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18歳店長と31歳おっさん店員 〜二人の共通点は同じ趣味〜

作者: 七乃ハフト

 夏。三十度を超える中で元気なのは、暑さの元凶とも言える太陽だけだ。


 おもちゃ屋ヒロパラにいるのは三人だけ。


 一人はせっせと商品のおもちゃを愛おしそうに丁寧に陳列する中年の男性。


 もう一人は、レジカウンターにいるポニーテール。店の方を見ず持っているタブレットに視線を落としているため、黒髪を無造作に束ねたポニーテールしか見えない。


 最後の一人が店の中を一周して出入り口に戻ってきた。

 二十代くらいの男性客は何も買わずに出ていこうとする。


「チッ」


  男性客の口から、そんな不愉快な音が聞こえた。


 一番反応したのは、タブレットを見ていたポニーテールだ。


「おい」


 男性客が足を上げ掛け途中の姿勢で立ち止まる。


 ポニーテールは視線を落としたまま続けた。


「おい。今舌打ちしただろう。オレの店に対してよ」


 男性客は足を下ろすと、謝罪ではなく反撃してきた。


「ああ。したよ。こんな時代遅れの商品しか置いてなくて、店員の態度も悪い店に舌打ちして何が悪いってんだい?」


「何が、時代遅れだ。テメエ!」


 ポニーテールはタブレットを置いて顔を上げた。


 整った顔立ちではあるが、ツリ目と口を開けた時に見えた鋭い犬歯で、とても凶暴そうな印象を与えた。


「テメエみたいな舌打ち野郎に売る物なんて、ここには一つもねえんだよ! さっさと帰ってママに泣きついてろ!」


 ポニーテールが指を指すと、男性客の顔が茹で蛸のように真っ赤になっていく。


「な、な、な……」


「何だよ。男ならハッキリ言えよ! それともママがいないと喧嘩もできないのか?」


「この!」


 男性客が腕を組むポニーテールの方に詰め寄る。いつ手が出てもおかしくない。一触即発のその時……。


「お、お客様、申し訳ありませんでした!」


 背後から大声。


 ポニーテールと男性客が声の方を確かめると、つむじが見えるほど頭を下げた中年店員の姿があった。


「失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ありません!」


 白のワイシャツに紺のチノパンを履き、ヒロパラと書かれた緑のエプロンを着けた中年店員は頭を下げたまま謝る。


「あんた店長か。バイトの教育がなってないんじゃないのか? 客には汚い言葉だし、そもそもずっとタブレット見てるじゃないか。それが客がいる時の態度なのかよ」


 男性は中年店員のつむじを指差しながら唾を飛ばす勢いでまくし立てる。


「本当に失礼しました。それと私は店長ではないのです」


 中年店員は頭を上げ、丸メガネをかけた黒目を後ろにずらす。


「そちらの方が、この店の店長でして」


 右手でレジカウンターで客を睨みつけるポニーテールを指した。


 客が振り返り、上から下まで視線を動かす。


 凹凸のないしなやかな肢体の上に、白の半袖シャツと細身のジーンズを履き、その上から店の名前が書かれた緑のエプロンを着け、相変わらず客を睨みつけていた。


「はあ? このガキが店長?」


 ガキと言われた店長が、目つきをさらに鋭く細め、射殺すような視線を客に送る。


「オレみたいなガキが店長だと悪いのかよ? おい!」


「こんな店。二度と来るか」


 最初怒りが収まらない様子だった客も、中年店員が何度も何度も謝る事で、ほんの少し収まったようで、そんな捨て台詞を残して帰っていった。


 姿が見えなくなるまで、頭を下げていた中年店員の後ろ姿を見ながら、店長は彼との最初の出会いを思い出していた。




「ふーん。うちで働きたいねぇ」


 夏と違って柔らかな陽気の春。店長は片膝を立てたまま長椅子に座り、渡された紙に目を落としていた。


 ここはヒロパラから徒歩五分のところにあるファミレス『メトロン』という。店を手伝ってくれる従業員との面接をここでしていた。


「は、はい。御社で是非働かせていただければと思っています。全然下っ端で構わないので働かせてください。お願いします」


 少し内股気味に対面に座っている男性が、掛けている丸メガネを落とすような勢いで頭を下げた。


 店長は渡された履歴書を読んていると、気になるところを発見する。


「あんた仕事結構変えてんな……っていうか、二十歳から以前の記録が空欄なのは何で?」


 仕事も長続きせず、ふざけているのかと思い、少し語尾が強くなる。


 中年男性が両手を振って否定。


「それはですね。実は僕二十歳から以前の記憶がなくて、後中々合う仕事がなくてですね。すぐ辞めてしまうんです」


 後頭部を掻きながら理由を述べた。


「ふーん」


 店長はテーブルに頬杖つきながら話を聞いている。


「だ、駄目でしょうか?」


 中年男性は受からないと思ったのか、いい大人が涙声である。


「何でオレの店で働きたいわけ」


 一番重要な事を尋ねる。


 すると男性は背筋を伸ばして姿勢を正す。


「はい。趣味の欄を見て貰えば分かると思いますが、僕はヒーロー作品が大好きなんですよ。国内外、アニメ特撮小説問わず、みんなを助ける存在が大好きなんです! それこそ記憶を失ってもヒーロー好きな事だけ覚えていたんですよ!」


