48 復讐の蜜
シャンテの目の前で、イーゼン男爵夫人が手紙を読んでいた。
「ああ……本当に……」
「奥様、どういたしました?」
まるで使用人であるかのように、モブ化したままのシャンテが尋ねる。
腕には、魔族の姫であり、かつトワイス王国の共同統治者であるマカロンを抱いている。
見た目はタヌキである。
タヌキを抱いた、王家の紋章入りの服を着た女性を使用人と間違えるほど、シャンテのモブ化は深化していた。
「シャンテと名乗るあるお方が予言したとおり、夫のイーゼン男爵が野盗に誘拐されたのです。返してほしければ、身代金を用意しろと」
「用意なさるおつもりなの?」
シャンテが囁く。
優しく、背中をさするような声は、悪魔のように響いた。
だが、男爵夫人は囁いている侍女が、この事態を予言したシャンテであるとは疑っていない。
つまり、そもそもシャンテが仕組んだものであることは気付きようがない。
「確かに、夫の持つ全ての財産は、私の名義に書き換えたけど……世間体というのものがあるわ。夫を見殺しにしたとなれば、後ろ指を刺され続ける。唸るほどの金貨を持っていても、人に隠れて使わなければならなくなるもの」
「奥様、賢明なご判断ですわ」
「ありがとう」
シャンテは、夫人の肩から垂れた巻毛に前足を伸ばして追いかけようとする、マカロンを宥めながら続けた。
「旦那様が、生きてお戻りになればよろしいのでは?」
「そうね。そのために……この額は、私の全財産に匹敵するわ。まるで、私の財産目録でも持っているみたい」
シャンテは小さく頷いてから、口を開く。イーゼル男爵夫人の財産目録は、入手している。
「旦那様を助けるために、全財産を投げ打つなんて馬鹿げていますわ。そこそこの財産で、交渉を引き伸ばして、値切るとよろしいでしょう。交渉が長くなれば、野盗に囚われている旦那様は、精も根も尽き果てて、財産を使う余力もなくなりますわ。その上で、奥様はこう言うのですわ。あなたを救うために、私は全てを投げ打つ覚悟でしたわ。でも、いきなり全財産を渡せば、あなたが殺されてしまうかもしれなかったの。少し時間がかかったけど、生きて会えたのですもの。これからは、領地に引きこもって、大人しくして居ましょう」
「……素晴らしいわね。その後は?」
「領地に引き篭もり、衰弱した旦那様は、人に会おうともなさらない。奥様が気づいた時には、ベッドの片隅で冷たくなっていた……というのはいかが?」
「あなた、天才ね。でも、野盗との交渉はどうすれば……」
口籠る男爵夫人に、シャンテは囁いた。
「ひとり、適任者に心当たりがございますわ」
「……誰?」
「奥様、あちらをごらんになって」
シャンテが指差した方向に、扉がある。
イーゼル男爵夫人は、不思議そうにただの扉を見つめる。
シャンテはタヌキのマカロンを抱えて、扉の前に立った。
シャンテに、男爵夫人の視線が注がれている。
「おーほっほっほっほっほっ! 話は聞きましたわ!」
「シャンテ様! シャンテ様のお言付けどおり、あの人が野盗に誘拐されました。これから、野盗との交渉をしたいのですが……」
「全てを私にお任せになるのなら、死のギリギリまで追い詰めた姿で、男爵を取り戻してみせますわ」
「ああ。なんと心強い。まるで、私の腹心の侍女のようだわ」
その腹心の侍女がシャンテであることは、男爵夫人はもちろん知らない。
シャンテも、男爵夫人の腹心になった覚えはない。
「それで、奥様、いくら出せますの? 指定された金額の……8割ではいかが?」
「それは、あの人が衰弱して領地に引きこもった後、私の手元に2割しか残らないということでしょうか」
「そうなりますわ。でも、全額とられたり、隠れて住んだり、といった必要は無くなりますわ。領地からの収益もあるのですし、生活には困りませんわ」
「……なんとか、5割で解決できないでしょうか」
「おーほっほっほっほっほっ! 7割7分」
シャンテが時折高笑いを挟むのは、自分の存在を思い出させるためである。
「……6割では」
「7割で解決したら、5分を孤児院に寄付するというのはいかがですの?」
「手元に2割5分……わかりました。領地からの収入もありますし、それでお願いします」
「わかりましたわ。もし、元気な姿で旦那様が戻ったら、使いすぎた分はお返ししますわ」
「さすがシャンテ様、太っ腹です」
「お腹が太いのは、マカロンですわ」
「えーっ……私、太っていないよ」
シャンテは、タヌキの寸胴の胴体を持ち上げた。
食事の心配もなく、毎日寝て過ごしているマカロンは、確かにふっくらとしている。
「では、おいとましますわね。手紙を書きますわ」
「よろしくお願いします」
男爵夫人が深々と頭を下げる。
シャンテは屋敷を出た。
屋敷を出て、足を止めた。
入れ違いに、凄まじい剣幕で馬を飛ばしてきた男がいた。
イーゼル男爵ではない。
見知っていた。
シャンテは記憶力がよく、似顔絵の名手でもある。
だが、それ以上にはっきりと覚えていた。
勇者一行のひとり、大商人の番頭セイイが、禿頭を光らせて馬を止めた。
シャンテは、イーゼル男爵への復讐を後回しにして、セイイの後をつけた。
セイイは、イーゼル男爵家に入っていったのだ。
シャンテの把握する限り、セイイとイーゼル男爵に繋がりは無いはずだった。
「ちょっと、どこに行くのよ」
突然方向転換したシャンテに、マカロンは抵抗して、男爵宅の壁に爪を立てた。
シャンテはマカロンの耳元で囁く。
「おーほっほっほっ」
「あれ、シャンテ?」
