1 悪役令嬢 死なず
公爵家の長女シャンテの視線の先で、黒いローブを身につけた初老の男が木槌を叩いた。
「それでは、ティアーズ公爵家の長女シャンテは、陪審員の満場一致を持って死刑とする。刑の執行は明後日に行う」
裁判長の宣告に、原告人の席に座っていた一庶民であるはずの女が快哉をあげ、隣に座る王子と握手を交わした。
背後の傍聴席でも歓声が上がる。
ただ、シャンテだけが理解できずにいた。
「ちょっと待って。死刑ってどういうこと? 全部、正直に言ったじゃない。私は、あの庶民の女が私の婚約者に手を出したから、お灸をすえただけなのよ。誰でも、同じことをするはずよ。飼っていた猫の首を切り落として部屋に投げ込んだり、両親に脅迫状を送ったり、弟を崖から突き落として……殺そうと思ったわけじゃないわ。結果的に死んだだけじゃない。私は、公爵家の令嬢なのよ。庶民を何人殺そうと、罪には問われないでしょう? そりゃ、あの女を庇った下級貴族の家に火を放って、何人か逃げ遅れたけど、そんなに重要なこと? ちょっと待ってよ。理解できないわ」
綺麗に整えた金色の髪を振り乱し、シャンテは訴えた。
ずっと訴えてきた。だが、シャンテの主張が認められなかったからこそ、現在の判決が下されたのだ。
「閉廷」
裁判長が再び木槌を振り下ろす。
シャンテの両肩を、憲兵隊の厳つい男たちが掴んだ。
「待って。納得できない。納得できないわ。パパ、どうして黙っているの? 私は大丈夫だって、ずっと言っていたじゃない」
シャンテは振り返る。
傍聴人の中に、いつもの席に、シャンテの家族の姿はなかった。
ただ、シャンテに投げつけられる大声は、実に楽しそうだった。
左右の肩を掴んだ憲兵の力は強く、シャンテは抵抗も虚しく引き摺られた。
歓声で盛り上がる法廷から引き摺り出されるまでの時間は、とても長く感じた。
憲兵があえてゆっくりと引きずったとしても、文句を言う機会はもうなかった。
シャンテの命は、2日しかないのだから。
シャンテは、裁判のたびに公爵邸から移動してきた。
これまでは、拘束はされなかったのだ。
それは、逃亡の可能性がないと判断されたためだろう。
判決後は違った。
シャンテは、まっすぐに牢に入れられた。
狭く、暗い場所だった。
公爵家の令嬢であるシャンテにとって、使用人の部屋よりも狭い部屋があること自体が驚きだった。
※
シャンテは狭い牢獄に入れられても、絶望はしていなかった。
自分が死ぬはずがない。
死刑になどなるはずがない。
そう信じることができた。
根拠などない。
自分の思う通りにしか生きられないのだ。
だから、出された食事に注文をつけ、見張りに殴られても怒鳴り返した。
牢の中で無実を訴え続けたが、誰が聞いても罪の独白であることを、シャンテだけが理解できなかった。
2日が経過しようとしていた。
まだ夜明けには遠い明け方、シャンテは不自然な時間に目覚めた。
突然目覚めたにしては、意識もはっきりとしていた。
シャンテが入れられた牢は、外から見ることが出来ない形状の牢だった。
扉は鉄格子で補強されているが、シャンテは貴族である。
外から自由に見られるような、晒し者にされることは免れていた。
その扉が、静かに開いた。
シャンテが入れられた時、重い軋み音を上げていたのを覚えていた。
それなのに、この時は非常に静かに開き、黒いフードを被った人影が入ってきた。
足音もなく、衣擦れの音もしない。
奇妙な訪問者に、シャンテは開いた扉から逃げられるのではないかと期待した。
だが、黒い人影の背後の扉は、しっかり閉まっていた。
黒い人影が中に入り、閉めたのだろうか。
そんな動作はなかったし、開いた扉が閉じる音もしなかった。
「まだ、夜明け前よ。もう処刑場に連れて行くってことはないわね。私を助けに来たの? 当然よね。私は、何の罪も犯していないもの」
シャンテはあえて明るく声を出した。
「選択肢を与える。スキルを得て生き残るか、このまま処刑されるかだ」
