けていると一分も経たないうちにどこからか走る足音が聞こえて来た。

(五月蝿い.......)

それは次第に男の方に近づき始め最大になった途端ピタリと止み、

「入りますよー!!」

という声が聞こえて来た。それは男に対してのモノだったというのに当の本人は気にも留めず只ひたすらに天井を見続けていた。扉が横に開かれ一人の看護服を着た中年女性が男の傍に駆け寄る。

「気づかれたんですね。けど、点滴抜いちゃ駄目ですよ!」天井以外他の情報は無かった男の視界に女性の顔が写り込む。

「てん、てき?」

「もう一度点滴するので、右腕失礼しますね。」

男の上に掛かっていた布団を捲り右肘を上に向け、床に垂れ下がっている点滴の先を慣れた手付きで素早く未使用品と交換する。エタノールが染み込んだガーゼで肘の辺りを拭きとる。逆流していた血がガーゼに赤い滲みこみが出来る。

「それじゃあ点滴します.......あれ?点滴痕が無い。まぁけど、確かこの辺りに刺したはずだから。」

一度戸惑いを見せたものの職人技の様に管の付いた注射針を完璧に入れて見せた。

「良しっ。良いですか次は抜いちゃいけませんよ!まぁ起きたみたいですし、一度先生を呼んできますね。」

看護婦は言いたいことを言い残して、再び足音を立てながらこの病室から去っていった。



医局の中で缶コーヒーを飲みながら唸り声を上げている女医の姿があった。

「記憶喪失。いや、記憶破壊の方が適切かな.....」電子カルテを見ながらそうぼやく。

「先生。あの404号室の患者さん気づかれましたよ。」

「そうですか、ご報告有難うございます.......それでは行ってきます。」

椅子に掛けていた白衣に袖を通し、残っていたコーヒーを全て飲み干してから彼女は男のいる病室に向かった。


「入るよ。」

三度ノックをしてから彼女は、病室の扉を開けた。換気の為に看護婦が空けていた窓から少し強めの風が病室に流れ込んでくる。桜が散り緑の葉が盛んに木に生える時期故に透き通る純然たる空気を連れていた。男は体を起こし窓の外を見つめていた。

「身体の具合はどうですか?」

「............誰だ?」遅く首を旋回させ、女医を数秒視てからそう問う。

(反応に若干の遅れ。いや先程まで眠っていたせいか。)

「私は、君の担当医である宇都宮風華という者だ。君の意識が戻ったと聞いてね来ただけだよ。」

「....ここは、どこだ?」

「ここは天山病院の404号室。」

「俺は、誰だ?」

「.......やはりか。」

宇都宮は病室の角に置かれていた来客用の椅子を取り出すと、ベッドの傍にそれを置きそっと座った。

「その質問を答えることは私には出来ない。何せ君についての情報は一つとして無いんだ。名前。住所。生年月日。などなど基礎的な情報からどのようにしてこの街に来たのかと言う少し複雑な情報までね。逆に私の方が何者かを問いたい位だよ。」顔を柔らかくし宇都宮は男にそう告げる。

「何故俺は、何も覚えていないんだ?何かしらの病にかかったのか?」

「病じゃないよ。君は端的に言えば記憶喪し...いや記憶破壊と言う病名が一番しっくりくる。あくまで私の憶測と神領域への侵犯の演算結果に基づいた意見だけど、君の脳は以前に人間のそれを遥かに凌駕した情報処理を行った。脳の回路が焼き切れてもなおその処理を止めなかった君は、遂に全ての記憶を失ってしまった。とまぁそんな具合かな。」

「ごっどばいおれいしょん?」男は話の内容より宇都宮が口にした横文字が気になった。

「あぁゴッドバイオレーション。和名を神領域への侵犯。素数番街が誇る超先進的な人工知能の名前の事。なるほど、エピソード記憶だけでなく意味記憶までも障害が回っているのねぇ。」

話を聞けば聞くほど男の中で数多の疑問が浮かび上がり、その都度首を傾げている。風が再び病室に舞い込み男はふと外を見つめると、横に連なっている大山が真っ先に目に入りあの光景を思い出した。

「医者。俺はあの山に居たのか?」

「えぇ私たち、と言うか鬼川さんに運良く見つけてもらったのよ君は。」

「....そうだあの老婆は今何処にいる。」

「老婆?」

「灰の髪が少しばかりうねっていた老婆だ。」

「あぁ鬼川さんね。今は家に居らっしゃると思うけど、それがどうかしたの?」

「山中で確か迷惑を掛けた気がしたので謝罪をしなければと思っただけだ。居ないのなら別に構いはしない。」

男は少し物寂しげにそう告げると、医者の方に顔を向けた。日本人離れした純白の髪に瞳は翡翠が広がり、言葉の節々に古語を感じるような様を見て宇都宮はふきだした。

「ぷはははは。その義理堅さや言葉遣い、もしかして過去からタイムスリップしてきたのかな君は。」

(たいむすりっぷ?)

