1 街と少年と化物
序章:街と少年と化物
5月30日もう少しで6月に差し掛かろうとするこの日は、人の体にベトベトと纏わりつく湿気を多く含んでいた。浄化目的で鬼川祐は、ゲーセンに立ち寄った。
「なぁ、祐知ってか?最近19番街でまた例の死体が道に落ちてたらしいぞ。」
「...そう。」
「しかも、今回は首から上だけなんだってさぁ。多分俺それ見つけたら普通に漏らす自身有るわ。」
「...そうか。」
そっけない返事を返す祐とは対照的に、八田は円滑に舌を回し続けている。
ゲームセンター特有のガヤガヤした音。誰かが喋る声。コマンドを入力する時に鳴るカタカタとした音。そして100円が両替され取手口の金属とぶつかり合う音。しかし、今の祐はそんな音をノイズとして扱い聴覚から除去していた。
目の前の画面に意識が向きすぎているからだろう。
「(HPバーは殆ど同じ...時間は後30秒。コマンドゲージは同俺のほうが1個多く溜まってる...)」
格ゲーの画面を瞬き一つせず凝視し、画面の情報を口ボソボソと呪文のように呟く。
「(八田は近接だし、丁寧に処理して飛び道具でガードの上から削れば時間切れで勝てるわこれ...)」
自らの勝ちが近づくことを確信した祐の両手は、補講が掛かった学生が答案を受け取る様に不規則に震える。
画面の中央上に表示されている時間が10を切った途端、劣勢と判断した八田が勝負に出た。祐のキャラクターの射程ギリギリの場所で相手のフレーム数の多い技を誘発する所謂釣り行動を取る。まんまと掛かった裕が技を放った瞬間に一気に詰め寄りそのまま理由の分からない異次元のコンボで3分の1程度残っていた祐のHPバーを溶かしてしまった。
「うっし!危ねぇ危ねぇ...いやぁ、まだまだですなぁ〜祐殿。」
椅子から立ち上がった八田は、俯く祐の背中を軽く2,3度叩く。その顔には相手を煽るようなニヤニヤを宿していた。
「また、また負けた......くっそぉぉぉ!!!何であそこから負けんだよぉ!」
祐は負けた悔しさを拳に乗せ、自分の右の太腿を叩きつけた。その一発は重たく、そして痛かった。明日には青くなっているだろうと直感的に祐は理解した。
「これで俺の100連勝が達成された事だし、今日は良い夢が見れそうだわ。」
アーケードの隣に置いていた、クタクタになった学校指定の鞄を持ち、それを肩にかける。本来は綺麗な四角を維持しているはずだが外枠に有るはずのフレームを抜いた八田の鞄は丸みお帯びた形状になっている。
「はぁぁぁぁ.......」
深々しい溜息を付いた祐もまた鞄を肩にかけ椅子から立ち上がった。
(100連敗ってことは、俺こいつに1万円負けてるってことか。)
そう認識すると祐は肩を落とし、再び溜息を着いた。落とした肩から鞄の肩紐の1つが外れる。
暑さと湿気から逃れるために入ったゲーセンだが、効きすぎた冷房が汗を冷やし肌寒くなり初め二人はゲーセンの出口へ向かった。
「てか祐さ、さっきの俺の話し聴いてた?」
祐の前を歩いていた八田が、突然足を止め振り返りながら半ば愚問を問いてくる。
「そりゃ、聞いてたよ。」白髪をボザボサと右手で掻きむしりながら答える。「逆にあれで聞いてないのは普通に考えてやべぇ奴だから。」
「じゃあお前はそのやべぇ奴かもなぁ。」
少しばかり煽り口調で八田は祐に言い寄る。
心外だった。それにこのなんとも言えない顔が一〇〇連敗の悔しさを相乗的に上げてくる。切れる。に至るレベルでは無いもののいかんとして腹は立つ。
「あれだろ。お前の大好きな『怪事件』だろ?ちゃんと聞いてたよ!」
若干八田を言い伏せるように強めに怪事件という単語を強調させて言葉を返した。
あれ、ちゃんと聞いてたの?みたいな間抜けな表情を浮かべながら口を開く。
「じゃあ、いつ?」
突発的に質問が投げかけらてた。面接の最後にあなたの事をもっと知るためにという名目で始まる質問コーナー位の質疑の短さだった。
「最近って言ってたから正確な日時は知らん。」
「死体の部位は?」