まるでシャンテの言うことを聞いていなかったかのように、黒い人影は言った。
シャンテは目深に被ったフードの中の顔を見ようと、覗き込んだ。
だが、夜明け前の暗い時間である。
覗き込んでもただ暗いだけだった。
「私は処刑なんかされないわ。何も、悪いことはしていないもの」
「では、スキルを与える」
「『スキル』って何?」
「本来、この世界にはない特殊な力だ。使い方次第で、どんなことも可能となる」
「……具体的に、何ができるの?」
「与えるスキルは『モブ化』だ。誰も欲しがらぬ。だが、お前のこの状況から抜け出すには最適だろう」
「よくわからないけど……そのスキルがあれば私は処刑されないし、なんでもできるようになるの?」
「それは、お前次第だ。だが、スキルを得なければ死ぬ。それは間違いない」
「わかった。もらってあげる」
「選択はなされた」
黒い人影の声を最後に、シャンテは眠りに落ちた。
夢だったのかもしれない。
シャンテは夢を見ていたのだ。
暖かい日差しの中で目覚めたシャンテは、黒い人影が本当にいたのか、全てが夢だったのか、わからなくなっていた。
ただ、扉が開いた時、入ってきたのが複数の兵士であったことに、処刑の時がきたのだと理解した。
「ティアーズ公爵家の長女シャンテ、裁判判決に従い貴様を処刑する。ところで……公爵令嬢はどこだ?」
先頭にいたケバケバしい鎧の兵士が、司令書と思われる羊皮紙を広げて読み上げた後、周囲の兵士たちに不思議そうに尋ねた。
「隊長、そこにいるのが公爵令嬢シャンテです」
背後にいた兵士の1人が指差す。
「んっ? ああ。そうだったな。少し、印象が変わったかな?」
「私は処刑なんかされないわ」
「ああ。その性悪そうな物言い、シャンテ殿に間違いない。連れて行け」
「はっ」
兵士たちが揃って返事をすると、シャンテの周囲に展開する。
シャンテは複数の兵士たちに腕を掴まれ、強引に立たされた。
下着も同然の姿である。
着替えも許されない。
シャンテは引きずられるように移動させられ、止まった時には、階段の上にあるギロチンの刃を見上げていた。
シャンテは、結局処刑されるのだと理解した。
黒衣の誰かが、牢屋に入ってきたような気がした。
スキルという何かをくれると言った。
確かあれは、『モブ化』という奇妙な名前のスキルだった。
スキルが何を意味するのかもわからない。
モブ化とはなんなのだろう。
『モブ』という言葉は知らない。だが、あまりいい意味ではないような気がする。
シャンテは、断頭台の下で手を離した兵士たちを見回した。
「ここからは1人で行け。どうしても嫌だと言うなら、引きずっていくことになるが」
先ほど隊長と呼ばれた兵士が言った。
シャンテが隊長と兵士たちの顔を見た。
いずれも、生活と家族のある男たちだろう。
だが、シャンテには見分けがつかなかった。
どこにでもいる、平凡な男たちに見えた。
その時だ。
シャンテは突然、『モブ』が意味するものに気がついた。
『モブ化』のスキルを選ばなければ死ぬ。
夢だったかもしれない。だが、確かにシャンテはそう言われた。
シャンテは、スキルを選択した。ならば、死なない方法があるはずだ。
「この中に、誰か死刑囚がいるの?」
一か八か、シャンテは男たちに尋ねた。
「何を今更。はて……お前は、誰だ?」
「私は何者でもないわ。あなたたちと一緒よ」
「ああ。そうかもしれない」
「死刑になるような、大それた人間じゃないわ」
「……そうだな」
牢の中で、シャンテを公爵令嬢だと指摘した男も、ぼんやりと同意した。
「今日、処刑されるはずなのは、悪いことをした令嬢でしょう? 私たちじゃないわ」
「そうだ。俺たちじゃない」
「なら、解散しましょう」
「……そうだな」
隊長の言葉に、一同が散っていく。
令嬢の処刑は街中に告知され、大勢が見物に集まっていた。
だが、シャンテは民衆の中に紛れ、処刑される本人だとはバレないまま、その場を後にした。