4 悪役令嬢の嗜み
馬車で護送されたティアーズ公爵家のシャンテは、一晩明けた翌日、この国の第一王子ソマリアの前に引き出された。
王城の広間である。
周囲を兵士たちが囲んでいた。
「お嬢様、これはどうしたことでしょう?」
連れてきた乳母のミュウが、メイドのヒャンと抱き合うように震えている。
「心配ないですわ。私がいるのですもの」
二人の使用人は、シャンテが指名して連れてきたのだ。
「果たして、それはどうかな?」
シャンテを跪かせ、ソマリア王子が仁王立ちしている。
「どういう意味ですの?」
「シャンテ、お前がどれほど逃げるのが上手かろうと、兵士に囲まれたこの状況で逃げ隠れできるはずがない」
シャンテは兵士たちを見回した。
「ソマリア様の護衛兵ですわね。では、これは正式な裁判ではないのですわね?」
「裁判の判決は下っている。お前は刑の執行を逃げおおせた指名手配犯だ。誰がどんな方法で処刑しようが、どこからも文句は出ない」
「我が国の王子様が、婚約者のお嬢様を私刑の上で殺すというのですか?」
乳母のミュウが、震えながら叫ぶように言った。勇気があるのではない。気が動転して、何を言っているのか本人も理解できてないのだ。
「う、五月蝿い! 婚約は破棄した。こいつは、ただの指名手配犯だ!」
「ソマリアの言うことは正しいですわ」
「そうだ。お前……シャンテだよな?」
王子を支持したシャンテに頷き、同時に王子はシャンテを見つめた。
シャンテは続ける。
「私の乳母ミュウの言うことも、間違ってはいませんわ。確かに、私を殺しても罪には問われないですわね。でも、この場にいる兵士たちは、全員が見ていますのよ。自分の婚約者である美しい公爵令嬢を、無惨にも我が国の王子が殺すのですわ。そんな王子に、誰が仕えたがりますの?」
「わ、私は、間違いを正そうとしているだけだ。公爵令嬢シャンテという間違いをな」
「婚約者の間違いを殺害することでしか正せない王子に、国の統治ができますのかしら?」
ソマリアは真っ赤になった。怒り心頭に達しているのだ。
「私は……私が信じる道を進む。勇者と共に、魔王を討つ」
「勇者を信じていますの?」
「ああ。信じるに足る」
「今この場にいないのは、魔術師カラスコとベッドの中に居るからだとしてもですの?」
「う、嘘だ! マリアが、そんなことをするはずがない」
シャンテは笑った。目の前の王子が、あまりにも滑稽だった。
「そうですわね。王子様は潔癖ですものね。勇者様が男を取っ替え引っ替えしているなんて、信じたくないですわね」
「黙れ! マリアを侮辱するな!」
ソマリア王子は大きく踏み出すと、シャンテの頬を張る。
避けること無く、シャンテは受けた。
シャンテが首を痛めるほどの力だった。あえて避けなかったのは、ソマリア王子への怒りを忘れないためである。
ソマリア王子は、本気で勇者マリアと魔王討伐の旅に出るつもりだと聞いていた。
魔法よりも剣での戦いを好むソマリアは、戦士としても十分に鍛えられている。王国を代表する騎士の一人なのだ。
「何も知らないのは、ソマリアだけですわよ」
「ならば、どうしてシャンテがそんなことを知っているというのだ。マリアをいじめ続けていて、そんな情報が入るはずがないだろう」
「私が、情報もない相手に嫌がらせをすると思いますの? 勇者マリアが何を嫌がるか、徹底的に調べてありますわよ。『情報源がない』ってお思いですの? この街に、どれだけの孤児がいて、お腹を空かせているかご存知ですの? 私が、マリアに送りつけた箱いっぱいのゴキブリを、どうやって集めたとお思いなの?」
「……まさか……」
「この街の孤児たちが着ている服の大半が、マリアの情報と送りつけたプレゼントの対価ですわ! 勇者マリアは、素晴らしい社会貢献をなさいましたわね! 私から婚約者を奪い、男たちをたらし込むことでね!」
「黙れ。マリアは……そんなことは、しない」
王子の顔色が蒼白になり、シャンテが兵士たちを見回す。
兵士たちも、乳母のミュウやメイドのヒャンと同じ顔つきをしていた。
シャンテにはお馴染みである。シャンテがやりすぎると、周りの人間は大抵こんな顔をする。
シャンテは立ち上がった。
「ソマリア、私を罪に問わないのであれば、真実を知るのに協力してあげましてよ」
「どうするつもりだ?」
「方法は任せていただきますわ」
ソマリア王子が深く息を吐く。兵士たちに命じた。