「首から上だからおおよそ頭部ってところだろ。」
「どこで?」
「一九番街だろ。」
「性別は?」
「....せ、性別?」
矢継ぎ早に繰り出させれいた質問を見事に返し続けていた祐だったが、唐突に詰まった。そんな事を言っていたのだろうか。二分の一だしテキトウにいえばワンチャンス当たるのではないか。などという思考が頭を巡っている時には既に遅かった。
「ほーら聞いてないだろ。祐はやべぇ奴だな。」
八田の勝ち誇ったような顔。そしてその口から発せられる声もまた勝ち誇っていた。 やはり腹が立つ。シンプルな怒りと言うか煽られることへの屈辱に近しいその感情が祐の腹の中で渦を巻く。
なんてやり取りをしていたらいつの間にかもう出口まで来ていた。空はほんのり朱く色で言うならオレンジが一番近い色をしている。鰯のような大きさの雲が群れを成すように点々と織り成す空模様はなんとも言い難い美しさを放っている。
「それにしても、祐は『怪事件』に対して本当に興味ねぇよな。うちの高校でいやこの素数番街唯一の存在なんじゃねぇの?」
自動ドアをくぐり外の世界に足を一歩踏み入れる。身に纏う最悪の蒸し暑さは冷えた二人にとっては至高の恵だった。温けぇ...と感嘆するように声を漏らす。
「....別に興味がねぇわけじゃねぇよ。」
「嘘だぁ!だって俺らが教室で喋ってても祐だけそっぽ向いてんじゃんか。」
確かに興味があると言ったら嘘になる。しかし、一概に興味がないかと言われたらそれはそれで違ってくる。
世界各地で見舞われる殆ど災害に等しい殺人事件。あらゆる事が謎に包まれているその怪奇的かつ奇妙な事件それを国際機関は一九八〇年にこの不可解な事件を『怪事件』として正式に命名した。そこでこの事件を根本から調査するべく日本という技術大国に実験的な研究街が成立した。
「何と言うかお前らみたいにワクワクしねぇんだよな.....。」自動販売機で缶コーラを買いながらポツリと呟く。
「ワクワク?」八田も祐と同様、缶コーラを買いながらそのつぶやきに反応する。
二人は備え付けの木のベンチに座り、話を続ける。
「八田たちは、ほら...あれだろ。怪事件の原因について知りたがってんだろ?」
「そりゃそうだろ。其れ以外に逆に何に対して興味持つ馬鹿がいるんだよ。」
何を愚問な!的な雰囲気で八田は強めに返す。
カシュ。と缶コーラを開け祐は喉を潤すために一口だけ小さく飲んだ。甘くシュワシュワした水分が体に染み渡るのを感じる。カラカラに乾いた砂場に水を入れたようなそんな感覚。
「俺はそこに対しては別にどうでも良いんだよ。」
「祐はあれだな。やべぇ奴だし、馬鹿なんだな...」
お前にだけは言われたくない!と頭をひっぱたきながら言い返そうか一瞬迷った祐だが言わないことにした。
はぁぁぁ.....深く溜息を着く。
「どちらかというと何でそんな事をしているのか。って方が気になるかな....」
「へぇぇ。」
相変わらず変わってんな、とでも思ってそうな顔をしながら八田も缶コーラを開ける。
爽快な音とともに少しだけコーラが小さな飲み口から逆流を始める。
やべぇ。と小さな声を漏らしながらその逆流してきた泡状のコーラをこぼさないように啜りながら飲む。
そう。祐は正体についての興味が無かった。
それは、種を知ってしまったマジックを何度も見せられているあの感覚に近しい。
種を知っている?
そう。つまるところ、この身長一七五センチ体重六〇キロの平均的な体型をした高校生は知っている。
怪事件の犯人を。
しかし、それを言う気は祐には微塵も無かった。
「ってか、明日数学の小テストらしいな....」
話題を変えるように祐は勉強の話を持ち出した。この話を持ち出したのは別に裕が勉強が出来るからという理由ではない。逆に八田が勉強が出来るからという理由でもない。ただ単に補習組の二人にとって成績に関与することは一台イベントだからという安直な理由が合ったからに過ぎない。
「っげ!まじかぁ....それって数Ⅱ?それともB?」
「....数Ⅱの方です!」
はぁぁぁ......