 中年でありながら、まるで少年のように目を輝かせて熱弁してきた。


 それを聞いて店長は彼を採用する事を決めた。


「何のヒーローが好きなんだよ?」


「はい『結晶鉱人ガーディマン』が一番好きでして……」


  ヒーロー談義はファミレスが閉店するまで続いたのだった。




『……により破壊された空港の復興作業は一週間経っても完了せず、経済的打撃はとても大きく……』


「店長。閉店時間になりましたよ」


 中年店員の言葉で店長はタブレットから目を離して勢いよく立ち上がる。


「じゃあ片付け作業するぞ。おっさん」


「はい」


 中年店員はいつもおっさんと呼ばれているが、特に嫌ではないのか、文句を言ったことがない。


 二人は店の片付けを――主におっさん任せ――終わらせて帰り支度を済ませる。


「じゃあ店長。お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」


 パンパンに膨らんだビジネスバッグを大事そうに持って、明らかに年下の店長に向けて丁寧に挨拶した。


  店長はタブレットに目を落としたまま返事。


「ああ。明日も朝からよろしくな」


 おっさんは週五勤務で朝九時に出勤して夜八時の閉店作業を終わらせて帰る。


 かなり激務だが、今は店長とおっさんの二人しかいないのでしょうがない。


 開店時は四人いたのだが、一人は一週間で音信不通になり、もう一人は商品を無断でネットオークションに出そうとしたからクビにしたのだ。


 店長はタブレットの明るい液晶を見つめ続ける。


 画面に映るのは自分の店のSNSだ。


 開店時の呟きはそれなりに評価されていたが、今は高評価どころか低評価も付いていない。


 それどころかフォロワーも徐々に減っていた。


「今日もなし、か」


  タブレットを持つ左手が震え、薄いボディから微かな軋みが聞こえてくるほどだった。




 翌日。


 店長はおっさんが来るより前に開店準備を始めるのが日課だ。


 店は、近くで道路工事があると、その振動で小刻みに揺れる五階建ての貸しビルの地下一階にある。


 その日も普段通りの一日になるかと思っていたが……。


『怪獣警報が発令されました。怪獣が街に向かってきています。付近の方はすぐに最寄りの避難所に避難してください。繰り返します……』


 近くを通るパトカーからそんな放送が流れてくる。


 店長は警報を無視して、店に着くと開店準備を始める。


「どうせ、防衛隊のメカが倒してくれるだろ。もしくはあのウェットスーツマンがな」


 ヒロパラのシャッターを開けていると、スマホにメールが来た。


 開くとおっさんからだ。


 どうやら怪獣が出現したせいで、出勤するのが遅くなるらしい。


「こういう時くらい休んでもいいのにな」


 警報が鳴り響く中、開店準備を進める店長は一言漏らす。


「また客来ねーじゃん」


 その言葉からは血の臭いが滲んでいた。




『街で暴れていた怪獣トゲブトンは、地球防衛組織TDTとウェットスーツマンによって撃退されました』


「やっと倒したのか。遅えんだよ。全く防衛組織もこの暑さで参ってんのかね」


 怪獣が暴れたせいかクーラーの調子が悪く、店内は蒸し暑い。


 店長は頬を伝う汗を拭いながらスポーツドリンクに口をつける。


 本人は気づいていないが、一口飲むたびに、汗で光る喉が艶めかしく動く。


 店の通路から走っているのか慌てた足音が聞こえてきた。


 入口の方を見ていると、現れたのは息を切らしたおっさんだった。


「すいません店長。遅くなりました」


「おう来たのかよ。今日は休んでもよかったんだぜ」


 店長はスポーツドリンクを飲み干した。


「見ての通り客も来ないしな」


「怪獣が現れたからですよ。もしかしたらこの後来てくれるかもしれないじゃないですか」


 おっさんはエプロンを取りに行くために、店長のそばを通り過ぎようとする。


