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狂気の脳筋善意お嬢様  作者: 新真あらま
第一章 狂気の脳筋善意お嬢様、襲来
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第一話 完璧お嬢様、降臨

「わたくし、本日よりこちらのクラスでお世話になります、綾羅錦繍院瑠璃華あやにしきぬいん るりかと申します」


 なんて……難しい名前なんだ……僕、佐藤誠は彼女の名前を覚えることを放棄した。


 桜の花びらが舞い散る四月。新しい学年、新しいクラスとなって数週間が経った県立陽乃ひの高校二年C組に、突然やってきた転校生。


 その艶やかな黒髪は陽光を反射してきらめき、大きな瞳は澄み切った湖面のように穏やか。そして、真っ白なブラウスに、しわひとつない制服のスカート。その立ち姿は、まるで繊細に描かれた一枚の絵画のように完璧で、優雅な気品に満ちていた。


 きっと、想像を絶するほど格式高い家のお嬢様なのだろう。あや……なんとかさん。


「わたくし、人と話すのが大好きですので、どうぞ気軽に声をかけてくださいね。みなさまと早く仲良くなりたいと願っております」


 鈴を転がすような、心地よい声だ。教壇の横に立つ彼女は、クラス全体を優しい眼差しで見渡し、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。その自然で温かな笑顔に、教室のあちこちから感嘆のため息が漏れる。


「そして、みなさまのお悩みを解決することはわたくしの責務。今日この日を、『二年C組悩み事撲滅記念日』として制定いたします。わたくし、綾羅錦繍院瑠璃華あやにしきぬいん るりか、この命にかけて、みなさまの、全ての悩みを解決して差し上げる覚悟でございますわ」


 うん? なんかものすごいことを言ってないか?


 しかし、彼女の怪しい言葉は何のその、すでに教室のあらゆる人間は彼女の虜。男子生徒たちは明らかに色めき立ち、女子生徒たちも、その完璧な美貌と気さくな態度に、憧れと親近感の入り混じった視線を送っている。


 ……そうか。きっと彼女は、人に尽くしたいという慈愛の心に満ちた、とても真面目な人なんだな。転校初日で緊張して、すこし大げさなことを言ってしまったのだろう。


——そして追撃。——


 彼女は悪戯っぽく片目を瞑ってみせた!


 教室中に歓喜の悲鳴が上がる。そんな中、僕は、他の人とは違う理由で彼女の虜になっていた。だって……


「わたくし」「ですわ」「くださいまし」。ものすごくお嬢様ではないか! 僕の興奮は最高潮。僕はお嬢様キャラが好きだ。三度の飯よりお嬢様。それくらいだ。それが今、目の前にいる。僕の胸の高鳴りはエベレスト。これは、オーソドックスな万能型お嬢様かな?


「と、ということで、今日から一緒に過ごす綾にしきら……綾ィィクゥィァ院! 瑠璃華さんだ! 席は……ああ、佐藤の隣が空いているな。そこに座ってくれ」


 彼女の名前を勢いでごまかした担任の増田先生に促され、彼女はこちらへ向かって歩いてくる。僕の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。隣の席……!? 彼女が通路を横切ると、ふわりと甘い花の香りが漂う気がした。周囲の生徒たちに自然な笑顔を振りまきながら、彼女は僕の隣の席に静かに腰を下ろした。


「佐藤様……いえ、佐藤さん、でよろしいかしら? どうぞ、これからよろしくお願いいたしますね。……わたくしのことは『瑠璃華』で結構ですよ」


「よろしいかしら」だって! 生のお嬢様言葉に僕の興奮は収まらない。だが、こんなに綺麗なお嬢様に話しかけられて、僕が気の利いた返事を返せるはずがない。彼女ににっこりと微笑みかけられ、僕は顔が熱くなるのを感じながら、かろうじて「う、うん……よろしく……」と答えるのが精一杯だった。