二人は打ち合わせをしたかのように全くの同タイミングで溜息をつく。別に諦めと言うかただの絶望が二人を襲った証拠だろう。
一七。一一。この二つの数が何を表しているのか。
二人の一学期中間試験での数学Ⅱでの点数だ。勉強をしていなかったという訳ではない。二人とも全力を尽くしてでの結果だった。だからこそ二人は諦めではなく絶望している。
「なぁ八田。一体人類は何のために絶対値とか一次不等式何かを学ぶんだよ。ってかなんだよ不等式って。あの『く』みたいな記号も、死ね!」
端的な数学に対しての苛立ちとそれを強制してくる高校の授業カリキュラムに対して怒りを露わにしながら祐は缶コーラをごくごくと飲む。炭酸が喉の奥を刺激し少しばかりむせ返りそうになるのをギリギリのところでこらえた。
「まっっっっっっじでそれな!!!!あんなん将来使わねぇから。まじで。」
八田もまたヤケ食いならぬヤケ飲みが如く缶コーラを一気に飲み干しに掛かる。缶に付着していた結露がポタポタと滴りアスファルトにシミをつける。しかし夏の暑さを強調するかのようにそのシミは一瞬にして蒸発し消えてしまった。豪炎の中に投げ入れられた和紙の一片が消し炭になるような速度だった。
「プハァァァァァ....うんめぇぇ!」
中身を全て飲み干し、コーラの容器からゴミへと化したその物体を八田はベンチに傍に備え付けられているゴミ箱に投げ捨てた。ゴミ箱に入っていた他のゴミとぶつかり合い瞬間的な音楽を奏でる。
八田は軽快に椅子から立ち上がり学校の鞄を手に取る。一八二センチかつ八〇キロの屈強なスポーツマンの体は下から見上げるとより大きく見えた。
「そろそろ学生寮は門限だから俺帰るわ。じゃあ明日学校でなぁ。」
左手を祐に向け、そのまま走り去って行った。少しずつだが八田の姿が小さくなっていく。
「おう。武運を祈ってるわ!!」
小さくなった八田に届くように祐は手をメガホン代わりにして大きな声を出す。
八田は一度立ち止まり祐の方に体を向ける。
「そっちもなぁぁ!!!!!」
そう告げると、八田は再び走り始め気づいた頃にはもうその姿は殆ど見えなくなっていた。恐らくメロスもこのように走り去って行ったのだろうかと脳の片隅に合った知識と照らし合わせてみる。何と言うか少しだけ頭が良くなったように感じた。
「俺も、スーパーに寄ってから帰るとしますか。」
残っていたコーラを飲み干し、空き缶をゴミ箱へと放り投げる。再びゴミ箱は瞬間的な音楽を奏でる。八田とは対象的に祐は優雅に歩きながら自分の家へと向かった。
スーパーへと足を運んでいるうちに幻想的な空模様はいつの間にか終わりを迎えようとしていた。
十字路を右に曲がると、少し大きめスーパーが現れた。普通あの豆腐型の建物を見ただけではスーパーと判断するのは難しいだろう。普通であれば、しかしこのスーパーは一味違った。『激安スーパー』という小学生が考えたのかと思いたくなるようなこの安直な名前を大々的に建物に刻んでおり、目が見えているのである以上一〇〇人中一〇〇人がこの建造物をスーパーと判断するように出来ている。
だが、名は体を表すではないがこのスーパーは本当に安い。正直どういう経営をすれば黒字になるのか回目検討もつかないほどには安い。卵一パックを取っても他の販売店と比べて殆ど半分になっている。
「本気でどうなってんだよこれは....」
一パック一〇九円の卵片手にあまりの安さに対し吐き捨てるように、そうぼやく。
突如スーパー内に設置されている天井のスピーカーから授業終わりの鐘のような音が鳴り始めた。
『もうすぐ六時三〇分となります。大学生以外の学生は皆それぞれの寮、家に帰るよう心がけましょう。』
