5 魔王と勇者
馬車が止まったのは、奇妙な建物の前だった。
街の中にあるのが不自然に見える。
小さな城のように飾り立て、まるで人気をなくそうとしているかのように陰湿に感じる。
「ここは……」
馬車から降りた瞬間から、ソマリア王子は場違いだった。
シャンテと乳母たちが続く。
「貴族御用達の連れ込み宿ですわよ」
「どうして、シャンテがこんな場所を知っているんだ? よく利用しているのか?」
「ここを利用する貴族の皆様が多いのですわ。孤児院の子たちだって、食事のネタが欲しいですもの。集中して張り込みますわよ」
「シャンテは利用していないのか?」
「今更、婚約破棄した娘のことが気になりますの? 私は清純ですわ。魔王を倒すためか何だか知らないけど、実力ある男であれば誰にでも股を開く勇者様とは違いますわよ」
「マリアは、そんなことしない」
「そうですわね。今しているのは、殿下のお母様ですものね」
「……くっ」
言い返すことができずに唇を噛んだ王子を置いて、シャンテはいつもの場所に身を潜めた。
連れ込み宿の中は、小部屋が無数に用意されている。目的の人物がどこにいるのかはわからない。
建物の中に、客以外が入ることはできない。
そのため、隠れて様子を窺える場所をシャンテは複数用意してある。
王子と乳母たちも従う。
しばらくして、連れ込み宿の前に馬車が止まった。シャンテたちが乗ってきた馬車は返却してある。
別の馬車だ。
「出てきましたわ」
「あ、ああ。だが……」
王子は動かない。宿から出てきたのは二人連れだった。
1人は女性で、頭からフード付きのマントを被っているために顔はわからない。女が馬車に乗った。
「じれったいですわね。こうするのですわ。ミュウ、ヒャン、離れて」
「はい。お嬢様」
指示された乳母たちがシャンテから距離をとる。
『モブ』には、その他大勢の意味もあるのだろう。大人数の中に紛れるほどその効果は大きいのだと、シャンテは経験から学んでいた。
シャンテが馬車の前に飛び出す。
思った通り、男は馬車に乗らずに見送ろうとしていた。
「おーほっほっほっほっ! 王妃様ともあろうお方が、連れ込み宿で不倫とは見過ごせませんわね!」
「なっ! シャンテ! 処刑されたのではなかったの?」
王妃が馬車から顔を出した。真っ青な顔は、シャンテを見たからだ。その驚愕の表情は、死んだはずのシャンテが目の前にいるから、というだけではなかった。
「おーほっほっほっ。この私が、むざむざ処刑なんてされるものですか。私は、悪いことはなにもしていませんわ。当然無罪放免ですわよ」
「それは嘘だろう」
王子の声は、王妃には届かなかった。王妃は馬車から顔だけではなく、上半身を乗り出した。
「性懲りも無く、また私を揺すろうというの? お前には、十分な金を渡したはずよ。公爵家が潰れても、お前だけは生き残れるほどね」
「冗談ではございませんわ。私が死刑宣告された牢にいる間に、全て取り戻したじゃございませんの。私を処刑するよう、裁判官と不倫していたのはわかっていますのよ!」
「母上、本当なのですか?」
黙っていられなくなったのか、ソマリア王子がシャンテの後ろに立った。
「ソマリア、あなた……こんな女と何をしているの?」
「婚約者ですもの。一緒にいておかしなことなどありませんわ」
シャンテは宣言する。その隣で、王子は首を振った。
「婚約は解消した。私は、マリアを探しにきたんだ」
「どうして……いえ、シャンテの情報網なら、探すのは簡単なのでしょうね。ソマリア、母親を信じなさい。王妃の私の言うことを否定できるのは、国王陛下だけよ」
「そっちの男は、王室出入りの武器職人の弟子ですわね。相変わらず、若い男が好きみたいですわね」
「ソマリア、聞いちゃダメ」
「……はい」
ソマリア王子がシャンテの口を塞ぐ。
シャンテが王子を振り解こうともがいている間に、馬車はシャンテたちを迂回して走り出す。
シャンテが王子の手を外した。
「私の部屋から没収した財宝、返しなさいよ!」
