19 トワイス王国
シャンテは、タヌキ姿の魔族の姫を連れて、トワイス王国の王都を訪れていた。
シャンテが住むゼルビア国の王都から、馬車で一月以上かかる場所である。
どうやって移動したのかは、もはやシャンテの常套手段である。他人に紛れたのだ。
そのため、シャンテは使用人を連れず、魔族のマカロンも護衛を連れてこなかった。
実際には、国を出るときに監禁されていたマカロンの護衛である2人の魔族を解放し、途中までは一緒に移動していた。魔族の2人がシャンテを見失ったことで別れたのだ。
「シャンテ、お腹すいたわ。あそこのお店、美味しそうよ」
シャンテの荷物は、長旅の割に非常に少ない。
途中で旅の行商人の馬車に紛れ込み、勝手に必要なものを物色して持ち出していた。
シャンテの荷物といえば、肩にかける背負い袋だけだった。
その袋の中から、時折マカロンが顔を出してシャンテを困らせた。
マカロンを連れてきたのは、魔王の王妃が戦争を起こそうとしている原因を、シャンテは理解できなかったからである。
本当に戦争が起きつつあるのかどうか、マカロンと魔王を引き合わせないとわからないと判断したのだ。
勇者たち一行がどう動くかは、シャンテの興味をひかなかった。
王妃の居場所と思われる場所は教えたのだ。それ以上、勇者の面倒をみるつもりはなかった。
勇者マリアがどう行動するかとは無関係に、シャンテが狙っているのも自国の王妃である。王妃に対し、まだ復讐したりなかったのだ。
「タヌキ料理が定番らしいですわね。共食いではなくて?」
「ひっ! 人間って、魔族を食べるの?」
「美味しいらしいですわよ」
「じゃあ、私たちも入ってみない?」
シャンテの脅しにもかかわらず、マカロンは興味津々でタヌキの鼻先を袋から突き出した。
シャンテのモブ化がマカロンの好奇心で破られるのか、時折行きかう人間たちが、立ち止まってシャンテを見ている。
「お楽しみは後にいたしましょう。着きましたわ」
「えっ? もう? つまらない」
シャンテが王城を見上げる。シャンテの国ゼルビアの王城と同じような威容を誇り、同じように不恰好だ。
「ところでマカロン、聞いていなかったけど、私たちが会った宿屋で、魔族だってバレたのは、どうしてですの?」
「……さあ? わからないわ。私が、お店の料理を全部持ってきてって、人間のお金を出して注文したら、グロウリスとバロモンテが慌てて私の口を塞ごうとして……騒いでいるうちに、バレていたの」
「護衛のお2人にはご同情申し上げますわ。しばらく、袋から出ないでくださいまし」
「えーっ……」
不満げなマカロンの鼻柱を背負い袋の中に押し込み、シャンテは袋の口を縛った。
出入りの商人らしき人物が城に入ろうとして、門番の兵士に取り調べを受けている。
どうやら、疑わしいところはなかったようだ。
商人が城に入るところで、シャンテは並んでごく普通に通り抜けた。
「人間のお城って、案外簡単に入れるのね」
「そうですわね」
「ムギュッ」
背後の言葉に、シャンテは再び袋の口を固く縛る。
どうやって解いているのかはわからないが、どう縛ってもマカロンは顔を出してくる。
シャンテは袋を背負って王城内を歩いた。
通りすがりの男も女も、間違いなくシャンテを見ている。だが、誰も気に留めない。
それが、シャンテの能力なのだ。
シャンテはどんどん王城の奥に向かった。
目的地がはっきりしていたわけではない。
マカロンは、人間の国や領土の認識がはっきりしていなかった。そのマカロンの言葉からシャンテは、魔王はトワイス王国にいると判断した。
その判断は正しかったのだろう。
マカロンはトワイス王国とは知らずに、父の城を目指すために黙ってシャンテについてきた。
マカロンのもたらした情報から考え、魔王が愛人たちを隠している城とは、トワイス王国の王城に違いないとシャンテは確信していた。
だが、魔王と王の関係はわからない。
公爵令嬢のシャンテは、周辺他国についても広い知識を持っていたが、まだ令嬢に過ぎないシャンテが、他国の貴族と直接会う機会は多くなかったのだ。
「マカロン、匂いで魔王の居場所はわかりませんの? あなたの話では、ひょっとしてこの城に、魔王がいるかもしれませんわ。魔王城で何をしたのか知りませんけど、用が済んだら、大切にしている女たちに会いに来るのではありませんの?」
「袋から出して」
シャンテが背負う袋の中で、マカロンがモガモガともがいた。
「いつも勝手に出てくるのに、こんな時ばかり甘えますのね」