リバーブとディレイをかけたような女性の機械音声が二度門限の時刻を伝える。名門の私立校なんかは門限を過ぎての帰宅は成績に関わってくると祐はどこかで聞いた話を頭の中で再生する。
「八田の奴間に合ったかな....まぁ、うちの馬鹿校ならそんなこと重要じゃねぇだろ」
左手に所持してた安すぎる卵を買い物かごに入れ祐は目当ての商品を探す旅に出た。
道を知り尽くした場所を歩くことを旅というのかは定かではないが、まぁ旅ということにする。
ニラ、にんにく(チューブではない)、鶏肉、ごま油を卵が重鎮しているかごに入れる。人によりけりだが、大体これで何を作るか分かるのではないだろうか。
「良し。油淋鶏の宴の準備はできた。」
鬼川裕が、仮に人生最後に喰うのであればという定番中の定番の質問が来たとしたら、確実に脊髄的かつ強烈に「油淋鶏!」と回答するほどには好きなのだ。外側はガリッとした食感、そして中心に辿り着くに連れ柔らかさがましていき口の中で鶏肉の肉汁が充満する。にんにく、ニラ、ごま油のタレをぶっかければ飛んでしまうほどに美味いその物体を祐は愛してやまない。
一週間ぶりに油淋鶏を食べられるという事実が祐を高揚させ、それだけで足取りが軽くなる。彼女ができたとしても、テストで満点が取れたとしてもこの幸福感を超える事はないと祐自身確信している。そんな事を妄想しながらレジに通される商品を見つめる。
「まーた油淋鶏?ほんと飽きないよねぇ。」
声をかけられた。誰に?ふとレジに通された商品から声の発生元に視線を向ける。このスーパーの店員だった。しかし、良く知っている顔。
「まぁね、こんなに美味いものに対して飽きるという概念は存在しないんだよ。」
片方の口角を上げながら祐は、少し自慢げにそう告げる。レジを挟んだ向こうに立っている彼女は「あっそう。」と微笑みながら返す。
激安スーパーの定員の中で恐らく最も若い人材である彼女は東雲扇。祐と同じアパートに住んでいる住人である。ピアスを耳に十近く装備し、顔はダウナー系な雰囲気を放つ。身長は女性にしてはかなり高く大体祐の目元位だった。
「てか扇さん、また髪の毛染めた?」
「うん、綺麗な銀でしょ。まぁ君の純白の髪には敵わないけど。」
グレーから銀という一瞬変化に気付きにくい変色だが、ほぼ毎日顔を合わせ祐はその変化を瞬間的に捉える事ができた。
「俺のは、地毛ですよ。」
髪に課金している貴方とは違うと主張するように言い放つ。
「プハッ、日本人がそんな綺麗な白をデフォで装備してるとは思えないけど....合計九二八円でーす。」
笑いながらも東雲は本来の業務を一応こなそうと気の抜けた合計金額を告げた。レジのテーブルにあるカルトンに千円札を乗せる。中々に年季が入った千円札はしわがれ端のほうが折れ曲がっている。中央線で折り曲げられ過ぎたのか少しだけ千切れている。
「はーい千円入りまーす。はい、お釣り七二円ね。」
カルトンに入れずにレシートごと手に返してくれる。ネイルの妙にツルツルとした感覚が掌から伝わってくる。
「じゃあね少年。また、明日の朝にでも会おうか。」
「仕事頑張ってねぇ。」
祐の方を見ながら彼女は目を細めて微笑む。彼女に気があるわけでは無いが、それでも美人だなと祐は男として思う。
学校の鞄から黒のエコバックを取り出し、丁寧に詰めていく。ここから家まで三分もかからないほどに近いが、それでも卵というガラスよりも脆弱な高級品を持ち歩く以上丁寧にせざるを得ない。
詰め終わり学校の鞄を左肩に担ぎ右手でエコバックを握りそのまま歩いてそのまま外に出た。幕を下ろした夕方の空模様は夜という新しくそして長い幕を開けていた。しかし、依然としてこの蒸し暑さという幕は下りずにいる。
