18 マカロン
王国最高級の宿屋『光輝なヒール邸』の厨房では、勇者たちと2人の魔族が戦いを続けていた。
人質はその間に解放され、シャンテは隣国トワイスの大使夫妻に誘われて、2人の宿泊する部屋にきていた。
もう1人、見た目はタヌキでしかない魔族の姫も一緒である。
大使は伯爵位を持つ貴族で、ドゥレン伯爵と名乗った。妻はメイサというらしい。
魔王領との最前線の国の大使を務めるだけあり、魔族に人質にされたばかりだというのに、動じることなくシャンテに茶を勧めた。
互いに名乗り、話は魔族に及んだ。
「つまり、マカロン様は魔王の娘で、魔王を探しに来たというのね?」
まだ、話すタヌキを不思議そうに見つめているドゥレン大使をよそに、シャンテは魔王の娘に尋ねていた。
「はい。人間の使うお金は持っていたから、食事を注文して……グロウリスがチェックインの手続きをして、バロモンテが料理の注文をしている間に、私が誘拐されそうになって……だと思います。網を被せられました。怒った2人が魔法で私を助けたことで、隠していた肌の色が浮き出て、魔族だと騒ぎになってしまって……」
「その場にいた人たちを、人質にしたというのね?」
「はい」
「……タヌキを誘拐?」
「あなた、ただのタヌキではないわ。言葉を話し、お金を理解しているのよ」
大使夫妻が小声で話す声は、マカロンの耳を震わせた。
シャンテは遮るように口を開く。
「この角は、魔王が自分でへし折って、私に預けたんですわ。また会いにくるからと……もう魔王城に帰ったはずですわ。色ボケ魔術師が魔法で調べたはずですもの。知りませんでしたの?」
シャンテが出した折られた角に鼻腔を振動させ、マカロンはシャンテを見つめた。
「……あたなにくれたの? こんな……存在が希薄な人間に、パパが大切な角を?」
「余計なお世話ですわ」
「御免なさい。私のこと……魔族の姫だって気づいてくれた、初めての人間なのに……」
タヌキがしゅんと小さくなる。
「人間の目は、曇っていますのよ。この国の王子なんて、この私との婚約を破棄するような愚か者ですもの」
「……ほう。初耳だな。では、この子はただの公爵令嬢で、王とは何も関わりがないのか?」
「親しくなっても、利用価値はないでしょう」
大使夫妻が囁きあっていた。シャンテは、2人の会話をしっかりと記憶しながら続ける。
「魔王は、何度も人間の街に来ているはずですわ。どうして、今回に限って探しに来ましたの?」
タヌキが顔を上げた。シャンテは、大使夫妻がシャンテのために用意したお茶菓子を勧める。
シャンテが魔族の姫であると紹介したが、外見がタヌキであるため、お茶もお茶菓子も大使夫妻は不要と判断したようだ。シャンテの前にしかお菓子がなかったため、シャンテが勧めたのだ。
「ありがとう。でも……お菓子がほしくてあなたを見つめたのではありません」
それでもお菓子を前足で引き寄せながら、タヌキは続けた。
「ママ……魔王の妻、つまり魔王妃様が、パパが人間の街に行くのは、人間の女性が目的だって気づいて……戦争を始めるって号令を出したんです」
「それまでにも、魔王は人間の街に来ていましたわ。どうして人間の街に行くと思っていたんですの?」
「偵察と情報収集と……ママへのプレゼントを探しにいくと言って、パパはいつも出かけていました。それが……さらった人間の女たちを養っているお城があることがバレて、ママが、そのお城を潰すって……」
「単に攫われた人間の女たちがいるだけなら、可哀想ですわね。多分、私が知っている1人を除いて」
シャンテはお茶のカップを傾けながら言った。シャンテが知る1人とは、攫われた王妃である。
「そのお城には軍隊もいて……女たちを守っているそうです」
