10 魔王と酒場
シャンテは孤児院で、魔王らしき人物を見かけた子どもに詳細な場所を確認した。
見たのは夜、繁華街と呼ばれる飲食店通りの一画でのことらしい。孤児院の子どもたちが残飯を貰う場所だ。
シャンテは1人で繁華街に向かった。
街を歩くと、誰にも注目されないことがわかる。
公爵令嬢として常に取り巻きを連れていたシャンテには、新鮮な喜びだった。
街行く一般人に、誰も注目はしない。
現在のシャンテは、正に街行く一般人なのだ。
繁華街に到着し、オープンテラス型の飲食店で食事を注文する。
一般人が通常行わない行動を取らない限り、モブ化が解けることはないらしい。
シャンテは、通りがよく見通せる場所を選んで座り続けた。
珍しいことではない。シャンテは、孤児院の子どもが持ってきた情報に基づいて、何日も同じ場所に張り付くことに慣れていた。
その結果、見知った貴族の数多くのスキャンダルを知ることになり、暇つぶしも兼ねて訓練し続けた似顔絵描きの技能があがり、似顔絵を描くために一瞬で見たものの細部を思い出せるようになっていた。
以前は、身分がバレないために衣服を変え、侍女を連れて誤魔化していたが、現在では公爵令嬢の私服のままでも、誰も気に留められなかった。
夜までに描いた、通りかかった人物の似顔絵が百枚になろうという頃、シャンテの記憶のままの青年が目の前の店に入っていった。
ただし、肌は白く、頭部全体をすっぽりと覆う、つば広の帽子を乗せている。
それ以外は、軟派な遊び人という風情だ。入って行った店を見ると、飲食店ではあるが、女性が接客をして男性客から多額の報酬をむしり取るタイプの店舗だった。
以前であれば、見つけた男が出てくるまで待ち、背後関係を調べて秘密を暴くのだが、今はそんな必要もない。
店は夜になってからのオープンであり、開店したばかりだ。
店員だろう女性が出勤するのに合わせて、シャンテが付き添うようについて行く。
店の中に入っても、誰もがシャンテを従業員だと思い込んで、軽い挨拶以上のことは言わなかった。
シャンテは利用した女性従業員とは別れ、店内の接客スペースに移動した。
ソファーを並べて何区画か作るように囲っており、まだ客数は少ない。
その店の一番奥に、シャンテが探した男がいた。
鷹揚に足を組み、左右に女性従業員を侍らせている。
帽子を被ったままなのは、角を隠しているのだろう。
シャンテは、注文された品だろう、高級な果実酒を運ぼうとしている女性従業員から、陶器の瓶を受け取った。
「私に任せてくださいまし」
「仕方ないわね。でも上客だから、粗相のないようにね」
「わかっていますわ」
直接会話しても、突飛なことをしなければ仲間だと思われる。
シャンテは、高笑いはしないように肝に銘じながら、魔王がふんぞりかえる店の奥に向かった。
「お待たせしました。お注ぎいたします、魔王様」
「おう」
魔王はグラスを出してから、シャンテを見ようとした。
シャンテが、元々隣に座っていた女性従業員の後頭部に隠れるようにしたため、何も見つけられなかったようだ。
「お前今、なんと言った?」
魔王らしい男は尋ねる。
相手の正体を確認するために必要なことだが、性急に追い詰めるのは危険だと感じ、シャンテはグラスに果実酒を注ぎながら誤魔化した。
「『お注ぎいたします』と申しましたわ」
「いや、その後だ。余のことをなんと呼んだ?」
本当に魔王であれば、危険だ。急いではならない。自分に言い聞かせるシャンテを裏切ったのも、またシャンテの性格だった。
「あらっ、お忍びでしたの? 大丈夫ですわ。誰にも言ったりいたしませんから。さあ、どうぞ」
魔王とシャンテに挟まれた女性従業員が、なぜか顔を真っ青にしているが、シャンテもそれどころではなかった。
果実酒で満たされたグラスを、ゆっくりと魔王らしい男の前に押し出す。
魔王がシャンテの腕を掴んだ。
「お前、どこかで……」
「旦那様、当店ではお触りは厳禁でございましてよ」
旦那様というのが、この店での客に対する呼び方だと、すでにシャンテは観察から理解していた。
「うっ……そ、そうか……」
男は慌ててシャンテの手を離す。
シャンテはいかにも営業用と思われる笑みを演出しながら、魔王らしき男の帽子を取り、荷物入れに入れる。
帽子の下から、鋭い3本のツノが突き出ていた。
室内で客の帽子を預かる行為だけで、モブ化が解けることはなかった。魔王は、帽子を取られたことにも気づいていなかった。
「わ、私は、ちょっとお花摘みを……」
逃げるように立ちあがろうとした、魔王とシャンテに挟まれた女性従業員の肩を、シャンテが抑える。
「まだ大丈夫ですわ」
「じゃあ、私が……」
「旦那様に対して失礼ですわ。旦那様、こういう場合は、捕まえてもいいでしょう」
「わかった」
