エピソード3 逃亡劇
エピソード3 逃亡劇
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「ロック、聞こえるか!まずい、サツだ!!」
〈ああ、すげぇ数のサイレンが鳴ってやがる!急げ!〉
アッシュ・ストリートを二人の男女が走ってゆく。黒いスーツに身を纏った暗殺者と、洒落た衣服を着こなす女子大学生。彼らは今、まさにアルガス州警察の追跡から逃げている最中であった。
USBの取引が行われた場所は、ただでさえ狭いアッシュ・ストリートのさらに奥深くの路地裏。ロックの運転する車が進入できるスペースなどなく、彼は大通りで待機する事しかできなかった。
「ねえ、あなた名前は!?」
慌ただしく周囲を警戒しながら走るレヴィンに、サーヤが割り込んでいく。レヴィンは彼女に目線を合わせる余裕もなく、咄嗟に答える。
「うるせぇ、レヴィン・ブライトだ!」
サーヤの額からは汗が流れ、顔に垂れてゆく。胸元にも汗が湧いており、彼女の体温の高さを伝える。11月の寒さを厭わず、彼女が感じる緊張感と命の危険がそうさせていた。
「左に曲がるぞ!」
レヴィンはサーヤに一言伝え、曲がり角を左に進む。しかしその先からは警官が三人こちらに向かっていた。
「来たな!もう諦めろ!」
警官はトリガーに指をかけてこちらに照準を合わせている。レヴィンは長年培った経験とセンスで、彼らが間も無く発砲する事を察知した。すぐに羽織っている黒のジャケットを勢いよく脱いでサーヤに投げ、漆黒のカーテンを作り出した。
レヴィンはすぐさま先頭の警官との距離を急速に詰める。警官は銃を発砲するが、銃口から弾の軌道を読んだレヴィンは華麗にかわしながら潜り込んでゆく。黒いジャケットで姿が隠れたサーヤにも弾は当たらなかった。
警官の腕を掴み、手刀を当てて銃を弾き飛ばす。高速回転しながらそれは飛び、重たい金属の音と共に地面に落ちた。そのまま彼を投げ飛ばし、豪快に後ろの警官に激突させた。これで残るは一人。レヴィンに距離を詰められた彼らは、銃を収めて警棒を握っていた。レヴィンはその警棒を掴み、警官の背中に回り込む。そのまま警棒ごと彼を背負い投げで叩きつけた。サーヤは自身を覆っていたジャケットから顔を出すと、コンクリート地面の上に気絶した三人の州警察と、彼らが落とした銃に警棒が転がっていた。
「す、すごい……」
「モタモタするな!行くぞ!」
レヴィンはジャケットを掴み取り、サーヤの腕を再び掴んで走り出す。こうしている間にも、彼らの後方から多数の足音と掛け声が近づいている事がわかった。彼らは追われる獲物として、このアッシュ・ストリートを抜けてゆく。
「ね、ねぇレヴィン!この場所で通報する人間なんていないんじゃなかったの!どうしてこんなに警察がいるのよ!」
「ああそうさ、そのはずだったんだよ!こんなの想定外だ!しかもあいつら、俺のことを……」
「え、なに!?」
「うるせえ、黙って走れ!」
質問攻めで突っかかっていくサーヤとそれに困らされるレヴィン。しかし彼らの会話のテンポはどうも悪くも無いように聞こえた。
レヴィンとサーヤはついに裏路地の終着点まで辿り着き、大通りに出た。
「ロック、大通りに出るぞ!!」
〈見えたぞ兄さん、右だ!〉
右から眩い光を放つ車が、轟音と共に高速で接近する。ロックの運転する、黒のマッスルカー、"パイソン モデルS"だった。パイソンは直後に大きなスキール音と共に、後方から白煙を巻き上げる。ロックが急ブレーキをかけたのだ。申し分のない性能のパイソンは、時速100キロメートルを超える速度から、彼らの前に寸分の超過もなく停止した。生み出した白煙が、漆黒のパイソンを包み込む。