「ああ。だから、戦争なんですのね。魔族同士が殺し合うことになりますわ。朗報ではございません?」
シャンテが視線を向けると、大使夫妻は戸惑ったようにシャンテを見た。
目の前にいるシャンテが何者なのか、わからなくなったように見える。
「おーほっほっほっほっ! 私は確かに、王妃にはなり損ないましたわ。でも、有益な情報を聞き逃すほど、大使様は耄碌していらっしゃらないでしょう?」
大使夫妻の瞳に、突然理解の色が戻る。
シャンテの高笑いによって、目の前にいるのが公爵令嬢であることを思い出したようだ。
シャンテは意味もなく高笑いをするが、必要であるときもあるのだ。
「ちょっと、中座させてもらっていいだろうか。国からの指示事項を確認したい。トワイス王からは、魔王軍に総攻撃の予兆があるから、貴国に援助を求めるように言われてきたはずだ。それが、魔族同士の内戦であれば、状況が変わる」
「ええ。そうした方がよろしいでしょうね」
シャンテが言うと、ドゥレン大使は妻を連れて別室に移動した。改めて、シャンテは魔族の姫に尋ねた。
「ところでマカロン様……魔王が人間の女を隠していたお城って、この国の北側ではございません?」
「えっ? ご存じなんですか?」
「ちょうど、この国のお城と、魔王城の中間ぐらいで、ワニが住む川が近くを流れていますわね?」
「はい。シャンテ様、お詳しいですね」
「ただの公爵令嬢に、敬称なんていりませんわ。マカロン様、正式なお名前を伺っても?」
シャンテが勧めたお菓子を頬張りながら、タヌキが答える。
「マカロン・クリアゲル・セット・トワイスです」
「あの魔王様……ハーレムを誤魔化すために、人間のふりをして王国を立ち上げていましたのね……」
シャンテの呟きの意味が理解できなかったのか、お菓子の咀嚼音で聞き取れなかったのか、マカロンは言った。
「私こそ、数多い魔王の娘の末娘にすぎません。王女とは名ばかりです」
「でも、ちゃんとした護衛がついていたのですもの。大切にされているのですわね」
シャンテはタヌキの毛皮を触ろうとして、躊躇した。マカロンが自ら頭部を差し出し、シャンテはタヌキを撫でることができた。
「マカロンは、王妃様似ですの?」
「はい。よく言われます」
「お姉さまたちはみんな王妃様似で、お兄様たちは魔王似ですの?」
「凄いですね。シャンテ様、魔王城に来たことがあるんですか?」
「いいえ」
人間の噂では、魔族には女性はおらず、そのために人間の女を攫うのだと言われている。
魔王は正しかった。魔族の女性は、タヌキの姿なのだ。
魔王の妻は、少なくともタヌキなのだろう。他の魔族もタヌキなのかどうかは、魔族の町に行ってみなければわからない。
シャンテは微笑みを浮かべ、静かにカップを傾けた。
※
トワイス王国の大使夫妻が戻ってきた、シャンテは席を立った。
「人を待たせておりますので、暇乞いさせていただきますわ」
「そうですか。シャンテさんにお会いしたこと、王に申し上げます」
「どちらの王ですの?」
シャンテが尋ねると、大使として面会する予定の人物の名を挙げた。
「ご遠慮いたしますわ」
「事情があるのですね。承知しました」
魔王が治める国で、魔王が王だとは知らずに伯爵位を賜った夫妻は、胸に手を当てて腰を折った。
「マカロンさんはどうなさいますの?」
「シャンテさんと一緒に行きます。構いませんね?」
「どうしてこのタヌキは、私に許可を求めるのですか?」
大使が首を傾げた。
タヌキが毛を逆立てる。怒ったのだ。
「お2人は、この子が人の言葉を話していること、不思議にお思いませんの?」
「何らかの魔法の賜物でしょう。タヌキに話をさせることに、どんな意味があるのかはわかりませんが」
「ですって」
「愚鈍な人間なんか、滅べばいいです」
