すき焼き殺人事件
寒さも和らぎ、ようやく暖かくなってきた。桜が咲き、そう思った矢先に訪れた寒の戻りに身震いをしながら、待ちに待った暖かさだった。
「あー、セールだったから買ってはみたものの、チャンスかと思った不意の寒さももう終わり。さらば冬物コート。あのデザインが次のシーズンでも通用することを祈る」
がっくりと肩を落とす紅一点、トモの姿を見る男二人、カルとクラは、俺たちは気が楽だよなと揃って笑った。冬になればダウンジャケット。それ一本だと決めているからだ。
別に、金に困って買うのを控えている訳ではない。バイトをせずとも充分な小遣いは養親から貰っているために、ある程度は自由に買うことは出来る。数千円の服と数千円のゲームソフトとを天秤にかけた時、その傾き加減は逆らいようがないものだった。
それでももう少し余裕ができれば、服に使うことも吝かではないと二人も思っていた。それに加え大学生と言う立場もあるので、バイトに手を出してみたいという思いもあった。しかし子煩悩なそれぞれの養父は、昨今の情勢を真摯に受け止め、不安がってそれをけして許さなかった。そのため、その天秤は当分の間、傾きを変えることはない。
金はある、でも服にはあまり金をかけない。その一点においては、この三つ子において生まれた大きな差である。
「というかさ、二人ももう少しお洒落な感じを意識してもよくない? 一緒にいるこっちの身にもなって欲しいの」
「いやいや、俺たちがお洒落をしてイケメンになってしまったら、お前に寄ってくる素敵な男性が尻込みしてしまうだろう? ハードルを下げてやってんの」
調子良く言うカルの足を、グッと踏み込んだ踵で踏みつけた。思わず、それなのに彼氏ができないんですけど! と怒鳴ってしまいたかったが、人が少ない時間帯とは言え、三人は今、スーパーマーケットにいる。あまり騒いで店員から厳しい目を向けられるのは嫌だと思うトモだった。
それを察し、口を結んで耐えたカルの背中を、クラがポンポンと叩いてやる。自分に被害が及ばないよう、寸前のところで逃げ出したくせに。しかし、その成果はあると言わんばかりに、その手には特売の文字が目立つパックが携えられていた。
「トモ、やっすい肉見つけた」
「おー、良いね。……これ牛肉じゃん。牛肉の中でも安いってちゃんと言ってよ。はぁ、豚の方が色々と使えるんだけどなぁ。私、キムチが良いんだけど。豚とキムチは最強タッグなんだよ?」
機嫌を損ねてしまったお姫様は、そのチョイスが気に入らなかったらしい。何故、三人がスーパーで買い物をしているのか。それは暖かくなってきた季節に関係をしている。
最初、花見でもしようかという話になった。トモの実家のすぐ近くに桜が植わっており、居間の大きなガラス窓から綺麗に見えたのだ。家の中で行えるのだから、弁当にする必要はない。いっそ焼き肉でもやってみようか、という男二人の要望が叶えられそうになったものの、お姫様の一言により方向性はガラリと変わった。
――鍋用の土鍋、もう使わないだろうから仕舞っておこうかなぁ。
そうだ、今シーズン最後の鍋をしよう。そうしてスーパーマーケットへと買い出しに出かけたのである。
「トモって結構、辛いの好きだよな」
「そう言うカルだって好きじゃん。坦々鍋に一味とかラー油足したりしてる」
「そんな二人なんだから、俺まで好きになるんだよ」
三人揃って味覚が似通っているから、トモの狙い通りキムチ鍋にするのは共通の認識であった。しかし、クラは安い牛肉を見つけてしまった。焼き肉が食べたかった思いの残り火が、牛肉に手を伸ばさせてしまったのだ。
出来ることなら牛肉が食べたい。ならば、何とかして、お姫様の機嫌を取らなければならない。クラはそう決意した。
「でも、折角の桜の季節に、辛いものはどうなんだろう。もっとこう、甘い感じというか、めでたい感じのものはどうかな」
「例えば?」
トモの問い掛けに、間を置かずに「すき焼き」と答えた。この際、焼きという字が入っていれば満足なのである。土鍋である必要があるかどうかは、考えないようにした。