「君が眠っている間に身体の隅から隅まで調べさせてもらったけど、脳以外にこれと言った障害は見当たらなかったよ。むしろ恐ろしい位健康な身体してるからそこは安心してくれて構わないよ。」

「そうか。なら明日にはこの病院を出るよ。」

「それはダメ。」ぴしゃりと男の提案を宇都宮は斬捨てた。

「何故だ?健康体であるなら問題は無いだろう。」

「君はね本来この街に居てはいけないの。何せ素数番街の住民票を持ってないんだから。出た途端に即刻裁判所行きになるわ。」

「随分と面倒なんだな。では俺は一生この病院に居続けなければならないのか?」

「それは無い。」宇都宮はまたしても男の問いを斬捨てた。

「今私の方で君の住民票やらの入手審査手続きをしてる最中だから。一生ではないよ、けどまぁ一週間近くは居てもらうけどその間の衣食住は保証するし入院費も賄うから安心していいわ。」

「気前が良いんだな。流石は医者と言ったところか。」

「ふっ。別に私はそんな高尚な人間じゃないよ。只の人を救いたい一心で動く機械に過ぎないわ。それじゃあ用が在ったらそこのボタン押しなさい、基本仕事だからすぐには来れないと思うけど。」

宇都宮風華はそう言って足軽に病室を出ていった。

「変わった人だな....」

目覚めてから初めて男は微笑みを顔に見せた。



 朝起きて壁のボタンを押すと、男の元に宇都宮がふらりと現れる。そして少々馬鹿話をしていると看護婦が朝食を運んでくる。それを食べしばらくすると今度は昼食が運ばれる。三時の放送が入ると、再び宇都宮は診療の為に男の元に現れた。しばらくすると夕食が運ばれ...何て言う生活を男は一週間続けた。

 素数番街の事や男の知らない事までありとあらゆる知識を宇都宮は男に教えた。次第、男も堅苦しい言葉遣いが和らぎ始めていた。

「そうだ少年。ついに住民票の審査が通ってね、明日には退院できるよ。」

「そういえばそんなものの為に今までここに居たんだったな。ありがとう宇都宮先生。」

「それでなんだけどちょっと少年に紹介したい人が居るんだ。ちょっと待っててくれると助かるよ。」

「まぁいいけど。」椅子から立ち上がり病室の外に出ると宇都宮は一人の老いた女性を連れて来た。

男はその女性を見た覚えがあった。何処かと問われたら明確な座標を答えられる自信は無かったがそれでも見覚えがあったのだ。

「覚えてるかい少年。天山で君が初めて出会った女性の鬼川登代子さん。」

「こんにちは。」

灰色の髪色に少しパーマがかっている女性は、柔らかな表情と声で男に向かっていた。どこからどのように触ったとしても火傷も傷も負わないような聖母さながらの様相に男は肩の力をふっと抜く。

「あなたは、あの時の人ですか?」ふいに静寂を破るように男は登代子に声を掛ける。

「はい。随分と元気になったようで安心しました。あの時は随分とご乱心していたみたいだから.....」

「乱心?」

「えぇあなたあの時ものすごい大声で叫んでいたのよ。頭を抱えて今にも死にそうな位。」

男の中でぶつ切りとなっていた頼りなく曖昧な記憶が補填される。

 そうだ俺はあの時、叫んだんだ。あまりの頭痛で喉が勝手に叫び出したんだ。

「申し訳ない。山中で随分と迷惑を掛けたようですね....」

「いやぁ迷惑何てとんでもないわ!あなたの叫び声のお陰で私はみんなに見つけてもらえたんですもの。逆に感謝しなきゃいけないくらいよ。」

いやいやいや!と彼女は首や手を大げさに振って見せる。

「それでおr....私に何か用が在って来たんですか?」

「あぁそうそう。単刀直入だけど退院したら私のアパートに住まないかしら?」

「あぱあと?」

宇都宮との会話の中に出現しなかった横文字に男は、脊髄的に反射して聞き返す?

