44 悪役令嬢の狂気
ゼルビア王国の第一王子であり、王太子であるソマリアの婚礼が中止になった。
これは、前代未聞のことである。
王族の結婚は、国王の承認がなければ成立しない。
だが、ゼルビア王国の王族は、隣国トワイス王国の王に服従することを宣言し、王族の結婚についての権限がトワイス国王に預けられた。
トワイス王国の国王は、ソマリア王子と勇者マリアの結婚を、断固拒否したのだ。
結婚の不成立が国民に喧伝され、貴族たちは真っ青な顔で去っていった。
貴族たちの顔色が悪いのは、貴族たちの醜聞を見事に集めていたシャンテが、権力を握ったと知ったからである。
シャンテはマリアの結婚を覆し、自らは国賓としての対応を求めて王城の客用寝室に陣取った。
腰掛けて、マカロンとお菓子を物色していると、侍女のミリアが入ってきた。
「おーほっほっほっほっ! ミリア、よくやってくれましたわね」
「シャンテ様、お懐かしいです。でも、国王あての手紙を突然持っていくのは、大変でしたよ」
「大丈夫ですわよ。だって、ミリアが手紙を受け取ってから、国王の執事に渡すまで、ずって私はそばにいましたもの」
シャンテが言うと、ミリアは目を丸くした。
「えっ? いつですか?」
「ミリアがマリアの部屋を出て、私から手紙を受け取ってから、王城を移動して、王の執事を呼び出して手紙を手渡すまで、ずっとですわ」
「……気がつきませんでした」
「注意散漫ですわよ」
「そ、そうかもしれません。お姉様」
ミリアは、シャンテと義姉妹の契りを結んでいる。
シャンテは、マカロンの亜空倉庫から、糸を引っ張り出した。
魔族の亜空倉庫は、無限に収納できる。
だが、いつでも取り出せるように設定したものは、倉庫にあっても重さを感じるのだ。
そこでシャンテは、マカロンと研究を重ね、マカロンがいつでも、紐を取り出すことができるように調整した。
結果として、マカロンはいつでも糸を取り出すことができる。
実際に、マカロンには糸の重さしか負担にはならない。
ただし、シャンテはどの糸が何に結びついているか覚えているし、見分けることができた。
糸を引っ張り出した挙句、亜空倉庫から金貨の入った袋を取り出した。
「ミリア、報酬ですわ」
シャンテは、ミリアに一掴みの金貨を渡した。
「お姉様、いけません。これでは多すぎます。私たちは義姉妹となったのです」
「そうですわね。ですから、遠慮は無用ということですわ」
「あ、ありがとうございます」
ミリアは恐縮し、身を縮めたが、伸ばした手は引っ込めなかった。
シャンテがつかみ出した金貨を、両手で受け取った。
金貨を懐に入れながら、ミリアが尋ねた。
「シャンテお姉様は、トワイス国の女王になられたのですか?」
「そうですわ。このマカロンと一緒にね」
「えっへん」
マカロンが、お菓子を口にしたままで胸を張る。
「どうしてそんなことになったのか……聞いても無駄だと思いますけど、ソマリア王子のこと、まだお好きなのですか?」
「いいえ。そもそも、好きだったことなんてございませんわ。親の決めた婚約者でしたもの。貴族の子女なら、嫌も言えませんでしょう」
「……はい。私の就職先と一緒ですね」
ミリアは、実家は子爵家だという。子爵家の三女として産まれ、肩身の狭い思いをしていたらしい。
「今ではむしろ、マリアに感謝すらしていますわ。もし、マリアがソマリアに近づかなかったら、私は何も知らないままソマリアと結婚していましたわ。孤児院の子どもたちはお腹を空かせたまま飢え死にし、マカロンは野生のタヌキと結婚し、ミリアの実家は借金で爵位を売り飛ばしていたかもしれませんわ」
孤児院の子どもたちに金をやって情報を集めさせ、マカロンが野生のタヌキと結婚しかけたことは、ミリアは知らないことである。
だが、ミリアは追及せずに頷いた。
なにしろ、シャンテに協力して分前としてもらった報酬で、子爵家は立ち直ったのだ。
「はい。その通りです。でも、それならなぜ、わざわざこんなカスみたいな王族を従わせ、結婚の邪魔をしたのですか? 好きにさせておけばいいと思いますけど」
「あらっ。ミリアはまだ、私のことがわかっていませんのね。ねえ、マカロン」
「うん」
マカロンが頷いた。多くは語らない。お菓子を食べるのに忙しかったからだ。
お茶のカップを前足で支えて飲み下している。
シャンテは続けた。
「結婚を白紙にされた、マリアとソマリアの顔、ミリアも見ましたわね?」
「はい」
「おーほっほっほっほっほっ! あの間抜けな顔が拝めただけでも、わざわざ女王になったかいがありましたわ」
「でも、王となれば、色々大変なのではありませんか?」
「そこは、問題ありませんわ。元々、トワイスの国王は、政治なんかしていませんもの」
「……どういうことですか? トワイス王国は、魔王領との境界を守る重要な国だと……」
「形だけですわ。トワイスの国王、魔王ですもの」
「へっ?」
ミリアがぽかんと口を開けた。
シャンテのように、実際に目撃してきた者とは違って、これが普通の反応なのだと、シャンテは頷いた。
シャンテは続ける。