「すき焼きかぁ。カルはどう?」
「いいと思う。……殺人事件も考えやすいからな」
何を唐突に、との表情を浮かべながら、三人はすき焼きの材料を揃えていく。すき焼きなら、焼き豆腐かな。そう呟きながら先を行くトモ二隠れて、二人は頷きあった。怒りの矛先を逸らすのに、都合のいい話題だと。
カルがいう殺人事件とは、勿論現実の話ではない。もしもこの料理に使われている具材たちが殺人事件を繰り広げるのなら、一体どの様な事件になるのか。それを想像する遊びのようなものだ。今は亡き彼らの父親が、刑事として柔軟な思考を持てるようにと始めた遊びであった。
「すき焼き殺人事件。すき焼きの具材を登場人物にしたら、一体どんな事件となるのか。俺が考えやすいと言った意味、二人には解るか?」
「んー、と。シンプルに考えるのなら、卵につけて食べる、といった点かな?」トモは直感で答える。
「あ、卵が誰かを溺死させるような感じか」
クラのアシストに、トモはうんうんと頷く。しかし彼が想像していたものは、それとは大きく違うようだった。
「確かにそういった想像もできるだろうが、それだと卵と具材の関係性が薄くないか? どちらかというと、卵は具材すべてに関わっているけれど、同じ空間に常に居るわけではない。例えるなら、舞台的には学校。卵は教師と言ったところか」
「誰かが誰かを殺める理由にはなるだろうけど、卵自身はその事件には関わってこない。カルはそう言いたいの?」
トモの問い掛けに頷いた。
「すき焼きの具材で事件が起きるのなら、その要因は絶対に鍋の中にあるはずだ。そこで重要となってくるのが、それぞれの関係性にある。ここでカゴの中を見てみよう」
一通り揃った鍋の具材に、指が向けられる。
「牛肉に、白菜。シイタケ、白ネギ、シメジ、人参にしらたき。そして焼き豆腐。俺たちが選んだ具材はこれらなのだけど、既に怪しい組み合わせがあるな。トモ、解るか?」
「んー、シイタケとシメジのキノコ被りが気になる」
「え、どっちか一つでいいタイプ?」
「ううん。どっちかというと、エノキあたりを入れて三種類に増やしたい」
トモにとって、三という数字は特別だった。
改めて具材を一つ追加して、もう一度同じ質問をクラにする。カゴに入ったそれらを指で指しつつ確認していくと、ある俗説が頭を過った。
「そういえば、しらたきを肉の側にいれると肉が硬くなるっていうよな。……まさか、そういうことか!」
「そうだ。肉が硬くなる。それって、死後硬直と捉えることも出来るんじゃないか。つまり、この事件において被害者は牛肉であり、犯人はしらたきだ!」
買い忘れていた卵を取りに行きつつ、カルは渾身の決め台詞を言ってのけた。
「で、でも動機はなんなの? 肉が硬くなるのは俗説なんでしょ? 事実とは異なるんでしょ」
「そうさトモ。でもな、一度聞いてしまった話は、頭に残るもんだ。こんなに愛しているのに、離ればなれにならなければならない。そんな思いがいつしか、どうしてこんな噂が流れたのかに繋がってしまった。そして、こう思ってしまったんだ。この噂は、誰が流したんだろう」
真実でないことを真実のように語れるのは、やはりその噂に関わっているものでしかあり得ないのではないか。そんな疑心暗鬼の中、しらたきは牛肉を問い詰める。そんなことはない、そういう牛肉の必死の訴えも聞き入れず、しらたきは感情に突き動かれるまま、その身で牛肉を絞め殺してしまうのだ。
「悲しい、愛のすれ違いってやつだ」
「しらたきで縛られた牛肉かぁ。なんか新しい料理にでもなりそうだよね」
「え、そういう反応なの?」
狙った反応を貰えず、がっくりと肩を落とすカルを見て、トモは意趣返しが出来たと笑う。
みんなで一緒に鍋を食べるように、みんなで同じ話を同じように共感できるように。みんなで一緒にお洒落を楽しみたい。それがトモの願いだった。
「さぁ、気を引き締めていこうか。すき焼きはそんなに甘くないよ!」
そう宣言をするトモに従って、三人はレジへと商品を通していく。彼らはまだ気が付いていなかった。――締めのうどんを、買っていないことに。