 そこで店長は鼻を動かしてある事に気づく。


「待った。おっさん」


 左掌を見せてそれ以上進むのを制する。


「な、何でしょうか」


「臭い」


「えっと……臭います?」


 おっさんは自らの脇に鼻を寄せて顔をしかめた。


「……臭いますね」


「仕事する前に風呂入ってこい。馬鹿!」


 店長は向かいにあるソドム銭湯の方を指差した。


「す、すいません」


  謝るおっさんは今にも泣きそうな顔をして、肩を落として店を後にする。


 それを見た店長の胸に小さな針が刺さったような痛みが走り、つい胸元を抑えるのだった。




 銭湯から戻ってきたおっさんと共に仕事するも、怪獣災害のせいか、それとも店内に漂う暗い雰囲気のせいか、結局客は一人も来なかった。


「店長。片付け終わりましたよ」


 店長はずっとタブレットを見たままで、おっさんに話しかけられても殆ど返事しない。


 それでもおっさんは機嫌を損ねることはない。


「じゃあ、僕先に上がりますね。お疲れ様でした」


 おっさんが挨拶しても、店長は返事もせずにタブレットと睨めっこしていた。


 気づくと、明かりのついた店内には店長しかいない。


「あれ? もう閉店時間過ぎてたのか。声かけてくれればいいのに」


 声を掛けられた事に気づいていない。


 相変わらずSNSの呟きの反応はイマイチ。気分転換しようとニュースに切り替えると怪獣に関する報道をしていた。


『今日現れた怪獣トゲブトンの出現は、二週間前に始めて現れてから三回目です。

  これが複数の個体なのか、それとも同一の個体なのか分かっておらず、逮捕されたゴクアク博士も以前黙秘を続けたままです』




「なあ、オレ考えてることがあるんだ」


 夜空が雲に包まれたある日の閉店時間。


 おっさんと視線を合わせないまま、レジカウンターに頬杖ついた店長が突然切り出した。


「考えって何ですか? あっお店を繁盛させるアイデアですか?」


「違えーよ!」


 おっさんの明るい雰囲気も店長の一言で掻き消される。


「オレ、この店閉店して実家に帰ろうと思ってる。両親もちゃんと就職しろってうるせえし。それに全然客来ねえし。

  来月までは営業するから、それまでに新しい就職先探しとけよ。何なら仕事探しを優先してここには来なくてもいいぜ。

  ちゃんと給料は払うから――」


「嫌です」


 店長は驚いた。今までおっさんが拒否してきたことなど一度もなかったのだ。


「僕は閉店に反対します。続けていれば、お客さんも来るようになりますよ。色々アイデア考えましょう。僕も手伝いますから。何ならサービス残業しても――」


「黙れ!」


 店長は鋭い目つきでおっさんを睨みつける。


「いいか。この店は開店してからずっと赤字なんだよ。商品が全然売れてねえんだよ!」


 タブレットを操作し売り上げのグラフを見せつける。


「オレの考えが甘ちゃんで失敗だったんだ。現実見てなかったんだよ! だからこの店はおしまいにするんだよ」


「駄目です。店長が好きで始めたお店じゃないですか? そんな簡単に諦めるのは駄目です!」


 店長は噛みつかんばかりにおっさんに顔を寄せ、犬歯を剥き出しにする。


「だから! 売れてないんだよ。金が底をつくの。そうなったら店の維持費とかも払えないんだよ。

  何で売れないか分かってるのか? ここにある商品が時代遅れのヒーローだからだよ」


 店長の言う通り、ここのヒーローたちは最新でも十年くらい前のものばかり。


「理由は知ってます。店長、あまり最近の番組好きじゃないんですよね」


「そうだ。今のヒーロー番組が嫌いなんだよ! イケメン俳優とか持て囃されて、番宣じゃヒーローよりも変身前の俳優しか出てこない。変身した姿は主役じゃねえのかよ。

  後、映画。吹き替えとかで俳優使うのはいいけどよ。もっとイメージあった役者選べるだろ!

