初任務
俺に割り振られた部屋は、相部屋だった。
ベッドが二つに、机と椅子が一つ。壁の中央には白い木枠の窓がある。
それだけの寂しい部屋だったが、今までの暮らしに比べれば豪邸だ。
ベッドなど今まで寝てきた藁のベッドではなく、獣毛と思しき感触だった。
ふかふかのマットレスに尻を沈めながら、腰から提げた剣に視線を落とす。
支給されたのは、あからさまに数打ちものと思われる粗雑な剣が一つと革のベルト。
剣に至っては樽の中に無造作に突っ込まれていたものだった。
長剣ですらない、小ぶりな刀身が木の鞘に収められている。
しかし制服すらないとは。思っていたファンタジー世界の騎士との違いに、肩を落とす。
いや、正確には従士なのだが。これからしばらくは剣もお飾りだ。
荷物運びやら野営地の設営やら、そういった雑事が主になってくる。
騎士になって戦場に立てるのは数年後だ。
結果から言って、俺は試験に合格した。
体力測定、健康診断、読み書きの試験、いずれも問題なしとのことだ。
幸いにも、転生してからというもの大病は一度も患ってはいない。
元々線は細かったが、筋肉はそこそこついている。
腹筋は夢のシックスパックとまではいかなかったが、若干割れていた。
それよりも心配だったのはアベルだ。
一体どうなってしまったのだろうか。別室に連れていかれて、それから一度も顔を見ていない。
窓の外には陽が落ちて藍色に染まった空が広がっていた。
扉が開く音がし、入り口を見ると、黒いジャケットとズボンという服装の男が立っていた。
左腕にはローグシア王家の紋章が描かれた船の帆のような形をした鉄盾がある。
ベルトには雑嚢と、刻印がなされた黒い革の鞘に入れられた見事な長剣があった。
最初は誰だか分からなかったが、その顔を見て俺は目を見開いた。
「……よ、よう、テオ」
アベルだった。無事の再会を喜ぼうと思い立ち上がるが、
アベルの目はとても申し訳なさそうに伏せられていた。
そこで俺はアベルの身に起きたことに察しがついた。
「親父さんのこと、覚えてた人がいたんだな」
「……別室に連れていかれて、父さんの名前を聞かれた。
正直に答えたら、簡単な試験の後に、これだ。
これから騎士見習いとして働いてもらうって。
ある程度の年数と戦果が認められたら、叙任式の後に正式に騎士号が授与されるって」
アベルは肩をわなわなと震わせながら、俺に頭を下げてきた。
慌てて頭を上げるよう促すが、アベルはそれを固辞した。
「俺は……俺は父が騎士だったってだけで、こんな扱いだ。
もう、どんな顔してお前に向き合えばいいか」
「いいじゃねえかよ、出世が早いってことはよ。
たくさん稼いでうまい飯でも奢ってくれ」
「でも……」
俺は本心から、そういったことはどうでもよかった。
うらやましくないと言えば嘘になるが、それでアベルに当たったところで仕方ないだろう。
俺が本当に十五歳だったなら、ここでアベルと口喧嘩の一つでもしただろうが。
手をひらひら振りながらベッドに体を投げ出す。
「おまえのそういうところ、尊敬するよ」
アベルが諦めた口調で言う。別に大したことではない。
アベルが特別悪いことをしたわけでもないのだ。謝るほうが筋違いというものだ。
「俺が言うのもなんだけどさ、騎士団に入ったんだから少しは愛想よくしろよ?