レヴィンを連れたサーヤの姿を初めて見るロック。やはり小柄な彼女は、ロックにとっても実年齢よりも幼く見えた。レヴィンは彼女の後ろに立ち、自身を壁にして覆い被さるようにパイソンの後部座席のドアを開ける。
「さあ、早く乗れ!」
慌ててもたついてしまうサーヤの背中を押し、車の中へ押し込む。その瞬間、ロックの目に路地裏の角から現れた警官の姿が数名見えた。咄嗟にロックは助手席に置いてあったハンドガンを構えて、車内から高速で三発発砲した。
「待て、殺すな!」
それに気づいたレヴィンがロックに叫ぶが、ロックの撃った弾が着弾したのは、彼ら州警察ではなく、彼らの目の前の壁を通っている金属の管だった。銃弾を受けて穴の空いた管から、高熱の蒸気が甲高い音と共に勢いよく噴出する。その蒸気は彼ら州警察とレヴィンらとの間を塞ぐ壁となった。ロックが警官を殺す為ではなく、彼らを妨害する為に金属管を撃ったことにレヴィンも気がついた。それ確認してサーヤの隣に乗り込む。
「よし、出せ!」
ロックはパイソンのクラッチペダルを勢いよく踏むと同時に素早くシフトレバーを1速に動かす。猛獣の咆哮の如き轟音が響き渡ると共に、彼らを乗せたパイソンはまたしても白煙を上げて進みはじめる。高い馬力とトルクを誇るパイソンの加速に、レヴィンとサーヤは座席に引っ張られたような気持ちになる。警官達から距離を取ることに成功したことを確認したサーヤは、運転席に座るロックに話しかける。
「あ、あなたは?レヴィンの知り合い?」
「……弟だ。弟のロック・ブライト。兄さんの仕事の邪魔しやがったな」
ロックはルームミラー越しに、鋭い目つきでサーヤを睨みつける。仕事現場を荒らし、最も避けたかった警察との接触を引き起こした彼女に怒りを憶えているのだ。
「ご…ごめんなさい…」
「許してやれレヴィン。こいつは陵辱を受ける所だった」
レヴィンは厳しめな顔をロックに向ける。
「………悪かったよ。…で?お前、どこに送り届けりゃいいんだ?」
ロックは軽くこちらを振り向きながらサーヤに聞く。そこにレヴィンが割って入った。
「それについてだが、彼女は警官にしっかりと顔を見られた。きっと奴らにマークされたはずだ」
「…だから?」
「計画を変更する。俺たちのところで匿おう。」
「なに!?」
二人の慌ただしいやり取りについていく事ができないサーヤ。彼女の話をしているにも関わらず、ただ彼らを交互に見ることしかできなかった。
「いいかロック、奴らの一人が俺たちを見つけた時、奴はとんでもねぇ事を抜かした。俺たちを見て、“0ブレット“と言った。」
「なんだと、一体どういう事だ。0ブレットがUSBを狙ってる事がバレてんのか?だから俺たちは囮に使われた?」
「囮の線はねぇだろうな。そもそも0ブレットは今奴らにマークされてる。アーロンも瀕死の重症を負ったらしいしな。ここで新たに俺たちと争う気は無いだろう」
「なるほどな」
「同時に、俺もサーヤも0ブレットとして奴らは認識していた。彼女をこのまま家に帰して大学に通わせるとまずい。アーロンのように、どんな仕打ちを受けるか分からん」
「え、私、殺されちゃうの?」
サーヤはレヴィンの硬い二の腕に大袈裟に抱きつき、その身体を押し当てた。レヴィンには彼女の震えが感じ取れた。
「そうさせない為に匿うって言ってんだ。話を聞け。」
大きな胸まで押し当ててくるサーヤに困り果て、吐き捨てるようにそう言ってサーヤの腕を振り払った。サーヤは少し悔しげな表情を見せた。
その直後のことだった。彼らの後方から眩い光が差し込んできた。レヴィンとサーヤの影が、前方の座席の背面に出来上がる。続いて、後部の窓ガラスから前方のガラスに向けて、何かが風切り音と共に貫いた。さらに二度、三度とそれが繰り返される。異変に気がついたレヴィンはサーヤに再び覆い被さり、顔を出して後方を見る。州警察のパトカーが二台、彼らを追跡していた。レヴィンはホルスターからM25ハンドガンを抜き、ロックに叫ぶ。
