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伝説の騎士

 行軍は日没と共に停止した。

平原を横切るように踏み慣らされた一本の街道脇に円陣を組むように天幕を張っていき、

その中央に篝火を焚く。

騎士たちには簡易的だが寝床がある。対する俺たち従士はどうだ。

荷馬車の堅い床の上で雑魚寝である。これでは休まるものも休まらない。

一つの革の水筒の中身を回し飲みし、俺たち従士は眠りに着こうとしたが、

騎士団本営での柔らかいベッドに慣れてしまったからか、一向に眠気が訪れなかった。

 荷物から干し肉の一つでもくすねてきてやろうと思い、荷馬車から抜け出した。

騎士たちは既に眠っているのか、鎧に身を包んだ見張り役の騎士が篝火の傍に座り込んでいるだけで、

他には誰もいなかった。

見張り役は俺を見て、手招きしてきた。

また何か面倒な仕事だなと察しはつくが、拒否する権利もない。

従士の哀しい定めだ。諦めて騎士に走り寄り、敬礼する。


「おまえ、あっちのテントの様子を見てきてくれないか。

あのテントの見張りの奴、結構な寝坊助でな」


 なんともくだらない内容だったが、楽な仕事だった。

指さされたテントに向かっていく。

天幕の中の騎士たちの眠りを妨げないよう、ゆっくりと歩いた。

入り口の垂れ幕の脇にも鎧を着た騎士が座っていたが、様子が変だった。

こくりこくりとゼンマイ人形のように首を揺らしている。

寝ているなと確信し、揺り起こそうと手を伸ばすと、声が聞こえた。


「誰?」


 若い女性の声だった。

なぜこんな騎士団の一行に女性がいるのか、その答えは明白だった。

俺は好奇心を覚えた。神に嫁入りする女とはどういった人物なのだろうか。


「こっち側から話すとバレる。裏側に回って天幕越しに話そう」


 ひそひそと提案してみると、女性の声はしなくなった。

後ろを見る。見張りの騎士は篝火を見つめながらぼんやりとしていた。

その隙にテントの後ろ側に回り、天幕に耳を傾ける。


「いる?」


「おう、いるぞ。あんた、楔の花嫁ってやつなのか?」


 そう問いかけると、天幕の向こうの女の声色が少し厳しくなった。


「あまりそう呼ばないでよ。私、リインって名前があるんだから」


「ああそうかよ」


「なによ、感じ悪い……」


 リインと名乗った女はますます不機嫌になってしまった。

とにかく、否定しないところから見て、この女は楔の花嫁に違いないだろう。

俺は天幕の向こうのリインに自分の名を告げた。

一応は騎士を目指す身だ、名乗られて名乗り返さないわけにもいかない。


「騎士様なの?」


「いんや、下っ端小間使いの従士だよ。新人ってのも付け加えとく。

楔の花嫁ってことは、あんた王族なのか?」


 リインは曖昧に、うーんと唸った。


「今まで普通に王都で暮らしてたんだけどね、今年の初めにいきなりお城に連れてかれたの。

私は実は今代のローグシア王の妾の子で、王族の血を引いてるから楔の花嫁になれって。

で、王様に会わされてびっくり。目の色から髪の色まで一緒だった」


「ん、育ててくれた親とかはいないのか?」


「父さんと母さんはいたよ。

でも、教会の前で赤ん坊だった私を二人が拾ったっていうのを知ったのはつい最近」


 俺はリインの境遇を想像し、一つの結論に至った。

これはいわゆるシンデレラストーリーというものではないか?

