ここはどこなんですかー!!!
令和最初の夏に異世界に転生したった!♡
前に撮影の待ち時間中にモデル仲間の杏里が言ってた。
「今、主人公が異世界に突然転生した結果、めちゃくちゃスペックが高いスーパーマンみたいな存在になって、活躍する、みたいな内容の小説が流行っているらしいよ」
と。
ほかにも色々と話していたから、はいはいって聞き流していたけれど今となってはもしもうちょっと杏里がその話を真剣にしてくれていたらと思ってならない。途中の設定はともかく、ストーリーの結末がどうなるのかだけでも聞いておけばよかった。
私、異世界、なう。
子供の頃から足は速い方だった。いつもリレーの選手で、かけっこ1位は当たり前。学校の外の大会でどれだけの結果を出せるのかというのが毎年の私の楽しみだった。と言ってもこれは単に生まれつきそうだったって言うだけで努力して手に入れたものは幼少期から続けているヴァイオリンのスキル。あまり練習時間のない日々の中でもコンクールで賞を受賞することもあるからそう悪くはないと思う。
そのほかに私について言うとするのなら、大学に入って以来モデルをしている。9頭身のスタイルを生かせる仕事だったから、アリかなと思った。お陰で初めてモデルデビューしてから割とすぐに単独表紙も飾らせてもらった。
もちろん外見だけで中身が薄いって言われるのだけは許せないから勉強にも全力。普通の受験科目だけではなくプログラミングに至るまでなにもかもを全速力でやってきたと思う。だから才色兼備モデルとして、テレビのニュース番組にも毎日出してもらっている。正直なところ睡眠時間とか、課題とか、いろんなことを考えるとショートしそうになるけれど、それが目に入らないふりをしながら目の前のことに必死にくらいかかり、一瞬一瞬に全力を尽くすことをし続けたら全てをなんとかこなすことができる。いつ寝てるの?とか、本当に1日が24時間なの?もしかして36時間だったりしない?って聞かれるけれど、毎日4時間睡眠で、起きている時間中はギンギンに頭が冴えわたっている状態で次から次へと襲ってくる全てをなぎ倒し続けているだけだ。時間がないなら、短距離走のペースで長距離を走ればいいじゃない。前にそう言ったら平成のマリーアントワネットって言われたけれど、できれば新しい年号にしてほしい。自分のことを古くさく感じるのなんて真っ平御免だから。
さて、杏里が話していたように「ごく平凡な能力しか持たない主人公がトラックに跳ね飛ばされた勢いで異世界に飛んだら全ての属性の魔法を使えるようになった上に、その威力が魔法を教える先生たちのものをはるかに凌駕していて学院中を驚かせてスーパーヒーローとしての人生が始まった」という異世界に転生する時のセオリーが本物なのだとしたら、現世ですら、完全なるハイスペック女子の私が異世界に転生したら、どこまで無敵になれるのか知りたい、なんて思いながら歩いていたら、突然自転車に跳ね飛ばされた。
で、今に至る。
周り中みたことのない景色。
一瞬、あれ?私、死んだ?ここは天国かな?とも思ったけれど、天国にしてはあまりにも地味すぎるし、そもそも自転車で轢かれて即死なんていうことはなかなか起きない。確かに確率がゼロだとは言わないし、実際に起きているのも知っている。だから私は自転車用の保険にも入っている。加害者になってしまった時用の保険ね。
で、話が逸れたから話を元に戻すと、私はたしかに自転車に轢かれた。
でも、ひかれたというよりはひかれかけたに近い。あ、ぶつかる!と思った次の瞬間、痛みも傷もない状態で、変な着物を着て、通りに立っている自分に気付いたというのが正確な表現。これって死んだって言えるのだろうか。
辺りを見渡して見たけれど、天国の門もなければ地獄っぽさもない。死んだ祖先らしき顔もなければ天使もいない。当然のごとく小さい頃に死んだ犬のポチも出迎えに来てくれていない。
風景も天国とか地獄みたいなファンシーな感じと違って、周りの景色は昔の日本!という感じ。あっちに天守閣、こっちに武家屋敷、そっちには長屋、あの辺には竪穴式住居。
科学技術とかは一切進歩していません!水道何それおいしいの?状態の景色だ。私の着物もトラディショナルジャパン!って感じ。
あのー、私は、異世界に転生したんですかね?
杏里が話していたことによると、異世界に転生すると神様みたいなのが現れて「ここは異世界じゃ!」って言ってくれたり、そこまで露骨ではないまでも、魔物に襲われていたところを助けてくれた異国情緒あふれる衣服の騎士に「見慣れない服だな。君はアデラルールのほうが出身か?」などと聞いたことのない地名を聞かされたりしてここが元いた場所とは全然違う場所だと気付いたりするはずなんだけれど。
往来を行き交う人々は、どこからどうみても日本人だった。だってみんな普通に日本語で話しているし。
流石に天国がグローバル化されていないとは考えにくい。みんな分け隔てなく行くのが天国なら、ここは日本人エリア!みたいなのもないだろう。ということは、だ。ここが明らかに日本っぽいということは、天国の可能性がかなり下がる。
そもそも地上ではお手洗いに入ると自動で天井の電気がつき、トイレの蓋もウィーンと開くような状態なのに、天国がこれだとしたらあまりにも後進国すぎる。とっくのとうに死んだはずのエジソンだのなんだのはなにをしていたのだ、さぼりか?アインシュタイン、君の脳のスライス、この間科学博物館でい見たぜ?あれはお飾りかい?
と、いうわけで、私はとりあえずのところ、自分が異世界転生したのだと結論づけた。
そこで生じた問題は3つ
まずは今日これからどうやって食べたり飲んだり寝泊まりする場所を得るか
次にどうすれば元の世界に戻れるのか
そして最後は、まだ未練のある元彼に連絡取れなくてきつすぎるんだけど、どう乗り越えればいいの?