 それからの彼女はすごかった。小学生のような感想だが、実際にすごかったとしか言いようがない。彼女は完璧にお嬢様であり、かつ、善意と行動力で溢れた、予想をはるかに超えてパワフルな人間だった。いうなれば善意の噴水。彼女は恐るべき勢いでクラスをその善意の渦に巻き込んでいった。


 始まりは、その日の帰りのホームルーム。増田先生が掃除の当番を伝え、あとは挨拶だけ……そんな時、彼女はすっと手を挙げた。なめらかに、しかしまっすぐに、まるで草原に咲いた一輪の花。クラス中の視線を集めた彼女は優しくなでるように教室を見渡す。


「本日のお掃除、わたくしに引き受けさせてくださいまし。お部屋の汚れは心の汚れ。お掃除は健やかで正しい学校生活を送る第一歩ですの。みなさまの学校生活、わたくしが清らかなものにして差し上げますわ」


 彼女の圧倒的なオーラを前に、その提案を断るものはいなかった。


 放課後、彼女は床、壁はもちろん、すべての机と椅子、ロッカー、さらには天井を洗い、磨き……なんか壁紙も張り替え始める。


 もはや掃除の域を超えている気がするが、彼女のそのあまりにも堂々とした振る舞いに誰もが彼女流の掃除であると錯覚する。


 むしろ、真面目に、上品に、そして一生懸命に掃除する彼女の姿は、クラスの空気を変えていった。一人、また一人と彼女の掃除を手伝い始め、ついにはクラスメイト全員で掃除をし始めたのだ。


 次の日には、教室は新築……いや、宮殿。もはや大理石でできた宮殿になっていた。比喩ではない。壁は大理石調のデザインになっていて、天井にはシャンデリアのようなものがぶら下がっている。


「あれ? 教室ここだよな……あ、違うか、すみません。……あれ? ここだよな……? いや違うか、すみません……ここか……? あ、すみません……ここだな? あ、すみません、でもここだろ? すみませ……?」


 増田先生はこの教室が二年C組だと認識できず、教室に入ったり出たりしている。クラスメイト達は心さえも洗われ、出たり入ったりする増田先生を微笑みながら眺めているのだった。この後、増田先生は教頭と校長に怒られたようで、次の日には壁紙と照明が元に戻されていた。


 これは始まりに過ぎない。それから彼女は——


 暴力的で問題児だった男子生徒を何らかの方法で大人しくさせ(拳で語らったという噂だ)


 家の事情でお弁当を持ってこられない女子生徒のために教室で炊き出しを行い(大量の道具を引きずって登校していた目撃情報付きだ。しかし増田先生が教頭と校長に怒られて一日で終わった)


 教室にゴキブリが出たことをきっかけに全校のゴキブリ駆除を行った(一教室ずつしらみつぶしに確認していき足で踏みつぶしたらしい。増田先生が教頭と校長に怒られた)。


 これはすべて彼女が来てから一ヶ月の間に起きた出来事だ。


 彼女はクラスのあらゆる困りごとを、分け隔てなく、そしてくまなく拾い上げてブルドーザーのように、しかし嫌な顔一つせず優雅に片づけていく。無償の善意とでも言うべきその行動に、彼女はクラスの中で、尊敬され、畏敬され、とにかく気軽に呼べるような人ではない高みのお嬢様となっていた。


 クラスメイトは彼女を「お嬢様」「女神様」と呼ぶ。本人が希望する「瑠璃華」で呼ぶ人は一人もいない。当然だ。畏れ多くて呼べるわけがない。僕はどれも恥ずかしく、とてもではないがそのような呼び方はできないので、先生に倣い、暫定的に「綾イアァウァァ院様」を採用している。


 綾羅錦繍院瑠璃華あやにしきぬいん るりか。彼女の登場は、僕の、そしてこの二年C組の灰色だった日常に、鮮やかな色彩をもたらしたかのように思えた。この時の僕は、彼女の完璧な笑顔の裏に、狂気直結の、想像を絶するほどの脳筋が隠されていることなど、知る由もなかった。ただ、憧れの完璧お嬢様転校生が隣の席に来たという事実だけで、僕の心は浮かれていたのだ。

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