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一歩の前進 〜言葉を交わす〜

作者: 兎月 花


 きっかけは、ありきたりな何でもないことだった。


 あの日、私はノートを鞄に入れようとしていて、運悪く開けっぱなしだった筆箱に当たりそれを盛大に落とした。ザザァッと中身が飛び出ていく音と共に広がるペンたち。休み時間なのが幸いして音は周りのお喋りに混じったようだが転がったペンだけはどうしようもない。

 慌てて拾おうと椅子から立ち上がると自分の手が届く前に別の手が視界に入った。


「ほい」


 離れたところに落ちた数本をわざわざ拾って渡してくれる。

 それが(マツリ)君だった。こんなきっかけだったけど、この時を境に私は祭君が気になり始めた。




「あ、ありがとう……」


 まさか誰かがこうして拾ってくれるとは思っていなかったのでお礼もタジタジになってしまう。でもすぐにハッとして慌てて私も残りを拾い集める。それでも祭君は拾うのを手伝い、また数本を手渡してくれた。

 優しい人だな。


 祭君とは中学が違うから4月に初めましてをした人に当てはまる。要するに半年前の高校入学の日に初めて同じクラスになって関わりを持ったということだ。とはいえまだ話したことはなく、せいぜい席が近くなってプリントを渡す程度(それもただ後ろに回すだけ)で、まともに話したのは今が初めてではないだろうか。


 まさか私がこんなことをウダウダ考えているなんて想像もしていないだろう、祭君はニコッと無邪気な笑みを向けてから友だちと教室を出ていった。


 数人の男子と楽しそうに話していて、ムードメーカーなのはこの半年でなんとなく分かっていたが改めてそうであることを実感する。

 もっと話してみたい。

 それが素直な気持ちだった。でも私は男子と話すことがあまりなく、女子とすら多くを話さない。なぜなら私は、一人で絵を描くのが好きだから。それを感じ取るのか分からないけれど、積極的に私に話しかけてくる友だちはそう多くないし私自身もそれくらいが丁度いいと思う。




 次に祭君と言葉を交わしたのはその日の放課後だった。


 私は美術部に入っていて、放課後の部活では好きな画材を使って学校祭で展示する作品を作っている。

 もうすぐ絵が完成、というところで何か一つ新たな要素がほしくなる。そういえば教室のロッカーに家から持ってきた筆ペンが入れっぱなしだったっけ。

 今の絵に筆ペンを足すつもりはなかったけれど、なにも展示する作品は一つだけではない。


 別ので使おうと気分転換がてら美術室を抜け出して階段を上る。廊下ではどこかの体育系の部が柔軟体操をしていて互いに「いーち、にー」と声を掛け合っている。祭君は何部なんだろう、とぼんやり思いながらその横を申し訳程度に小走りで通っていけば無事に教室のある3階にたどり着く。


「……うっ、」


 だがいざ教室の前までいくと中に入れなかった。前と後ろにあるドアはぴったりと閉じられており、まるで私を拒絶するかのよう。けれどそれ以上に部外者を寄せつけんとするのは中から聞こえる怒声だ。


「違う!そこもっと優しく!」

「はい!」

「ねぇそこ練習しといて、って言ったよね?ちゃんとした!?」

「し、しました」

「もう一回いくよ」

「はい…!」


 吹奏楽部だ。めちゃくちゃ入りにくい。コンクールが近いからかピリピリしているようで、先輩と思われる上級生の声が自然と大きくなっていく。ただでさえ楽器の音も大きくて入っていいか躊躇するのにこれではいくら勇気があっても足りない気がする。


 さすがに普段自分が使う教室でも、入っても良くても、入りにくいものは入りにくい。今日は諦めようか、としばらくその場でウロウロして時計を見てからやがて結局は回れ右をする。


「あれ、入らないの?」

「えっ」


 こんな様子を誰かに見られていたなんて思っていなかった。いやだ、恥ずかしい。


 顔を上げればようやく最近見慣れてきた軽い生地のユニフォーム。多分男バス……男子バスケ部のだったはず。うちのクラスにも数人入っている子がいたはずだ。


「……あっ」

志亜(シア)ちゃんって何か部活やってたっけ?忘れ物?」


 そこに立っていたのは走っていたのか汗を拭う祭君だった。まさか一日に二度も話す機会があるなんて思っていなかったから驚いた。まさかの奇跡に今日は何かあったかと考えてみるが特に思いつかなかった。


 でも今はそれよりも……。……名前、呼んでくれた。


 単純にその事実が嬉しい。


「えと、美術部に、入っていて」


 名字ではなく名前を呼んでもらえた事実にくすぐったさを覚える。


 高校生になると大人の気分になるのか、男子の多くは名字にさんをつけて呼ぶことが多い。でも祭君はそういうのではなく気軽に名前で呼んでくれるタイプだ。お互いの間にそびえる壁が取り払われるようで個人的にはこっちの方が好き。


