フランツ殿下~我慢できない~
舞台の幕が下りた瞬間。
夢のような時間が終わりを告げたと思った。
握りしめたダイアンの手を、離したくないと思ってしまう。
それどころか、彼女のことを帰したくない――とすら思っていた。
ダイアンとオペラだろうと演劇だろうと演奏会であろうと。
鑑賞した後はそれで終了だった。
ダイアンは鑑賞し終えた必ずこう言う。
「殿下、ありがとうございました。これで義務は果たせたと思うので、失礼させていただきます」
正直、この言葉にホッとしていた。社交辞令で食事の誘いを口にしなくて済むのだから。
でも今日は違う。
絶対にダイアナと食事をする。
そう決めて声をかけると、予想通りというか案の定で、ダイアナはジョシュの名を出す。そんなこと想定済みだ。返り討ちにすると……。
なんて可愛らしいのだろう、ダイアナは!
その細いウエストから、食事を求める声が聞こえてきたのだ。
普段の彼女が着ることないであろう、とても大人っぽいドレスを着ているのに。
こんな風にお腹を鳴らせ、照れる姿を見ると。
抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
今、ダイアナは、ダイアンのふりをしているのだ。抱きしめたところで抵抗は……しないはず。ダイアナは、ダイアンとわたしが仲良くすることを願っている。その仲にヒビが入るようなことは、しないと分かっていた。
……だがそこにつけ込むのは……。
それに抱きしめただけで、自分を止めることができるのかと、自問自答すると……。
手の甲への口づけだって、自制できなかったのだ。
無理だ……。
男とは……そういう生き物だ。
欲しいと思ったら体が先に動いてしまう。
我慢なんてできない。
ともかく食事に誘うことは成功した。
今はそれで自分を満足させよう。
そう思ったが。
馬車に乗り、ダイアナと二人きりになると……。
我慢が……きかない。
まるで媚薬でもあおったかのようだ。
隣にダイアナがいる。
そしてここは馬車の中。
二人きりの空間だ。
こんな状態で、心から可愛いと思ってしまったダイアナといるのに、何もしないなんて……。
耐えきれず、ダイアナの手を握ってしまう。
再び触れた彼女の手の感触に、心が震える。
わたしに手を握られ、背筋をピンと伸ばし、緊張しているダイアナも、愛おしくてたまらない。
そう、認めよう。
彼女と過ごした時間なんてほんのわずかなのに。
わたしはダイアナのことが、好きでたまらなくなっていた。
だから握りしめているだけで足りず、またもやその手の甲へ口づけをしようとした時。
レストランに到着してしまった。
でもこれはいいクールダウンになった。
お腹を空かせたダイアナが、食事をする様子を眺めると、触れたいという衝動が収まった。
純粋に料理の味を楽しむ彼女の姿は、実に微笑ましい。
何よりも。
観劇したオペラについて話すと、ダイアナの瞳が明るく輝くのだ。
食事の手を止め、わたしの言葉にじっと聞き入る。
あの美しい瞳でじっとわたしを見てくれた。
彼女に見つめられることが、こんなにも嬉しく感じることができるなんて!
しかも黙り込んでいることが多いのに、この時は自身から積極的に質問し、わたしの答えを求めてくれる。さらにダイアナ自身の感想も、とても熱心に聞かせてくれた。
これにはもう喜びで胸が満たされ、彼女に触れたいという気持ちさえ、吹き飛んでいる。
そこで気が付く。
会話をできれば、触れたいという衝動も収まるのではないかと。
そうだ。
ダイアナは文芸サロンに興味を持っていたのだ。サロンに来ないか誘おう!
わたしは策士なので。
彼女に考える時間は与えないつもりだ。
文芸サロンに来るよう誘うのは、馬車から降りる直前。
そのタイミングであれば、断る時間を与えず、「イエス」を引き出せる。
こうして再びダイアナを送るため馬車に乗り込むと。
密室という空間。
どうもこれがよくない。
しかも隣同士で座るのだ。
必然的に距離が近くなる。
そうなればどうしても……彼女の手を握りしめたくなってしまう。
こんなに手ばかり握っていると、それが目的の男と思われてしまわないか。
レストランへの移動とは違い、ダイアナの屋敷まで送るのだ。
距離がある。
ここで衝動が止まらなくなったら、大変なことになってしまう。
彼女に嫌われるようなことは、したくない。
気持ちを静めるため、手を離すことはできないが、ひとまず窓の外を見ることにした。
文芸サロンでダイアナと会話を楽しむのもいい。
だがもっと別のこともしたい……。
演劇や演奏会にも行きたいと思ってしまう。
そこで彼女がどんな感想を持つのか。
聞きたいと考えてしまう。
「……!」
視線を感じ、ダイアナの方を見ると……。
あの美しい桜色の瞳が、わたしに向けられていた。
彼女の視界に自分が映っている。
それを認識しただけで、胸の鼓動が速くなってしまう。
だが……。