「解散しろ」
兵士たちが応じる。シャンテはミュウとヒャンを立たせると、告げた。
「一緒について来てくださいまし。必要になりますわ」
「承知しました、お嬢様」
二人は頷くと、シャンテの手を握った。
※
王子と同行したシャンテは、王家の馬車で城を抜け出し、途中で粗末な馬車を借り上げた。
目立たないためであり、手続きにはシャンテのスキルが役に立った。
王子とシャンテ、乳母と侍女を乗せた馬車は、王都の下町に入って行った。
「ここですわ」
「なんだ、ここは? 教会か? いや……孤児院だな」
馬車から降りた王子が、寂れた建物を見上げる。
「お嬢様、ここはなんですか?」
侍女のヒャンが尋ねる。シャンテに近しい者たちも知らないのだ。
シャンテは3人に気を使わず、寂れた建物にずかずかと入っていく。
「私ですわよ! 出ていらっしゃいまし!」
寂れた建物から顔を出したのは、年老いた女性だった。
「まさか……シャンテ様! ああ……シャンテ様はてっきり、処刑されたとばかり……」
「誰ですの? そんな変な噂を流したのは! 私が処刑されるはずがございませんわ。何も悪いことはしていませんもの」
「はい。その通りです」
年老いた女は、シャンテに縋り付く。
「いや。悪いことはしただろう。まだ、指名手配されているままだからな」
王子の言葉は聞かず、シャンテは命じた。
「子どもたちを呼んでちょうだい。有益な情報は高く買いますわ。ソマリア様、お金の用意を。私は持って来なかったですわ」
「子ども? 買う? 金? シャンテ、どういうことだ? 説明しろ」
ソマリア王子の問いに答える前に、寂れていると思われた建物から、子どもたちが走り出てきた。
幼く見えるが、10歳から10代前半ぐらいの子どもたちだろう。
「院長、紙とペンを」
「はい」
シャンテが院長と呼んだ年老いた女性は、待っていたかのように紙とペン、下敷き用のボードを差し出した。
「この顔の情報は高く買いますわ。その他にも、特徴がはっきりしている相手の情報は報酬を上乗せすしますわよ」
シャンテが短時間で書き上げたのは、勇者マリアの似顔絵だった。
「シャンテ、上手いな。どこでこんな特技を身につけた?」
「訓練ですわ。嫌がらせをする相手の情報を得るのに、そっくりな似顔絵を描けないでどうしますの?」
シャンテがマリアの似顔絵を見せるが、子どもたちは残念そうに視線を伏せた。
「仕方ないですわね。他の情報は?」
子どもたちの一人がまっすぐに手をあげ、高価そうな服を着たある人物が、町の職人らしい青年と連れ込み宿に入っていくのを見たと告げた。
シャンテは女の特徴から、ある顔を書き上げた。
「その人です」
子どもが言った。
「上出来ですわ。ソマリア様、この子に報酬を」
「待て、その顔……俺の母上、王妃だぞ」
「では、確認に参りましょう」
「待て。マリアのことはどうなったんだ?」
王子は懐から金貨を取り出し、子どもに渡す。子どもは首を傾げながら光る貨幣を受け取った。
いつもシャンテが渡す銀貨や小銀貨とは違うために、戸惑ったのだろう。
子どもが何か言いたそうにしているが、院長と呼ばれた年老いた女性が口を塞いだ。
「マリアがどこで何をしているか、全ての情報が入るわけはありませんでしょう。マリアではありませんでしたが、有力な情報があったのです。私が嘘を言っているのかどうか、確かめる勇気はございませんの?」
「わかった。行こう」
王子は金貨の袋を懐に戻し、馬車に足を向けた。
院長と呼ばれた老女が、子どもから受け取った金貨を見せた。
「シャンテ様、これはあまりにも……」
「あれが、世間知らずの王族の金銭感覚ですのよ。受け取っておきなさいな。これからも、よろしくお願いしますわね」
「もったいないお言葉です」
老女が深々と腰を折る。
王子の後を追うシャンテに、乳母のミュウが問いかけた。
「お嬢様、これは孤児院では?」
「ええ。そうですわよ」
「ずっと支援していたのですか?」
「買収して、諜報活動をさせていただけですわ」
「流石です。お嬢様」
侍女ヒャンも感動したように言った。
「このことは、他言しないでくださいまし」
「なぜですか? 善行でしょう」
侍女ヒャンが首を傾げる。
「決まっていますわ。お父様やお母様の情報が必要になる時が、来るかもしれませんでしょう」
「シャンテ、行くなら早くしろ」
先に馬車に乗ったソマリア王子に、シャンテは笑顔で応じた。