この3つさえなんとかなれば、そんなに問題がない。とりあえず私は自分の衣類に手を当てた。
ない、ない、ない。
どこを触ってもスマホらしきものはなかった。異世界にスマホを持って転生したという話もあると聞いたことがあったけれど、現実にはそんなことは起きないらしい。
スマホがないと元彼とも連絡が取れない。困った。まぁ、あったとしてもこの世界に充電できる場所なんてなさそうだけど。
ここはさながら時代劇の中だ。それも、かなり時代考証がめちゃくちゃな。
日本史の資料集に載っている『日本における伝統衣装の変異の一覧』をそのまま再現してるのかと思うほど、服装からしてみんなめちゃくちゃだった。あっちは平安時代、こっちは江戸時代。
北条政子と徳川家光が鹿鳴館でモンペ履きながらワルツを踊っているよ!と言われたら信じられるレベルでありとあらゆる時代の日本が溢れかえっていた。
これがもしも小説なのだとしたら、作者は確実に日本史の勉強をし直すべきだ。受験科目に日本史は使わなかった私の方がまだましな状態で小説を書けそうだなんてどうかしてる。でも残念なことにこれは小説じゃない。私はわけのわからない世界に飛ばされてしまった。
私は自分の衣服を見た。様々な色で鮮やかに染められている美しい壷装束だ。
道行く人々の中で私だけ色彩をまとったかのよう。
茶色とか、紺色とか、草色とか、そういういつでも泥に溶け込みそうな沈んだ色の衣服を身につけて、顔を泥で汚している人ばかりしかいない中で、私1人だけ絵の具のパレットのような服を着ている。頭に布の垂れ下がったザルみたいなのもをかぶっていたけれど、それでも私の華やかさは全く隠せていなかった。
「なるほどね、異世界に転生する時のセオリー通り、ちょっと他の人とは違って、階級が上ってやつね」
そう納得した反面めちゃくちゃ心配だった。この着物、周りの人たちとはあきかに身分が違う。この服を着ていたら私がひかえおろー!などと言っても様になりそうだし、実際に私がここで
「頭が高い」
と叫んだら街行く人全員がひれ伏すかもしれないとさえ思った。
まぁ、さっきからみんな私のことを無視して行き交っているから、ひれ伏さないんだろうけれど。
とにかく言いたいのは何が不安かってこの着物があまりにも豪華すぎること。この着物は1人で歩くのにはどう考えても不向きだ。盗賊さん、狙ってください、高価なものを身につけて歩いていますよ!って言わんばかり。
身代金ゲットするために私でも誘拐します?って顔に書いて立っているみたいな気分だ。でもどうにもならない。これ以外に洋服なんて持っていないんだから。
私は1人だけ派手ななりをして立ち尽くした。普段の私は目立つ衣服を着ても、そのことで人に注目されても気にしない。でも、これは話が別。どんな治安状態なのかわからない国で目立っていいわけがない。
とりあえずさっきからここに立っているけれど、今のところは誰からも襲われていない。人通りも多いし、ここは比較的治安がいいのかもしれない。そう思うとそこから一歩も動けなかった。本当に文字通り一歩も。動いたらその瞬間に何か起きるんじゃないかと思えてきて一ミリも動けなくなった。
「姫君!!」
私が動けないまま緊張していたら、突然男たちに囲まれた。
思わずボクシングの構えのポーズをとる。
いろんなことに挑戦してきた私も、流石にボクシングは習ったことがない。でもボクシングのファイティングポーズくらいはわかる。相手を威嚇しようとして自然と出ていた。
「姫君、勝手に抜け出されては困ります。万が一のことがあったらどうしたらいいのか。カゴを用意しました、どうぞこちらへ」
男の1人が真剣そうな顔でそう言う。私は姫なのか。それって本当の本当に本当なんだろうか。そこで試しに
「頭が高い」
と言ってみたら、台風になぎ倒される稲のごとく、一気に男たちが跪いて頭を下げた。流石に焦る。
「冗談、冗談、言って見たかっただけだから、早く顔を上げて」
と言ってみたけれど誰も動かない。仕方がないから
「面をあげい」
と、時代劇っぽく言ってみたら全員が私を見た。
「あのね、私ね、記憶がないの。自分がなんでここにいるのかもわからないの。簡単に言うと、あなたたちが敵なのか味方なのかわからないの。その状態で付いて来いって言われても流石に厳しいかなぁ」
ナンパされたのを断る時よりは優しく、婉曲に言ったけれど、誰にも通じなかった。
「姫、お戯れを」
「姫、どうかカゴに」
しつこい。ナンパの方がマシだ。そもそも
今の私に選べるのは二択。一つは彼らの申し出通りカゴに乗って今晩の宿と食事を手に入れる。もう一つは、彼らの話には乗らずに代替案がないか考えること。
私はじっと男たちを見た。彼らは全員、和歌でも詠んで蹴鞠してキャッキャウフフしていそうな服装に見えた。
彼らの言うカゴを覗いてみる。
「なにそれ、カゴじゃないじゃん!ハンモック?」
彼らの持っていたのは棒に布地が吊るされているだけのものだった。網をかけて生け捕りにされた狸がよろしく布地に吊るされながら帰宅しろと?
普通に考えると歩いた方が数倍増しだ。この靴で歩いたことがないからなんとも言えないけれど。
「はんもっく?」
男たちが呆けたような表情をしたから、私は
「ごめん、忘れて」
と言い
「悪いけれどもうちょっとほかに代替案がないか考えてみるわ」
と言った。彼らは私のことを無理やりカゴに押し込んだりしなかったから本物の家臣か何かだと信じても良さそうには見えたけれど、親切そうな顔をして恐ろしい人も世の中にはたくさんいる。もっと周りの様子を確認してからでも遅くはないだろう。そう判断した。まだ日が暮れそうにもなかったし。
男たちが顔を見合わせる。
「姫、どうかご容赦」
1人の男がそう叫ぶと私は4人の男に押さえ込まれてカゴへと放り込まれた。あれよあれよと言う間に私は運ばれていく。
「ちょっと待って、誰か助けて!誘拐です、誘拐!110番して!誰か!」
街行く人々は当然のごとく私の言葉を無視した。カゴはやけに揺れて、どんどんと気持ちが悪くなってくる。
「ねぇ、乗り物酔い、気持ち悪い」
私は外にそう訴えたけれどそれも誰1人として聞いてくれなかった。
この集団は私の味方だろうか、敵だろうか。感触としては味方だ。でももし敵だとしたら
「異世界に転生した千佐都は転生後30分もせずに死亡」
となる恐れもある。これが小説なら「まだこんなに分厚いし主人公は死なないだろう」ってなるのかもしれない。でも、残念なことに私は小説の主人公なんかじゃない。だから残りのページの枚数も知らない。それにもしこれが小説でまだまだページ数があるからと言って私が生きている保証なんてない。短編集かもしれないのだ。
とにかく私は拉致されて殺されるのだけはごめんだった。
飛び降りて駆け出そうか。私は自分の履物を見た。草履だ。こんなものを履いて全速力を出せるのだろうか。
「出せるか出さないかじゃない、出すんだよ」
私はそう呟くと3.2.1でカゴから飛び降りた。正確に言うと飛び落ちた。でもとりあえずカゴから出られたのだけは確かだ。急いで起き上がると元来た場所へと目一杯の力で走る。走ってはいるのだけれど草履は痛いし、着物は走りにくいと言ったらありゃしない。20メートルも行かずにあっさりと捕獲された。
そしてまた宙づりにされながら長いこと揺られ、橋を渡り、大きな門をくぐり、そこからしばらく歩いたところにある建物の一角で降ろされた、
「ただいま戻りました」
男の声に程なくして奥の方の戸が開けられた。十二単の女性がゆっくりと歩いてくる。衣服が華やかだ。
私壷装束なんですけれど、貴女は十二単?いやー、流石にないでしょう。時代考証めちゃくちゃすぎにもほどがあるわ。