シャンテが視線を向けると、魔王の娘であるタヌキが、つんと澄まして部屋を出ていった。
シャンテは軽く膝を曲げる。
大使夫妻は、すでに目の前の令嬢が何者か忘れつつあるのを、シャンテは見てとった。
※
シャンテは、タヌキと瓜二つのマカロンと共に、魔族と勇者たちが戦闘を繰り広げた厨房に戻った。
ようやく戦いは終わったらしく、その余波で半壊した厨房の中で、2人の魔族が意識を失って倒れていた。
「グロウリス! バロモンテ!」
倒れた2人を見ると、マカロンは四つ足でてってと駆けていく。
勇者マリアは左腕を抑え、クロムの治療を受けていた。
ソマリア王子はぐったりと座り込み、魔術師カラスコは魔導書を捲っている。
シャンテが厨房から出た時にはいなかったセイイが、ポーションを配っていた。
「タ、タヌキ? タヌキが喋った?」
動揺する勇者マリアの前に、シャンテが立った。
「おーほっほっほっ! お疲れのようですわね。勇者マリアと愛人たち」
「シャンテ! 君、さっきもいなかった? どこにいたの? 怪我はどうしたの?」
シャンテが高笑いを上げた瞬間、勇者一行の全員がシャンテに気づいた。
それまでは、厨房の片付けに使用人が入ってきたかのように、無関心だったのだ。
「そんなことよりあの魔族、殺しましたの?」
「いや。母上の情報を持っているかもしれない。王都に侵入した原因も不明だ。殺してはいない」
ソマリア王子が憎々しげに魔族を睨んだ。本当は殺したいと思っているのが、はっきりと分かる。
「なら、ご安心なさい。王妃の居場所はわかりましたわ」
「どうして? シャンテ、どうやって知ったの?」
勇者マリアが腰を上げる。まだ怪我は治っていない。体力も尽きているだろう。
それでも、シャンテを目の前に、座ったままでいることが嫌だったようだ。
「皆様は、どうして危険を犯して、魔族に喧嘩を売りましたの? 考えれば、分かることのはずですわ」
「そりゃ……トワイス国の大使に怪我をさせたら、大変じゃないか。あっ、あの2人はどうしたの?」
「自分のお部屋ですわね」
「でも、2人が王妃様の居場所を知っているはずがないじゃないか」
「あの淫乱売女の居場所が、トワイス国でもですの?」
「母上を、そんな呼び方をするな!」
「あらっ。あの呼び方で、王子には誰のことを言っているのかわかりますのね。でも、わかりました。『私を殺したいほど憎んでいる売国奴さん』とお呼びしましょう」
「シャンテ、貴様!」
立ちあがろうとしたソマリア王子が、ふらついて膝をつく。
魔術師カラスコが支えた。
「王子、無理をするな。死にかけたんだぞ」
「こいつら、ただの魔族とは思えないな」
全員にポーションを手渡したセイイが口にする。シャンテも受け取ろうと手を伸ばしたが、セイイは直前で引っ込めた。
シャンテは舌を出しながら言った。
「当然ですわ。プリンセスの護衛ですもの」
シャンテが見ると、マカロンは2人の魔族がまだ息をしているのを確認し、安心して犬座りをしていた。
「プリンセス? 魔族に女性はいないだろう?」
神官のクロムが首を傾げる。
「待って。シャンテ、何を知っているんだ?」
「仕方ないですわね」
シャンテが視線を向けると、マカロンはてってと歩いてきた。
シャンテに身を任せるタヌキを、脇を抱えて持ち上げる。
「ご紹介いたしますわ。魔王の娘、マカロン様ですわ」
「えっ?」
勇者マリアが間の抜けた声をあげ、男たちが視線を交わす。
「シャンテ、こんな時に冗談はやめろ」
ソマリア王子が、カラスコの手を払って立った。
「マカロン」
「魔王であるお父様を探しに来ました。マカロンです。お父様が早く戻らないと、お母様が戦争の準備を始めています」
はっきりとしたタヌキの言葉に、勇者たちはしばらく目を瞬かせていた。