「あぱあとじゃなくて、アパート。簡単に言えば共同住宅って所かしらね。まぁお誘いと言うか既に住民票をそこに固定しちゃったから絶対に住まないといけないんだけどね。あはははは!!」自身の太腿の辺りをぺしぺしと叩きながら登代子は高笑いをする。

「なら住まわせて頂こうか。俺に行く当ても無いですし。」

「良しっ!!!じゃあ宇都宮先生この子は私のところで預からせてもらうわね。」

「はいお願いします。何か頭痛のような症状を見せましたらすぐにここに駆けつけてください診ますので。」

ニヤリと笑い宇都宮は男の方を見て口を開いた。

「それじゃあ今日で退院。お大事にするんだぞ少年!」

彼女は手を伸ばし男の頭を犬の様に撫でまわし、癖一つない髪は縦横無尽に動き続ける。「ちょっ!風華さん!?痛いんですけど。」少し顔を顰めながら撫でる手を退かそうと男は奮闘するが、かなり力を込めているのか中々外れない。

「へへっ。それでは登代子さんこれから少年の事よろしくお願いします。」

一通り撫で終えると彼女は男の頭を二度ポンと叩き病室から出ていった。

「病院内だと本当に元気な子ね宇都宮先生は....それじゃ行きましょうか。」

「あぁ分かった。」





 病院の自動ドアから外に出ると、木の芽風が男の白髪をさらりと揺らした。五月下旬だというのに外はほんのりと肌寒く入院着とサンダルで外気に触れている男はぶるりと肩を震わせる。

「そっか、あなた服持ってないものねぇ。今から買いに行きましょうか。」

その様子を見た登代子は男にそう提案して、バス停に向かって歩いて行った。

「待て。俺は金を持っていないんだ、だから....

「何言ってんのそれくらい出すわよ。気にしなくて良いからね。」

「何故赤の他人である俺にそこまで親切にしてくれるんだ?」歩み続ける彼女の背中に向けて男は問いを投げかける。

反応した彼女は足を止め男の方に振り返りながら口を開いた。

「分からないわ。けど、何か放って置けない気がしてねぇ....まぁ親切の押し売りだと思えばそれで構わないわよ。ほら速く行きましょう風邪ひいちゃうわよ。」

 バスに乗ると老人の割合が多く、男と同じ年齢体の人間は見当たらず近くても20代後半と言ったところだった。高層ビルが建ち並ぶ摩天楼。頭の上で走っている電車。窓の外の光景は男にとって新鮮以外の何物でもなく何処か異様は雰囲気を纏っているように視えた。

 数分バスに乗り終点の停留所を降りると、男と登代子は駅に向かった。いや男は登代子の後ろをついていく雛鳥のようなものに近かった。駅の中には様々な店が建ち並びGUと書かれた店に二人は入り服を見繕った。

「服の好みとか....って分からないか。色々見てみましょう。」

男の服を選ぶのが目的なのだが登代子はテンションを上げ女性もののコーナーを頻りに目を配らせていた。

「気になるならあちらに行ってきても問題ない。服は自分で選ぶよ。」

「あらそう。ならお言葉に甘えてぇ。」

明らかにテンションを上げて登代子は歳に似つかわしくない足取りで目をやっていたコーナーに向かってい行った。男は仕様の分からない服のどれが自身に似合うのか分からず悪戦苦闘を強いられている最中店員が男に声を掛けて来た。

「お客様何かお探しでしょうか?」

「俺は今これ以外に服を持っていないのだが、何が似合うのか良くわからなくてな。」

「それでしたら好みとかございますか?動きやすいとか、流行りの服が良いとか?」

「................動きやすいのが良いかもしれない。」数秒の思考を終えてから男は歯切れの悪い答えを口にする。

(かもしれない?)「では、こちらなんかどうでしょうか?」

店員が男に手渡したの一枚のジャージだった。全くとっていい程に装飾が無く黒を基調とし袖部分に白の線が二本ばかり入ったそれ、人気が無いのかそれとも在庫数が単純に多いのかは分からないが他の服に比べ随分と並んでいた。

「では、これを。」

袖も通さず軽く見回しただけで男は購入表明をする。これ以外は考えられないといった具合の即決振りに店員は少々混同する。

「他のもありますが、どうなさいますか?」

「いやこの道を究めている貴方がそう言うのであれば間違いは無いのだろう。後下も探しているのだが、ご助言いただけないか?」

「は、はぁ分かりました。」(変わった人だなぁ。)


 黒に似合うのは黒と相場がある程度は決まっているのか店員は、少々幅のある黒のズボンを取り出して男に手渡すと再び男は即決で買うと意思を表した。二つで4700円とかなりお財布に優しいそれを男は登代子に持っていくと、彼女の買い物かごには一つで男の合計金額を軽く凌駕するような服が多量に入っていた。

