この命知らずの令嬢は……
結局。
兄は私から手をはなさず、しっかり握ったまま、宮殿に到着した。
緊張はなくなるわけはなく、ドキドキ状態をキープ。
さらに。
私をエスコートして兄が宮殿の中を歩き出すと、沢山の視線が向けられる。勿論、それは兄に対して。兄は現在20歳の公爵家の嫡男なのに。まだ婚約者がいない! それは……ヒロインに攻略される可能性があるためだ。でもそんなこと、モブである貴族の令嬢は知らない。よって大変熱~い視線が、兄に注がれている。
でも視線を注ぐだけで、声をかけないのは……間違いない。私がいるから。私というよりダイアンね。ダイアンをエスコートしている兄に声をかける命知らずの令嬢はいない。何せダイアンは公爵家の長女であり、王太子の婚約者。未来の王妃なのだから。
そしてダイアンに双子がいるなんて皆、知らないから、私のことをダイアンだと思っている。
「ジョシュ様、ダイアン様、こんばんは」
話しかけてきた令嬢がいる! この命知らずの令嬢は……。
ストレートの金髪。碧い瞳。雪のような肌に、鮮やかなカナリーイエローのフリルたっぷりのドレス。
間違いない。
ヒロインのロザリー・メアリー・バール!
「こんばんは、ロザリー嬢。今日も素敵なドレスですね」
「ありがとうございます、ジョシュ様」
ロザリーの頬がポッと赤くなる。
えっ、もしや兄を攻略対象に選んでいます!?
思わずロザリーを見ると、彼女はビクッと体を震わせ「ダイアン様、し、失礼しました」とお辞儀をして去って行く。
「うん。ダイアナと一緒だと平和だ」
「!? お兄様、どういうことですか?」
「いや、ダイアンをエスコートすることも、この舞踏会シーズンではたまにあるのだが……」
兄にエスコートされているダイアンは、シャーッと牙をむき、今に飛びかかりそうな猫のような状態なのだという。そしてロザリーが近寄ると「野良猫風情が、どの面下げてここへ来ているのですか?」といきなりバッサリ斬る。だからロザリーは、挨拶の途中で泣きそうな顔のまま、撤退することになるという。
つまり最後まで挨拶ができたのは、というか兄からドレスを褒める言葉をかけてもらうことができたのは、これが初めてなのだという。
「ど、どうしてお兄様は、ダイアンお姉様に『そんなことは止めろ』と言わないのですか!?」
「言っているが、聞かないんだよ」
うっ……、そ、そうですよね。
ダイアンは……せっかく美人なのに。その勝気なところが……。
「では走り去るヒロイン……ではなくロザリー嬢を追わないのです!?」
「そうだな。今日はダイアンではないから……。いつものダイアンなら、僕が逃げるように立ち去る令嬢を追いかけると、大変なことになる。まるでライオンのように怒り狂う。でもダイアナは、子猫のように可愛い」
そう言って兄は私の頭を優しく撫でると「ではロザリー嬢の様子を見てくるか」「お待ちください!」と私は兄を止める。
ヒロインが兄を攻略対象に選んでいるのなら。ダイアンの嫌がらせを私が抑え、二人がゴールインできるようアシストしたいと思っている。そのことをロザリーに伝えたいし、何よりあんなに怯えているのだ。ダイアンが冷たくあたった件を、まずは謝罪しておきたいと思った。
「私がロザリー嬢の様子を見てきます」
「!? まさか追いかけて意地悪するつもりではないよな? 実はダイアナのフリをしたダイアンだったりしないか?」
「安心してください。お兄様。私はダイアナですから」
私の言葉に兄は安堵し「分かったよ、ダイアナ。でも迷子にならない? 大丈夫かな?」と尋ねる。「ええ、ダイアンの記憶がありますので。それに迷ったら警備の騎士に尋ねますから」と私が答えると「しっかりしているね、ダイアナ」と、兄は再度私の頭を撫で「では、行っておいで」と送り出してくれる。
私はドレスのスカートを両手で少し持ち上げ、ほんのわずか早歩きで通路を進む。
まだここからでも、ロザリーの後ろ姿は見えている。
大丈夫。追いつけるわ。
そのまま早歩きで進んで行くと……。
「あっ」と思わず小さく声が漏れてしまう。
ダイアンの記憶によると、この廊下はこのまままっすぐに行くと、中庭に出ることができた。でも突き当りを左へ行くと、神殿につながる通路となる。まさに今、その左の通路から歩いてきたのは、神官長の息子であるノラン・ランソルだ。
ノランは17歳でまだ学生。
どこか幼さを感じるのは、華奢な体形だからだろうか。
ベージュブラウンの短髪に琥珀色の瞳、手首も足もほっそりしている。キャラメル色のテールコートを着ており、神殿から宮殿で開催される舞踏会にやってきたようだ。出会い頭でロザリーとぶつかりそうになり、驚いたようだが、二人は話し始めている。
その様子を見ると、どうやらロザリーは、このままノランと一緒に舞踏会の会場へ向かいそうだ。
てっきり兄の攻略を選んだと思ったけれど。
違うのかしら?
もしノランを選んだのなら。
今、私が話しかける行為は、二人の邪魔をすることになりかねない。
状況が分からないので、そっとしておこう。
そう思い、振り返った瞬間。
誰かにぶつかり、悲鳴を上げそうになり、それをこらえる。
ここであげた声は、ロザリーとノランに聞こえてしまうと思ったからだ。
出しそうになった声を飲み込み、美しいシアン色のテールコートを着る人物の顔を見ると……。