「千佐都様」
その女性は私のことを真っ直ぐに見た。目が冷たい。
「そのように気が向くと庶子のように振る舞うのは、私の出自への当てつけですか」
女性って表現したの、撤回。女性って雰囲気でもありませんでした、完全に怒り狂う女って顔をしてます、この人。こわっ。
「まず、私には貴女が誰なのかわからないし、変な意味とか全くないからね」
別に敬語を使えないわけじゃないけれどなんとなく使わない方がいい気がして私がそう言うと
「誰なのかわからないですって?私の存在すらも無き者として扱うとは!」
と完全に怒り心頭に発するといったご様子で背をむけて立ち去っていった。ただ、立ち去ると言うよりは向きを変えてのんびり動き始めたという感じだったけれど。あまりにもその様子がのろかったから思わず気になって横にいた男性に尋ねた
「あの人、やけにゆっくりと歩いているけれど、なにかワケあり?」
「わけあり、とおっしゃるのはいったいどのような意味でしょうか?」
「足を怪我していて早く歩けないとか、引き留めて欲しくてわざとゆっくり歩いているとか、何か理由があるのかなと思って」
「千佐都様、草の局様はいつも通りのご様子です」
はい、了解。いつもあんなにトロトロしてるのね。気がきつくて喧嘩腰、歩くのがトロいのが草の局さん、はい記憶。
「で、その草の局さんは私のことを知っているみたいだったけれど、なんで知ってるの?」
「なんで、とはいったいどのような意味でしょうか」
男は完全に面食らっていた。
「あのね、私はね、さっきも言ったように本当に記憶がないの。ここはどこ?私は誰?状態。だから誰が敵なのか味方なのかもわからない。出来るだけ中立の立場で私の置かれた環境について話を出来る人で、なおかつ私の腹心と言える人を寄越して。私はその人と2人で話したい」
私がそう言うと男性は
「わかりました」
と言った。意外だった。御意、とか、仰せのままに、とか、ははあ!とか、かしこまりましたとか言うのかと思ったらすごく普通の平易な日本語だった。
「ありがとうございます」
私がそう言うと男は驚いたような顔をした。
「あ、すみません、さっきまでタメ口きいていたからびっくりしましたよね。私、ナンパに対してはタメ口で返すって決めているんです。あなたたちに声をかけられたのも私にはナンパの類のようなものだったしそのノリのままのテンションできちゃったからあんな感じでしたが、普段の私は普通に敬語で話せます」
「ため、なんぱ、のり、てんしょん」
だめだこれは……。
前に杏里とディズニーランドでした遊びについて思い出す。アトラクションを待つ間中カタカナ言葉禁止で会話をして、間違ってカタカナ言葉を使った回数の多い方がアイスを奢るっていう遊び。
アイスはだめだけどあいすくりんはいいんじゃないかとかいや、やはり乳脂肪分をふんだんに使用した氷のように冷たいお菓子って言うべきだとか。
「ごめんなさい、私が悪うございました。さっきまでの話し方は忘れてください」
私がそう言うと1番後ろを歩いていた老人が私の方へと歩いて来た。
「千佐都様、またたまに見られる記憶障害ですね。腹心のものと会う前にいたこを呼びましょう」
彼はそう言うと一礼しどこかへと去っていった。
十二単が出て来たかと思ったら今度は、イタコですか。その次はハリーポッターでも出てくるのかしら。
私がうんざりしながら、促されるままに歩き草履を脱いで段を上がると振り向いて草履の向きを直そうとした。その途端空気が凍った。
「千佐都様、履物は私が担当します」
男の1人がそう言うと、彼は私の草履を持ってどこかへと消えていった。
なるほど。靴を揃えるっていう文化はないわけね。しかも靴は没収されるから夜中に火事が起きたりなんだりした日には裸足のまま逃げることになるのか。お姫様の人生って相当大変そう。
私がそう思いながらスタスタと歩いていると、男たちが3人ほど私を抜かして前に出てきて、道を塞ぐようにしながらのろのろと歩き始めた。だらだら歩きたくないのに、とうんざりしていると若い男が私の半歩後についた。
「千佐都様、どうぞ姫君らしいほの進め方をしてください」
姫君らしい進め方、ね。
私は自分の歩き方が早すぎたらしいことを察した。そしてまたグダグダと言った調子で歩くのがよくないことも。花魁が練り歩く時みたいに一歩ずつを気取りながら歩けばいいのだろうか。とりあえずそうして周りの様子を伺ってみたら半歩後ろの若い男が
「千佐都様、ありがとうございます。千佐都様のお部屋までは先行く者達が案内するので安心してください」
と言った。尊敬語とかじゃなくて丁寧語なのね、と思う。お部屋という単語が出てきたのも意外だった。居室とか御所とかなんかそれらしき言い方でもされるのかと思った。
歩きながらさっきまでのみんなの様子や物言いから、私は「千佐都様」である私が前にも記憶を吹き飛ばして姫らしからぬ振る舞いをしたことがあったらしいことはわかった。
ここの世界には、私ではなく同じ名前だけど別人格の千佐都様という存在がいて、私はその人の代わりをするだけ、か。異世界転生ものって見た目の心も本人のままなのにも関わらず
「超つえええええ!!!」
って無敵になって無双する話じゃなかったの?確かに私の名前は千佐都だけど、今日突然湧いてきた千佐都さんじゃなくて、元からいた千佐都様として振る舞うことを求められている。異世界に転生したのは間違いがなさそうだけど、何かがイメージと違う。
「千佐都様、こちらが千佐都様のお部屋です」
障子が前に立ちふさがっていた。お付きのものが開けてくれるのかなぁと思っていたけれど、いつまで立っても動きがなかったから仕方がなく自分で手を伸ばしたら後ろから人が2人すっ飛んできた。
出てくるなら早くしてくれ、と思いながら私は部屋に入る。そこには何もなかった。しかも10畳はなさそう。お姫様って意外としょぼいのね、なんて思っていたら、おつきのものがささっと出てきて正面にあった襖をあけた。奥にも部屋がある。
私が奥へと歩いて行ったら、また次の襖をおつきのものがあける。
それをうんざりするくらい繰り返して、次の間へ、次の間へ、と繰り返して行ったらやっと最奥にたどり着いた。
最奥の部屋は最も豪華絢爛といった様子だ。
美しい着物が和ハンガーにかけられている。木目の美しい和ダンスも。
ついでに刀も置いてあって、甲冑もあって、まがい物っぽい北斎の絵も掛けてあった。
置物のセンスに、「アイラブジャパーン」と言っている外国人のチョイスに似たものを感じなくもなかったけれど、その辺りは後で撤去してもらおう。
「姫君」
入口の方から小走りで裃の男性がかけてきた。
また時代考証すごいことになっているなぁ、今度は裃か、おいおいと思いながら彼を見ていたら、彼は私の前に跪いた。
「イタコが到着しました」
「あ、じゃあ連れてきてください」
「姫君、イタコは1番最初の間にまでしか入ることが許されていません」
「それってつまり最初の部屋まで戻るってことですよね?」
「はい」
「急ぎ足じゃいけないんですよね?」
「はい」
「さっきあなたは小走りでしたよね」
「はい、しかし姫君は」
「わかりました。それでは私は瞬間移動をします。みなさま、目も耳も閉じていてください」
私はそういうと襖をどんどんと開けながら走り抜けていった。走っても走っても部屋が次から次へとあってうんざりする。最後の襖を開ける前に私は呼吸を整えた。姫たるもの、走ったりせぬもの。
私は走ったことなんてありません、と言った顔をしながら襖を開けようとして、躊躇った。
襖を自分で開けるのも姫君的にはNGよね?