シャンテが文句を言いながら、縛った袋の口を開く。
突き出したマカロンは、鼻を蠢かせた。
「どうですの?」
「うん。わからない」
「入っておしまい」
シャンテが再びマカロンを袋に押し込む。
その時だった。シャンテの動きが止まった。
大量のシーツを抱えてふらつくように歩いているメイド服の女が、シャンテの前を横切った。
顔は見えない。
だが、その歩き方、脚の動かし方で、シャンテの直感は知っている人物だと告げていた。
マカロンが入った背負い袋をしっかりと背負い直し、シャンテはその女の背後からついていく。
女は大きな扉の前で、シーツを置いた。
「シーツの交換に参りました」
声で確信した。シャンテは知っている。
「構わん。入れ」
「失礼致します」
扉を開けたその部屋は、大きく豪華で、精巧な調度品や工芸品、美術品に溢れていた。
明るい輝きに満ち、ベッドには複数の全裸の女がまどろみ、床の上にメイド服が散乱している。
大きな椅子に、風呂上がりのような下着姿で腰掛けているのは、シャンテの国を混乱に陥れた、角のある青年だった。
魔王だ。
3本あるうちの1本の角が折れている。シャンテに渡したとき、根本からへし折ったのだ。
半分近くまでまた伸びている。
「マカロン、魔王の匂いはしませんの?」
「いいえ。全然」
シャンテの背負った袋の中で、タヌキが首を振る。
くぐもった袋越しの声に、魔王がシャンテに視線を向けた。
だが、自分が何を見ているのかわからなくなったように、視線を入ってきた女に戻した。
「シーツの交換なら、早くしろ」
「魔王様、できればこの女たち、退かしてくださいませんか」
「ならん。自分でやれ。それとも、そなたが余の相手をするか?」
魔王が腰を上げる。
女が悲鳴をあげて下がった。
その背が、シャンテにぶつかった。
シャンテは背後から、女の両手首を掴んだ。
「おーほっほっほっほっほっ! またお会いしたわね、殿下!」
「えっ? ま、まさか……シャ、シャンテ?」
両手の手首を掴まれたまま振り返り、ゼルビア王国の王妃フォリアは、目玉が飛び出そうなほど大きく目を見開いた。
「おーほっほっほっほっ! 良いザマですわね!」
「シャンテ! お願い! 助けて!」
フォリア王妃の言葉に、シャンテの眉が歪んだ。
「はぁっ? あなた、何をおっしゃっているのか、理解していますの?」
「……誰だ? どこから入った?」
シャンテとメイド服姿の王妃のやり取りに剛を煮やしたのか、魔王が近づいてくる。
シャンテは王妃の手首を離し、やつれた頬を張り飛ばした。
王妃が崩れ落ちる。
「さあ、魔王様、ご存分に痛ぶって構いませんわ」
シャンテは言いながら、王妃の手首をシーツで縛り上げた。
「その女なら、すでに十分に楽しんだ。なんなら、貴様が相手をせよ」
「なんですって!」
シャンテが声を裏返す。
魔王の手が、シャンテに伸びてきた。
シャンテは魔王の手から逃れるように離れ、崩れ落ちた王妃に脚を取られてひっくり返った。
「邪魔ですわよ! おばさん!」
「シャンテ! あなたがいるということは、ソマリアも来ているのでしょう? 勇者マリアも、すぐ近くにいるのでしょう? 私を助けにきたのでしょう?」
縋り付く王妃を、シャンテは振り払った。
魔王がのしかかってこようとしている。
シャンテは、背負っていた袋を投げつけた。
魔王が袋を受け取る。
「マカロン! 何をしていますの?」
「えっ?」
袋の中で寝ていたらしいタヌキが、袋の口から頭を出した。
「なに? マカロンだと?」
魔王が、掴み取った袋を見下ろす。タヌキの後頭部が見えているはずだ。
「探していたパパですわよ」
「えっ? どこ?」
「もうっ! マカロンあなた、鼻でも詰まっているのではございませんの?」
「そんなはずは……あっ、本当だ」
マカロンが長い鼻柱を爪で掻くと、鼻の先から鼻糞が飛び出した。
「マカロン、そなたか?」
魔王がタヌキを抱え直す。
「パパ! 大変なの! ママがパパの浮気を怒って、人間の女たちを殺すって、兵士を集めているわ!」
「なに? 本当か?」
「うん。魔王城に戻って」
魔王はタヌキを床に下ろした。
「……バフィルの奴、本気か? 先日宥めたと思っていたが……ならば、余が帰っても意味はない。この城は潰されるだろう。打って出るしかあるまい」
「パパ!」
決意を固めたような表情をする魔王に、マカロンが後ろ足で立ち上がって訴える。
