束の間の休息
不思議な夢を見た。
月明かりに照らされた庭で、青白いドレスを着た白い髪に深紅の目の少女が目の前で微笑んでいる。
リインとよく似ていたが、少し違った。
髪に癖がなかったし、背丈なども微妙に違った。
何よりも表情が違った。儚げに笑いながら、俺に向かって何かを話しかけていた。
絹のような髪が風にたなびき、月光に照らされて微かに煌めいていた。
次に映った光景は、一面に広がる荒野だった。
陽は落ちかけ、黄昏色に染まった空の下の大地を、夥しい数の死体が覆いつくしていた。
自分の体を見下ろす。漆黒の鎧を着こんだ四肢は、大小さまざまな剣や槍に貫かれていた。
不思議と痛くはなかったが、やけに悲しかった。
胸の奥が氷漬けにされて、砕かれてばらばらになってしまったみたいだ。
ひゅうひゅうと冷たい風が、心に開いた風穴を通り抜けていく。
血に濡れた大地に膝を突きながら、目の前に立つ白い騎士の腕の中で四肢をだらりと下げた少女に
届かないその手を伸ばす。胸が張り裂けんばかりの慟哭を上げるが、何も聞こえない。
「あの子を守れなかった」
ファレスの声が聞こえた。
暗く、絶望と無力感に満ちた声だった。
「なにが、王宮最強の騎士だ……目の前の少女一人助けられずに……
私の剣は、一体なんのためにあったというのだ。私の生はなんだったのだ。
これでは、生まれてきた甲斐がない……」
視界が暗闇に支配される。
未だに感覚はなかった。ただ、ファレスの悲痛な声だけが響き渡っていた。
「もしも、二度目があるのなら。
わが剣で全てを斬り伏せよう。この身を盾にしよう。私という男の全てを捧げよう。
その笑顔が許されないというのなら。その生が望まれないというのなら。
この体が朽ちるまで。この魂が尽きるまで。この想いが果てるまで」
===
揺れる馬車の中で丸まるように横たわって眠っていた。
堅い床に圧迫されていたせいか、とにかく肩や脇腹が痛い。
体を起こすと、毛布にくるまって横になり、瞼を閉じて寝息を立てているリインがいた。
ゲイルもゲイルだ。どうせなら毛布の三枚四枚持ってきてくれればよかったのだ。
俺たちは王都近くの森から離れ、街道を通って辺境の街セブへと向かっていた。
下手に変わった道を使えば見つかったとき怪しまれるというゲイルの方針だ。
あれから二日が経った。俺とリインはゲイルの馬車にひたすら揺られていた。
俺は馬の世話を手伝うために時々降りていたが、リインはずっと籠りっきりだ。
ゲイルも俺も、リインを外に出す気にはなれなかった。
もしものことがいつ起きるかは、誰にも分からない。
馬車はしばらく走ると、スピードを緩めて停止した。
後ろの垂れ幕が捲られ、ゲイルが顔を出して俺に手招きする。
馬に疲れが出てきたのだろう。肉つきのいい立派な馬だったが、二日とはいえそれなりの強行軍だ。
馬車から水の入った桶と飼料の入った木箱を持って出て、馬の傍に置いてから馬具を一旦取り外す。
水は普通のものだったが、飼料が特殊だった。
なんとトロルという大型の巨人のような魔物の骨を砕き、
色々と混ぜたり乾かしたりした肥料が使われた人参だった。
形もおかしなことになっており、曲がりくねって大人の腕一本分ほどに巨大化していた。
常識はずれな栄養価を誇るが味に癖があり、これを口にするのは馬か一部の物好きな貴族だけだという。
事実、市場にはたまにしか出回らない貴重品だと聞いた。
トロルを討伐した際の副産物を使っているわけだが、トロル自体の生息地が狭い。
ただ、金貨五枚に見合うだけのものではある。
これを与えておけば、一頭の馬の一日分の干し草に値するともっぱらの評判だ。
大量の干し草に比べれば場所も取らないし旅をする上では非常に便利なのだろう。
こんなものを惜しげもなく持ち出すとは。ゲイルの相当な気合いの入れようが垣間見えた。
「すまない。人数は二人とばかり思っていたのでな、食事も限られてしまった」
「大丈夫だよ、俺は。騎士団本営で散々食ってたからな。
それよりもリインが心配だ。あんなに細いしよ」
「食欲もあまり湧かないようだな。仕方のないことだが」
男二人でああだこうだと相談しながら、馬が巨大人参を齧る様を見守る。
馬の世話は従士時代に少しやった。物言わぬ鎧や木箱よりも、馬のほうが可愛げがあって楽しかった。
「もうすぐセブだ。こいつにも頑張ってもらおう」
「おっさんティタヌスばりにでかいからなあ、だからこいつもへばっちまったんじゃねえの?」
「そんな軟な馬ではない。あと、俺は祖父がティタヌスだ」
「どおりで」
===
聞く限りだと、セブはあまり大きな町ではないようだった。
瓦葺の木造家屋が集まってできており、町の中央にある広場の店では様々な品物が売られているらしい。
王都とそう遠く離れていないためか、流通もいいのだろう。
馬車を停め、ゲイルが到着を告げた。