困って後ろを向いたら、怖い顔をしている家臣たちがいた。
「走っているところ、見ました?」
「いいえ。瞬間移動のことは見ておりません」
絶対に走っていたのをみてブチ切れています!という顔をしながらそう言われた。全員かなり怒っている。
まるで職員室で全職員に囲まれて怒られているかのような気分だ。そんな目にあったことはないけれど。
「イタコに会おうと思います」
私がみんなの顔を見ないようにしながらそういうと、おつきのものが襖を開けてくれた。
入口の障子の前にイタコらしき奇妙な服を着た女性がひれ伏していた。その横にさっきイタコを呼んでくると言っていた初老の男性が座っている。
「みな、外を全て固めておくように」
初老の男性が言うと、男性陣が返事をして障子の向こうへと消えていった。すぐに障子に男性たちの影が浮かんだ。彼らは隙間なく並んでいる。
誰も来させまい、誰も通させまいとしているのがよくわかった。ここは誰にも邪魔をされることのない3人だけの空間だ。
「イタコさん、よくわからないのですがよろしくお願いします」
私がそう言うと、イタコは少しだけ顔を浮かせて髪の影から覗き込むようにしてジロリと私を見上げた。
初老の男性が私の方を向く
「姫君の記憶が以前、なくなったのは幼少期のこと。それに比べて今回はさらに一段と重症なよう。イタコに記憶と未来を呼び起こしてもらいましょう」
未来、か。
「姫君、我々イタコは天より頂きます言葉をそのままこの体を介して伝えるのみ。後から意味を聞かれても答えかねます。疑問に思ったことは憑依しているうちに聞いてくださいませ」
イタコはそう言うと、数珠を擦り合わせ始めた。何日も洗っていなくて脂だらけと言った様子の髪のむこうから、目の光だけがこちらを向いている。
呻くように何かを唱えていたイタコが、突然ピクリと動いた。
そして彼女は顔を上げて金切り声でこう言った。
「あいふぉーーーーーん」
iPhone?イタコの次はハリーポッターじゃなくてスティーブ・ジョブズだったのね残念。でも両方メガネだし魔法使いみたいなものだから当たり?ニアピン賞?
「何を言っても信じないと思うので、これを言えば信じるだろうなって言葉を言ってみた」
イタコはそう言うとしなを作った。
「千佐都は、iPhone派だよね、だけど日本の誇る企業SONYのエクスペリアも使ってみるべきでしょう?だってiPhoneは今発売の機種は18万円もするんだよ?そんなにたかかったらパソコンも買えちゃうじゃない。日本の誇るメーカーのドラム缶式洗濯機も買えちゃう。そう、iPhoneもとうとう殿様商売始めたよね。でも、価格的にも機能的にももうそろそろ転換期。最早消費者をバカにしているレベルで価格は高いし、イヤフォンジャックのなくなった機種なんて使いづらいし、これからはiPhoneは廃れていくよ。かつてT型フォードが一斉を風靡したのに、みんなが持っていると言う理由で消費者に見向きもされなくなったように」
「あれは安価の量産品だから見向きもされなくなったんで、みんながiPhoneを持つようになった今、iPhoneを一段階上のブランド化させて奢侈品として売り始めているのとはちょっと違わない?あーでもたかだかガジェットごときに奢侈品も何もないか。いや、わからない。ちょっとその辺は今度考察したり調べてから話すのでもいい?」
私がそう言うと
「iPhoneのブランド戦略も、Xperiaがどんなに素晴らしい機種であるかも、今はどうでもいい。私が言いたいことはただ1つ!私は最新のニュースに至るまで千佐都の世界のことを全て知っている。あなたはあの世界からこの世界に送られてきた。ここは日本のパラレルワールド。あなたのいた世界と並行している別の世界での今」
あ、異世界転生もので神様が状況説明してくれるのが始まった。私の場合はなぜかイタコだけど。イタコってこういう職業だったっけ?しかもさっきと話し方がまるで違う。
「この世界ではすべての国が鎖国をしている。イギリスでは蒸気機関が生まれたけれど、そのことを知っている国はない。完全鎖国で留学生を送り合うこともない」
「それはおかしくない?そうだとしたら日本の文化にもズレが出ているはずじゃない?大陸の影響を全く受けずにここまできたら、こんな日本史の教科書に載っているような衣服とか竪穴式住居とか、天守閣とか、あんな風になっていない気がする」
「あんな風にとはどんな風にだ」
「だから、日本史の資料集に載っていたのと同じ形」
「千佐都は日本史の資料集の写真を詳細まで覚えているのか?」
「詳細までは覚えていないけれど」
「それでは、同じように発展しているとはいいきれないだろう。とにかく、この世界線では、過去に国々の間に多少の交流があったとしても、相当前から現段階まで全世界のすべての国が完全に鎖国をしている。だから、この国でも鎖国された文化の中でそれなりに皆のものが楽しく暮らしている。なんでもスマホでググって、ウォシュレット付きトイレにかまけ、エアコンは自動お掃除機能付きの世界線からこちらにきた千佐都に、この世界で何ができると思うか?」
ウォシュレット付きのトイレにかまけって何よ。私は元彼じゃないんだからウォシュレットが付いていないと無理とか言わないわよ。
「この世界で、私に何ができる?ってどう言う意味?」
「見える、私には見える、千佐都が好き勝手に生きた結果この国が変わるところが。良くも悪くも全てが壊れていく」
「そんな、私が破壊神かのように言わないでよ」
「千佐都、千佐都様は姫君。全てを得た姫君。いずれは全てを手に入れる。でも流されるままにいるのか、全てを確実に手中に収めていく女傑になるかは千佐都次第。また会おう」
そう言うと、イタコはパタリと倒れた。私は一呼吸置いてから、初老の男性をキっと睨み据えた。
「iPhoneを用意しなさい」
私の言葉に初老の男性は硬直した。
「千佐都様、あいふぉーん、といいますのはどんなものでしょうか」
「Xperiaでもいいわ」
私の言葉に初老の男性はまた硬直した。
「えくすぺりあとはいったいどこにあるものなのでしょうか?植物か何かでしょうか」
私はイタコを揺り動かした。イタコが目を開ける。
「ちょっと、あなたスティーブ・ジョブズについてそこの彼に説明して上げて」
「ステイブジョブズ?」
イタコが怯えた顔をした。
「天からの言葉をそのまま伝えただけで、私には何が何だか」