おまえはいっつも言葉選びが下手だし、何か悪口言われても
『ああそうかもな!』とか投げやりなこと言うし」
「仕方ねえだろ、性格なんだ」
この性格のせいで前世ではルーチンをこなすだけの人形のような人生を送る羽目になった。
ローグシアに来て、もう少し上手くやろうと努力はしてみたが、だめだった。
コミュ障も改善せず、周囲に同調するのも苦手で、殴り合いの喧嘩ばかりだ。
それでもなんとかやってこれたのは、ひとえにアベルの存在が大きかった。
「でもよ、これからはあんな生活とはおさらばだ。
俺たちは騎士になるんだぜ。騎士様だぜ、騎士様。
忠義の騎士みたいに国中で持ち上げられてさ」
寝転がりながらアベルを見る。「二人の騎士」という伝説は、アベルのお気に入りだった。
目を輝かせ身を乗り出し、アベルが伝説の騎士について語った。
「いいよな、二人の騎士。王宮最強と呼ばれた黒い騎士と、その親友だった白い騎士が、
楔の花嫁を巡って悲しい戦いを繰り広げる。
黒い騎士は大いなるアビスと世界の繋がりを断ち地上を渇きで満たそうとして、
白い騎士はそれを止めようと奮戦する。いいよなあ、お芝居見たいなあ」
「そういや、昔から言ってたな。いつか王都に行って、大劇場で二人の騎士のお芝居を観たいって」
こくこくとアベルがうなずく。
アベルは昔から本や物語が好きで、そういった英雄譚に目がなかった。
「なろうぜ、二人で。忠義の騎士として、英雄になるんだ」
おう、と元気よくアベルが答える。
実際には二人の騎士もおとぎ話だし、忠義の騎士も一人だけなのだが、
この際細かいことはいいだろう。大切なのは、将来への希望だ。
===
それから三週間が過ぎた。今は風の月から花の月だ。
百年に一度、楔の花嫁がアビスの神殿に嫁入りに行く決まりの月でもある。
騎士団本営での生活にもだいぶ慣れた。
従士である俺は主に使い走りである。
施設内の清掃、騎士たちの装備の整備、荷物運び、ほかにも色々だ。
中でもネヴァンとティタヌスの騎士の鎧の整備は大変だった。
ネヴァンの鎧は不思議な形をしていて磨きにくかったし、ティタヌスの鎧はとにかく大きくて重かった。
面倒ではあったが、食堂で出る白パンや鳥肉のシチューを励みに必死に鎧を磨いたり廊下を磨いたりした。
なんと週に一度はデザートとしてリンゴのパイも出る。
これだけでも騎士団に来た甲斐があったというものだ。
アベルは騎士見習いとして、座学に剣技に乗馬と引っ張りだこだ。
陽が沈み部屋に戻ると、俺よりもくたくたになってベッドに倒れ込んでいることがあった。
騎士としての礼儀や立ち居振る舞い、その他もろもろも相まって大変らしい。
そんな日々を送っていると、ある日の晩に騎士団長の使いの騎士から俺たちにお達しが来た。
近々楔の花嫁の護送任務があるので、そこにアベルを派兵するということだった。
相部屋で粛々とそれを聞いていたアベルは、話は終わりだと背を向けた騎士を呼び止めた。
「お願いです! テオを……この者を補佐としてお連れすることを許していただけませんか!」
騎士が後ろで敬礼していた俺を初めて見た。
背筋を伸ばして顎を引き、左手は握り拳にして腰の後ろに、
右腕を胸の前でしっかりと曲げて拳を見せるというポーズだ。
今の今まで目もくれなかったのに、今度は頭のてっぺんから足のつま先まで視線を巡らせている。
「いいだろう。どのみち甲冑の運搬やテントの設営に従士は必要だ。
出立は明日の明朝となる。日の出前に中庭に集合しろ」
「ありがとうございます!」
アベルが頭を下げ、俺もならうようにして腰を折る。
騎士が去っていった後、アベルはそっと扉を閉めてから、こちらを振り返ってにやりと笑った。
「他の騎士から聞いたんだ。従士でも任務に同行する回数が多ければ、
上の目に留まる機会も増える。その分騎士への道も短くなるってことだ。
龍殺しって言われてた騎士オーレリアスも平民出身だったが、従士としてたくさん任務に同行していたらしい」
「そいつはいい。ただでさえうまい飯がもっとうまくなるんだ。なんだってしてやるぜ」
二人してくつくつと悪い笑いを漏らす。