平民としてつつましく暮らしていた女性が、王家の血を引くことが発覚し、

高貴で美形な王子に嫁いで豪華な城で幸せに暮らすというものだ。


「よかったじゃねえか、これからは神様の嫁さんなんだろ? お妃よりすげえ。

きっといい暮らしができるぜ。神様ってんだから、多分いいやつだろ。

うまいもんもたくさん食えるし、綺麗な服も一杯着させてもらえるぜ」


 リインは黙り込んでしまった。

俺としては、リインの心境が一切分からないわけでもなかった。

突然日常から連れだされ、知らない場所に連れていかれて、

見たこともない相手の妻にされるのだ。不安じゃないわけがない。

なんとかその不安を軽減させられないものかと考えたが、いい台詞が浮かばなかった。


「大丈夫だって。俺の考えではこうだ。

神殿で神様に会って、神様の世界に連れていってもらって、お城に住むんだ。

そこは見たこともないような綺麗な城でさ、飯も信じられないくらいうまいんだ」


「……そう、なのかな」


「そうじゃなかったら、王様だって実の娘を送り出すもんかよ。

神様が酷い奴だったら、もし俺が王様だったら死んでもお前を渡さないね。

馬の糞投げつけてやらあ」


「変な人」


 リインが吹き出すのが聞こえる。

ようやくリインが笑ったのが分かり、俺は静かに安堵した。


「じゃあ、そろそろ見張りを起こすぜ。あんまり長話してても怪しまれる」


「うん、ありがとね。久しぶりに人と話せて楽しかった」


 天幕から離れる。

これからリインは人の世から離れ、神の傍で暮らしていく。

それは幸せに満ちた道に違いない。でなければ、父たる王も容認するはずがない。

見張りの騎士を揺り起こし、荷馬車に戻る。明日の昼頃には神殿に着くという話だ。


===


 神殿は思っていたよりも小さかった。石造りのそれは祠といったほうがしっくりきた。

扉や門もなく、ぽっかりと入り口が開いており、中は暗闇だった。

本当にこんなところに神がいるのかと訝るが、考えたところで仕方がない。

 神殿に着いた一行は馬車を停めると、アベルを含むほとんどの騎士が周囲の警戒に出て、

俺たち従士は気をつけの姿勢で神殿に楔の花嫁を連れていくのを見守っていた。

 腰からカンテラを提げた一人の騎士が馬車に近寄ると、扉をゆっくりと開けて手を差し入れた。

そこから、青白いドレスに身を包んだ女が手を引かれながら出てきた。

目を見張り、女を見る。雪のように白い髪を後ろで結っている。

少し癖があるのか、微かに波打っているように見えた。

二重瞼の下の瞳は血のように赤かった。鼻筋も通っており、すっきりとした顔立ちの美女だった。

あれがリインか。どうりで神の妻に選ばれるわけだと一人納得していると、

リインは騎士に連れられて神殿へと入っていった。


「人手がいる。おまえたち、手伝ってやれ」


 アルガスがこちらを指さしてくる。そういった儀式なのだろう。

勝手にそう考え、俺を含めた従士五人は騎士とリインを追って神殿の中に入った。

カンテラに照らされた空間は、神の居場所にしては寂しいものだった。

四方に立つ柱の中央に、大人一人が入れる程度の鎖が巻かれた石棺が直立しているだけだった。

どこもかしこも苔むしており、ろくに人の手が入ってないことが窺い知れた。

なんともいえない異臭すら漂っている始末だ。

顔をしかめながら騎士に指示を仰ぐ。


「開けてくれ」


 騎士が鎖を解き、手の甲で石棺を叩いた。

一メートル以上はある石の板を動かせ、とよくもまあ簡単に言えたものだ。

とにかく、ここに何か貴重な宝石やらを入れれば神様が降りてくるとか、そんなものだろう。

五人がかりで石棺の上部を掴み、なんとか蓋をずらそうと体重を乗せて押す。

石が削れる音が反響し、少しずつ石棺の中身が露わになっていく。

そして、俺は蓋から手を放し飛び退いた。中身をちらりと見て、悲鳴も上げずに。

軽く傾く形で開いた石棺の中にあったのは、人の骨だった。乳白色の髑髏の洞が、こちらを見ていた。

一応服は着ており、高価そうな絹の布を纏っていた。

 従士たちが驚愕して固まる中、騎士はその人骨に手を伸ばすと、頭蓋を引っ張り出した。

骨が崩れ、石棺からこぼれて地面に落ちる。からからと乾いた音が鳴り響いた。

 頭が真っ白になっていく。一体どういうことなのか。

いや、理屈ではすでにどういうことか分かっていた。

楔の花嫁。神の神殿。そしてこの石棺。

リインを見る。その眼は恐怖に歪み、崩れ落ちた人骨を見て硬直していた。

俺が、俺自身がリインに発した言葉が頭の中で反響する。

見たこともない城、たくさんの食事、綺麗な服。

血流が加速し、心臓が破裂しそうになる。握りしめた右手がじっとりと汗で濡れていた。

 騎士がリインの腕を掴む。

空いた左手には、先ほどの鎖の端が握られていた。


「どうした、テオ」


 いつか夢で聞いた声がする。


「言ったはずだ。その時になったら私の名前を呼べと!

君はこの光景が許せるのか!? 何もせずに、我が身可愛さに見捨てるのか!?

