第3話 本当の幼馴染と未来の旦那様-2
「やっぱり、覚えていないみたいね……」
なんと答えればいいのかわからずしばらく黙っていると、久遠がため息をつきながら近寄ってくる。
「俺たちは昔あったことがあるのか? さっきも話した事あるとか言ってたけど、正直心当たりがないんだが……」
「私たちは子供の頃……小学二年生の頃まではずっと二人で遊んでいたのよ?」
小学二年生?
……あっ!
「そう言えば昔よく一緒に遊んでた子が似たような名前だったような……?」
「両親が離婚して苗字が変わったの。あなたは当時苗字で呼んでいたからそれでわからなかったのかもね」
「もしかして、野木ちゃんか?」
俺の問いに久遠が笑顔でうなづく。
あー、それなら覚えてる。小学生の頃家族ぐるみでよく遊んでた。
俺がこっちに引っ越して来てからは一度も会ってないけど。
「うわー、懐かしいな! けどそれならもっと前から言ってくれればよかったのに」
「だって、私たちなら一目見たらわかるはずでしょう? なのにあなたはすれ違っても気づかないし、おまけに彼女までいるなんて……」
いや小二の頃の友達の顔なんて覚えてられないよ。
と、いえるような雰囲気でもないなこれは……。
「そ、それはほら、すごく綺麗になってたから!」
取り敢えず適当に誤魔化してみよう。
「え? そ、そうかしら……! ありがとう、すごく嬉しい!」
そう言って久遠がもじもじと体を揺らす。
どうやら誤魔化されてくれたみたいだ、意外と単純なのかも知れない。
「私、てっきりあなたが記憶喪失になってしまったのかと思っていたの。だってそうでしょう? 私とあなたはあんなにも愛し合って、結婚の約束までしていたのに……それなのに私の事を忘れてほかの女と付き合ってるなんて、そんな事ありえるはずがないじゃない? だから、きっとこれには理由があるはずだって思ってずっとあなたのことを調べていたのよ?」
久遠が早口でまくしたてる。
頬がやや紅潮し、まっすぐとこちらを見据えて話し続けるその姿に若干の恐怖心が芽生える。
記憶喪失?結婚の約束……?
なんのことだかさっぱりわからん。
「いや、えっと……?」
「けど確かに、私達も十年以上経って容姿もかなり変わったものね。すぐにわからないのも仕方ない、か……。」
「あー、うん。……ごめんな?」
取り敢えずなんか納得したみたいだから謝っておこう。
こういう時は謝るに限る。
言いたいことは相手が落ち着いてから言えばいいんだ。
「ううん、いいのよ。思い出してくれたならそれでいいの。あ、けど浮気は二度としないでね? あなたもされたからわかると思うけど、とってもつらいから……」
「……浮気?」
力のない表情でうなだれながら冷たい声で静かに告げる。
浮気なんて全く身に覚えがない。俺、子供の頃になんかやらかしたのか……?
「愛衣とかいう女とのことよ。私と離れ離れになっている間の穴埋めなのは理解しているけど、それでも初めて見たときはとても傷ついたわ……」
「え、いや俺たちその時付き合ってないよな……?」
今も付き合ってるってわけではないし……。
俺の言葉を聞いた久遠の表情が一瞬にして曇っていく。
「私達、許婚同士なのよ? それすら覚えてないの?」
「ごめん、正直全然覚えてない……」
「あなたやっぱり記憶喪失なんじゃ……? はあ、まあいいわ。大事なのはこれからよね」
そう言って久遠が自分の頬を叩く。
それで切り替えたのだろうか、表情がいつも通りに戻ったように見える。
ていうか許婚って、全然記憶にないな。
「けど、少し安心したわ」
「ん? 何が?」
「許婚のことも覚えてないってことは、浮気してるつもりはなかったってことでしょう?」
「まあ、うん」
「あなたが浮気するような人じゃないってわかって、本当にうれしいの」
そう言って久遠が目の前まで迫る。
やっぱり、こいつ滅茶苦茶美人だな……。
「裏切ったら、駄目よ?」
「わ、わかった……」
俺たちの関係は仮だよな?なんて、とてもじゃないが言えない。
そんな鬼気迫るものを感じる表情だ。
けどそんな表情もかわいい……。
「ところで、さっきも言ったけどなんかこの家すごく見覚えがあるんだけど……」
「当然よ、昔一緒にいた時と同じ家を作ったんだもの」
「……はい?」
作った?
作ったって、家を??
どういうことだ???
「夢だったのよ、もう一度あの家で一緒に住むのが」
「それで、家を建てたのか? じゃあこっちに来たのも?」
「もちろん、あなたに会うためよ」
懐かしさを感じる木造のリビングで、久遠が幸せそうに笑いながらうなづく。
よく見るとなんだか部屋にある家電が全部古い。
いや、見た目は新品同然だけど、型式が古い……。
そう、ちょうど十年前位の……。
「宝くじでも当たったのか……?」
「小説家なの」
「……親御さんが?」
「私が」
えぇ……。
俺たちまだ高二ですが?
「新進気鋭の恋愛小説家松尾詩音、知らない?」
「あー、なんか聞いたことあるかも」
確か凄まじい情念が籠った恋愛小説を高校生が書いてる、とかで話題になってた気がする。
「あなたを思う気持ちが抑えられなくて、小説にしてみたら思いのほか売れたの」
「つまり、モデルは俺ってこと?」
「ええ、だから半分あなたのお金で建てた家と思ってくれていいのよ?」
「それはちょっと違うような……」
書いたのは久遠だし。
というか、ネットで話題になるくらいだから相当な……。
やばい、想像したらちょっと怖いぞ。
いやまあ、昔と同じ家を建てたり許嫁だと思われてる時点でちょっとあれなのは間違いなさそうだけど……。
「とにかく、そういうことだからこの愛の巣は私とあなただけの家。気兼ねしなくていいわ」
「親御さんはどこに?」
「普通に実家にいるわ。私だけこっちに来たの」
なんとも放任主義な家だ。
「そういう訳で、私には十分な収入と理解のある親がいるの」
「羨ましいことで」
まあうちもある意味放任主義だけど……。
「つまり……」
言いながら、久遠が俺に抱きつき顔を耳元に近づける。
決して小さくない二つの“なにか”が俺の胸板に押し付けられて、自然と身体がこわばる。
「子供が出来てもなんの問題もない、ってことよ」
耳元で囁くように呟いその言葉は、俺の理性を溶かしてしまうほどに甘美な響きだった。