39 魔女の欲望
ゼルビア王国の審問所は、この世界で最も許し難い罪を犯した者を捉え、その罪を明らかにする場所である。
公にはそうなっている。
だが、実態は民衆が嫌う者を閉じ込め、いたぶった挙句に処刑を命じる場所なのだ。
魔法が実在する世界に、魔女であることが罪であるはずがない。
シャンテに多くのことを教えてくれた老婆も、魔女であることは誰でも知っていることだった。
だから、あえてシャンテは尋ねた。
「おばば、どうしてこんなところに入れられましたの?」
「王の……命でございますかや。公爵様は、シャンテ様が国を裏切った責任を追求され、わしを売ったのでございますかや」
「……それなら、私の責任ですわね」
シャンテが唇を噛み、牢の中の老婆が叫んだ。
「お嬢様が悪いはずがございませんかや。お嬢様は、本能の赴くままに行動されたにすぎないのですかや。それは、魔法の鏡が教えてくれましたかや」
おばばが必死にシャンテの弁明をしようとした。
だが、シャンテの後悔は、そんなことではなかった。
「私の、私としたことが、ぬる過ぎたのですわ! あの国王は、もっと徹底的にとっちめてやるべきでしたわ!」
「おお……さすがお嬢様」
「おーほっほっほっほっほっ! このシャンテが戻ったからには、ゼルビア王国は火の海に沈めてご覧にいれますわ」
「わーい」
シャンテが高笑いを上げると、隣でタヌキ姿の魔王の娘が嬉しそうに前足を上げて万歳していた。
「お嬢様、それはさすがにやりすぎですかや。そ、それより、こちらのお方は……」
「マカロンですわ。魔王と王妃の正式な娘ですわ」
「ひ、ひえぇぇぇぇっっ。お嬢様、なんてお方を連れてきたんですかや」
シャンテに会った時とは全く違った恐れを抱き、老婆が床にへばりつくかのような平伏をした。
魔王の娘マカロンに対する反応で、シャンテは老婆の過去を概ね察した。
あえて言及はしなかった。
「そうですわね。ゼルビアを火の海に沈めるのは、最後にとっておくほうがいいですわね。まずは、国王を血祭りに揚げましてよ。復讐しなくてはならない相手がたくさんいて、楽しいですわね」
「うん!」
「おーほっほっほっほっ! マカロンは分かっていますわね。おばば、私が会いにきたのは、世間話をするためではございませんわ」
「さっきの、世間話だったの?」
マカロンは首をかしげる。
シャンテは答えずに続けた。
「おばばに聞きたいことがありますの。でも、この扉は邪魔ですわね。ちょっと、鍵をとってきますわ。マカロン、おーほっほっほっほっ!」
「うん」
シャンテは、移動する合図として高笑いをする。
マカロンに、シャンテであることを強く意識させるためだ。
シャンテをシャンテだと認識したマカロンが、別行動を取るとは、シャンテは考えていなかった。
老婆を牢に残し、シャンテは審問所の事務室に勝手に入った。
鍵がかかっている棚の中から、一通り鍵を取る。
「おい、何をしている」
若い審問所職員に尋ねられ、シャンテは言った。
「お借りしますわ。必要ですもの。構いませんわね?」
「いや……ちょっと待て。お前は誰だ?」
「お忘れになりましたの? あなたの上司を?」
「あっ……申し訳ありません?」
若者が青い顔をしている間に、シャンテは鍵の束を持って老婆の牢に戻った。
いくつかの鍵を試し、シャンテは老婆を解放した。
手と足にはめられていた枷も取り払い、弱って歩くことすらできなくなっていた老婆に肩を貸して、シャンテは移動した。
途中で、何度も呼び止められたが、シャンテが前に出ることで、審問所の職員は誰に何を質問しているのか、途中でわからなくなるようだった。
シャンテが巧みに誘導したこともある。
結果として、シャンテは審問所から老婆を連れ出し、監禁されてから水しか与えられていないという老婆を近所の定食屋に連れていった。
※
定食屋に初めて入ったという老婆は、メニュー表をじっと見つめた。
「お嬢様、本当に好きなだけ注文してよろしいのですかや?」
「もちろんですわ」
「わーい」
「マカロンはさっき……美味しいものを食べにいく約束をしていましたわね」
「うん。約束したのはシャンテとだけど……あっ、シャンテだからいいんだ。うん」
もっとも近くにいるマカロンすら、認識どころか記憶すら曖昧になるらしい。
老婆が指差し、マカロンが前足で叩いた料理を、シャンテが注文した。