  その時の利益だけ気にして旬の俳優とか使ってさ!

  作品が数年後、数十年後まで魅力溢れる作品でも、吹き替えがそんなんで誰が見たいって思うんだよ。

  上映中の旬の間だけ金稼げればそれでいいのかよ!」


 おっさんは何も言えなくなってしまったのか、黙って聞くだけ。


 店長の不満は止まらない。溜まりきった膿をおっさんにぶつけていく。


「SNSとかもムカつくんだよ。最初評価していた奴らも、いつのまにか評価しなくなるんだ。

  何の為に評価してるんだよ。アイツらは?

  自分のフォロワー稼ぎか?

  そういえばこんなコメントがあった。見てみろよ」


 店長は自身で開設したアカウントをおっさんに見せる。


「この店は古い商品しかなくて、まるで埃を被った倉庫みたいだって!

  よく言うぜ。オレ達は毎日欠かさず掃除して、店も商品もピカピカにしてきた。

  見てもない奴にこんな事書かれるなんて、本当、ハラワタ煮え繰り返るんだよ!」


  店長がタブレットを投げつける。


  宙を舞ったタブレットはおっさんに当たってから床に落ちた。


「あっ」


 おっさんが顔をしかめたのを見て、店長は顔を伏せる。


 おっさんは何事もなかったかのように笑顔でタブレットを拾い上げると、レジカウンターに置いた。


「確かに心無い事をする人はいます。でもきっとこのお店を好きになってくれる人がいるはずです。その人がまだ気づいてないだけなんですよ。だから諦めないで続けていきましょうよ。店――」


