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2 勇者マリアと王子ソマリア

 王都に鳴り響く鐘の音に、勇者マリアは目覚めた。

 白く清潔なシーツで覆われた、大きなベッドの上だった。

 隣で眠っていた逞しい肉体の王子も、同じように目覚めていた。


「正午の鐘ね。ちょうど、シャンテが処刑された頃ね」


 マリアは外を見ようと、ベッドから降りた。

 身につけた服はパンティ一枚である。布団から抜け出したマリアを、王子が追いかける。


「ああ。公爵令嬢の首が落ちるなんて、前代未聞だ。さぞかし盛り上がっているだろうな。マリアは見に行かなくてよかったのかい?」


 王子は、まだ成長過程で凹凸の乏しいマリアの肩に、柔らかいマントを掛けた。


「ソマリアこそよかったの? 長い間、婚約していたのでしょう? 最後ぐらい見とってあげればよかったのに」


 マリアが自分の肩に手を乗せると、マントより暖かいソマリア王子の手に触れた。

 上向くと、唇に柔らかいものが押し当てられる。唇が離れると、時期国王と言われる王子の美しい顔が目に入った。


 金色の髪に白い肌をした、彫りの深い顔立ちをしたソマリア王子は、生まれた時から婚約相手が決まっていた。

 ティアーズ公爵家のシャンテは、家柄だけで婚約したとはいえ、美しく気高い女性だと思われていた。


 全てが変わったのは、マリアが勇者として託宣を受けた直後だった。

 マリアには、前世以前の記憶がある。

 マリアは、人間の世界に破滅をもたらそうとしている魔王を倒さなくてはならない。

 マリアの仲間として、最強の騎士として知られた王子が選ばれるのは、当然のことと思われていた。


「裁判の様子は聞いただろう? シャンテが今までにやってきたことを考えれば、とても同情できない。王家の醜聞は避けなければならない」

「なら、これは不味くないの?」


 マリアは、自分から王子の唇を奪った。


「魔王を討伐するという重大な任務を課せられた勇者に、王家が協力するのは当然だよ。協力するからには、公私共にあるべきだ」

「ソマリアにとって、シャンテは邪魔だったのね」


「もちろん。でも、直接被害を受けていたのはマリアだろう。よく我慢したね」

「ソマリアと……みんながいたから」


 マリアは王子と距離をとり、マントを脱ぎ捨てた。

 服を着る。勇者マリアが女性であることは隠していないし、誰でも知っていることだが、普段は男物の服を着ていた。


 身分は平民であり、町民の男子が日常的に着ている安物の服だ。

 マリアが服を着たところで、扉が叩かれた。


「誰だ?」

 尋ねたのはソマリア王子である。王城の王子の自室である。入って来られる者は限られている。

「僕だ。マリアはいるかい?」


「オレが居ると知っているなら、少し遠慮をしてほしいな」

「開けちゃまずいかい?」


 外からの声は、マリアにも聞き知った声だった。

 マリアは一人称として『オレ』を使用する。この世界の勇者は自分のことを『オレ』と呼ぶのだと、理由も解らずに信じていた。


「いや。構わないわ」


 マリアは、自分のことを『オレ』と呼ぶ以外は、女性らしい話し方をする。

 扉が開いた。顔を出したのは、予想通り勇者を支える仲間の一人、魔術師のカラスコだった。

 史上最も若く宮廷魔術師になった逸材だ。


「どうした? シャンテのことなら聞きたくないぞ」


 王子が尋ねると、カラスコは眉を寄せた。


「処刑が行われなかったとしてもかい?」

「どういうこと?」


 尋ねたのはマリアである。

 シャンテが処刑される。そのことに、最も喜んだのは自分であることを確信していた。


「処刑自体が行われなかったそうだ」

「そんなことがあるはずがないだろう。判決は確定したんだ。死刑が宣告された。断頭台に不具合が出たのか?」

「わからない。私も遠くから魔法で見ていたんだ」


 まだ正午を過ぎたばかりだ。シャンテの処刑は、正午丁度に行われる予定だった。

 いかに魔術師でも、詳細を知る時間はなかったはずだ。


「処刑の担当は?」

「兵士たちだ。兵士長が指揮していたのは私も確認している」


 ソマリア王子は、険しい表情のまま押し黙った。

 確定した裁判で決まったことが実行されない。それは、この国の王子であるソマリアにとって、実務的に放置できないことなのだろう。

 マリアは口を挟まずに王子の判断を待った。しばらくして、王子がカラスコに言った。


「……こうしていてもラチが明かないな。直接聞きにいこう。マリア、君も来るだろう?」

「もちろん。本当にシャンテが生きているなら、またオレに嫌がらせをするだろうしね。その兵士たちが誰かは、特定できるの?」


「処刑担当者を確認すればすぐにわかる」

「では、そいつらに召集をかける」


 ソマリア王子は言うと、王子の平服であり、一般庶民には煌びやかすぎる服に袖を通した。


 ※


 勇者マリアの前に、兵士長の兜を被った男が引き出された。

 兵士たちの詰所である。

 人払いがなされ、兵士長以外の兵士たちは追い払われていた。