実のところ、マカロンが魔王城を出た後に魔王は城に戻っているはずなので、魔王の認識の方が正しいはずだ。ただ、魔王が戻った時にマカロンの同行を聞いていないのなら、2人にはそれを知る方法はない。
魔王は、かがみ込んで毛深い頭部を撫でた。
「マカロン、よく知らせてくれた。ところで、貴様は何者だ? どうして、この部屋にいる? どうして、マカロンをこんなものに入れていた?」
「パパ、この子はシャンテよ。私のことを知っていたの。私が、パパの娘だって知って、ここまで連れてきてくれたの。味方よ」
「……マカロンの言う通りなのか?」
シャンテは、マカロンの勘違いに同乗することはできた。
モブ化のスキルを使用して、再び何者か分からなくすることもできた。
だが、シャンテはそれを望まなかった。
シャンテは立ち上がり、懐から一本の赤い鋭い角を取り出した。
「おーほっほっほっほっ! 私をお忘れとは、いいご身分ですわね! これをお忘れになったの?」
「それは、余の角か? 確か……南方の人間の街で、余に親切にした人間の女に、再会を約束して渡したものだ。いずれ、その女も余の後宮に加えたいと……」
「お断りですわ! 魔王がこんな女の敵だとわかった以上、この女ともども、破滅させてやりますわ!」
「できるのか? 貴様に」
「シャンテ、パパを怒らせちゃ駄目! 逃げて!」
魔王の手が伸びた。
マカロンが飛び出す。
シャンテは、床にへたりこんでいたフォリア王妃の手を掴み、ひっぱり上げた。
喉元に、折れた魔王の角を突きつける。
「この女が死んでもいいんですの?」
「シャンテ、あなた、何を……」
戸惑うフォリア王妃を、魔王が嘲笑う。
「殺せばよかろう。その女では、もう十分に楽しんだ。価値はない」
「この女に価値はなくても、この女はゼルビア王国の王妃ですのよ! この女を生かしておけば、この城に向かっている魔族の軍勢に対抗するために、援助を得られますのよ! それでも、死んでもいいと言いますの?」
「シャンテ、あなた一体、何を……」
言いかけた王妃の口元を、シャンテが塞ぐ。
魔王の足が止まった。
「マカロン、そうなのか?」
タヌキの姿の魔王の娘が、シャンテを見た。シャンテは、懐からお菓子を見せた。
「本当です。シャンテが嘘は言いません」
「……仕方あるまい。今は、楽しんでいる時ではないらしい。早急に、魔王軍への対策を練らねばならん。余こそが魔王だというのに、なんということだ」
魔王が嘆息する。
マカロンがとてとてと歩いてきた。
「シャンテ、危なかったわね」
「ええ。間一髪ですわよ。マカロン、あなたはパパに再会できたのですから、これからどうしますの?」
「……それをくれたら、シャンテについて行きたくなるかも……」
マカロンは、シャンテが見せたお菓子を前脚で指した。
シャンテはお菓子を渡す。
その時だった。
魔王の部屋に、魔族が飛び込んできた。
通常のことではない。魔王は、この国では人間の王だと思われている。
「貴様、マカロンの護衛のバロモンテだな。のこのこと何をしにきた? マカロンなら、ここにおるぞ」
「はっ? も、申し訳ありません。マカロン様がご無事で安心しました。ですが、それ以前に……勇者が王に面会を求めています。自国の王妃のことで、聞きたいことがあるとか」
魔王が、マカロンとシャンテを振り返る。
現在の魔王の姿は、魔力が漏出した後の、ヒョロリとした青年である。
だが、魔王であることに変わりはなく、その恐ろしい能力は何も変わらない。
「貴様の差し金か?」
意図したのは、シャンテのことだろう。シャンテは肩をすくめる。
「知りませんわ。それより、勇者がいるなら、一緒にこの女の息子、ソマリア王子がいますわよ。魔王軍への対策に、利用しなさいな」
「……ふん。貴様の言うことが嘘かどうか、これでわかるというものだ」
魔王が出ていく。
「パパ、ママと戦争するのかな。魔族が沢山しぬのかな」
マカロンがしょんぼりと言った。どうやら、タヌキの姫はまだ魔王の目的に気づいていないようだ。
魔王が何のために城を用意したのかどころか、人間の王と魔王が同一であることも理解していない。
「戻ってきたら、聞いてごらんなさい。マカロンのパパにも、きっと理由がありますわ」
「……うん」
タヌキの頭を撫でながら、シャンテはフォリア王妃に向かって笑った。
「さあ、邪魔者はいなくなりましたわよ。今までの恨み、晴らさせていただきますわ」
「シャンテ……あなた、こんな時に……」
言いかけた王妃の頬を張り、シャンテは高笑いをあげた。