「あぁぁぁぁ...汗が張り付いて気持ち悪ぃ。」
空いている、左手で服を肌から離すために何度も何度も襟元に空気を入れようと奮闘する。数回行動すると肩から鞄が落ちそうになるという、まるでターン制のRPGかのように単一的な行動を反復する。
一本道に差し掛かる。その周りだけ自然に多く囲まれアーケード商店街のようになり、月明かりを遮断している。だから、この道は普段から暗い。
桜通りという名称で呼ばれるこの道は二三番街きっての観光名所で、桜の季節になれば他の番街から観光客が集まってくる。観光収入的観点からすればメリットだらけなのだろうが、この一本道を抜けた先に住む祐からすれば正直たまったものではない。
それに
「人が集まった痕。その残穢を嗅ぎつけるようにお前らがわらわら集まってきちゃうからな。」
ペタ、ペタ、ペタという素足でフローリングを歩くような音が両側の木々から近づいてくる。人間らしいその足音を鳴らしてはいるが、迫りくる雰囲気は妙に冷たい。血が通っている者の温かさとは本質的にかけ離れている。
「.....四体かぁ」
足音、気配、そして『魔力』の反応数に基づいた数字。
のそのそとその物体は、祐を囲むように位置を取る。
その物体は、人の形をしている。
その物体は、目がない
その物体は、心臓部分に紫掛かった水晶玉が埋め込まれている。
その物体は、黒い。そして人を切り裂く為に凶暴な爪と牙を持つ。
その物体は、祐を目掛けて襲いかかる。
電子音のような咆哮とともに、正面の物体は右手を振り抜く。だが、祐は焦らない。いやむしろいつも以上に冷静だった。切り裂きを紙一重で躱したところ、右の脇腹ががら空きになる。
瞬!という効果音を纏いながら祐の左の拳はその物体を突き刺さし見事、数メートル後方にぶっ飛ばした。
刹那、他の三体が左右と後ろから同時に攻撃を仕掛けてくる。だが、問題はなかった。一歩前に出て、左右の攻撃が当たらない位置に移動する。そのまま左回転で裏拳気味に後方にいた一体の顔を打つ。扉の角にある蜘蛛の巣を払いのけるかのように振り抜く。そこまでの威力ではない為先程のように吹っ飛ぶなんてことは無かった。だが、相手の体制さえ崩れればそれで十分。
瞬!と右足を相手の胸元に突き刺す。ガラスを砕いた感触がスニーカー越しに伝わってくる。
(この手応え的に一体は完了かな...)
一息つく暇も与えないように残った二体はまたしても飛びかかってくる。まるで一週間ぶりに獲物にであった肉食獣かのように。祐はここでも冷静に二体を視界に収め反撃を差し込む隙を窺う。
(右は大振り...やや曲線的な動き。左は突き刺す直線的な流動。飛んで避けるか?
いや駄目だ。着地時の衝撃に卵が耐えられない。いなすか避ける他ないかな...)
祐の喉元に引っ張られるように化物の爪は素早く近づく。喉に当たる寸前、左足を軸にコンパスのようにくるりと時計回りに体を廻す。
右の個体の大振りが少し遅れて来るが、祐と左の個体の位置が転じてい事もありその鉾先は味方に突き刺さる。
「 !! !」
人の耳ではそれを声として捉えることはできないが、切られた個体は何かを叫んでいる。モスキート音に近しい電子音は耳を劈くようだ。
味方同士で殺り合っている間に、祐は傷を負っていない個体に背後から音を消しながら近づく。まだ、気づいていない。中国拳法の寸勁に近い要領で水晶玉の丁度後ろから一気に拳をぶっ放す。
轟!という骨を砕いた音と
割!という水晶玉にヒビが入る音が聞こえる。
決して浅くはないが、確実に行動不能に持って行ける状態まで水晶玉が壊れただろう。
(あと、二体....)
