もう無理だわ
公爵家の令嬢なのだから。
上品に少量をお行儀よくいただくべきなのに。
もう我慢できず結構がっついていただいてしまった気がする。
しかもダイアンの姿で。
申し訳ない……。
ただ、ドレスのデザイン上、かつ下着のせいで、そこまで食べられなかったのは……無念。
それでも食後のコーヒーとチョコレート。
最後までしっかりいただくことができた。
それでもお腹がポッコリ出ないのは、ここが乙女ゲームの世界だから? 私がドッペルゲンガーだから?
「……!」
フランツ殿下が私を見て微笑んでいる。
その顔はなんというか……。
拾ってきたお腹を空かせた子猫が、与えた餌を綺麗に平らげるのを見て、満足している……そんな風に見えた。
そうよね。
ちょっと食べ過ぎてしまったわ。
恥ずかしい。
視線を伏せようとすると、声をかけられる。
「満足しましたか?」
「……はい。とても美味しかったです」
「それは良かったです。では屋敷まで送りますよ」
当然のように支払いは殿下がしてくれる。
行きと同じく丁寧なエスコートをされ、馬車に乗り込んだ。
食事の最中、フランツ殿下は、夢中で食べる私を優しく見守っていた。それでいて合間に自身もちゃんと食事をし、さらにさっき見たオペラについて、話をしてくれたのだ。私は熱心にその話を聞き、食べ、たまに自分から質問をしたり、話したり。
その時間はとても穏やかで、平和で満ち足りていた。
隣に座ると、早速私の手を握るフランツ殿下に、また背筋は伸びてしまうが。
チラリと見る彼は、まごうことなきイケメン。
澄んだ湖のような碧い瞳。
鼻梁の通った顔立ちで、女性のような美しい唇をしている。
サラサラのプラチナブロンドはいつ見てもキラキラと輝いて見えた。
スラリと長身の美貌の王太子。
今日過ごした時間を振り返っても、手を握るとか、手の甲にキスをするとかを除けば、とても紳士的でスマートで完璧だったと思う。オペラに関する知識も豊富で、話もとても興味深い。
どうして。
どうしてダメなのだろう。
なぜダイアンはフランツ殿下に冷たいの?
好きなのに意地悪しちゃうパターン……とか?
公務が嫌だとか言っていたけど、誰と結婚したとしても。
妻として、嫁として、果たす役割は絶対にあるのだから。
「!」
窓の外を見ていたフランツ殿下がこちらを見た。
ドキッとして、さらに背筋が伸びる。
慌てて視線を窓に向けた。
すると……。
殿下の手が右頬に触れ、そのまま顔を彼の方に向けられてしまう。
あのすべてを見透かすような碧い瞳と見つめ合う形になり、もう心臓が信じられない程、バクバク言い出す。
これは兄に指摘された、気を付けないといけないパターンでは!?
せっかく事前に兄が私に教えてくれたのに。
そして私も帰りは一人で馬車に乗ろうと決めていたのに。
つい流れでフランツ殿下の馬車に乗ってしまった……!
もう耐えられない……。
視線を殿下の胸元辺りに落とす。
「ダイアン嬢」
思わずギクッとなり、視線を上げそうになり、もう無理だわと目をつむる。
すると。
頬を包んでいたフランツ殿下の手が、私の顎を持ち上げた。
驚き、殿下の顔を見てしまい、息を呑む。
殿下の瞳には……ダイアンへの好意がある……!
嫌いじゃないんだ、フランツ殿下は、ダイアンのことが。
きっと意地っ張りなだけで、素直になれば、二人は上手くいく。
もし、今、私が瞼を閉じれば……それはキスをしてもいいです、のサインになるハズだ。
ど、どうすればいいの。
ここでキスをすることで、ダイアンと殿下の距離は縮まり、二人の仲は深まる。仲がいい二人に、ロザリーは手を出しにくいはずだ。
ここは瞼を閉じよう……。
ゆっくり、ものすごくゆっくり瞼を閉じる。
瞼がピクピクして、震えている。
もう顔も腕も体全体が震えてしまう。
「!」
私の手を握る手に、フランツ殿下が力を込めた。
そう思った次の瞬間。
フワリとフリージアの甘い香りを、鼻が感じ取った。
「あっ……」
思わず声が漏れてしまう。
殿下は……ダイアンの額に口づけをしている。
額にシルキーで柔らかく、温かい感触が広がった。
なんて優しいキスなのだろう。
いきなり唇に口づけされたら、私はパニックだった。
でも額へのキスだったら……。
まだ耐えられた。
でも。
……!
それは壊れ物を扱うような丁寧なもの。
だが間違いない。
フランツ殿下が私を……ダイアンを抱きしめている……!
こんな風に、異性に抱きしめられるのは……。
心臓が大きく反応する。
同時に、思いっきり息を吸い込んでしまい……。
さっき感じたフリージアの香りが、鼻孔いっぱいに広がる。
これはフランツ殿下の香水。
素敵な香り……。
癒しと同時に、心臓がトクン、トクンと反応している。
これは……ダメなやつじゃない?
私、フランツ殿下に恋をしそうになっている。
これは絶対ダメでしょう。
彼はダイアンの婚約者なのだから。
でも……。
今はとてもいい雰囲気なのだ。
ダイアンと殿下の仲が深まる=ローズ家の平和。
ここで私から、この胸の中から逃れてはいけない……!