「あぁ選び終わったのね。それじゃあここに入れておいて。あぁあなたあそこの棚にあるそれ取ってくれないかしら?」

「これか。」カーディガンに男が手を伸ばし登代子に手渡す。

「ありがとう。それじゃあ私も買いたい物一通り選べたしお会計しちゃいましょうか。」

カードで一括払いを終えると彼女はルンルンと気分を上げ駅の改札に向かった。三つの紙袋の内男の服が入っている小さなそれを男は手に取り再び彼女の後ろに着いていく。

 電車に乗っている数分の間、男はありとあらゆる人間から絶えず視線を浴び続けていた。何せ男だというのに髪は長くそして日本人離れした純白のそれに瞳もまた異様な翡翠。格好は明らかに入院着で足は病院からもらったであろうサンダル一丁と頭の先から爪先に至るまでが異様の塊でしかなかったからだろう。

「あなたの家は何処にあるんだ?」

「ん?このままずっと真直ぐ言ったところにポツンとあるわよ。」

駅周りはやはり人が多く、歩く度に人にぶつかりそうになる男だったが進むたび進むたび人の気配が薄くなっていった。激安スーパーと書かれた建物を右にして登代子は進み続けた。桜通りと書かれた木の看板を通り過ぎると今までの摩天楼とは全く異なる唯一の自然に囲まれた道を進み続ける。

 400メートル程進み終え開けた先に二階建ての建物がドスンと建っていた。辺りは自然と鯉が泳いでいる川がある以外これと言った文明らしきものは見当たらない。男は何故だか心がすっと安らいだ。

「ここが鬼川荘って言って私の持ち家ね。あそこの二階に右角の一戸隣の部屋が今日から”鬼川祐”あなたの家よ。」

「鬼川ゆう?」

「今日からあなたの名前よ。一応保証人が必要だから私の苗字もといこの宿の名前を借りて、下の名前は私の飼ってる犬から取ったものだけど。」

登代子は祐に近づき「はいこれ。」と鈴が付けられている鍵を手渡した。

「俺は、運が良いんだな。これほどまでに親切な人に囲まれるなんて記憶を失う前はかなりの善人だったに違いない。」

「そうかもしれないわねぇ。」

二人は顔を見合わせ誰もいない空間に笑い声をまき散らした。







「──────って感じで今ここに居るわけよ。まぁどうやってこの街に来たのかは分からないけど、そこは気にしなくても大丈夫かな。アッハッハッハ。」

後頭部に手を添え祐は大笑いをする。

「なるほど。つまり今の名前は偽名という事になるのですか。」

「そういう事になる。それ以外の俺を取り巻くほとんどの個人情報は当てつけのまぁ虚構的なモノに過ぎないさ。」

「.....随分と愉快な人生を歩んでいるのですね。」

「まぁね。それが俺の売りですから。」自虐するように祐は時雨にそう言う。

聞くことを全て聞き終えた時雨は今の今まで正座をしていたことを忘れさせるようにすっと立ち上がり、祐を見下ろした。

「それでは明日スマホを買いに行きましょう。残念ですが此度は自費でお願いします。」

「分かってるよそんなことは。んで何処に行けばいいんだ。明日俺普通に学校あるんだけど。」

「いつも通り、いつも通りに過ごしていただいて構いません。そうすれば早い段階で私と合流できるかと。それでは私はここらでお暇させていただきますね。」

「えっ!?ちょっと時雨さん?いつも通りってどういう事?」

玄関に向かって歩み続ける時雨の背中に祐は声を掛けるが、時雨はその問いに答えるは愚か足を止める事さえしてくれない。黒のハイカットスニーカーに足を通し靴紐を手早く結びすっと立ち上がる。

「あの時雨さん?聞いてます?」

「はい。ですから普段通りに生活をしていてください。それでは.....」

そう言い残した彼女は祐の目の前から忽然と姿を消した。玄関から勢いよく飛び出たわけではない。

「はっ?」 

テレビの電源を落とし、キャスターの人が消えるように。霧太刀時雨はこの家から姿を消したのだ。それは夢でも無く、幻想でもなく、ましてや祐の妄想でもない。

 ふいに透明になったのかと考えた祐だが、祐の10kmにも及ぶ感知に時雨の魔力は引っ掛からなかった。思考を回す必要は無かった。単純な話時雨は祐を中心とした半径10km

の円の外に飛び出たのだ。それも前触れもなく一瞬にして。

「ははっ。これが魔術って奴かぁ?面白くなりそうだ。」

祐は顔を引きつらせながら洋室に戻っていった。














 


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