まるでシャンテに操られるように、シャンテから見て魔王の反対側に座っていた女の腕を掴んで座り直させる。
「じゃあ、ゆ、譲るわ」
シャンテの隣にいた従業員が、シャンテに場所を譲った。
「あらっ、ありがとう。でも、行っちゃダメですわよ」
「う、うん……」
シャンテとしては、モブ化のスキルを最大限に利用するため、少しでも人が多い方がいいのだ。
「さあ、魔王様、ぐっと一杯」
シャンテが持ち上げたグラスには、果実酒が並々と注がれていた。
「うむ」
魔王が一息で果実酒を煽り、シャンテが囃し立てる。
「ちょっと待て。そなたさっき、我のことをなんと呼んだ?」
「『魔王様』ですわ。だってそっくりなんですもの。ご不快ならもう呼びませんわ」
「い、いや、不快ではないが……どうして、魔王とそっくりだと知っている?」
「魔王様、人気者ですもの」
シャンテは言いながら、自分が描いて子どもたちに配った魔王の姿絵を見せた。
写しである。子どもたちに知らせるために10枚以上描いているので、もはや描き慣れた顔である。
魔王は似顔絵を受け取り、不思議そうに首を傾げたが、結局追求しないことにしたようだった。
鋭いツノが剥き出しの客に、2人の女性従業員は膝を震わせていたが、シャンテの都合で逃すわけにはいかなかった。
魔王は似顔絵を返そうとしたが、シャンテはサービスだと言って押し付ける。魔王は頷き、折りたたんで懐に入れた。
「そなたも飲め」
シャンテの前に置かれたグラスに、魔王は果実酒を注ぐ。
シャンテは尋ねた。
「よろしいのですの? 私、お代なんて払いませんわよ」
「我が飲めと言っておる。構うまい」
魔王の肌は、人間同様白く染まっている。だが、暗がりで目が赤く光っていた。
魔王に見つめられた、様子を見にきていた女将が、震えて言った。
「だ、旦那様のご好意よ。感謝して頂いて」
「ありがとうございます、旦那様。では、頂きますわ」
注がれた果実酒を、シャンテは一気に飲み干した。
「あらっ、いいお酒ですわね。おーほっほっほっほっ! さあ、魔王様も」
「うむ」
「魔王様って、人間のお金なんて持っていますの?」
シャンテは、酒の勢いで魔王のグラスに酒を注ぎながら尋ねた。
周囲の女性従業員たちがギョッとしたように見えたが、魔王は怒らなかった。
「うむ。金など使わぬが、魔王城に転がっているものをいくつか持ってきて換金したら、金貨500枚程度にはなった」
「それ、どこで換金いたしましたの?」
「王城前の……質屋だったか? そういう場所だ」
「まあっ! あそこの店主はがめついことで有名ですのよ。ちゃんとしたルートで売れば、あそこで500枚出したなら……金貨3000枚は固いところですわね」
「なに? あの店主……」
シャンテに酒を注がれる魔王の手が、怒りで震える。女性従業員たちは恐怖で震えていたが、酒に弱くはないが普段飲みつけないシャンテは、勢いがついていた。
「まあまあ。これも授業料とお思いなさいな。次は、ちゃんとした骨董商なり貴金属店を紹介いたしますわ。次から損をしないと思えば、悪くなかったではありませんの?」
「ああ。そうだな。お陰で、そなたにも会えた」
魔王が笑いながら、シャンテが注いだ酒を飲み干す。すでに5杯目になり、注文した果実酒の瓶は3つが空になっている。
「まあ、お上手ですわね。でも、魔王様ともあろうお方が、こんな人間の街に何をしにおいでになったの?」
「余が人間の街に来ては悪いか?」
魔王の口調に怒気が混ざる。席を立とうとした隣に座った女性の腕を掴み、シャンテは座り直させながら言った。
「いいえ。ただ、ちょっと妬けますわね。魔王様の目的は、やっぱり勇者なんじゃありませんの?」
「ああ……勇者か……」
さらに一杯を飲み干して、魔王は物思いに沈むかのような声を出した。
シャンテは新しい瓶からグラスに注ぎながら言った。
「キィーーーッ。悔しい。やっぱり、お目当ては勇者ですのね?」
「仕方あるまい。我を倒すことを掲げ、討伐部隊を編成すると大体的に発表されては、意識せざるを得まい。だが、もはや奴には我を殺すことはできん」
「呪いでもかけましたの?」
「気になるか?」
魔王の顔が、目の前にあった。シャンテは笑い返した。
「いいえ。気になるのは、あっちの方ですわ。どうでした? あの勇者、幼い顔をして淫乱ですのよ。4人の男をはべらしていますわ」
「……ほう。では、少し呪いの効きが悪いかもしれんが、まあよかろう」
「ところで、魔王様の目的は、勇者だけですの?」
「どうして、そう思う?」
「目的を果たしたなら、いつまでも街に留まる理由がありませんもの」
「知りたいか?」
「気になる男のことは、なんでも知りたいと思うものですわ」
「そうかそうか」
魔王は、上機嫌で10杯目になる果実酒を飲み干した。