1- 都市高速線吸血鬼事件
都市高速線の特急電車は、何一つ不調のない、順調そのものの運行をしていた。少し暗めの自動放送を鳴り響かせながら、十個の駅を通過していこうと駅を発った。しかし、そんな列車に反するように、桃色の髪をなびかせる女子高生がひとり、座席の端で息を切らして座っていた。時刻は午後四時を回ったところ。夕方のラッシュアワー直前かつ、朝の方が混みやすい上り線の車内は、数個の空席を作る程度の混雑に収まっていた。
「──ノノカ? どうしたの?」
少女の友人は彼女のことを心配した。列車は最高速度へとゆっくりと近づいてゆく。
「なんか変だよ……? 体調悪そうだし……。ほら、肩貸してあげるから、頭乗せな」
「う、うん……そうしようか──」
◇ ◇ ◇
「──な」
そう言って友人の肩によりかかろうとした少女は、自らの体がするりと抜け、ロングシートに叩きつけられるのを実感した。先程まで隣にいたはずの友人が消え、空気に寄りかかろうとした感覚が身体中を駆け巡る。しかし、不思議と体調は回復しているように感じられる。
それと同時に、目の前に広がる地獄絵図。その様子にパニックになっているのか、それとも誰も列車を止める方法を知らないのか、列車はそのまま次の停車駅へと侵入していく。
友人が、血を流して倒れている……? いや、流しているどころの騒ぎではない。完全に失血し、息をしていない。友人だけではない。周囲にいた人々……合計五名が、同じような状態で散らばっている。巻き込まれていない人々は列車の端へと逃げ、目を背けている者や、悲鳴を上げるものでごった返している。
扉が開いた。また悲鳴が上がった。ここでようやく、ホームにいた客が非常停止ボタンを押した。
少女は口から垂れる液体を拭った。唾液ではなかった。それは紛れもなく赤く、鉄のような香りを漂わせていた。正真正銘、血。少女は次に、吐血を疑った。体調は悪かったし、吐血したっておかしくは無い。しかし、喉や胃に痛みはない。
そこに転がったものに目をやった。それぞれに、複数箇所に及ぶ傷……それも噛まれたような跡があった。
少女はその様子を直視できず、不可抗力で胃の内容物を嘔吐いた。少女が吐いたものは、紛れもなく血であった。ただでさえ汚れた制服が、更に汚れる。少女は、入ってきた警察を直視し、涙を流しながら目を見開いた。
◇ ◇ ◇
その事実は、大々的に全国報道された。
『都市高速線の特急列車内で、十六歳の女子二人を含む五名が殺害された──被害者全員には何者かが噛んだような跡が複数残されており、そばに居た十六歳の女子高校生が容疑者として上がっている』
と。
少女が犯人だとほぼ確定したのは、報道からすぐ、僅か二時間後のことであった。列車内に設置された防犯カメラには、桃髪の少女が被害者を噛み殺していく姿が映されていた。不可解なのは、少女の様子であった。それまでは調子の悪そうな様子だった少女が、突如として暴走し、人を殺害していくのだった。
もちろん、静止を試みた者もいた。いかにも営業マン的な姿をした会社員だったが、少女は逆にその会社員に飛びかかり、血を貪るかのように殺害した。通常、大人の男が華奢な女子高生に力で負けるなど考えにくいが、犯人はいとも容易く力を振るっていた。
この時点で浮上したのは、「犯人が血を吸っている」という可能性。そして、状況証拠から、犯人の少女は確実に「血を大量に摂取していた」と、決定づけられた。
この事件は「都市高速線吸血鬼事件」と、巷では呼ばれるようになった。吸血鬼という信じ難い存在、飛び交う陰謀論。世論は、はっきり言ってぐちゃぐちゃだった。
◇ ◇ ◇
「高巻ノノカ、入りなさい」
少女は、刑事のその言葉を聞き、とぼとぼと取調室に入った。手錠を外され、パイプ椅子に座る。
「なぜ、あの五人を殺した? それも、噛み殺すなど、ありえないだろう」
刑事の質問に、ノノカは言葉を詰まらせる。ノノカはここまで警察に抵抗してこなかった。その事が考慮され、口枷を付けるなどの非人道的な行いはされていなかった。
「わかりません……」
「分からないということはないだろう。現に、君は人を殺めている。それはそうだろう?」
「──はい」
「ならわかるだろう?衝動的に、だとか、もともと恨みがあって、だとか、そういうことだけでも」
ノノカは、刑事の言葉で何かに気付いたような素振りを見せた。
「衝動的……そうですね。衝動的、といえば、そうかも……しれません」
調書を作り上げるカリカリという記入音が静かな空間に響いている。ノノカは、この状況がたまらなく嫌であった。いくら無意識下の犯行であっても、罪の意識はとてつもなくあるし、言い渡された結論に反抗するつもりなどなかったのだ。
「衝動的ねぇ……」
刑事は黙り込んだ。
「ま、分かったよ。高巻さん、とりあえず今後の処遇は通知するから、一旦部屋に戻りな」
ノノカはそう言われ、手錠をかけられてから部屋に戻されることになった。今後行くのは少年院だろうか? ノノカは色々な可能性を考えた。
ノノカは二人の大人に連られながら、ため息を我慢して部屋に向かった。建物間の移動で見える空は、異様なまでに晴れていた。ノノカはそんな様子に違和感を覚えながら、ゆっくりと進んでいた。
──その時だった。
警報が鳴り響く。何事かと思ってからは早かった。ノノカは手錠をグイッと引っ張られるような感覚に襲われ、急に体がふわりと浮いた。しかし、ノノカとしては「ふわり」などという擬音で表現するには苦痛すぎる痛みが両手首に広がり、どんどんと宙へ浮いていく。
「なに……これっ!?」
ノノカが声を上げると、手錠を引っ張った犯人が声を出した。
「君が『少女A』だね。いやぁ、助かったよ。まさか外に出る瞬間があるなんて、ね」
「あなた、誰……!?」
「あーはいはい。オレは『ラク』っていうの。一応苗字も付けてるけど……めんどいから今はいいや」
ラクはおどけながらそう言った。しかしノノカの疑問はそこにはなかった。
「い、いや、なんで飛んでるのっ!?」
「あれ?吸血鬼なのに知らないの?吸血鬼ってのは飛べるの。わかるね?」
「こんな……脱獄みたいなことさせてるのはっ……!?」
「んー、まあ簡単に言えば、吸血鬼の情報を公的な機関に知られたくないから、かなぁ。先の事件、明らかに吸血衝動の結果だしぃ?飛べるって情報だけが伝わるのと、生態まで全部筒抜けになるのじゃ大違いだし」
ラクとノノカは空中でどんどんと加速していく。ノノカは恐ろしさに涙を流す。
「こんなことしたら大事になるよ!」
「大事にしたがってるんだと思うよ?吸血鬼を『実在する人間の上位存在』かつ『生態が明らかになっていない存在』だと、認識させたいと思ってるんだろうからね。オレの上司は」
ラクは少し間を置いてから、再び言葉を紡ぐ。
「キミは不都合、かつ好都合。吸血鬼がいつでも血を吸える世界を作るためには、ね」