「王妃に逆らう気なの?」
ついに開き直った王妃が、馬車に揺られながら遠ざかる。
王妃の不倫相手だった若者は、すでに姿を消していた。
「シャンテ、もういい。母上が何をしていようと、目的はそれじゃないだろう。シャンテがどうやって情報を得ているのかはわかった。でも、私はマリアを信じる」
「孤児院の子たちは、マリアの情報は持っていなかったけど……私はマリアも、ここにいると思いますわよ。私の情報源は、子どもたちだけじゃありませんもの」
シャンテが笑うと、ソマリア王子は引きつった顔を見せた。
あえて話題を変えるように、王子は言った。
「シャンテ、お前は母上に何をした? 普段は温厚で大人しい人だ。まさか……シャンテの裁判に影響しているのか?」
「大したことではないですわ。握った情報を有効活用するのは当然でございましょう」
「では……」
ソマリア王子の言葉が止まった。
轟くような爆発音が近くで聞こえた。
シャンテは、宙を舞う肌色の物体を見た。
地面に落ちる。
「カラスコ?」
王子はその正体を看破した。全裸のまま、連れ込み宿の壁を破壊するほどの勢いで吹き飛ばされたのは、最年少宮廷魔術師のカラスコだ。
地面に叩きつけられたが、拳をつくって立ち上がる。
その背中に、シャンテは声をかけた。
「ちょっと、こちらを向きなさいませ」
「シャンテ? よりによって、こんな時に。ぐぁぁぁぁっ……」
振り向いたカラスコの股間を、シャンテは踏みつけた。
単に見たくなかったのだ。
見なくて済むように、靴の裏を叩きつけたのだ。
カラスコが悶絶してうずくまる。
「汚いものを見せないでくださいまし」
「シャンテ、今のは酷い」
ソマリア王子も、カラスコに共感して青い顔をする。
「それで? 『よりによってこんな時に』って、どんな時なのです?」
悶絶していたカラスコが、脂汗を流しながらソマリアの脚を掴んだ。
「殿下、大変です。ま、魔王、多分魔王です。マリアが捕まっています」
「マリアがいるのか?」
王子の剣幕に、カラスコが股間を手で隠しながら頷く。
「お前は、どうして全裸なのだ? マリアと何をしていた?」
王子の剣が、カラスコの喉元に突きつけられる。
「おーほっほっほっほっ! ほうら王子、ご覧なさいな。私の言った通りではございませんの」
「で、殿下、罪はいかようにもお受けいたします。マリアをお助けください。部屋は、203号です」
「シャンテ、本物の魔王なのか?」
「私が知るはずがありませんわ」
シャンテは真顔で言った。王都の中に魔王が出るなど、想定もしていないのは本当のことだ。
「肝心なところで……シャンテ、役に立つのならついて来い」
王子は微妙な言い方をしてから、カラスコが飛んできた連れ込み宿に向かって走り出した。
ソマリア王子は強い。恵まれた体格と才能で、剣を使用した近接戦闘ではこの国でも屈指の実力者だ。
だからこそ、王族でありながら勇者マリアと共に魔王討伐部隊に選ばれたのだ。
王子が駆け出す。
「お嬢様が危険なことをなさる必要はないでしょう」
背後で見ていた乳母のミュウが声をかける。隣で侍女のヒャンが頷いていた。
「肝心なところを見逃したくはないですわ。でも、そうですわね……2人は危ないからこここで待機してくださいませ。それから……」
シャンテはマントを外し、全裸のままのカラスコに投げつけた。
「せめてもの情けよ」
「すまない。洗って返す」
まだ股間が痛むのか、カラスコは立ち上がれないでいた。
シャンテが吐き捨てる。
「冗談はおよしなさいな。この清い身の私が、男の肌に触れたものなど、使うとお思いなの? このことは貸しにしておきますわ。いつか、命で返すのですわね」
「貸しが重いのではないか?」
「そのままでは、社会的に死にますわよ。命の礼は命で返す。当然でございましょう。ミュウ、ヒャン、ここは任せましたわ」
「承知いたしました」
2人の使用人が頭を下げる。
シャンテは通い慣れているが実際には入ったことがなかった、連れ込み宿の203号室を目指した。