第4話 懐かしい味と未来の旦那様-1
元カノの事とか浮気されたこととかこいつやべー女なんじゃないかとか、そんなことがどうでも良くなるくらいに久遠の体は柔らかく俺の気持ちを昂らせていく。
「ねえ、キスしましょう?」
「いや、俺たちまだ付き合ってないし……」
「許嫁なのよ? 問題ないわ」
そう言って、耳元にあった顔が正面にやって来る。
黒く澄んだ瞳から視線を離せない。
改めて近くで見ると信じられない位整った顔だ。
「……来て」
久遠は、大きく一度深呼吸をすると意を決したように目を瞑る。
ここでしないのは流石にまずいか……?
したいかしたくないかで言えば、そりゃ間違いなくしたい。
けど、どうしても頭から愛衣の顔が居なくなってくれない。
……いや、このままじゃダメだ。
あいつが先に裏切ったんだ。
だったら、いいだろ。俺が裏切ったって。
ぴったりとくっついた体からわずかな震えを感じる。
緊張しているんだろう。もしかしたら、久遠にとってはこれが初めてのキスなのかもしれない。
震える身体を抱きしめて、俺は静かにキスをした。
唇を合わせるだけの、昨日まで何度もしてきた子供のお遊びみたいな行為のはずなのに酷く興奮する。
相手が久遠だから?
それもある、けど一番は……。
「んっ……」
久遠の口からわずかに息が漏れる。
そんな些細な事で、俺の理性は吹っ切れた。
「んんっ……!?」
わずかな隙間から舌を入れ、口の中を犯していく。
さっきまでの子供のお遊びとは違う、本当のキス。
きっと慣れていないんだろう。久遠の舌はぎこちなく所在なさげに口の中をさまよっている。
そんな舌を追いかけて、絡めていく。
肩を握る手の力がどんどん強くなる。
「……ぷはっ」
一度口を離すと、久遠の顔が真っ赤になっている。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か……?」
「……どうして、そんなに」
「え?」
「……なんでもないわ、今日はここまでにしましょう?」
「ああ、うん……」
正直言うと、それ以上を期待していた自分もいた。
背徳感ってのはこんなに興奮するんだな。
ほんの少し、愛衣がどうして浮気したのか理解できた気がした。
「ごはん、作るから……そこで座ってて?」
キスをする前よりも落ち着いてる気がするけど、気のせいだろうか?
舌を入れたのはやり過ぎだったかも知れない。
「手伝うよ」
「あなたに料理を振る舞うのが夢だったの。だから、そこで座っていて?」
そこまで言うなら仕方ない。
俺はおとなしくソファに座って待つことにした。
―
――
―――
――――
「いただきます」
三十分ほどで食卓にはシチューが並んでいた。
正直、滅茶苦茶旨そうだ。洋食屋で出てきても不思議じゃない見た目だ。
「懐かしいわね、この食卓で一緒に食べるの」
「あー、そう言えば子供のころよく一緒に食べてたな」
朧気な記憶だけど、なんども一緒に食べていた気がする。
ひどくあいまいで不鮮明だけど、この食卓と、楽しかった記憶だけはなぜだか覚えてる。
「……美味しい」
取り敢えずシチューを一口食べてみた。
考えるよりも先に言葉が出てくるくらいに美味しくて、そして何よりも心底懐かしい味がする。
なんか、これ……。
「ふふ、よかった。子供のころからずっと頑張った甲斐があったわ」
「子供のころ?」
「ええ、そうよ。あなたのお母さんにレシピを聞いたの」
「ああ、だから……」
だからこんなにも懐かしい味がするのか。
間違いなくこの味は間違いなく母さんの作ったシチューと同じだ。
「ありがとう、久遠」
「まだいっぱいレシピ聞いてるから、たくさん作ってあげるわ」
「じゃあ、次はカレーで頼む」
久遠が笑顔でうなづく。
「私にも食べさせて?」
「え?」
「ほら、あーん」
向かい座る久遠が口を開けながら身を乗り出す。
いや、それ言うの逆だし……。
「いや、駄目だろ……」
「……まさか、今更間接キスなんて気にしてないわよね?」
「うっ……」
「うそでしょ? 舌までいれたのに……?」
それを言われると痛い。
あの時は完全に理性が飛んでたから、ってのは通用しないよな……。
久遠は未だ物欲しそうに口を開けたままだ。
……なんかエロいな。
「あー、もうわかったよ! ほら、食え」
そう言って口にスプーンを押し込む。
「お店、開こうかしら」
「え?」
「我ながらびっくりするくらい美味しいわ」
「まあ、実際美味い」
「でしょ? 私がシェフであなたがウェイター。小さいけど人気のある隠れ家的なお店、老後もおしどり夫婦で、朝から晩までずーっと一緒……。あー、けど接客なんてやらせたら若い女に主人が取られちゃうかしら……? きっとあなたは素敵な歳の取り方をするだろうしおばあちゃんになった私じゃ流石に……」
も、戻ってこねぇ。
やっぱり小説家だから人よりも妄想力が高いんだろうか……。
「……風俗までなら許すわ。けど、お客に手を出すのは駄目。わかった?」
「何一つわかんねえよ……」