そうじゃないはずだ、だからこそ私と出会ったのだ!」


 口の中は乾ききっていた。

ぼんやりとした視界の中で、リインが石棺に押し込められていくのが見える。

この光景を許せるか? そんなもの、決まっている。

目を閉じ、息を吸う。そして口を開き、喉を震わせた。


「ファレスッ!」


 許せるはずがあるものか。

これが千年前から続いていようが、国がやっていることだろうが、知ったことか。

そんなことを気にしてるようなら、前世でもっと上手くやれていた。

多分、これはやってはいけないことだ。国への裏切りだ。

それでも。たとえ多くの人間が俺の行いを否定したとしても。

俺は正しいと思える道を選んでいたい。


「よくぞ言った! かつて王宮最強と呼ばれたこの力、今こそ君に与えよう!」


 そこで声は途切れた。右手の中には重い何かが握られている。

目を開き、自身の手を見る。黒い板金に覆われていた。

右手には龍の首すら落とせそうな漆黒の大剣の柄がある。

 騎士がこちらを見ていた。剣を抜き、切っ先をこちらに向けている。

兜の下の表情は見えないが、明確な敵意を感じた。

剣を斜めに振り上げ、間合いを測る。不思議と重量に負けることはなかった。

軽く踏み込み、袈裟に斬り下ろす。甲高い音が鳴り、騎士の長剣の鍔から先が砕け散った。

 その場にへたり込む騎士を無視し、閉じかけた石棺の蓋に手をかける。

蓋はたやすく開き、中からリインが飛び出してきた。

バランスを崩し倒れそうになった彼女の痩躯を左腕で受け止める。


「あなた、誰……?」


 黒い鎧に覆われた腕の中で、リインが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。

頭の中で声がする。俺の喉を借りて、こう言った。


「楔の花嫁を、守る者だ」


 それは俺の声ではなかった。夢で聞いた、あの男の声だった。

だが、意志だけは他の誰のものでもない。

あるのは、怒りだった。

胸の中で音を立てて煮えくり返っている怒りだ。

彼女を送り出した王への怒り。彼女を生贄として求めた神への怒り。

彼女一人を犠牲にしてのうのうと生きている世界への怒り。

彼女一人の死を以て成立している秩序への怒り。

多くの怒りが、俺の中で燃えていた。


「生きるんだ。おまえの命は、他の奴らのためのものなんかじゃない。

おまえの命は、おまえだけのものだ」


 彼女を肩に乗せ、落ちないように足を左腕で固定する。

呆然とする従士たちや騎士を尻目に、神殿を出た。

 リインを連れた俺を出迎えたのは、残りの騎士たちだった。

誰もかれも同じ鎧で分からないが、アベルもいるはずだ。

俺の姿を視認した途端に、彼らは一斉に剣を抜き放った。

いつまで経っても出てこないので、不審に思ったアルガスが集めたのだろう。

 リインを一度地面に降ろそうと身をかがめた時、

それを好機と見たのか騎士たちは各々の剣を構えて地面を蹴った。

どうやら騎士というのは伊達ではないらしく、鎧の重みを感じさせない勢いで

あっという間に距離を詰めた彼らは、俺を斬り伏せようとしていた。


『時の針よ、どうか卑怯な我らのため、少しだけ今を早めたまえ』


 騎士たちが刃を振り上げるのが見える。謎の言葉が口を突いて出た。

瞬間、視界に映るものの動きが緩慢になった。

何かを叫ぶアルガスも、腕の中のリインも、周囲の騎士たちすらも。

まるでスロー再生されているビデオの中に入り込んでしまったかのように。

 不思議と頭の中は冴え渡っていた。普段なら混乱するところだが、今は違う。

リインを後ろの地面に降ろし、剣をまっすぐに構える。

姿勢を低くして腰をひねり、そのまま刀身を横に薙いだ。

剣の腹が一人の騎士のわき腹を捉え、ぶつかる。鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音が兜の中で響く。

勢いのまま振り抜き、更に騎士たちを巻き添えにして、吹き飛ばした。

時の流れが戻り、宙を舞っていた騎士たちが地面に叩きつけられる。


「時魔法だと……まさか、あれは、伝説の……」


 アルガスが口をぱくぱくさせながら、後ずさりしていた。


「裏切りの、黒い騎士」


 倒れ伏した騎士たちの中から、聞き覚えのある声がする。

ごめんな、アベル。一緒に英雄になるのは、どうも無理そうだ。

心の中で詫びながら、後ろのリインを再び抱きかかえた。

足が宙に浮く。ここから離れようと思った時、体が重力から解放された。


「待って、どこに行くの!? 私はどうなるの!?」


「ここじゃないどこかだ。ここはおまえが死ぬための場所だ。

おまえがいるべき場所じゃない」


 地上がどんどん離れていき、騎士たちや馬車、神殿が小さくなっていく。

もう、戻れないだろう。アベルにも二度と会えないかもしれない。

けれど、後悔はなかった。恐れがないと言えば嘘になるが、後悔だけはなかった。

 こうして、俺とリインは騎士たちに背を向けた。

たった一人の犠牲で世界中の人間が幸せになれるのなら、それはとても賢い選択なのかもしれない。

だが、俺はそれが許せなかった。億の営みよりも、一の命を選んだ。

これは始まりに過ぎなかった。何もかもを敵に回し、何もかもを失う旅の。

よく読んでくれた。残念だが、あらすじ通りの筋書きなど初めからない。 騙して悪いがタイトル詐欺なんでな。死んでもらおう。

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