マカロンの口調から、マカロン本人が誰に抱かれているのかわからなくなってしまったのだと感じたシャンテは、耳元で高笑いを囁いた。
「ええ。私ですわ。勇者の仲間を見つけましたわ。予定変更しますわよ」
「えーっ……ラーメンは?」
「その予定は変更しませんわ。この後で参りましょう」
「なら、いいわ」
マカロンは、シャンテの腕の中でふんぞりかえった。
最近話題のラーメンという食べ物を一緒に食べに行く約束をしていたのだ。
セイイにやや遅れて、屋敷に戻った。
セイイはあきらかにシャンテを見ていたが、それがシャンテだと気づかないまま屋敷に入っていった。いつものことである。
シャンテが入っていくと、男爵夫人はシャンテを見つけ、小さく手招いた。
セイイは、入ってきたシャンテに気づかないまま言った。
「さっき、カラスコから連絡があったんだ。勇者マリアが攫われた。相手は魔王だ。トワイス王国の前国王が、魔王だったらしい。どうやって入れ替わったのかわからないが、シャンテが何か知っているはずだ。どこにいる?」
「ねえ、あなた、シャンテさんってご存じ?」
男爵夫人は、シャンテを自分の使用人だと認識しているようだ。男爵夫人自身はシャンテを知っているはずだ。そもそも、ゼルビアの貴族でシャンテを知らない者はいない、関わりはない。それを強調するために、知らない態度をとったのだ。
シャンテは男爵夫人にあわせた。
「さあ……どのような方なのでしょうか?」
「えっ? シャンテ?」
首を傾げたマカロンの口を、シャンテが塞ぐ。
タヌキが話したことに、イーゼル男爵夫人もセイイも気づかない。
「どうして私が、そのシャンテさんを知っていると思うのですか?」
「以前、シャンテが鞭打ちを受けたことがある。その時、シャンテを鞭で打った貴族が3人いて、そのうちの1人がイーゼル男爵だ。ほかの2人は……破滅した。貴族としては、2度と復帰できないだろう。だが、イーゼル男爵はまだだ。シャンテは、次にイーゼル男爵を狙うはずだ。男爵はどこに?」
「視察先で、野盗にさらわれたわ」
「ちっ……遅かった。いつのことだ?」
「連絡が入ったのは、さっきだけど……」
「その野盗が怪しい。どこに視察に行ったんだ?」
シャンテは、男爵夫人に囁いた。
「この男、勇者一行の金蔓ですわ」
男爵夫人の目が輝く。
「……ああ。あの人は、野盗にさわられて、辛い目にあっているに違いありません。身代金を要求されて……私たちのような小さな領土の貧乏男爵には、とても用意できないような大金なのです」
男爵夫人が言いながら、シャンテを見る。
シャンテは、男爵夫人に向かって親指を突き出した。
「……では、その野盗と取引をするんだな?」
「身代金が用意できなければ、取引は成立しませんわ」
シャンテが口を挟んだ。
誰の発言か確認せず、セイイは頷いた。
「金は俺が用意する。場所を教えてくれ」
「……よ、よろしいのですか?」
男爵夫人は、セイイではなく傍のシャンテに尋ねた。
先ほど、男爵夫人に策を授けた侍女と同一人物だとは認識できていないはずだが、セイイの情報を知っていたことで、やはり頼りになる侍女だと理解しているのだろう。
「お返しできるかどうか、わかりませんわ」
シャンテが答える。
「構わない。マリアを救出するためなら」
「わかりましたわ」
「いいのね?」
男爵夫人が、シャンテの腕を掴む。
シャンテは表情だけで笑って見せた。声を出すと、正体がばれるかもしれないからだ。
「お任せになって。近いうちに、連絡しますわ」
「ええ。お願い」
「では、詳しいことをお教えしますわ」
「頼む」
シャンテはセイイを別室に案内し、野盗が指定してきた場所を教えた。
セイイは早速飛び出していく。
セイイの後を追い、セイイが男爵家の建物から出た瞬間、シャンテが口を開いた。
「おーほっほっほっほっ! 勇者マリアの金づるが、何をしていますの?」
「シャンテ! やはり、お前か!」
シャンテが高笑いを上げるのは、正体を明かすために他ならない。
「何のことですの? トワイス王国の女王に、そんな態度をとって許されるとお思いですの?」
「ふざけるな! トワイス王国の女王はマカロンっていう性格がよくて聡明な美人だ。お前とは、月とスッポンだ!」
「おーほっほっほっほっほっ! ですってよ、マカロン」
「えっへん」
マカロンがシャンテの腕の中で胸を外らせる。
だが、その意味をセイイは理解できなかったようだ。
「この私が、イーゼル男爵のような小物に復讐などいたしませんわ」
嘘である。シャンテは続けた。
「それより、勇者マリアはどういたしましたの? 私の助けが借りたいのなら、あなたの態度は失態ではありませんの?」
「ぐっ……」
セイイが黙る。
シャンテはさらに言った。
「マリアへの復讐は、これで終わりにいたしましょう。気が晴れましたわ。助けたいなら、魔王城にいくしかありませんわね」
「魔王城の場所、知っているのか?」
「……知らない? ひょっとして、隠されていますの?」
「うん。猟師に狙われるから」
マカロンが答えた。
魔王城の周辺は、タヌキの巣である。隠しておかないと、人間の猟師が魔族の女を攫っていくのだ。
「行く方法は言っていますわ。でも、勇者一行の仲間なら、困っている男爵を助けてからになさいな」
「……ちっ……わかっている」
シャンテはさらに高笑いを上げてから、マカロンを抱いたまま男爵家の屋敷を出た。
通りに出る。
向かうのは、ラーメン屋である。