横を向くと初老の男性も困った顔をしていた。
よしわかった、信じよう。ここは私のいた世界とのパラレルワールド。なんで来たのかもいつ帰れるのかもわからないけれど、ここにはウォシュレットもスマホもエアコンもない。それだけはわかった、あと私は全てを持ったお姫様なのね、そこも了解。
って、全然情報量ないじゃん。過去と未来の話はどうしたの?
でもパラレルワールドなら、もしかしてここが別軸での2018年ってこと?
「ねぇ、今年って西暦何年ですか?2018?」
私がそう言うと初老の男性が狐につままれたかのような顔をした。
「せいれき、とは?2018とはなんの数字でしょうか?」
西暦って西洋の暦って書いて西暦でしたね、すみません。鎖国している国では伝わるわけがない。私は頭を抱えた。
「今年は何時代の何年ですか?」
とりあえず聞いてみる。答えはないだろうなとは思いつつも。
「はい、今年は時代は令和、時は元年です」
あ、そこは同じなんですね。なんだか主軸が見えた気はした。
きっとこの国に天皇はいる。どのような変遷を経てこうなったのかはわからないけれど、令和元年と言う意味では同じだ。パラレルワールドというだけで過去に行ったわけでも未来に飛ばされたわけでもなく、今日であることには変わりがないらしい。
それにしても、同じ令和元年でも、こんなに変わってしまうものか。
何が足りないのだろうか。資源?競争心?便利になることへの意欲?
便利になることへの意欲が薄いのはあるかもしれない。日本人の特徴、便利なものを使用して時間を有効に使うことを美徳の対極を行くものと捉えること。くだらないよね。
「令和元年。教えてくれてありがとうございます」
相手の年齢を考えて、教えてくださって、と言う言葉を使いたかったけれど、どうも周りの言葉遣いが違ったので、それに合わせて丁寧語にとどめておいた。
この日本なら、私の脳内に詰まっている知識だけでも、科学を飛躍的に前進させられるかもしれない。少なくとも2018年の高校化学までなら伝えられる。
でも、資源も技術もない国に、ハーバーボッシュ法なんてものがあると伝えて、何か意味があるのだろうか。隠イオン交換膜の話をして、何か変わるのだろうか。そもそも元素の話をして信じてもらえると思えないし、元素記号を見せた日には混乱されるだろう。
ここの世界では薬草の種類を知っている人間の方がまだ役に立ちそうだ。
私は化学の表面しか知らない。どういう過程を経て来たのかの歴史も、何もかも知らなくて、既にわかったことを享受しているだけだ。だから伝えられない、教えられない。
仕組みをどんなに理解していても、どうやってそれを見つけ出したのかを知らなかったら、何も知らない人たちに教えられない。
さっきイタコがこの国が変わるとかと言っていたから、科学で貢献できるのかと思ったけれど、多分無理そうだ。
とりあえずしばらくはここがどんな国なのかを目にして馴染むことに心を砕こう。この国を変えるとしたらその後だ。
私は初老の男性の方を向いた。
「イタコを呼んでくれてありがとうございます。少しだけ見えて来た気がしました。この国で今の時代の私がとるべき行動や人間関係など必要なことを教えてください。後私が今までどのように人生を送っていたのかも」
初老の男性はイタコに下がるように告げると先ほど部屋から出た男性たちのうち3人を室内へと呼んだ。
「千佐都様は全てを忘れている状態です。幼少期と全く同じようなので自己紹介からします」
初老の男性はそう言うとひどく寂しげな顔をしました。
「私は秋保幸一吉。千佐都様の幼少期より全ての学問を指南した指導役です。まだ2歳だった千佐都様に文字を教えたのも、この私です」
あ、一致している。そう思った。私も2歳の時に文字を覚えたと親が言っていた。この千佐都様と言う姫君は、私と似たバックグラウンドを持っているのかもしれない。
「私は加納雪隆です。千佐都様の幼少期よりの学友兼護衛を兼ねております」
「同じく学友兼護衛の山千直之助」
「私も同じく学友兼護衛の滝壺豊正」
3人の男性はみんな20歳前後に見えた。
「3人とも武道に優れているのですか?」
私がそう聞くと秋保が深く頷いた。
「他にも学友兼護衛はたくさんいましたが、この3人が選りすぐりです。学問でもいずれも劣らぬ出来具合。どこに出しても恥ずかしくありません」
才色兼備、ついでに武道も、か。3人とも三者三様なれど見た目も美しかった。
さすがラノベの世界。全てが完璧だ。おっと、ラノベじゃなくてパラレルワールドだっけ。どっちでもいいけれど全てが完璧に出来上がっているのだけは間違いない。
「そういえば、男女の間は御簾を通してしか話せないとか、文を交換することで愛し合うとか、そういう状態ではないのですか?私はこの3人を含めていろんな男性と会ったけれど大丈夫なんですか?」
「姫の顔を見て接することのできる男性はごく一部のものです。そしてそのものたちは千佐都様の婚姻の対象にはならない幼少期からの親衛隊や我々のような大人だけです。千佐都様が婚姻の対象のなる方と愛を交わすのは、おっしゃる通り文を交わして。もしお会いすることとなったとしても御簾を通して後ろ姿の千佐都様と殿方との会話となります。ただ、城が催す宴の時だけは姫君たちも参加できるので、その時に国内外の男性を目にする機会はあるでしょう。ちょうど今晩その宴もあります。これからしばらくは宴続きになるで予定です」
そう言うと秋保は少しうつむいた。私はなぜ彼が俯くのか分からなかった。
「なんでそんなやるせない顔をしているんですか?」
私が尋ねると秋保は首を横に振った。
「覚えていないのであれば覚えていない方がいいのです。さて千佐都様、今宵は宴です。宴の場では、千佐都様には3人の侍女をつけます。今から宴のための装いの準備に取り掛かることになりましょう。細かい人間関係などはまだ覚えられないと思うので侍女に聞きながら進めていってください」
そう言うと秋保が立った。他の3人も続く。私は
「直之助」
と声をかけた。彼が振り向くと私は他の3人には部屋から出て行ってくれるようにと頼んだ。すると秋保が頑なに拒んだ。
「2人きりにはさせられません」
私は仕方がなく雪隆にも残ってくれるようにと頼んだ。
さてと、だ。3人の中では1番口が軽そうな直之助に聞いてみよう。
「直之助、秋保はなんであんな表情をしていたの?」
