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3 悪役令嬢 実家に帰る

 ティアーズ公爵家の令嬢シャンテは、陶器のカップを扉に押し当てて、音を聞いていた。

 明らかに不審者であるが、先ほど断頭台にのぼらされる寸前だったのだ。

 誰にどう思われようが、気にもならない。


 それに、シャンテはスキルという不思議な力を身につけていた。

 扉の向こうから、女だとわかる甲高い悲鳴が聞こえる。

 シャンテは笑い声を堪えるため、自分の口を塞いだ。


 それでも、あまりの可笑しさに肩が震えた。

 涙が出てきた。

 王子たちが話している。

 扉が開いた。


「おい、お前、このグラスを持ってきたのは……まさか、シャンテか?」


 扉を開けた途端、怒りに満ちた王子の表情が、幽霊でも見たかのように色褪せる。

 シャンテは、陶器のカップの底に耳を当てていた姿勢から、臆することなく姿勢を正した。


「婚約者の顔は、覚えていらしたようね」

「ふ、ふざけるな。お前は死刑判決を受けただろう。婚約は破棄……いや、それどころじゃない。お前は、死刑囚なんだぞ」

「私が死刑囚なら、あの女はなんですの! 私の婚約者を寝とって、覚悟はできているのでしょうね!」


 シャンテは真っ直ぐに指をマリアに突きつけた。

 普段は男装をした、女性としても華奢な体つきをした勇者は、指さされて真っ青になった。

 反論するでも、怒るでもない。

 シャンテは、全てを悟った。


「魔王を倒す使命があれば何をしても許されると思ったら、大間違いですわ! お前なんか、魔王に頭からかじられればいいんですわよ!」

「シャンテ!」


 ソマリア王子が手を振り上げた。

 シャンテは逃げた。

 背を向けて走り、安全を確保してから、立ち止まって振り向いた。


「覚えていらっしゃいませ! 吠え面かかせてやりますわよ!」

「待て!」

「お断りですわ!」


 吐き捨てて走った。

 背後から足音が聞こえた。

 走ることにかけて、鍛えられた勇者や王子に勝てるはずがない。

 シャンテは角を曲がり、洗濯物を運んでいる2人のメイドの隣に並んだ。


 シャンテが歩調を合わせて歩き出すと、メイドたちはまるで普段から仲間として働いているかのように、シャンテと世間話を始めた。

 背後から、足音が追いついてきた。


「君たち、シャンテを見なかったかい?」


 背後からの声に、メイドたちが立ち止まり、振り返る。


「これは殿下、慌ててどうなされたのですか?」


 メイドが尋ねた。王子のさらに背後から、魔術師のカラスコが追いついてくる。

 身体能力では最も高いはずの勇者はいない。そのことが、シャンテには腹立たしかった。

 シャンテの思いつきの罵倒が、図星だったのだと確信した。


「シャンテだ。知っているだろう。ティアーズ公爵家の悪辣な令嬢だ」

「はい。存じておりますが……こちらにはいらっしゃいませんでしたよ」

「そうか……そんなに逃げ足が早かったか?」

「途中で隠れているかもしれません。探しましょう」


 舌打ちをする王子に、カラスコが提案する。

 メイドたちは腰を折って立ち去ろうとした。

 メイドたちの手にしていた洗濯物を、シャンテは奪って二人の男に投げつけた。


 予期していなかったことに、二人が慌てる。

 シャンテが、洗濯物の間から見えた尻を蹴飛ばした。


「だ、誰だ!」


 蹴ったのは、カラスコの尻だったようだ。

 王子なら、もんどり打つことはない。


「私ですわよ。ざまあご覧なさいませ。おーほっほっほっほっ!」

「シャンテか!」


 飛び散る洗濯物を王子がかき分ける間に、シャンテは駆け出した。


 ※


 シャンテが兵士詰場にいたのは偶然ではない。

 シャンテは、自分が斬首刑を免れたのは、与えられたスキルという不思議な力のお陰であることを承知していた。

 その最初の効果は、シャンテを処刑するために牢を訪れた兵士長に向かって試された。


 シャンテは与えられたスキルの効果を探り、自分の安全を確認するために、処刑が中断された後も、兵士長のそばにいたのだ。

 兵士長が呼び出される時、兵士たちに囲まれている時、兵士たちが詰所から追い出される時、ずっとシャンテはその過程を見ていたのだ。


 王子と会って、シャンテはスキル『モブ化』の効果を、認識の阻害だと確信した。

 知り合いに見られればシャンテだとわかる。

 だが、複数人に紛れると、特徴を見失って誰かわからなくなるようだ。

 シャンテがシャンテであると知られるのであれば、普段の生活に不自由はない。


 まだ死刑囚のままなのは気に入らなかったが、シャンテは歩きながら、この力を使って、勇者マリアにどんな復讐をしてやろうかと考えていた。