町から少し離れたところに馬車を停めたらしく、垂れ幕から頭を出して町を見ようとしたが、
遠目に建物の群れが見えるだけだった。
「俺が必要な物資を買い揃えてくる。おまえたちはこの中で待っていろ。リインにも服が必要だ」
「おい、おっさんが買ってくるのかよ。大丈夫か?」
何を言う、とゲイルが俺の顔をじろりと見た。
そして大真面目に、至極当たり前のことのように、こう言い放った。
「俺ほどリインに似合う服を見立てられる男はそういない」
「うそだろ、おっさん」
親指を立てて見せ、ゲイルが町へと繰り出すのを呆然と見送る。
リインが鈴の音のような笑いを漏らした。
「大丈夫だよ、小さいころから誕生日にゲイルさんから服を貰ってたんだけど、
どれもかわいかったから」
「あの顔でか。ありえねえ」
服屋で女物の服を買い漁るゲイルの姿を想像し、そのシュールさに絶句する。
恐らく、ゲイルにとってリインの母親は恩人だとか、そういった特別な存在だったのだろう。
そうでなければ、十何年もリインを見守り続けていたわけがない。
その娘の服選びともなれば、いくら堅物そうなゲイルでも張り切るのだろうか。
フリルがたくさんついた少女趣味の服とか、買ってくるのだろうか。
大人しく待っていると、ゲイルが大きな麻袋を二つ持って帰ってきた。
ゲイル曰く、武器やその整備道具、馬具の予備や飼料などは万端で、
食糧や衣類、毛布などが不十分だったため、それらを買い揃えてきたとのことだった。
「リインもそのようなドレスでは動きにくいし寒いだろう。何より目立って外に出られない。
俺とテオは外に出ているから、着替えるといい」
「お、おう。そうだな、外で待ってるよ」
やっとまともな服が着れると喜ぶリインに背を向け、ゲイルと一緒に馬車から出る。
女性の着替えに興味がないわけではない。興味津々といってもいい。
これで興味を抱かない男は男として死んでいるというものだ。
衣擦れの音だけでも聞こえてこないものかと耳を澄ませていると、ゲイルに肩を叩かれた。
「なにかあれば、分かっているな」
「……すみません」
ゲイルは相変わらずの仏頂面だったが、声に恫喝にも似た凄味があった。
ゲイルにかかれば、俺の首など小枝のように折られてしまう気がする。
泣く泣く馬車から離れて待っていると、リインが馬車から軽やかに出てきた。
リインは後ろで結った髪はそのままに、足元まで隠れる黒のフード付きローブを着こんでいた。
肩には同じく白い糸で縁取られた黒いケープを羽織り、
靴は歩きにくそうな踵の高い白い靴から脛まで隠れるブーツに履き変えていた。
ローブにはところどころに上品な刺繍や飾り布があり、腰には細い革のベルトが巻かれている。
体のシルエットに沿った服で、お世辞にも動きやすい服装には見えなかった。
「スカートが不思議なつくりになってるね。動きやすいよ、これ」
そこでリインがスカートの部分の裾を軽く持ち上げた。
目を見張り、慌てて視線を逸らす。そこにはあろうことかスリットが入っていた。
白い膝が露わになり、鼓動が止まるかと思った。
哀しいことに、前世では女性の裸体など紙や画面越しにしか見たことがなかった。
そういうものへの免疫は、十五歳相応かそれ以下かもしれない。
それを見ていたのか、リインがにやりと笑って俺に近づいてくる。
「ば、馬鹿、くんじゃねえ」
「どう、似合ってる?」
「うるせえ」
リインが前かがみになりながら俺の顔を覗き込む。
少々控えめだが形のいい乳房が服越しに存在を主張している。
ベルトで服が体に固定されているためか、腰のくびれや丸みが出ていた。
さすがに目に毒というものだ。健全な青少年としてはとてもつらい。
「それくらいにしておけ。とりあえず、宿も取ってきた。
これからは当分馬車での寝泊まりだ。今くらいは体を休めるべきだろう」
「大丈夫なのかよ、それ。町にリインが行ったら」
「巡回中の騎士も大した数ではなかったし、誰かを探している様子もなかった。
店で聞いてみたがおまえたちの情報も出回っていないようだった。
まあ、いずればれたとしても、騎士団とて新米従士に楔の花嫁を連れ去られたと民衆には言えないさ。
それに楔の花嫁の儀式が失敗したとなれば、大陸中が混乱に陥るからな。
民衆が敵に回ることは考えなくていい」
ゲイルが鞍に手をかけ、馬に飛び乗る。
久しぶりに水浴びができると喜ぶリインの手を引き、馬車に乗り込んだ。
しかし、意外と騎士団も動きが遅い。
あの神殿から王都に戻るまで二日。それから色々な会議や処理を挟んで、
そこまでやってようやく国中への捜索が始まるといった具合だろうか。
あれから既に二日が経っている。今頃は本営に禿げ頭のアルガスが逃げ帰ったくらいだろうか。
意外と長閑な旅に、俺はすっかり気を緩めていた。
運が良ければ、このまま外側の大陸まで逃げられるのではないかと希望を抱くほどに。