「ロック、追手だ!!」
「クソ、もう結構離れてんのに何故分かった!?兄さん飛ばすぞ!!」
ロックは高速でシフトレバーを捌き、アクセルを踏み込んだ。高い加速性能により、パイソンの前方タイヤはスキール音を当てて回転速度を上げる。凄まじい勢いで加速していくパイソンに、レヴィンの体制が一瞬崩れる。それをサーヤは下から支えて起こす。彼女は何かを懇願するかのような目でレヴィンを見つめていた。彼に託したのだ。
レヴィンはM25に装着されていたサプレッサーを外し、再び後部座席から両手で構えた。車内というごく狭い空間では、いくらハンドガンとはいえサプレッサーを含めるとかなりの大きさになるからだ。
「兄さん!奴らの車両は装甲が硬い上に窓も防弾仕様だ!ハンドガンじゃきついぞ!」
「大丈夫だ分かってる!」
高速走行に集中しながら必死に語りかけるロックに、レヴィンは照準を合わせたまま返答した。そして、そのM25の引き金を引き、爆音と閃光を発する。弾丸が命中したのは、パトカーの前タイヤだった。薬莢が、煙を纏いながら後部座席を舞う。同時にパトカーのタイヤは衝撃波と轟音と共に破裂し、パトカーの車体が大きく傾いた。グリップを失い、そのまま大量の火花を散らしながら旋回し、隣のパトカーに激突。二台はその場で激しく損傷して停止した。
だがまだ安心していられない。今度はロックの前方から一台こちらに向かってきていた。眩いヘッドライトの光が正面から照らされる。だが、このパトカーの動きはロックには容易に予測できた。このまま車体を横向きに停車させ、衝突させて止めるつもりなのだと。そこでロックはハンドルを左に切り、左方にずれる。それに合わせるようにパトカーも同じ位置に移動し始めたが、しかしこれはロックによるフェイントだった。
「揺れるぞ掴まってろ!」
ロックは掛け声と共にサイドブレーキを強く引き、ハンドルを素早く回転させ、華麗に車を滑らせる。パトカーは予想通り車体を横向きにして壁を作り出したが、ロックは正確なハンドル捌きで、パトカーをドリフトで回避して抜けてゆく。続いて後部座席からはレヴィンがM25の弾丸を次々と放ち、タイヤに見事な狙いで命中させて完全にパトカーの動きを封じた。このブライト兄弟だからこそ成せるコンビネーション技であった。
先ほどのパトカーはほぼ見えなくなり、そのまま突き当たりの交差点で右折して進む弾痕だらけのパイソン。サイレンの音は遠くなり、追っ手の姿もなかった。どうやらこのカーチェイスの勝者はブライト・ブラザーズで決まりのようだった。
「どうにか逃げ切れたみてぇだ」
以前として右手にM25を構えるレヴィンが、周囲を見回しながらそう言った。車はアッシュ・ストリートをとっくに抜け出し、彼らのレストラン・バンチのある方角へと進んでゆく。
「よし、姉さん聞こえるか」
ロックが左手を左耳のイヤホンに当てる。レヴィンが装着していたものと同型であった。
「兄さんを回収した。USBも共に。………ただ、厄介ごとが起きた」
〈ええ、それについて話があるわ。まずは帰って来なさい。〉
「………了解」
「…大丈夫だロック。姉さんにはしっかり説明する」
レヴィンがすぐにフォローするが、それでもロックは苦い表情をした。無線の向こうのローズの声は、まさしくこれから怒りを表す者のそれであった。彼らのやり取りを心配げに見るサーヤ。彼女はこれから何が起こるか、何となく察していた。彼らの乗る黒のパイソンは、暗闇のジューク・タウンをただ颯爽と走り抜けていった。