兄の機転
「す、すみません、遅くなりました!」
どうして……?
パン警備隊長は私に「ダイアン様、少しお待ちください」と言い、声の主の方に駆け寄る。
「ここから先は、王族以外の立ち入りは禁止されています」
大きめの声でパン警備隊長が告げると、ロザリーはおどおどした声で答える。
「そ、そうですよね……。すみません。でもチケットはちゃんと持っています」
!?
思わず兄の顔を見る。
兄は肩をすくめていた。
「……チケットを持っている? 拝見できますか」
「勿論です」
高身長の兄のおかげで、私はロザリーには見えていないようだ。
一方の私は、少し体をずらし、兄に隠れながらロザリーを見る。
光沢のある黄色のイブニングドレスはシルクだろう。
ゴールドのイヤリングにネックレスと、めいいっぱいロザリーがオシャレをしていることが伝わってくる。そしてがま口の黄金の装飾が施されたレティキュールから、ロザリーはチケットの半券を取り出していた。
パン警備隊長の表情から、それが本物であることを確信する。
ここで私は推理することになった。
ダイアンは……フランツ殿下の相手を私に押し付けた。
だがロザリーと仲良くする……これは叶えてくれた……?
つまり、今日のオペラのチケットを、ダイアンはロザリーにプレゼントしたのだろう。おそらくは、絵画サロンで二人で話している時に。
でもきっとフランツ殿下は知らない、ロザリーがダイアンの代わりで来ることを。
一方のロザリーは、殿下は自分が来ると知っていると思っているだろう。そう思うよう、ダイアンが話していると思う。
ダイアンの意図が浮かび上がる。
どうせロザリーと殿下が恋仲になるのであれば。
フランツ殿下に媚びつるつもりはない。
約束を反故にし、このままロザリーがロイヤルボックスへ行けば、ダイアンの評価は殿下の中でだだ下がり。一方、殿下から驚かれるロザリーは、でもこれが意地悪なのかどうか分からず困惑する。
フランツ殿下は、ダイアンに騙されたらしいロザリーを責めることはしない。ダイアンに騙された姿に、自分を重ね、同情すると思う。
結果的に、フランツ殿下のロザリーの評価は、上がるだろう。共にダイアンに振り回され、大変だろうということで。
そして同情し、優しくしてくれる殿下に、ロザリーの彼に対する好感度もアップするはず。こうして二人の距離は縮まり、ダイアンは断罪に近づく。
これは全然嬉しい結果ではない。
だが。
もしここで私が騒げば、これは……最悪だと思う。
だってロザリーにチケットはプレゼントしている。そしてロザリーは殿下とオペラを観れると喜んでここに来ているのだ。それなのに今さら私がいたら……。
ロザリーは間違いない。
私に嫌がらせされたと思うだろう。そしてどうしたってここで起きたことは、フランツ殿下に報告される。そうなった時、殿下は……。
日頃のダイアンの行いが良ければ、話は別だと思う。でもダイアンは最近、殿下と仲良くはなっていたが、それまでの言動がある。
そうなると……。
最近は丸くなったと思ったのに。ロザリー男爵令嬢に対し、嫌がらせをしたのか――そう殿下に思われることだろう。ダイアンに対するフランツ殿下の好感度は、大幅ダウン間違いなし。
結論。
ここは私がいなくなるが正解だ。
私は兄の腕をちょんちょんと突っつき、静かに移動を開始する。
つまり、兄のその高長身を隠れ蓑に、この場から退散する作戦だ。
兄の影に隠れ、静かに移動を始めると……。
「ダイアン様!」
パン警備隊長に呼ばれ、私はぎくっとする。
だが兄は。
「パン警備隊長。今日はダイアンは来ない。そのことを伝えるために、私が来たまでだ。あの子はチケットをこちらのロザリー嬢に譲っていた。以上だ。邪魔者の私は失礼しよう」
そう言って兄は私のことを背に庇い、パン警備隊長に告げる。
勘のいい兄は、分かってくれた……!
この咄嗟の兄の機転と、自分がマーメードドレスを着ていることを、神に感謝する。
ダイアンのスタイルの良さと兄の高長身で、私はその背に隠れ、ロザリー嬢とパン警備隊長からは、見えていないはずだ。
「ジョシュ、お前、何を言っているんだ……?」
パン警備隊長の困惑する声が聞こえるが、兄は「何も変なことは言っていないさ。それよりロザリー嬢、オペラを楽しんでくれたまえ。妹も君が殿下と楽しく観劇できることを、応援していると言っていたよ」と言い、じわじわと後退する。それに合わせ、私も体を動かした。
困惑の極みのパン警備隊長だったが、ロザリーは正しいチケットを持っているのだ。そして兄はしきりとロザリーとフランツ殿下が観劇することをすすめ、私は黙っている。それを踏まえ、パン警備隊長は「……それではロザリー男爵令嬢。ロイヤルボックス席にご案内します」と言ってくれたのだ……!
これには、兄妹共にホッとする。
兄が動かないのは、このままロザリーの姿が見えなくなるのを待っているのだろう。そう思い、私も身動きせず、兄の背に隠れていた。
すると。
肩をぽんぽんと叩かれた。