「魔王が、人間の愛人を囲っておくため、城を用意して、使用人を雇ったのが、国になったのがトワイスですわ。今は、魔王の愛人たちを王城の使用人として働かせて、魔王本人は隠居させていますわ。マカロンとの共同統治ってことにしましたら、簡単に王位を譲りましたわ」
「よくわかりませんが……国王にご就任、おめでとうございます」
「おーほっほっほっほっほっ! ありがとうですわ」
シャンテがにっこりと笑った時、部屋の扉が叩かれた。
「ミリア、任せますわ」
言いながら、シャンテはマカロンを抱き上げた。
※
シャンテは部屋の主人の位置に座り、タヌキを抱いたまま動かなかった。
ミリアが扉を開けると、待ちきれないように飛び込んできたのは、純白のドレスを着たままの勇者マリアだった。
「シャンテはどこ? あいつ、どこに行ったの?」
「マリア様、よくお似合いです」
「ああ、ありがとう。でも、今はそれどころじゃない。シャンテに会わせて。ミリア、君だって苦労しただろう。オレをここまで、磨き上げたんだから。それが台無しになったんだよ」
勇者マリアは部屋に押し入ろうとしていた。
シャンテは、テーブルのお菓子をマカロンの口元に運び続けた。
おそらく、すでにマカロンは誰に抱かれているのかわからなくなっている。
マカロンが騒ぎ出さないように、お菓子を与え続けることが重要なのだ。
「いや、マリアは元がいいから、ミリアも苦労なんてしていないだろう。とにかく、シャンテが国王って、どういうことだ? あいつに、王なんて勤まるはずがない」
マリアの背後に、大柄な騎士が見えていた。
ソマリア王子だ。
「シャンテ様は国賓です。他国の王の部屋に、押し入るつもりですか?」
ミリアが鋭い声を出した。
マリアが足を止め、ソマリアが舌打ちをする。
ミリアの言うことが正論なのだ。
シャンテは、ミリアに任せると言った。
ミリアに任せておけば、追い払ってくれるだろう。
だが、あえてシャンテはマカロンを床に下ろした。
「おーほっほっほっほっほっ! ミリアさん、構いませんわ。そこの無礼な淫売と寝取られ王子、入れて差し上げて」
「承知しました、シャンテ様」
ミリアが言うと、勇者マリアが花嫁衣装で飛び込んできた。
「シャンテ、君、どういうつもりなの? オレの婚礼を邪魔するためなら、なんでもするの?」
マリアが血相を変えている。
その必死な表情が、シャンテを愉快にさせた。
「まあっ! マリアさん、ようやくお分かりですのね! その通りですわ。マリアさんの絶望する顔を拝むためでしたら、世界征服だってしてみせますわ!」
「……狂っている」
ソマリアが吐き捨てた。
「おーほっほっほっほっほっ! 私が宣言したとおり、トワイス王国と魔王軍の戦争は止まりましたわ」
「そ、それはそうかもしれないけど、じゃあ……シャンテはゼルビア王国から奪った四万枚の金貨で、魔王軍を買収したの?」
「そんな端金で、魔王軍を買収なんてできませんわよ。でも、戦争のためにかき集めた金貨ですもの。私が使うことに、なんの問題がありますの?」
マリアが唇を噛んだ。
ソマリア王子が前に出る。
「本当に、戦争は止まったんだな?」
「ええ。間違いありませんわ」
シャンテがマカロンを見下ろす。マカロンはテーブルから落ちたお菓子を見つけて拾うのに忙しく、シャンテの視線には気づかなかった。
戦争が止まったのは事実である。
シャンテの活動と無関係ではない。
戦争が止まった理由は、マカロンがトワイス王国の女王となったからなのだ。
共同統治という形であれ、魔王の娘マカロンが王となったのだ。
トワイス王国の国民の誰も認識していないとはいえ、その事実は魔王領を事実上取り仕切っている母タヌキの考えを変えさせた。
魔王は隠居して、ただ攫ってきた女たちを相手に楽しんでいるだけとなったが、つまり今までと何も変わらない。
だが、戦争を起こす名目がなくなったのは確かなのだ。
「もちろん、永久にとはいきませんわ」
「ああ。私も、そこまでは求めない。だが……なら、どうしてゼルビアの王族を服従させた? 戦争と何の関係がある?」
ソマリアが詰め寄ろうとした。
「おーほっほっほっほっほっ! 本当は、属国にしたかったんですわ。でも、王が認めなかったんですわ。いずれ、ゼルビアはトワイスの属国にしてみせますわ」
「そんなこと、させるか!」
「できないとお思いですの?」
「シャンテ、それは無理だよ。国力だって、軍事力だって、ゼルビアの方が遥かに上なんだから」
マリアが諭すように言った。
シャンテは、マカロンを抱き上げた。
「マリア、これまで魔王軍を止めていたのは、トワイス王国ですわ」
「うん。それは知っているけど……」
「これからは、トワイス王国と魔王領は、不可侵条約を結び、通行の自由化をする準備がありましてよ」
「……それが?」
勇者マリアはわかっていない。シャンテは再び高笑いをあげて言った。
「魔王領の魔王軍が、トワイス王国を素通りして、ゼルビアに攻め込むようにすることが、私とマカロンならできましてよ」
つまり、トワイス王国は、魔王と交渉が可能だということだ。
「……正気?」
マリアが呟くように言った。