 そしてそれは私にとって話を続ける力の後押しになった。


「そうなんだ!でも、ぽい!絵上手いんだね」

「いや、それほどでも……」


 俺絵描けないんだよね~、とへにゃりとした笑みを浮かべる姿はなんだか可愛い。気さくで話しやすいし、やっぱり祭君はいい人だ。


「今度見せてよ」

「え…?」

「うん、そう、絵。志亜ちゃんが描いたやつさ」


 いや、今の“え”はそういう“え”じゃないんだけど……まあいっか。

 でも男子で絵を見たがる人っているんだな。


 過去にも絵を見たがる人は何人もいたけどほとんどが女子で、絵を描くことを苦手とする子がほとんどだった。男子でもいるにはいたが大体何か好きなキャラクターか何かがいてそれを描いてもらいたがる感じだ。だからこうして単純に絵を見たがる男子は初めてで新鮮な気持ちになる。


「いいけど……いつがいいかな」


 言っててデートの約束のように感じる。秘密の約束みたいでちょっとドキドキするなんて絶対本人に知られたくないことだ。


「いつでもいいよ!好きな時に声掛けてよ!」


 純粋な声をかけてくれることに喜びを覚え、自然と笑顔が浮かんでくる。

 まだ暑いのか祭君の額からまた一滴、汗が流れ落ちる。その瞬間、私の中に一つのひらめきが落ちてきた。


 水だ。水を使って何かしよう。


 先ほどの作品に加えたかった何かを見つけた。これも祭君のおかげだ。なんてすごい人なんだろう。


「あーなるほど。これは確かに入りにくかったかもね」


 ひらめいたアイディアに浸っている間に祭君はドアについた小さめの覗き窓から教室内を見やって呟く。それから戸に手をかけ、こちらを振り向く。


「志亜ちゃんも中に用ある?」


 そういえばそうだった。


「うん」

「じゃ、一緒に入ろ」


 言うなり一気に引き戸を引きドアを開けて中に入っていく。思わずぎょっとしてしまうがこのまま一人にされてはたまらない。慌てて続いて中に入りロッカーへと向かう。

 ちらりと見れば吹奏楽部の人たちは気にせずに演奏を続けていた。こうして誰かが入ってくるのには慣れているのかもしれない。


 祭君は同じくロッカーに用があったらしく、さっきまでなかったタオルを手にしている。それで汗を流しっぱなしだったのか、と合点がいった。確かに体育系の部活でタオルは必須だろう。


 目的の筆ペンを手にすればジェスチャーとアイコンタクトで「もう出ても大丈夫?」と聞かれる。頷けば先に教室を出るよう促してくれ、すぐに祭君も出てくる。


「ありがとう」


 素直に伝えれば「いいよそんな、入りにくいよね」と入る前と同じような台詞を口にされた。お互い目的の物は手に入れたし後はそれぞれの活動に戻るだけ。でも私はもう少し話していたかった。


 予想通り祭君は気さくで明るくて、女子とすらあまり喋るのが得意ではない私でも話しやすい。もっと仲良くなりたかった。

 だから相手には迷惑かもしれない、と分かってはいたけど気づいたら私の口は勝手に彼の名前を呼んでいた。


「あの、祭君」

「ん?」

「その、こういう時ってよくあるの?」

「こういう時……ああ、吹部やってる教室入るの?あるある」


 LINEでこの会話をしていたら最後にwwでもつけられる調子で返してくれる。部活に戻りたくてそっけない態度を取られるのではないかと思っていたからちょっとホッとした。それどころか「慣れてるからあんまり抵抗ないしね」と会話を続けてくれる。


「すごいね、私はまだ慣れないかな」

「あー、まぁ慣れっつーか……俺中学ん時吹部入ってたから何となく感覚分かるんだよね」

「そうなの!?」


 驚いて目を見開く。意外だ、吹部経験者なんだ……。


 知らない一面が少しだけ垣間見えて嬉しかったし本当はもう少し話を聞きたかったけど、お互いいつまでもこうしている訳にはいかない。


 私の反応に驚いたのか目を丸くして見ていたが、やがて同じことを考えていたのかそれには触れず「そろそろ戻るか」と声を掛けてくれる。見事なまでに自然な声のかけようだ。私もそうなれたらな…。


「じゃ、また明日な」

「う、うん!部活、頑張って!」

「おう、ありがとう!志亜ちゃんも頑張れ!」

「うん!」


 教室の前でバイバイ、と手を振りそのまま背を向けた祭君は体育館へ向かうのだろう、階段の下へと駆け足で消えていった。

 私はその姿を見送ってから同じように階段を下りていく。


 さっきまで話していた内容を何度も脳内リピートし、にやけてしまう口元を必死に抑えつつ美術室の戸を開けた。やっぱり筆ペンを使おう、と水を用意するために蛇口をひねる。


 また明日、祭君と話せたらいいな。さすがにわざと筆箱を落とすわけにはいかないけどね。


 夕暮れの美術室の中、私、稲里(イネリ) 志亜はそんなことを考えていた。



Fin.

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