2人に注文させなかったのは、審判所から逃げ出したばかりの魔女とタヌキに注文させるのは、さすがに目立ちすぎだと考えたためである。
シャンテは、自分のモブ化能力がどこまで有効なのか、常に確認している。
これまでにも、他人のテーブルの料理を黙って食べて、支払いだけ押し付けることは何度もやってきた。
ただ、自分で注文した料理の代金を踏み倒したことはない。
モブ化の能力で乗り切れるかどうか、シャンテは自らに難題を課した。
シャンテの思惑とは別に、老婆は少なくない店のメニューを片っ端から注文した。
次々と運ばれてくる料理を、老婆は食べ続けた。
マカロンは、食い意地は張っていても大食らいではない。
シャンテは体型を維持するため、食事には気をつけている。
全てを完食し、老婆は見るからに回復していた。
「おばばって、魔物でしたの?」
「そう見えますかや?」
完食し、爪楊枝で歯の間を掃除しているのは、もはや老婆ではなかった。
「人間は、どんなに大量に食事をしたところで、若返ったりはしないものですわよ」
老婆の擦り切れた粗末な服に身を包んだのは、はち切れんばかりの豊満な肉体を持った美女だった。
「なに、すぐに戻りますかや。よほど弱っていなければ、こんなには食べられませんかや。ほんの一時、楽しませていただけますかや」
「わかりましたわ。行きますわよ」
シャンテは立ち上がった。
老婆だった美女とタヌキが続く。
奇妙な一行だが、人間たちの視線は、老婆だったはずの美女に向けられていた。
シャンテは、まるでいないもののように無視され、支払いをすることもなく店から出た。
とうぜん、誰もタヌキに支払いは求めない。
「えっ? お嬢様、わしの支払いはどうなりますかや?」
シャンテの背後で、魔女が支払いを求める店員に止められた。
「まあ、こうなりますわよね」
「えっ? どうして?」
マカロンはわかっていない。シャンテを認識できなくなる理由が、モブ化のスキルだということも、マカロンは知らないのだ。
シャンテは笑った。
「おーほっほっほっほっほっ! その老婆は、私の連れですわ。支払いなら、私に要求することですわね!」
「ああっ! お嬢様! 信じておりましたかや!」
自ら名乗りを上げたシャンテをシャンテと認識し、老婆は店員の制止を振り切ってシャンテの影に隠れた。
「わかりました。では、そのように」
店員がシャンテに請求書を渡した。
シャンテは請求書を見もせずに、支払いを終えて帰ろうとしている男性に渡した。
「差し上げますわ」
「ああ、ありがとう。なんだい、これ?」
「私のものではありませんもの」
「そうなのか? 請求書? 何のことだ?」
「こちらのお客さまの……」
店員がシャンテを指差そうとした時、シャンテは半歩移動した。
「あれ? えっと……どの人だったかな……」
「シャンテ、どうしたの?」
「しっ」
シャンテはマカロンを抱き上げた。
「私ですわよ。わかりますわね?」
「うん。多分」
マカロンは、シャンテ以外の人間がマカロンを抱き上げるはずがないという認識から、大人しくしている。
シャンテはマカロンを抱いて背を向けた。
若返った老婆を連れて食堂を離れる。
背後では、店員と請求書を押しつけられた客が言い合いをしていたが、シャンテは決して振り返らなかった。
「お嬢様、さずがですかや」
「何に感心されているのか知らないけど、おばばに聞きたいことがありますわ。でも、おばばも用がありますのね?」
「はい。お察しいただき、ありがとうございます」
「おばば、変装している魔族は見つけられる?」
「容易い誤用ですかや」
「いいえ。見つけたいわけではありませんの。軟派するなら、マカロンの護衛の魔族が2人、この街に侵入していますわ。その2人に、私の名前を告げるといいですわ。おおよそ、私とマカロンが行きそうな場所を、女の奴隷を2人連れて歩いているはずですわ」
「……魔族の、男……ひひっ……よろしいのですかや?」
「おばば、涎をお拭きなさい。いつもの塔で待っていますわよ」
「承知いたしましたかや。ウヒヒヒヒヒッ!」
若返ったおばばは、独特の笑い声をあげながら姿を消した。
「シャンテ、あの人に会いたかったんじゃないの?」
マカロンは、シャンテに抱かれたまま、消えたおばばのいた場所を見つめていた。
「したいことがあるときに、邪魔をしてはいけませんわ。マカロンは、したいことがありますの?」
「こうしていたい」
マカロンは言うと、シャンテに抱きついた。