雑談も束の間、明日も早いしさっさと寝ようとベッドに飛び込んだ。
===
「時が来た」
十五年ぶりに夢の中に現れた黒い鎧の男はそう言った。
確か、名前はファレスとかいったか。
「約束を守ってくれてありがとう」
礼を述べるファレス。よしてくれ、と首を振る。
俺は事実、ファレスとの約束を忘れていた。騎士団に入ったのも、好奇心や憧れからだ。
そこでふと、俺は疑問に思った。
結局のところ、ファレスは俺に何を求めているのだろうか。
俺の死に様を憐れんで、ただ異世界に送り込んだわけでもあるまい。
「直に分かる。私は君に強要することはしない。
だが、君ならきっと、私と同じ選択をするはずだ」
ファレスの声は確信に満ちていた。
一体何のことだ、と問い詰めようとするが、視界がぼやけはじめる。
「その時、君が目の前の理不尽を斬り裂ける剣が欲しいと思ったなら、
誰かの前に立てるような鎧が欲しいと思ったなら、私の名前を呼ぶんだ。
君と私の願いが重なった時、私は君を生まれ変わらせた時の約束を果たそう」
自分の名を呼ぶ声が響く。夢が終わる。
===
朝とは名ばかりのほとんど陽も昇っておらず夜の暗さが色濃く残る中庭に、
黒い制服を身に纏った十五人近い騎士と十人ほどの従士が整列していた。
その中に、俺とアベルもいた。といっても、俺たち従士は騎士たちの後ろに控えていたが。
集団の前に一人の男が立っている。制服の左胸には銀の星に十字を刻印した勲章を下げていた。
歳は五十歳くらいだろうか。白髪を後ろになでつけ、筋骨隆々とした男だった。
眉間には深いしわが刻まれている。額や頬には傷跡が走り、歴戦の勇士の風格を漂わせていた。
男はローグシア王宮騎士団団長エクトールと名乗った。
「これより、楔の花嫁護送任務を開始する。
諸君らはこの百年に一度の儀式を遂行するに選ばれた者たちだ。
どうかそれを胸に刻んで行動してもらいたい」
大いなるアビスの加護あれ、と団長が敬礼する。
粛々とその場にいた全員が高らかに復唱し、一斉に敬礼した。
これから初任務だ。粗相のないようにしなければなるまい。
それから俺たちは一人の騎士に先導され厩舎に向かった。軍馬を飼育、管理する建物のことだ。
騎士たちがところどころが鉄で補強された馬車に乗り込んでいく中、
彼らの予備の甲冑や盾、食料やテントに使う木材と布を荷馬車に積み込み終わるころには、
俺の腕や足はほとんど使い物にならなくなっていた。
体中の筋肉という筋肉が悲鳴を上げ、休ませろとボイコットを行っている。
たまらずその場に座り込みそうになるのを堪え、ほかの従士たちと一緒に終了報告をする。
今回指揮を執っているのは黒い髭を偉そうに伸ばした小柄の騎士だった。
アルガスという名前だったと記憶している。
艶のある黒髪を肩まで伸ばしていたが、生え際が危なかった。
伯爵家の長男らしく、その伝手で騎士になったともっぱらの噂だ。
要は偉ぶるだけの小物であると従士たちからは嫌われている。
「では、おまえたちは馬と荷台を繋げ。そこのおまえたちは開門の用意を」
顎でくいと指図される。勘弁してくれという言葉をなんとか飲み込み、敬礼する。
俺は両開きになっている巨大な厩舎の扉に走り寄り、その片方を開け放った。
そこを潜って、別の従士が王城裏の門に向かって走る。
門には王城前広場と同じように跳ね橋が上がっており、それを下ろすことで出入り口となる仕組みだった。
跳ね橋が地面に叩きつけられ、砂煙を上げる。
「よし、従士たちはもういい。荷馬車に乗れ、出立するぞ」
アルガスに言われ、へとへとになりながら二手に分かれて空の荷馬車の垂れ幕を潜り、乗り込む。
天幕に遮られ騎士からの見張りがなくなると、俺を含めて五人中五人が例外なくその場で倒れ込んだ。
我ながら鍛え方が甘いなと思う。魔物の討伐ですらない任務にこれでは先が思いやられるというものだ。
一息つく間もなく、馬車が揺れ車輪が回る音がする。
楔の花嫁を送り届ける予定の北の神殿に着くまで、二日。
その間ずっとこの調子なのかと、嘆息しながら堅い床に頬を押し付けた。