衝撃が走る
オペラは……とても面白いものだった……と思う。
と思う。
そんなあやふやな感想になってしまうのには、理由があった。
5番ボックス席に入った瞬間。
もう諦めだ。
どう考えてもダイアンと……もしかすると兄も含め、何か悪事を働いたとフランツ殿下には思われただろう。この事実は覆させない。もはや借りてきた猫のように、おとなしくしている心づもりだった。
せめてせっかく観劇できるこのオペラを楽しもう。
そう悟りを開いた。
それなのに。
着席するとフランツ殿下は、自身が購入したプログラムを私に見せてくれた。見せてくれた上で、いろいろと解説をしてくれる。それはとても興味深い話も多く、私は熱心に聞いてしまった。
そして上演が始まった時。
衝撃が走る。
殿下が突然、手を握ったのだ。
もう心臓が飛び出すかと思った。
声も出そうになるし、思わず手を引っ込めようとして、思いとどまることになる。
なぜなら。
分からないのだ。
ダイアンはフランツ殿下と、火花を散らす関係だと思っていた。だから手をこんな風に握るなんてことがあるの?と思ったのだ。だが絶対にありえない……とは言い切れない。
みんなの前では照れくさくて手もつながないが、実は裏ではイチャイチャしている可能性は……なきにしもあらずだ。
だからもう、無抵抗で手を握られるままにしていた。
オペラは始まっているのに。
全神経が握られている右手に集中してしまい、内容が頭に入って来ない。
それに。
すぐ手を離すのかと思ったら。
握り続けている。
しかも。
突然、手を持ち上げ、甲にキスをするのだ!
もうビクンと体が反応してしまい、背もたれから体を起こし、背筋をピンと伸ばしてしまった。
この甲へのキスは、思い出したように繰り返される。
そうなると、いつ甲へキスをされるのかと、常時心臓はドキドキしっぱなし。
とても尋常な状態ではない!
観劇などできない!
ようやく幕が下りた時には、エベレスト登頂を終えたぐらい、南極大陸に到達したぐらい、疲れ切っていた。……ってどちらも経験したことはないけれど、比喩するならそれぐらい、疲れたわけです。
「ダイアン嬢、食事に行きましょう」
「え」
疲労困憊だった。
もう屋敷に帰りたい気持ちでいっぱいだった。
それなのに食事……?
「フランツ殿下、私は兄と」
「ジョシュ殿はロザリー男爵令嬢と食事に行くでしょうね。通常、観劇の後、食事に誘うのはマナーでしょう。そしてあのジョシュ殿の誘いを断る令嬢が、この国にいるとは思えないです」
それは……そうだろう。
間違いなく兄は、このとんでもない状況のリカバリーのため、最善を尽くしてくれているはずだ。当然、食事に誘う。それどころか、ロザリーが大喜びしそうな素敵なレストランへ、エスコートするはず。
そして。
殿下の婚約者であるダイアンを演じるにあたり、兄が待っているという言い訳が使えない今。食事の誘いを断るのは……体調不良、食欲がない、ぐらいだろう。
うん、そうだ。
それなら断れる!
「フランツ殿下、私はお腹の具合が……」
そこで盛大にお腹が鳴る。
私の。
「お腹は正直に食事に行きたいと言っていますね。では行きましょうか」
殿下は悠然と微笑み、私の手を取ると、エスコートしながら歩き出す。
アフタヌーンティーで、私はキューカンバサンドと紅茶ぐらいしか口にしていなかった。お腹も鳴って当然。しかも歩き出すと、さらに胃腸が運動を始めたのか、キュルキュルお腹が鳴いている。
もう恥ずかしい!
見るとフランツ殿下も笑いをこらえている気がする。
こんなの絶対ダイアンじゃない!と思えた。
でもどうにもできない。
腹が減っては戦ができぬ――まさにその通りだ。
それよりも、殿下にエスコートされている姿をロザリーに見られていないか。それが心配になり、周囲をキョロキョロ見ると、令嬢が一斉に視線を伏せる。
この瞬間だけ、私はダイアンを演じるのに成功していると、実感できた。「私の殿下に手を出すなんて、許さなくてよ」とダイアンが周囲を牽制している――そう思われているが気がした。
ただそうやって確認する限り、兄とロザリーの姿は見当たらない。
その点には安堵する。
この辺は兄が上手くやってくれていると思う。
「ありがとうございます、お兄様」と心の中で感謝する。
こうしてなんとかフランツ殿下の馬車に乗り込み、劇場を出発することができた。
しかし。
ホッとしたのは束の間で。
馬車に乗り込むと、殿下は観劇の時と同じ。
当然のように手を握る。
再び私は背筋がピンと伸び、緊張状態になった。
でもおかげで腹筋も引き締められたのか。
お腹が鳴ることはない。
馬車での移動は十五分ぐらいで、すぐに一軒のレストランに着いた。
手を離してもらえると、安堵し、そしてお腹は鳴る。
もう、いろいろとぐちゃぐちゃだ。
気を紛らわすため、店内を見渡すと……。
時間帯としては、観劇を終えた貴族達で混雑しそうなのに。
お客さんは全然入っていない。
一瞬、営業時間外か、よほど高級なのか、かなり不味いのかと思ったけれど……。
「すまないですね。急遽貸し切りにしてしまい」
フランツ殿下の言葉に、店のマネージャーは「とんでもございません!」と頭を下げ「警備の都合なのですから、仕方のないことです。ご来店いただき、光栄です」と理解と感謝を示す。
な、なるほど。
そういうことですか。
案内された席は窓際で、美しい庭園が見えている。
繁華街にあるレストランのはずなのに。
庭園を見ると、ここが繁華街であることを忘れてしまう。
ランタンで照らされた庭は、幻想的でとても美しい。
さらに。
「さあ、何でも好きな物を食べていいですよ、ダイアン嬢」
フランツ殿下が夢のような一言を私に告げた。











































