16 勇者マリアの部屋で
王城の一室、来客用に用意された品の良い部屋に、シャンテの声が響いていた。
「ああっ! そう、そこですわ。とても……気持ちいいですわ。あんっ! そんなとこまで! いやらしい……あっ、やめないで下さいませ。もっと、もっと……凄いですわ。とっても、とっても上手ですわよ」
「ちょっとシャンテ! さっきから、凄くいかがわしいことをしているみたいに、聞こえるんですけど!」
シャンテは、勇者マリアが宿泊時に使用する、客用寝室に運び込まれていた。
傷つけられた背中に、王宮付きの侍女ミリアが薬を塗っていた。
ただ横で見ていた勇者マリアは、我慢できずに声を上げた。
ソマリア王子は、薬を塗り終わるまでは外に出ているよう促された。言ったのが勇者マリアだったため、大人しく従っている。
「マリア、なにを言っていますの? 私はただ、薬を塗ってもらっているだけですわ。ちゃんと塗れているか伝えるために、声を出すのは必要なことですわよ」
「わ、わかっているけど……ここ、オレがいつも借りる部屋なんだよ。王族の自室みたいに壁も扉も厚くないから、外に声が漏れるよ」
「まあっ! なら、いつものことだと、城中の人たちが思うでしょう」
「ちょっと、シャンテはオレのこと、どう思っているんだよ」
「淫乱」
「えっ……」
返す言葉もなく固まった勇者マリアを置いて、シャンテはミリアの手を取った。
「もう十分ですわ。こんどは、私が塗って差し上げますわ」
ミリアはすでにきちんとメイド服を着ていた。元の服は背中が派手に破れていたため、新しいものを着ている。
「そんな、シャンテ様に薬を塗っていただくなんて、恐れ多くてできるはずがありません」
「私のために傷を負ったのですもの。このぐらいのことはさせてくださいませ」
「そうだよ。シャンテにも、そのぐらいのことならできるよ」
「マリアにやらせたら、背中に穴が開いてしまいますものね」
「オレ、そんなに不器用かなぁ!」
勇者マリアは不服そうだったが、貴族令嬢の嗜みのいくつかは、手先の器用さを競うようなものだ。
刺繍や絵画、楽器の演奏など、全てシャンテは同世代では負けたことがない。
「……すいません」
ミリアがメイド服をはだけて、背中を顕にする。
まだ傷ついたままの肌は、無数のミミズが這ったような跡が痛々しい。
簡単に薬をぬり、服が張り付かないように薄い紙をあてがっただけの状態で、ミリアはメイド服を着てシャンテの世話をすることを申し出たのだ。
「……酷いね。シャンテ、反省しなよ」
「私がしたのではございませんわ」
「すいません。シャンテ様を……」
「しっ」
「はい」
ミリアが傷を負ったのは、シャンテについての情報を聞き出すためだ。同時に、シャンテを捉えるための罠として利用された結果だった。
ミリアがシャンテに手枷を嵌めさせたことは、勇者マリアには秘密にしていた。マリアは過度な正義感から何をするのかわからない、危うい存在だとシャンテは感じていたのだ。
先ほどまで自分の背中に塗られていた薬の瓶に、シャンテは自分の手を差し込んで手の平で伸ばした。
「さあ、行きますわよ」
「はい……ぐぅっ」
「我慢なさらないで。声を出しても構わないですわ。さっきの、私のように」
背中に覆いかぶさったシャンテが、ミリアの耳元で囁いた。賢いミリアは、シャンテに求められていることを理解した。
シャンテの手が、ゆっくりとミリアの背を撫でる。ミリアが声を上げた。
「あんっ! いや、駄目です! そこは! ゆ、許して! ああ、お母さん、ごめんなさい! でも、もっと……もっと下さい!」
「さっきから、何をやっているんだお前たちは!」
高らかにあがったミリアの声に、客用寝室の扉が荒々しく開かれた。
振り返ったシャンテは、まだきちんと服を戻していない。ミリアは背中を剥き出しにしている。
「キャーッ! 王子が、ソマリア王子が痴漢をいたしましたわ! 私たちを辱めましたわ!」
「ソマリア、オレがいいって言うまで、入ってこないでよ!」
「あ、ああ。すまん」
顔を真っ赤にしながら、ソマリア王子が扉を閉める。
シャンテは、扉のそばまで移動した。木材の薄い扉に、シャンテは口を押し当てた。
「ソマリア王子に辱められましたわ! もう、お嫁に行けませんわ! 私との婚約を破棄した癖に、こんな仕打ちをするなんて! もう、生きていられませんわ! およよよよっ!」
シャンテは絶叫すると、聞き耳を立てた。
外には他にも人がいたらしい。ソマリア王子が、しどろもどろに弁解している声が聞こえた。
「シャンテ、やり過ぎ」