「シャンテは処刑したんだよね?」


 勇者マリアが真っ先に尋ねた。それだけ、シャンテには泣かされてきたのだ。


「いえ。処刑は行いませんでした」


 勇者マリア以外にも、王国の第一王子ソマリアと、宮廷魔術師カラスコがいる前だ。嘘はつけないと観念したのか、兵士長はすぐに認めた。


「どうしてなの? 死刑判決に従って執行するのが君の仕事だろう。どうして任務放棄をしたの?」

「処刑すべき相手がいなかったのです」


 勇者マリアは、兵士長の答えに驚いて、質問を続けた。


「そんなはずがないよね。君たちが、牢屋からシャンテを連れ出したのは確認されているんだよ。断頭台の前に引き出されたシャンテを見た人もいる。でも、シャンテは断頭台を登らなかったみたいだね。突然解放されて、それからシャンテを見た人はいない。どういうことなの?」


 兵士長はまっすぐに勇者マリアを見て答える。


「わかりません。私たちは、誰を処刑していいのか、突然わからなくなったのです」


 嘘をついているようには聞こえない。勇者マリアは困惑して、見守っていた魔術師カラスコを振り向いた。魔術師カラスコは首を振りながら答える。


「嘘をついてはいませんね。少なくとも、彼は嘘をついている自覚はありません」


 魔術師カラスコは、掌の上に乗せた天秤に視線を落としながら言った。

 魔法の道具だと聞かされたことがある。嘘をつくと、天秤のバランスが崩れるはずだ。


「何があったかわかる?」

「シャンテが、魔法が得意だったという噂は聞いたことがありませんが……婚約者のソマリア王子の方が詳しいのではありませんか?」


 カラスコに言われ、マリアも王子に視線を向ける。

 ソマリア王子は首を振った。


「シャンテは、礼儀作法や国の歴史、計算や朗読まで、令嬢として求められることは卒なくこなすが、突出した特技はないはずだ。魔法が使えたという話もきいたことがない」

「オレへの嫌がらせは、突出していたと思うけどね」


 マリアが唇を尖らせると、王子と魔術師がおかしそうに顔を歪めた。

 すでにシャンテが裁かれた後であれば、笑い話にもできるだろう。だが、当人だったマリアにとっては、洒落にならない嫌がらせの嵐だった。


 お気に入りの筆入から生魚の匂いが立ち込め、被った帽子から蜘蛛が大量にぶら下がった時には、泣き続けたものだ。


「シャンテが魔法を使って逃げたんじゃなければ……誰かが助けたのかな?」

「シャンテは、あれでも公爵令嬢だ。裁判での様子に公爵家も呆れていたが、愛娘の処刑を見過ごせなかったのかもしれない」


 シャンテの罪を裁く裁判で、シャンテが自分の罪をどう捉えていたのかがはっきりした。

 悪いことをしたとは少しも思わず、無罪になることを疑っていなかった。


「何かの魔道具を使ったか、凄腕の魔術師を雇ったのかもしれないね。ソマリア、調べられる?」


 王子の権限であれば、国を挙げて調査することも可能なはずだ。

 尋ねられた王子は、ただ首を傾げた。


「マリア、シャンテのしたことは許せないだろうが、死刑判決を受けたまま行方不明になった事実は変わらない。死刑囚のまま、何ができる。シャンテは自由にはなれない。気にしすぎることはないよ」

「ええ。私も同感です」


 マリアは腑に落ちなかったが、勇者であるマリアには大きな使命がある。

 魔族に苦しめられている人々を助け、魔王を打ち倒すのだ。


「……そうだね。大事の前の小事っていうし。オレも、気にしないことにするよ」


 マリアが頷いた時、兵士詰所の扉が叩かれた。

 執行すべき処刑を行わなかった兵士長と兵士たちは処分されるだろうが、それは正式な会議にかけられるはずだ。


 マリアたちは、その前に事実を確認したかったため、兵士長がいる場所に押しかけ、その場で責任者を詰問した。

 叩かれた扉に、近くにいた魔術師カラスコが応じ、扉を開けた。


「どうした? もう終わったから……君は?」

「勇者様たちがお見えだと聞いて、お持ちするようメイド長から言われました」

「ありがとう」


 扉が閉まり、魔術師カラスコが木製のグラスが乗ったトレイを預かっていた。

 グラスが三つ乗せられている。


「城のメイド長か。流石に気が効くね」


 マリアは感心してグラスを受け取った。王子と魔術師も手にしていた。


「ワインかな?」

「マリア、酔っ払うなよ」

「酔わないよ。このぐらいで」


 マリアは王子に笑い返し、グラスの中の赤い液体を口に含んだ。

 赤い液体は、アルコールの刺激的な味わいを、まだ若いマリアの舌に乗せ、グラスの底に、細長い生き物が残った。


「キャッ!」

「うわっ。誰だ、こんなものを入れたのは!」

「お前たちのもか?」


 3人が飲み干したワインには、生きたムカデが混入されていた。

 まだ動いている。

 投げ出された木製のグラスから、ムカデが逃げるように駆け出していた。


「……誰? オレたちにこんな嫌がらせをするなんて……」

「まるで、シャンテだな」


 王子の呟きが、兵士詰所の空気を凍り付かせた。

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