 だが、空腹だし、服も汚れた。


 シャンテはティアーズ公爵家の邸宅に戻ることにした。シャンテの自宅だからである。

 公爵家の門の前に手をかけると、警備の使用人が駆けつけてきた。


「ま、まさか、シャンテお嬢様?」

「そうよ。それがどうしましたの?」

「い、いえ。失礼いたしました。すぐに旦那様と奥様に報告いたします」


 門を開け、駆け出そうとした使用人の男をシャンテは呼び止めた。


「お待ちなさい。パパとママをおどかしてしまいますわ」

「なるほど。では、どうすれば……」

「二人は何をしていますの?」

「お食事中だと思います」

「わかりましたわ。どうせなら、心臓が止まるほど驚いていただきましょう」


 シャンテは高笑いすると、使用人にメイドたちを集めるように言って屋敷に入った。

 公爵と公爵夫人が食事を摂る場所なら、シャンテが普段食事をするところでもある。

 シャンテは広間の一室の前に立ち、メイドたちが並んでいることに満足した。


「あなたたちは、ここにいなさい。何もしなくていいですわ」


 メイドたちが神妙な表情で頷くのを確認し、シャンテは勢いよく扉を開けた。


「パパ、ママ、戻りましたわ!」

「シャンテ! お前、一体どうしていた?」

「処刑場から突然いなくなって、指名手配されたわよ!」


 公爵と公爵夫人が、手にしていたナイフを握りしめて立ち上がる。


「おーほっほっほっほっ! この私が、処刑などされるはずがこざいませんわ」

「しかし……」


 目を白黒させている二人を前に、シャンテは扉を開けたまま一歩下がった。

 立ち並ぶメイドたちに混ざったのだ。


「シャンテ? どこだ?」

「あなた、何を言っているのですか。シャンテなら……どこ?」


 突如メイドたちに混ざったシャンテの姿を見失った二人に、シャンテは笑った。


「おーほっほっほっほっほっ! このシャンテ、ティアーズ公爵家の名を持って、思い上がった勇者や私を裏切った王子どもに、鉄槌を下してやりますわ!」

「ま、待て! お前たち、シャンテを止めろ!」


 慌てる公爵に対して、シャンテは無情にも広間の扉を閉めた。


「あなたたち、私がわかりますの?」


 シャンテは、自分が呼び集めたメイドたちに尋ねた。


「えっ? シャンテお嬢様ですよね?」

「そうですわね。私とあなたたち、どこか違いますの?」


 メイドたちは顔を見交わした。


「お嬢様はお嬢様ですから、どこか違うと言われても……私たちより……何が違うのでしょうか?」


 首を傾げるメイドたちに、シャンテはほくそ笑んだ。


「何も変わらないですわ。でも、あなたたちは私が公爵家の令嬢だとわかっていますわね。素晴らしいですわ。パパとママは放っておきなさい。私の部屋に食事と着替えを持ってきてくださいます? 今日は部屋で食べますわ」

「承知いたしました、お嬢様」


 シャンテはメイドたちに命じると、自室に戻り汚れた服を着替え、食事を摂り、久しぶりに清潔なベッドで眠った。


 ※


 起きたのは深夜である。

 シャンテは油断していた。

 処刑を免れ、憎い勇者マリアにいっぱい食らわせ、気分良くベッドに入った。

 そのための油断だった。

 目覚めた時、シャンテは縛り上げられていた。


「ちょっと! どういうことですの!」


 シャンテが金切り声をあげる。ランプの灯りに照らし出されたのは、青い顔をした公爵その人だった。

 縛り上げたのは、シャンテに仕えていた使用人たちだとわかる。


「シャンテ、お前はやりすぎたのだ。王から、正式に警告を受けた。シャンテを引き渡さないと、高額な賠償金を払わなければならない」

「パパ、私とお金と、どっちが大事ですの!」


「私は公爵家の当主なのだ。今後、お前を野放しにしては何をしでかすかわからない。王にはそう言われたのだ」


 シャンテはうなだれた。うなだれたまま、声を詰まらせた。


「わかりましたわ。大人しく従うことにいたします。だから、綱を解いてくださいませ。大人しくいたしますわ。裁判所でも王の前でも、連れて行ってくださいせ」

「済まないな。私とて、こんなことはしたくないのだ」


「ええ。わかっていますわ。私も、公爵家を潰したいわけではありませんの。でも、一人では心細いですわ。私を小さい頃から世話してくれた乳母のミュウとメイドのヒャンを一緒に連れて行かせてくださいませんか?」


「途中までだぞ」

「ええ。わかっていますわ」


 シャンテの綱が解かれたが、シャンテは逃げなかった。


 本当に、大人しく連れていかれるつもりだった。ただし、観念していたわけではなかった。

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