「こんなの、序の口ですわよ」
シャンテは残りの薬をミリアの肌に手早く塗ると、乾燥させるために扇で風を送る。
ミリアは、気持ちよさそう目を細めていた。
「私より、シャンテ様の方が重症ですのに、こんなことまでして頂いて……」
「いいんですのよ。私も、あの豚どもに徹底的に復讐する口実ができたのですもの。退屈しないですみますわ」
「なら、オレのことはもう、許してくれるよね?」
勇者マリアは、シャンテの服を直しながら、期待に満ちた目を向けた。
「マリアのことは、大っ嫌いですわ。よくもこんな、あなたとソマリアの聖液まみれの部屋に、私を入れて下さいましたわね」
「き、気絶していたシャンテを、守って運ぶの、大変だったんだよ。ちょっと、『聖液まみれの部屋』って、酷いじゃないか! ミリアたちが、毎日綺麗にしてくれているんだよ!」
「まあっ! 毎日精液で汚していることは、認めましたわ! そのうち、あなたのベッドを毒虫でいっぱいにして差し上げますわ!」
シャンテの宣告に、勇者マリアは表情を歪めた。
「ねえ、シャンテ……オレのこと嫌いでいいから、そろそろ、オレに動物の死体とか、虫入りのケーキとか、送るのやめて。オレは勇者だから、『頑張って』って意味で、毎日色んな贈り物が届くんだ。その中に、シャンテのものがとっても綺麗に包装されて届くから、その……間違って開けて……精神的に、すごく辛いんだけど。前は、ここまで酷くなかったよね。どうして?」
「それは出来ませんわね。マリアのお陰で、街の害虫が減ったって評判ですわよ。『どうして』ですって? 簡単なことですわ。以前は私の名前を騙った、ほかの貴族令嬢の仕業ですもの。私が本気を出せば、これぐらいは朝飯前ですわね」
「ううっ……酷い。その能力、何か別のことに使ってよ。シャンテなんて……鞭で打たれて死ねばいいんだ」
「マリアは、男に突かれ死んだら本望でしょうね。ミリア、あなたも貴族です。私たち、義姉妹になりませんこと?」
突然話題を変えたシャンテに、ミリアは慌てた。
「わ、私はただのメイドです。シャンテ様とは、釣り合いません」
まだ背中を出して、うつ伏せになっていたミリアが体を起こした。背中をはだけていたため、勢いで前もはだけた。
剥き出しになった露わな肌を、シャンテはメイド服で隠しながら言った。
「あなたを虐めていた兵士たち、私は全部顔を覚えましたわ。これから、復讐をいたしますわよ。ただ……ミリアが私の協力者でしかないのなら、嫌がらせをするだけですけど、私の妹に手を出したのなら、破滅させてやりますわ。金銭的な意味も含めてですわね。そのことが広まれば、ミリアを虐めようなんて誰も考えなくなりますわ」
「『妹』……私の方が年上……いえ、なんでもないです。お義姉様」
シャンテを鞭打ったのは貴族たちであり、資産はかなりなものだろう。金銭的に破滅すれば、その分はミリアの収入になるかもしれない。ミリアはそこまで計算したのか、シャンテの手をとってはにかんだ。
「では、決まりですわね。あとで義姉妹の契りを結ぶといたしましょう」
「あの、オレは……」
「マリアは、永久に私の敵ですわ」
「そんなぁ……」
シャンテは、どんな嫌がらせをしても証拠は残さない。犯罪すれすれのことをしても、貴族として罪に問われることまでしない。
一度死刑判決を受けてから、さらに狡猾になっていた。
シャンテの嫌がらせを嫌というほど受けてきた勇者マリアは、情けない声を出した。
『なあ、まだか? 私をこんなに長く締め出すなんて、マリアの初めての時依頼だぞ』
「ああ。もう1人、復讐の相手がいましたわね。待ちくたびれて、死ねばいいですのに」
外から上がった声に、シャンテは微笑んだ。
※
シャンテとミリアが傷の処置を終えてから、ソマリア王子の入室を許した。
部屋に入ると、ソマリア王子はシャンテに手のひらを返したように訴えた。
「シャンテ、君を探していたんだ。まさか、本当に黙って拷問されているなんて思わなかったから……」
「拷問されていると知っていたら、助けにはこなかったのでしょうね」
シャンテは微笑み、王子は頷きそうになって勇者に蹴飛ばされていた。
「そういう訳じゃない。シャンテ、王妃の居場所を知らないか? 宮廷魔術師たちにも探させたが、場所がわからない。魔王と一緒なのか?」
「魔王の居場所はわかったのでしょう?」