私が尋ねると直之助は雪隆の方を向いた。雪隆は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「雪隆、私は何を覚えていないの?もしそれが私にとって嫌な記憶でも、知らないで恥をかくよりはマシよ」
私がそう言うと直之助はまた雪隆を見た。雪隆はゆっくりと口を開いた。
「千佐都様はずいぶん前の宴の直前まで、松浦市右衛門様と恋文を交わし合っていました。御簾を通してお会いになったこともありました。でも宴の後、松浦様からは一切連絡がなくなってしまいました」
「私が何かをしたの?」
「いえ何一つ間違ったことはしませんでした」
彼はそう言うと口をつぐんだ。
「教えてくれないと同じ間違いをしてしまうわ」
私がそう言うと直之助がこちらをまっすぐに向いた。
「千佐都様の周りは特別な人間で固めてあります。なので葵様は普段は感じないのかもしれませんが、少し背が高いかと」
背が高いからモデルなんだけど、それがなにか?と思ったけれど、彼らの気まずそうな表情で全てを察した。この国のこの時代では背の高い女性は嫌われるのだ。
「私よりあなたたちの方が高いじゃない」
「護衛は選りすぐりを揃えてあります。体格面でも大概の人間には引けを取らぬものばかりです」
そう言われて愕然とした。それで、その程度の身長なの?と。確かに他の2人は背が高かったように記憶しているけれど直之助に関しては私より5cmも高くはないだろう。私が170cmだから、175cmでも大概の人間には引けを取らぬもの。175cmは2018年の日本でも背が高い方ではあるけれど大概の人間には引けを取らないほど身長が高いわけではない。
2018年の日本、そんな世界においてですら身長が高かった私。
令和元年のこの国では自分が単なる大女なのがよくわかった。
「前の私って、身長を気にしていた?」
雪隆が首を横に振った。
「松浦様からの連絡がなくなるまでは考えたこともない様子でした。でも松浦様からの便りを失い、初めて見た目というものに目を向けたようでした。それで宴にも理由をつけて欠席するようになってしまいまして……。ですが、千佐都様は文に優れた素晴らしい方です。見た目など些細なこと。千佐都様のような学問に秀でた人格者など滅多にいません」
雪隆はそう言うと頭を下げた。
「とりあえず頭を下げるのはなしね。あなたきっと私より年上でしょ?私はまだ今年19才なの」
私が特に何も考えずにそう言うと、また2人が気まずい顔をした。ここはほとんど伝統が未だにオールドジャパンなのかもしれない。昔の日本での19歳は恋愛くらいしている?それとももう結婚していて子供がいてもおかしくない?そう思ったら引きつってきた。
「ねえ、うそでしょ?まさか19歳だと嫁入りが遅いとか言わないわよね?」
2人の顔が「遅いでーす」と語っていた。
「ちょっと待ってちょうだい、私は草の局にやっかまれる身分の高いところが出自の姫君で、身長が高すぎるとはいえ、色が白くて顔が小さくて手足が長くてハーフみたいな顔をしているわよね?なんで?なんでもててないわけ?」
「はあふ?」
「ごめん、忘れて。なんていえばいいんだろう、目が印象的で鼻筋も通っていて唇もちょっとぽってりしているわよね?要するに美人よね?」
私がそう言うと、直之助が意を決したように話をし始めた。
「千佐都様は何も覚えていらっしゃらないようなので、伝えます。気に入らなければ切り捨ててください」
彼はそう言うと刀を私に差し出した。
「千佐都様のお顔は体に対して小さいため奇妙であることを以前の千佐都様は気にしていました。手が長すぎることも異様だと気にしていました。また痩せすぎていて手が細いことも。そして草の局様に出目金のようだと言われたことも、唇が厚すぎると笑われたことも気にしていました」
私はさっきの草の局の顔を思い出した。目が細くて鷲鼻で唇の薄い、幸は薄いけれど我の強い人間という印象の顔立ちだった。
「あの、まさかのまさかなんだけど、今の時代のこの国では私より草の局の方の見た目の方が異性から好かれやすいとか言わないよね?」
2人が黙り込む。
「え、うそ。あの顔で?あの体型で?」
うわー、無理だわ。そう思った。こんなにモデルとして完璧に生まれてきても、この時代のこの国に生まれると全てがコンプレックスにしかならないなんてふざけているとしか言いようがない。
その一方で、草の局が2018年を生きていたら、ルックスにコンプレックスしか抱かなかったはずなのに、この国では肯定感を得られるのかと思うと不思議な気がした。
「いいわ、ありがとう。2人とも正直に話してくれてありがとう。直之助、この刀でも別のでもいいんだけど、本物の男性用の刀を一本用意しておいて。次の宴までに」
私がそう言って2人に下がってもらうと入れ替わりに侍女がたくさん入ってきた。
2つ目の間に置いてあった大きな桐箪笥から着物をたくさん出してくれたほか、どこかから持ってきた着物も沢山並べてくれる。
私は奈良時代風の薄紫色の地味な着物を選んだ。
「髪型は任せるわ」
と私が言うと、侍女が半分から上をお団子にして美しいかんざしを沢山さしたスタイルにしてくれた。
「あとはお化粧ね。自分でするからいいわよ」
私はそう言って鏡を覗き込んだ。ありがたいことにいつもと同じ顔が覗いていた。今ここでモテるかおだろうが、なかろうが、自分の顔じゃないのは居心地が悪い。それにモテなくても、自分の顔を私が好きならそれでいいのだ。
化粧道具として与えられたのは眉墨、べに、おしろい、ほおべに、アイライナーらしきペン。
「美人を描いた絵などはある?写真でもいいのだけど」
そう言うと侍女が絵を持ってきてくれた。
目の印象は薄いけれど細くある必要はなさそうだ。切れ長なのが大事らしい。まゆはふんわりと自然な太さで、唇は薄く、色は白く。
なるほどね。私の場合何もしなくても目の印象が強すぎる。まつげを全部抜いたら当世風に近づくのはわかったけれど、それは避けたい。
ココシャネルはあの身分でありながら流行を作り出したじゃないか。正真正銘の姫である私にできないことなんてない。今日は様子見。でも、絶対に巻き返して、この国の千佐都姫が、千佐都姫を一目見るなり振ったという顔面至上主義最低男松浦から愛を乞う手紙をもらうところまでもっていく。絶対に。