立っているもう一体に同様の攻撃を仕掛けようと一歩踏み込む。
瞬間左手側から、何か大砲のような何かがぶっ放された音と、アスファルトの地面を削る音。そして、避けろ!という反射的な命令が背筋に伝わる。
「っ!.....」
踏み込んだ足をすぐさま元に戻し、さらに二歩後ろに後退する。人一人を飲み込めるほどの大きの紫の砲弾が正面にいた二体に衝突しけたたましい爆発音と共に衝撃風が襲いかかる。十字受けの構えで身を守りながら、今の技の解析を行う
「この威力、詠唱クラスの魔弾。最初にふっ飛ばした個体...上位か」
『魔弾』すなわち魔力を一点に固めて放つ単純な魔術。だが、単純故にその破壊力は凄まじく直撃した二体を見れば一目瞭然だ。
(色は青紫。つー事は属性は若干の水を含んだ闇。あいつらの詠唱の長さも種類も知らんが、下手に中和するのは逆に危険かな。)
毎度のこと理系科目オール赤点を連発している祐とは思えないほどに迅速に相手の力を分析する。ただ、それはあくまで知識でありそこから最適解を導き出せるほどの技量は彼にはない。
いや、必要がない。
「魔術に関してはからっきしだけど。それは俺も出来るんだぜ。『魔陰』さん。」
左腕を伸ばし掌を指先に力を込めながら開く。体内にある魔力を手の先に集中させる。初めは、ピンポン玉程度の大きさ。だが瞬時にそれはバレーボール程にまで変貌する。
『魔陰』という名の人の形をした化物は祐のように手ではなく、口を開きそこに魔力を集中させる。大きさは比べるまでもないほどに魔陰の魔弾の方が大きい。
少し離れた場所でスピーカーから放送の音声が鳴った。
それが、西部劇のガンマンの打ち合いの合図のようになる。
『七時になり――――
二つの大小の魔弾は両者の中間地点でぶつかり合う。しかし、その均衡は一瞬にして崩れた。明らかに小さくそして弱そうな祐の魔弾は魔陰の魔弾を二つに引き裂きながら直進し続ける。
轟!という音とともに魔弾は魔陰の核である水晶玉に修復不可能な傷を付けた。
圧倒的質量の魔力を込めることで威力を極限まで高める魔弾。即ち力のゴリ押し。
四体の魔陰の討伐。それに掛けた時間はおよそ一分にも満たない時間だった。
「良しっ....これで、拾九番街じゃあ暫く怪事件はおきねぇだろうな。」
そう。鬼川祐は知っていた。そしてそれを殺す術も。
世界を大混乱に陥れた怪事件の正体を。
「じゃあ、上位個体の核だけ引き抜くか。多分一〇万は降らねぇだろう。」
一歩踏み込むと、右手に持っていたエコバックの中からベチョっという半ば恐怖的な音がきこえる。嘘だろ⁉︎と恐る恐るそのパンドラの箱と化した袋を覗く。そこにはある種貧乏学生を絶望に叩き込む光景が広がっていた。底の方に丁寧に収納していた卵が無惨にも全滅していた。被害が最も少ない個体でもヒビが入り、卵白が漏れ出ている。
はぁぁぁぁぁぁぁ.........
今日一の溜息を吐き出す。スピリチュアル系の人なら「幸運を漏らすなんてなんて勿体無いの!?」と発狂しそうなほどのある種の咆哮を放つ。
「(明日また、買いに行こう。)」
そうぼやきながら目の前で倒れ込む魔陰の割れた核を体から抜き取りそのまま帰路についた。
桜通りを抜けると、外装がかなり古びたアパートが見えてきた。入口付近の看板には『鬼川荘』とゴシック体で印字されている。その看板の下には小さな犬小屋が置いてありそこで黒の柴犬が気持ちよさそうに寝ている。犬小屋の名札には『ユウ』ともはや殆ど読めない程かすれた字で名前が書かれている。
「(ただいまぁユウ。)」
起こさないように柔らかく優しい声色で挨拶をし、抜き足指し足でアパート外付けの茶色く錆びた金属の階段を登る。カンカンという金属の心地良い音を立てながら二階に上がる。年季の入った蛍光灯がチカチカと点滅を繰り返している。
二〇三号室。裕が住んでいる部屋の前に立ちポケットから鍵を取り出す。ペンギンのキーホルダーが不規則に揺れる。ドアに掛かっているロックを解除しそのまま玄関に入る。
外装に比べ中は驚くほどに綺麗だ。毎朝裕が掃除をしていることもあるのだが、壁の塗装が剥がれていたりだとか、カビが生えていて匂いがきついだとかそういう要素は見当たらない。
「ただいまぁ....」
気の抜けたような、感情の籠もっていない形式的な挨拶を無人の空間に放つ。勿論「おかえりなさい」なんて祐を労う返事は帰ってこない。スニーカーを乱雑に脱ぎ捨て暗闇の短い廊下を歩く。廊下の終端、壁に埋め込まれている電気のスイッチを押すとLEDが白色に発光する。「よいしょっ!」と声を出しながら肩にかかっていた学校鞄を振り子の要領でベッドに放り投げる。右手に持っていたもはや絶望しか残っていないパンドラの箱を丁寧にちゃぶ台の上に置く。
「にしても、どのタイミングでこんな悲惨な状態にまで成っちまったんだよ。」顔をしかめながら先の闘いを振り返る。一体目を殴り飛ばした時?いや違う。二体目に裏拳を入れた時?これも違う。
自問自答を繰り返してもどれも卵を壊滅させるにいたる衝撃は無かった。魔弾を避けた時?違う。魔弾が二体の魔陰にぶつかり風圧を起こした時?