「うるせえ!」


 紙風船が割れたような音と、自らの右拳に感じた痛みで顔を上げる。


 おっさんは赤くなった左頬を抑えて、信じられないといった眼差しを向けてくる。


「帰れ。もう来るな。帰れ!」


 何か言われる前に先手を打つ。下を向いたまま出入口を指差した。


 おっさんは何も言わず、綺麗にエプロンを畳んでレジカウンターに置くと、帰り支度を済ませて店を後にするのだった。


 それから数日の間、店も開ける気にならず、家でボーとしている日々が続く。


 またもや警報が鳴るが、店長は避難しない。


 警報が解除され、久しぶりにニュースを見ると、ウェットスーツマンが頭と右足を負傷しながら怪獣トゲブトンを撃退した事が大きく報道されていた。


「名前通りダサい格好してる割によく頑張るな」




 店長は一人、レジカウンターの定位置の椅子に座ってシミひとつない天井を見上げていた。


 ここ数日、客が来る気配はなく、おっさんの姿もない。


 数日前にこんなメールが送られて来たのだ。


『すいません。酔っ払いに絡まれて怪我してしまって。大したことないのですが、仕事できる状態ではないので、しばらくお休みさせてください。

  本当に申し訳ありません』


 店長は見るだけ見て、返事は返していない。


 店を開ける気は無かったのだが、安アパートにいてもすることが無いので、取り敢えず店を開けていた。


  もしかしたら客が来るかもしれない。そう抱く淡い期待も、シャボン玉のように簡単に割れてしまう。


「はあ〜〜」


 誰もいない店内に溜息だけがこだまする。


  誰か来る気配もない静かで淀んだ空気の中、店長は大好きだった祖父の事を思い出す。




 店長が生まれたのは都会の喧騒から遠く離れた田舎の村だった。


 祖父は小さい頃からヒーローが好きで、孫にあたる店長に沢山のヒーローが活躍するビデオを見せていた。


  古く傷だらけの画面に映る悪い奴と戦う正義の味方の姿に幼かった店長も夢中になっていく。


 目を輝かせる店長の頭を撫でながら、よく祖父はこう言っていた。


『お前も、彼らのように自分が決めたことを決して諦めちゃダメだぞ』


 中学生になると周りの友達が皆一斉にヒーロー番組を子供向けと区別して見なくなっていった。


 店長は変わらず好きだったので、周囲から孤立してしまう。


  まるで周囲に鋭い棘で囲まれているような気分で中学生活を送っていた。


 それでも祖父が大事にするヒーロー達の活躍を見て、嫌な事を忘れていた。


 中学卒業の頃には、自分もヒーローのおもちゃを作りたいと思い、高校卒業したらおもちゃメーカーに就職しようと考える。


 そんな時祖父が倒れた。


 心臓に持病があった祖父は一度倒れて、二度と瞼を開けることはなかった


  大好きな祖父を失った事と同じかそれ以上にショックな話を聞かされる。


 両親が祖父のコレクションを整理――つまり捨てる――すると言い出したのだ。


 元々両親はヒーロー番組を子供向けと蔑み、店長もよく注意され、庇ってくれた祖父と言い争いになった事もあった。


 店長は反論するも父と母の二人掛かりで言われては勝ち目がない。


 だから高校生活の間考えて導き出したのが、自分でおもちゃ屋を開く事だった。


 必死に勉強し、バイトと親戚からもらったお年玉を貯めた。


 挫けそうになったら、ヒーロー達の活躍と祖父の口癖を思い出して乗り越える。


 そして高校卒業と同時に、遂におもちゃ屋ヒロパラを開業したのだ。


 だから店内の商品は殆どが祖父のコレクションである。


 もちろん思い入れの強いものは家にとってあるが、全てを管理する事は難しかった。


 だからせめて、ヒーロー好きな人の手に渡ってほしい。

  子供向けとか男の子向けとか、そういう偏見の目を持たない人に譲りたいと願ったのだ。


 そして現在、自分の夢は今重荷になろうとしている。


 何もかも上手くいかない。


 上手く行く人なんてほんの一握りで、それ以外は成功した人の金魚のフンなのだろうか。




 突然頭上から呻き声が聞こえてきて、店長は目を覚ました。


「何の音だ?」


 いつのまにか寝てしまったらしい。欠伸を噛み殺しながら音の正体を探る。


 まるで喉が潰れるのも構わないくらいの高音の呻き声。


「警報、怪獣かよ」


 店長の予測通り、怪獣出現のアナウンスが流れ始める。


 放送を聞くと、怪獣の出現場所はここからかなり離れている事が分かった。


「ここに来るまでTDTかウェットスーツマンが倒してくれるでしょう」


 店長は避難せず、椅子に座りなおす。


 一度避難所に行って、知らない人と着の身着のままの格好で長時間一緒になる事がとても苦痛に感じる事に気付いてしまった。


 だったら店にいた方がいいと判断したのだ。


 警報は怪獣が撃退されるまで解除されない。


 その音から鼓膜を守るためにタブレットに接続したイヤホンを耳に差し込み、動画を見て時間を潰すことにした。