アイライナーを細く長く目尻を伸ばして引く。白粉は全体に叩いたけれど眉墨とほおべには使わなかった。
最後に紅を紅筆で引く。この国のトレンドに合わせて上唇も下唇も細く見えるように引いてから少し考えた。
目の印象を抑えるために唇の印象を変えてみようかと。
私は下唇だけ自分の唇の輪郭に合わせて引いた。そうしたらセクシーというか、少しだらしなさそうな印象になったので、私は紅を落とした。落としたけれど色素が染み付いて完全には消えていない。でもその様がナチュラルで綺麗に見えた。うっすらと赤い唇が押し付けがましくて品がいい。
私は紅もこれ以上は引かないことにした。
侍女たちはハラハラした様子で私を見ている。
「私は美人じゃないわね」
私は独り言のように呟く。帯を締めなおしていた侍女の手が止まる。
「他の人から見て美人じゃなくてもいいのよ。私が気に入っていればそれでいいの」
そんなことをいったけれど、私がこの顔を気にいるようになった理由は、周り中から美しいと言われ続けてきたからなだけな気がする。そう思うと、何が美しくて何が美しくないのかなんてどこにも解がない気がした。私はもう一度鏡を覗き込む。いつもの私が白粉とアイライナーだけ引いてそこにいた。私はそのまま胸元に目を落とす。
鏡の中の私は儚げな印象の小さな花が散りばめられている薄紫の着物上から少し濃い紫の羽織のようなものを着せられている。
「千佐都様はそのお着物が好きですよね」
侍女の1人がそう言った。そう言われて私は改めて奈良時代風のその衣装を見下ろした。たしかにこの着物は素敵だし好みだ。けれど、何か違う。
「やめた」
私はそう言うと、沢山ある着物を次から次へと広げていった。
そして豪華に金糸の散りばめられている江戸時代風の着物を手に取った。裾の部分に大きな大きな花が描かれているものだ。
この大きさの花柄、これだけ印象の強い着物。それ以上に強い印象を与える顔立ちの私なら着こなせる。この時代の人がどう思うかなんて知ったことか。
今日はとりあえず 様子見のつもりだったけれど、勝気な性格が災いした。
「申し訳ないけれど髪型もほどいてちょうだい。結わないで行くわ」
私は長い黒髪を櫛で梳いた。
久しぶりの宴なら第一印象が大事だ。私は他の姫より「目立つ」
そう言ってみたものの、髪をすべて下ろした姿は床でしか人に見せないものですと戒められて、髪は結われることとなった。平安時代は下ろしていたんじゃなかったのか。
ちょっと不満だったけれど、でも私の希望で編み込みのアップにしてもらった。編み込みは自分でやって、それをクシを指してまとめるのを侍女に頼む。侍女は器用にまとめてくれた上に華やかになるようにかんざしを沢山指してくれた。編み込みを見て、侍女たちが色めき立つ。皆が髪型を口々に褒めてくれる。どうやらこの髪型はこの国にも受け入れてもらえそうだ。あとは仕上げ。
「何か白い花はないかしら、二本欲しいの」
私がそう聞くと、侍女は不思議な顔をしつつも庭に出て大輪の百合を二輪持って着てくれた。
「葉っぱは全部切り落としてちょうだい。片方だけ茎の長さを15cmくらいにして」
「せんち?」
単位も違うのか。私は親指と人差し指を広げて
「このくらいの長さにしてちょうだい」
と頼んだ。
私は茎を短く切ったそれを耳元に挿す。鏡を覗くとユリの花が耳元で華やかに咲いていた。
「もう一輪は手に持って歩いていきます。着物の裾は片手で持つわ」
私がそう言うと侍女が目を丸くした。
私は今日の宴についてくるという侍女達に目をやる。3人とも地味な着物を着ていた。
「あなた達も着替えて。私の着物を着てちょうだい。今日は4人で1番艶やかになるの」
そう言って、私は着物を選んで「はい」と手渡そうとしたけれど侍女達は
「汚してしまいそうでとてもとても着られません」
と尻込みするので
「盛大に汚せばいいじゃない」
と言った。
実際に汚されても困らないだけの数の着物がある。とはいえ、侍女達の反応からして、相当高価なものなんだろうなと思った。けれど、だからこそよかった。
私は姫。豪華な着物を侍女にまで着せることは金銭的に余裕のある姫にしかできない。
「宴の開始時刻より10分以上遅れてから行くからね」
私がそう言うと、侍女達はまた縮み上がった。入場の時に全員の目が集まらないと意味がない。この武家屋敷を私のランウェイにする。
正直なところ不安ではあった。私は自分が姫なこと以外何も知らない。他にもたくさん姫がいて私なんかよりずっと位が高いのかもしれないし、両親がいて奇抜な振る舞いについて咎めてくるかもしれない。咎めるだけならいいけれど、切腹しろなどと言われた日には敵わない。
でもこの世界の千佐都への印象を覆したかった。私の強さがあればいける。
自分のものにすると決めた夜だったはずなのに。宴は散々だった。
まず始まりからして終わっていた。私は宴をしているまん真ん中を、みんなの視線を引きつけながら闊歩しようとしたけれど、実際には入り口が決まっていて、いろんな人の後ろを身を小さくしながら通るしかなかった。せせこましい様子で歩く私はただの遅刻してきた人間だった。皆の視線が冷たい。
宴自体もよくわからなかった。女性の中で最も高位である場所に座らせられている気はしたけれど、それだけだった。横にいる者同士で話す空気でもない。皆が黙り込んでいた。
男性も向かい側に一列に並んでいたけれど、男性と女性の間は畳を縦に4畳分近く空いていた。会話などしようがない、
宴というのは音楽を聴きながら静かに食事を摂るだけの時間だった。息苦しくなって来る。なんのためにここに集まったのかもわからない。
これでは御簾越しでしか会話のできないカップルが合法で相手の姿格好をみることのできるチャンスでしかないようだ。そして、かつての千佐都姫はそれをきっかけに振られた、と。
私も一応男性陣の方を盗み見たけれど、千佐都姫が恋い焦がれたと言う松浦が誰なのかは当然わからなかった。
「松浦様ってどこにいるの?」
と侍女に聞くと右手から4番目だと教えてくれた。右に行くほど高位だから、まずまずの位置だ。でもパッとするような外見でもない。自意識過剰だけど、中身は大したことのない人間に見えた。偏見かもしれないけれど、まともな手紙を書けそうもない外見に見える。千佐都姫はそれを見て何を思ったのだろう。ふみを交わすうちにどうしようもないほど恋してしまったから外見を見ても何も感じなかった?