.....
「これだ。」
風圧から身を守るため体の前で十字受けの構えをした時。恐らくこのタイミングで卵に過剰な衝撃を与えたのだろう。
はぁぁ....
膝に手を着きながらゆっくり立ち上がり、台所からかなり大きい皿を持ち出して机に乗せる。パックからまだ形を留めている卵黄を摘出し更に乗せていく。
一つ、二つ、三つ、四つ、いつ...「これは、原型ねぇな。」殻が突き刺さり、少しとろけだしている卵黄も皿に乗せる。こぼさないようにコンロの傍に持っていきラップを掛け冷蔵庫で入れる。
「まぁ、三分の一が存命だしラッキーだってことにしておいて、油淋鶏作ろ。」
気分を一転させるために手を鳴らす。軽い足取りでエコバックから食材を取り出す。漏れ出した卵黄で少しばかりベトベトしているがそこは気にしないでおいた。これ以上卵のことを引きずると永久的に溜息をついてしまうような気がしたからだ。
慣れた手付きで食材を調理していく。ニラとごま油そしてにんにくのタレを錬金術かのごとく生成する。下処理を行った鶏もも肉を油で揚げる。ジュワァァという人類のストレスを軽減する効果を確実に持っているであろう音が耳に飛び込む。
黄金色に進化した鶏肉を金属制のさえばしで掬うように持ち上げ油切りの上に乗せる。その美しい姿を前に気を抜くとよだれが滴る。
『炊飯完了しました。』
セットしておいた早炊きの白米の準備も整う。
油を切った油淋鶏を五等分にカットして皿に陳列する「あっちぃ!!」触れていた左手を振り熱さを紛らわす。最後その上にタレを掛ける。まさに悪魔的。
「では、いただきます!!」
勢い良く手を合わせ、白米と油淋鶏を同時に口に入れる。
その時点で勝利は確定していた。
一言も発さずに、残りを食べ終え食器を洗い、そして食器棚に片す。そのままの勢いで結んでいた髪を解き風呂に入る。湿気のせいでベタついていた体からの解放は体育終わりのボディーシートのように心地よい。
風呂から上がり、パンツとブカっとしたステテコパンツのようなズボンを履き上半身は真っ裸の状態でベッドに飛び込む。ひんやりとしたかけ布団が肌と触れ合い、濡れた祐の長髪が布団に触れそうになるその髪を横目で祐は見る。
「そろそろ髪切に行くとしますかね。まぁた清廉に追っかけ回されるのは溜まったもんじゃねぇし。」
日本人らしからぬ白色、そして肩甲骨辺りまで伸びた自分自身の髪の毛に目をやる。
気づけばもうベッドの頭にあるデジタル時計が八時四二分を表示している。
もう寝よう
久々に『力』を消費したこともあり眠気がどっと襲ってきた。洗面台で髪を乾かす。やはり長いと時間が掛かる。ベッドに戻り時計を見ると九時〇二分を表示している。
六月に入ったら髪を切りに行こう。
電気のスイッチを押すと、部屋は再び暗くなる。
「明日、博士に核届けに行こうかな。」
目を閉じると祐はすぐに夢の世界に誘われた。
まぁ何と言うか、趣味が高じて書いてみたものです。