「ああ。シャンテがセイイの腕に突き刺した角の破片から、カラスコが魔法で調べた。現在は、魔王城があると考えていた場所にいる。もし母上が一緒なら助ける方法はないが……違う場所にいるかもれない。これまでにも、魔王に攫われた女性は何人かいる。逃げ出して、魔王に囚われていたことがわかったんだ。その女性たちは、魔王城に囚われていたわけじゃない。魔王城の周りは毒の沼地のはずだが、その女性たちが囚われていたのは、別の城だと言っている」
シャンテは、王子の言葉にますます腹を立てた。
「男のやることなんて、結局一緒ですわね。力があれば、女を侍らせてハーレムを作るのですもの。マリア、あなたも気をつけなさいな。もっとも、マリアも同じようなものでしょうけどね」
マリアは、魔王討伐部隊として注目される勇者一行の男達全員と関係を持っている。シャンテはそれを指摘したのだ。
指摘されたマリアが、頬を膨らめた。
「ソマリア、オレを巻き込まないで」
「いや、そんなつもりは……私が王の部屋で見たのは、間違いなくあの魔王だった。シャンテはどうしてあの部屋にいたんだ? 何か知っているのだろう?」
「私が魔王を手引きしたとでもおっしゃりたいの?」
シャンテがソマリア王子を睨む。王子は怯まなかった。
「そこまでは言わない。裁判で死刑判決が出て、今でもシャンテは死刑囚だが、私の母上が裁判に干渉したことは私も承知している。それに、あの宿ではシャンテに助けられた」
王子の隣で、勇者マリアがびくりと震えた。マリアは魔王に襲われたのだ。
王子はマリアの肩を抱き寄せながら続けた。
「だが、無関係とも思えない。地下で貴族たちが行っていたことは独断だ。私が制裁を加える。だが、王妃の行方がわからないとなれば、近いうちに王から勅命が下る。そうなれば、シャンテがどう言い訳したところで、もう逃げられない。今のうちに、知っていることを教えてほしい」
「残念ですわね。王妃の居場所については、何も知らないですわ。もしあの女が王都にいれば、探すのを協力することはできますけれど、現在はわかりませんわね」
「珍しいね。シャンテが協力してくれるなんて」
勇者マリアが楽しげに言う。王子に肩を抱かれたままである。
シャンテは、王子に大切にされるマリアを見ても、もはや心が動かないことを自覚していた。
「王妃には、まだまだ返しきれない借りがありますもの。簡単には、終わらせませんわ」
「……だろうね」
マリアがげっそりと呟く。王子が遮った。
「そうか。何かあったら、知らせてくれ。それと、王城にはもう近づかない方がいい。貴族たちのなかに、シャンテの味方はいない。近づいてくる奴らも、シャンテを利用しようとしているだけだ」
「承知していますわ」
シャンテが微笑む。同じように背中に傷を受けたミリアは、立つことなくシャンテの隣で座っていた。
客用寝室の扉が叩かれる。
「ソマリア王子とマリアがこの部屋だと聞いたんだけど」
「ああ。クロムか。どうした?」
扉を叩いたのは、勇者マリアの仲間であり、愛人の1人でもある神官のクロムだった。
「街に魔族が出た。兵士たちが住民を避難させているが、僕たちに討伐命令が下るはずだ」
扉を開け、水色の長い髪をしたクロムが告げる。王子とマリアを見ていた。シャンテがいることにすら、気づかない。
「カラスコとセイイはどうした?」
「もう出ている」
「魔族の数は?」
「2人だけど、かなりの手練だね。武器と魔法をかなりの熟度で使いこなしているよ。兵士たちでは、抑えられないみたいだ。それと、妙な動物を連れていた。まるで、魔族たちはその動物を守っているみたいだった」
「……妙な動物についてはわからないが、わかった。すぐに行く。マリア」
「うん。わかっている。2人はここにいて。その傷じゃ、動けないだろう」
「ええ。わかりましたわ」
ソマリア王子と勇者マリアが、クロムと共に出て行った。
シャンテは立ち上がり、戸棚にあった果実酒で、ミリアと杯を分け合った。義姉妹の契りを結んだのだ。
シャンテは言った。
「ミリアはここに居なさいな。私は、ちょっと出てきますわ」
「私が心配するなんて、おこがましいのでしょうけど……気をつけていってらっしゃいませ、お義姉様」
「ええ。ありがとう」
シャンテは言うと、王城の客用寝室から外に出た。
まだ背中は痛い。動けば血が溢れるだろう。
だが、通路に出たシャンテは、誰の注目も引かなかった。
シャンテのモブ化スキルは、シャンテを探している人物でなければ、たとえシャンテが1人の状況でも、認識を逸らせてくれるのだと確信した。
シャンテは堂々と王城内を歩き、準備を終えたソマリア王子と勇者マリアの背中を見つけ、足音を殺すこともなくついて行った。
前を行く2人は、シャンテの存在に一切気づかないままだった。