元々は松浦を千佐都姫のために手に入れるつもりだったけれど正直に言ってやる気が失せた。あまりにもしょぼい。
私はそれよりも一番右にいる男性が気になった。さりげなく侍女に聞く。
「霧星尊様です」
切り干し大根みたいな面白い名前だなぁと思う。彼は最も退屈そうに食事を口に運んでいた。箸が重そうだ。
「その人には誰か決まった人はいるの?」
「かなり奥手で文を交わした相手もいないという噂は聞きましたが、もう17歳ですしあのような高位のお方なのでもうそろそろお家の方が焦り急ぎ始めるかと。もしかするとお家では千佐都様をと言い出すかもしれないですね。家柄もつりあいますし。ただ霧星尊様から誰かに文を出すことはないような気はしますけれどね。そう言う方だという噂なので」
へぇ、なるほど。家同士も歓迎な縁談ってことね。千佐都姫には申し訳ないけれど、松浦には興味が持てないし、私は霧星尊と恋愛を進めていこう。
霧星さん。そちらから手紙が来ないならこちらから手紙を差し上げるわ。
私はそう考えながら彼のことを真っ直ぐに見つめた。
私の視線に気づいたのか、彼はふと顔を上げた。私はそのまま彼を見つめたままそっと微笑んで見せた。
すると彼は露骨に嫌な顔をして目をそらした。
あ、そうなんだ。
霧星の顔を見た瞬間に私は思い出した。
私はこの国ではブスなんだ。
だから微笑みかけることすら許されないんだ。そう気付いたら胸がの底が死ぬほど苦しくなった。
2018年の日本にいた時に、クラスメートが「私なんてブスだから笑顔を向けたってバカにされるだけだよ」と尻込みしていた気持ちが初めてわかった。そうか、こんな思いをして生きてきたのね。
これは辛い。いたたまれない。4人で派手にしている分目立つのが余計に辛かった。ブスが派手な服を着てるだなんてチンドン屋みたいに見えるだろう。今日の私は失敗だった。
ここから七夜連続で宴が続くと言う。私は耐えきれるのだろうか。
ブスとして生きることに耐えられるのだろうか。
転生したら
「突然のハイスペック」
になるんだと思っていた。でも更なるハイスペになるどころか、ハイスペ女子だったはずの私が、そのままでいるにもかかわらず、ここまで否定されるなんて聞いていない。
私はなんなのだろう。ここでは、何かを始めようとしても、人を振り向かせる美貌すらない。美しくない私はココシャネルにはなれない。
私は、努力せずにきたんだな……
不意にそう思った。
なんでも美貌の上に胡座をかいて生きてきたのかもしれない。
たしかに学問だって、ヴァイオリンだって、なんだってしてきた。私が頑張ったのは間違いない。
でもそのエネルギーはいつだって他の人からの賞賛にあった。美しいねから始まった褒め言葉は、私が何かをするたびにどんどんと膨れ上がっていき、美しくて運動もできるとか、頭も顔もいいとか、美しさありきで様々なことを褒められてきた。
ただ勉強はすごくできて、ヴァイオリンも人並みにできて、ちょっと足が速い程度の人間だったらいくらでもいる。そこに美貌が加わっていたから希少価値があったんだ。私は結局、単に生まれ持っただけのものに助けられてきた。
そして今、それを失った。私は、美人であるどころか外見で差別を受けるようなブサイクなのだ。
部屋に戻って、侍女に帯を解いてもらっている間も、私は何も言えなかった。
肌襦袢一枚になった時私はため息をついた。侍女が水の入った桶を持ってきてくれる。私が戸惑っていると、1人がそっと囁いてくれた。
「顔を洗う水です」
メイク落としも洗顔ソープもなかった。そんなのでは、肌が荒れる一方だ。ため息が止まらない。
「せめてぬるま湯にして頂戴。それから蒸しタオルを作ってきて」
蒸しタオルで毛穴を開かせてから、ぬるま湯で顔を洗いたかった。侍女たちは戸惑った顔をしながら部屋から消えていく。
「ねぇ、貴女はなんていう名前なの?」
さっき囁いてくれた侍女に声をかけた。
「小衣です」
彼女はゆっくりとかんざしやクシを私の頭から抜くと綺麗な箱に並べていく。
それから髪を梳いてくれた。そこそこのロングヘアだけど、平安時代の絵巻物のようには長くない。
「私って、昨日までどんな人だった?正直に言って」
「秋保様から、記憶がないと聞きました。ですので正直に伝えます。千佐都様は、どなたにも優しい方でした。位が低いくせに千佐都様のことを目の敵にしている草の局様にでさえ微笑みかけるような方です。遊びをされることはほぼなく、学問などに勤しんでばかりだったので秋保様ですら心配なさっていたほどです。元々そう言ったお方でしたが松浦様の一件以来、全く遊ばず、学問も大してなさらず、塞ぎ込むことが多くなっていました」
失恋して鬱になったのね。
「松浦から連絡が来なくなったことは、もしかして私の身の回りの人が全員知っているの?それとも草の局に至るまで国内外のありとあらゆる人が知っているの?」
私がそう聞くと小衣は耳元に囁いた。
「草の局様の味方をする侍女が以前はいました。その侍女のせいで、少なくとも草の局様には知られているはずです」
なるほど。草の局は、嫌いな女子のスキャンダルを広めない人間には見えなかった。つまり私の失恋は国内外の多くに知られているわけだ。
また、ため息。