  イヤホンで外界の音が遮断されたせいで、傍らのスマホがメールの到着を告げた事に気付かない。




 暗くなる気分を少しでも紛らわせるために、特撮ヒーローのオープニング十曲目を聴き終えたところで、ある急上昇動画を見つける。


 生配信で投稿されたのはつい十分前から。なのに視聴者数は既に百万を超えていた。


 少し羨ましく思いつつも、再生ボタンを押す。


 スマホで撮っているのか手ブレがひどい。


 映し出されたのは、何の変哲もない小雨に濡れる街だ。


 ビルとビルの間を何かトカゲのような巨大な物体が歩いているのが一瞬見えた。


 直後耳をつんざく爆発音。


 慌てて音量を小さくすると、空飛ぶイカが煙を吐きながら画面を横切る。


 破片とオイルを撒き散らしながら落ちていくのは、TDTが誇る対怪獣無人迎撃可変戦闘機『フライカ』だ。


 触手のないイカそっくりの戦闘機は、ビル街に落ちると爆炎を上げて視界から消えた。


 その煙を突き破って新たに現れたのは、フライカを落とした張本人。


 全長は五十メートルほど。


 血管が浮き出た白い肌を待ち、肥満体のトカゲが後ろ足で立ったような姿をしている。


 前足はまるで、前習えをするように肘から先をまっすぐ伸ばし、大きく裂けた口からは鋭い牙が覗き、その上に人を見下したような黒い瞳が二つ。


 後頭部から長い先細りの尻尾にかけて大小様々な赤い棘が無数に生え、両手足から伸びるのは、ビルを紙のように切り裂きそうな鋭く赤い爪だ。


 その怪獣の名は……。


「トゲブトン」


  ここ最近、何度撃退しても現れる怪獣の名前を思わず呟いてしまう。


  赤い光がトゲブトンに殺到し爆発が巻き起こった。


 眩しい光で思わず目を細める。


 瞼を開けると煙も晴れ、トゲブトンは何事もなかったかのように歩いていた。


 画面が動いて、怪獣を攻撃したフライカを映し出す。


 三機のフライカは飛行しながら機首からレーザーを発射している。


 全て頭部に命中し、黒煙に包まれたトゲブトンの動きが止まった。


 煙が晴れると、怪獣は口から三度火球を放っていた。


 火球は全て命中し、焼きイカのように火達磨のフライカが街に落ちていく。


 新たに現れた三機のフライカがファイターモードからウォリアーモードに変形してビルの屋上に陣取る。


 全長十メートルの手足の生えたイカ型ロボットになったフライカ隊は、背中のミサイルポッドと両腕の高出力ビームを一斉発射。


 トゲブトンは無数の光球に包まれるも、意に介さないように姿勢を低くして向かってくる。


 道路を陥没さながらフライカ隊に迫ると、真ん中の一機に噛みつき、易々と噛み砕いた。


  逃げようとする二機のうち一機を左手ではたき落とし、最後の一機の足を掴んで地面に叩きつけると太い脚で踏み潰してしまう。


「TDTが負けた……」


 邪魔者を蹴散らした怪獣は自分の勝利を誇るように咆哮すると、再び移動を開始する。


 店長はニュースで怪獣の予測進路を調べる。


 トゲブトンは何か目標があるのか、真っ直ぐ移動を続けていてその進路上にヒロパラが重なっていた。


 後三十分で、この店は跡形もなく破壊されてしまうだろう。


「まじかよ……いや、でもTDTがすぐに増援を送るはず」


 店長はそう言って自分を安心させて、怪獣の動向を逐一把握していく。


 五分、十分経っても、増援部隊はやってこない。


 その事に関する情報もTDTからの発表はなかった。


「くそ防衛隊は何やってんだよ! そういえばウェットスーツマンは何で出てこないんだ?」


 ネットを調べてみると、いつも現れるはずの黒ずくめの巨人は、今日は現れていない事がトレンド入りしている。


 だが、現れない原因までは掴めていないようで、憶測が飛び交っていた。


 後十分もしない内に怪獣は店長のいるヒロパラを通過する。


 まだ逃げることはできたが、祖父との思い出が詰まった商品を置いていけるはずがなかった。


「今日がオレの命日か……」


  両親と喧嘩して開いた店も、結局経営はうまくいかず、唯一の味方でいてくれたおっさんとも喧嘩してしまった。


「あの時、すぐに謝っとけばよかったな」


  微かな振動を感じる。それは次第に大きくなっていく。


 地震ではない。怪獣トゲブトンが一歩一歩近づいているのだ。


「くそ怪獣め。一発ブン殴ってやりたい」


「それは……僕に任せてください」


  声がした出入り口の方を見ると、そこには見慣れた丸メガネを掛けた中年男性の姿。


「その怪我どうしたんだよ」


 おっさんは頭に包帯を巻いていたのだ。


「僕の事はいいんです。それよりも店長避難してください」


 ビジネスバッグを持ったおっさんは、右足も怪我しているのか引きずりながら近づいてくる。


「オレは、避難しない。ここの商品を置いていくことなんてできない」


「でも、このままじゃ確実に……命を落としてしまう。早く避難しましょう」


 おっさんが伸ばした手を払う。


「だからほっといてくれよ。オレよりもおっさんの方こそ先に避難しろよ。それに防衛隊の兵器がやってきて怪獣を撃破するよ」


「無理です。彼等の持つ火器じゃ、奴は倒せない」


 おっさんは確信を込めた口調で言い切った。


「じゃあ、いまだに現れないウェットスーツマンはどうなんだ?」


「……彼は、前回の戦いの怪我が思ったより酷くてまともに戦えないと思います。だから今は避難しましょう」


「あの怪獣に、じいちゃんとの思い出を踏み潰されるなら、オレもここに残る。そして天国のじいちゃんに謝りに……」


「馬鹿なことを言わないでください!」


 強い口調に店長の言葉が途中で止まった。


「あなたが死んだら、お祖父さんも、ご両親も悲しみます。僕も、僕も考えただけで悲しくなります」


 おっさんは店長の左手を掴んで引っ張る。


「ちょっ痛。離せよ」


「今日は僕の言うこと聞いてください。店長に死んでほしくない。

  今の僕が立ち向かっても奴に勝てる保証が無いんです。

  だから恨まれてもこうするしかないんです」


「立ち向かう? 何言ってんだ。意味わかんねえよ。離せよ!」


  渾身の力で振りほどくと、バランスを崩したおっさんは受け身も取れずに頭から転んでしまった。


「だ、大丈夫か⁈ ん、ソレって」


 起こそうと近づくと、いつも大切に持っていたビジネスバッグの口が開き、中にある物に目を奪われる。


 店長は断りも入れずに、ビジネスバッグに入っていた物を取り出して広げる。


 肘や膝のところはシワだらけで、所々穴が開いてヒビだらけ、それは使い古した黒いウェットスーツに良く似ていた。


「おっさん。まさかあんたがウェットスーツマン、なのか」


 おっさんは自力で立ち上がると、何も言わずに店長からウェットスーツを取り上げる。


 その無言の行動が店長の質問に対しての答えだった。

 

  更に振動が大きくなり、天井から埃が落ちてきた。


「時間がない」


 おっさんはそう言うと、突然着ていたワイシャツを脱ぎ始める。


「ちょっと何してるんだよ!」


 店長は真っ赤になった顔を素早く両手で覆った。


 その間におっさんはトランクス一丁の姿になり、ボロボロのウェットスーツを着込む。


 全身ウェットスーツ姿のおっさんはビジネスバッグからゴーグルを取り出すと、右足を引きずりながら外へ向かおうとする。


「そんな身体で何処行くんだよ」


 店長の質問に、おっさんは振り向いて答えた。


「僕が奴を足止めします。その間に逃げてください。いいですか? 絶対に逃げてくださいよ」


  人差し指を立てて念を推すおっさん。


「何でそんなボロボロの身体で戦うんだよ。死んじゃうかもしれないんだぞ。一緒に、一緒に逃げようよ」


 それは店長の本心だった。


 おっさんは丸メガネを外すと、目を細めて店長と視線を交差させる。


 その時、店長の心臓が一際強く脈打ち、全身が熱を帯びるのをハッキリと感じた。


 おっさんは、ゆっくり近づくとポニーテールに纏められた黒髪に優しく左手を置いた。


「自分で決めた事を諦めたくないんです」


「決めた事って何だよ?」


 おっさんは答えず、微笑みながら店長の頭を撫でると、背中を向け、フードを被って持っていたゴーグルを装着する。


「早く逃げてください」


 足を引きずりながら離れていくおっさんの後を追う。


 店長が外に出た時、おっさんは自らの意思で巨大化していく。


 十三階建ての建物と同じくらいの大きさになったウェットスーツマンは、店長の方を見て一つ頷くと怪獣の方へ向かって歩き出した。


「おっさんも戦ってるのに、オレだけ逃げるなんて出来るか!」


 約束を破り、店長は店の上にある貸しビルの非常階段を登っていく。


 屋上に出ると、ウェットスーツマンとトゲブトンが今にも取っ組み合うところだった。


 先に仕掛けたのはウェットスーツマンだ。右足の痛みをこらえて走って近づき、怪獣の胸部に連続パンチを浴びせる。


 トゲブトンの反撃を避け再び殴りつけるが振り回された尻尾に吹き飛ばされ、無様に胸から道路に倒れ込み止まっていた車を押しつぶしてしまった。


  ビルをなぎ倒しながら振るわれた尻尾が、起き上がろうとしたウェットスーツマンの顔面を直撃し、またも倒されてしまう。


 怪獣が卑怯な行為をする。


 ウェットスーツマンの怪我した右足を狙って踏みつけたのだ。


 傷をえぐられ痛みに声を上げてしまうヒーロー。


 トゲブトンはウェットスーツマンの頭を掴むと、ビルに叩きつけて固定し、今度は怪我した頭を何度も何度も攻撃。


 殴られた頭部が左右に振られる様は、正しくサンドバッグ状態。


 連続で頭を殴っていたトゲブトンは両手で頭を掴み投げつける。


 ウェットスーツマンは受け身も取れずに背中から歩道橋を巻き込んで道路に落ちた。


 怪獣の棘が動き出し、まるでミサイルのように発射された。

 

  ビルの窓が吹き飛び、部屋の物が軽々と吹き飛び、道路にクレーターが出来ていく。


 その中心にいたウェットスーツマンは両手で顔をかばうも、盾にした前腕に棘ミサイルが何発も直撃した。


 攻撃が止んだ時、ヒーローの両腕のスーツ部分は破け、素肌は真っ赤に染まっていた。


 店長がいるビルの近くで、ウェットスーツマンは片膝ついたまま動かない。


 そんな弱った獲物を見て勝利を確信したのか、トゲブトンは堂々とした足取りで近づいてきていた。


「おっさん立てよ。諦めたのかよ」


フェンス越しの店長の声も届かない。


もう一度、喉が裂けんばかりの大声で発破をかけた。


「自分で決めた事は諦めないんだろう。だったら立てよ!」


店長の声が気に障ったのか、トゲブトンが棘ミサイルを発射。


店長は無駄だと分かっていても、両手を盾にして目を閉じた。


耳が裂けるような爆発音が聞こえたが、身体を吹き飛ばすような衝撃も、足元が崩れるような振動もない。


恐る恐る瞼を開けると、こちらを見下ろす巨人と目が合った。


「おっさん……」


ウェットスーツマンは立ち上がり、怪獣の方に身体ごと振り向く。


店長の方に見せた背中は血だらけでウェットスーツも赤く染まっていた。


中々倒れないヒーローにトドメを刺すように、トゲブトンが姿勢を低くして突進してくる。


迎え撃つウェットスーツマンは、両手を怪獣に向けて真っ直ぐ伸ばすと、両手の親指と人差し指で三角を作る。


そこにエネルギーを集中させ、三角の光線を放った。


三角は突っ込んでくる怪獣を包み込むと、そのまま宙に浮かんでいく。


ウェットスーツマンは、くっ付けていた親指と人差し指を離す。


すると、三角形が眩い光を放ちトゲブトンの姿が搔き消える。


光が収まった時、街を破壊していた怪獣の姿は跡形も残っていなかった。


ウェットスーツマンの身体が前のめりに倒れる。


段々と小さくなりながら、道路の真ん中で仰向けに倒れた。


「おっさん!」


急いで下に降りた店長は、ゴーグルとフードを外して、剥き出しになった顔を何度も叩く。


「怪獣は倒したんだ。勝ったんだ。それなのにあんたが死ぬなんてバッドエンド、オレは嫌なんだよ。だから早く目を覚ませ!」


おっさんの瞼が微かに動き、ゆっくりと開かれた。


「良かった。生きてるんだな」


「はい。店長泣いてるんですか?」


指摘されて慌てて袖で拭う。


「違ーよ。慌てて降りてきたから汗が垂れてきたんだよ!」


恥ずかしさを誤魔化すように、おっさんに肩を貸す。


「離れた方がいいと思います。僕臭いますし……」


確かに、ウェットスーツは生暖かく湿り、汗と血が混ざった臭いが鼻を突く。


それでも店長は汚れても構わないと思っていた。


「バカ。そんな姿見られたら正体がバレちまうだろ。それに臭いのは事実なんだから。このままソドム銭湯行くぞ」


「はい……店長」


それ以上、おっさんは反論する事なく、店長に手伝ってもらいながら、その場を後にするのだった。




トゲブトンが倒されて数週間が過ぎた。


あれから怪獣は現れず街は平和である。


ウェットスーツマンの正体がバレる事もなかった。


相変わらずおもちゃ屋ヒロパラはお客の入りが少なく、店長とおっさんの二人しかいないが、


「よっしゃ!」


少しだけ変化があった。


「店長。何かいいことありました?」


「へへっ。メールでやりとりしていたお客さんが、商品気に入ってくれて、買ってくれるってさ」


「やりましたね店長!」


あれから二人で考え、SNSの呟きに、商品に対する思い入れと祖父との思い出を書くようにしたのだ。


すると少しずつ反応が返ってきて、何人かの人とメールでやりとりし、こうして購入してもらえるようになったのだ。


「よしおっさん。今日はメトロンでパーティーやるぞ。明日は店休みだから朝までコースだからな」


「いいですよ。そういえば店長。今度やるヒーロー番組知ってますか? あのシャイニングマンの新シリーズ」


それを聞いた店長の耳がピクリと震え、目を輝かす。


「『シャイニングタイガー』だろ。知ってるよ。面白そうだから第1話観てやろうと思ってる」


「またそんな上から目線。因みに三人のヒーローの中で誰が気になります? 僕はシャイニングティタスが気になりますねぇ」


「オレは断然タイガーだな。あの二本の牙がチョーイカスぜ!」


楽しそうな二人のヒーロー談義は外まで聞こえるほど大きな声だった。


その声を聞いて、また一人新たなお客さんがやって来る事になるとは、二人はまだ知る由もなかった。


―おわり―

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